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士官専用の食堂、といえば
「提督から食事の誘いをいただくとは、珍しいこともあるものですな。邦都への帰路の途上で、嵐などに遭遇しなければよいのですが」
決して一流とはいえないが適度な冗談をいえるだけの才能はあるらしいグライド・カムレーン参謀長が、その剛毅な身体をささえるにはやや信頼感に欠ける椅子の一脚に腰掛けて、頭髪と同じ銀色の
「まあ、たまにはいいだろう」
こちらはややユーモアのセンスに欠けるらしいサヤカ・シュウ司令官が、機械的な笑いをうかべて応じた。じつは、彼女はこの参謀長に艦橋をあずけてミレイ・イェン副司令官を同席させるつもりだったのだが、栗色髪の副司令官に押し寄せる情報の波浪が連なってやみそうになかったので、各所への指示指令を一段落させた参謀長が、食宴に同席する栄誉にあずかったのである。
「いや、しかし、こうも若く美しい女性がたに囲まれては、心の置き場に迷ってしまいますな。若い時分にも、このような境遇とは縁がなかったものですから」
「そのあたりにしておけ、参謀長。あまり慣れない冗談を言い過ぎると、本当に航海に困難を生ずるかもしれんぞ」
そのやりとりに、異邦人のふたりは礼儀上笑った。心から笑う気になれなかったのは、異国の士官と食卓を囲む緊張感からなのか、それとも冗談の水準がその域に達していなかったのか、おそらくその双方であろう。シュティはその様子からして前者の影響が顕著そうだったから、参謀長の冗談は客人の緊張をまぎらわせるためのものだったかもしれないが、一半倍の人生経験を有するはずの壮年の参謀長が案外本気で居心地の悪さを感じているのかもしれないと思うと、アイリィにはそちらのほうがおかしかった。
ささやかな食宴のもうひとりの参加者である純黒髪の戦隊長が、洗練されているとはいえないふたりの会話を受けてやや困った様子の笑顔をうかべるうちに、ロースト・ビーフを主役に据えた料理が、五名の眼前に手際よくならべられていった。小鳥用に調理された食事が小皿に乗せられて出てきたのは、若い艦隊司令官の細やかな気配りが、形となってあらわれたものであろう。
「客人をもてなすのであれば、いますこし上質な料理をもってしたいところなのだがな。これがこの艦で用意できる最高のものだから、容赦してほしい」
「とんでもありません、むしろもったいないぐらいです」
あいかわらず緊張の糸が
並べられた料理がその量を減らすにつれて、当初はややぎこちなかった会話も、徐々にその親和性を増していった。
「それにしても、この艦隊の士官は皆さん若いんですね」
流れに乗って、アイリィは不思議に思っていたことを口にしてみた。答えたのは、食卓を囲む人間のなかでは最年長のカムレーン参謀長であった。
「先代の
「まあ、空前絶後というわけでもない」
もちあげられた若き艦隊司令官が、参謀長の見解にひかえめな
「そう
「わずか二ヶ月、私が早かっただけではないか」
二年前、戦功をえてサヤカ・シュウが少将に昇進し第三独立艦隊司令官を拝命したとき、最年少記録を更新したことはニュースになったが、連邦の人々は、それほど鮮烈な衝撃に胸を
「連邦軍に新たな世代の光を! 新たなる勝利を!」
史上初の二〇歳提督誕生に際して連邦軍の広報が発した誇張とも思えるその宣伝文句は、しかし、やはり誇張であった。一独立艦隊の司令官が若く有能であったところで、停滞した戦況に劇的な変化をもたらすはずもなかったのである。
ショウ・セイロンは好青年ではあったが、あまりに若い司令官の下につくことをこころよしとしない戦隊長らの統制がうまくとれず、司令官としての能力に非凡なものがありながら、彼は、めだった戦功をあげることが、なかなかできなかった。それでも七年を経て、
とはいえ、歴代の統帥本部長のなかでは改革派といえたガンファ元帥も、大勢をうごかすほどの事績をのこすことはできないうちに、年齢を理由に軍籍を退くことになった。その改革派本部長による革新風潮の最後の恩恵にあずかったのがサヤカ・シュウであって、彼女はガンファ体制において、最後に就任した艦隊司令官となったのである。
「セイロン提督は、とにかく艦隊人事には妥協せず意を用いよ、と私に言った。とくに戦隊長の指揮で、相当苦労したようだ」
従順ならざるセイロン配下の戦隊長らのなかで、唯一、積極的な意思をもって艦隊運営に協力したのが、ほかならぬ彼女であった。彼女はセイロン提督が過ごした独立艦隊司令官時代の最後期の一年間に戦隊長をつとめ、彼を中将に昇進せしめるに十分な活躍を示した。さらに一年間、制式艦隊司令官に昇進したセイロン提督のもとで分艦隊司令をつとめた結果、
「恩ある上官を反面教師にするのは、すこし心苦しい気もしたがな」
「しかし、セイロン提督の言は、
「たしかに、そのとおりだ。参謀長はあいかわらず聡明だな」
そういわれた参謀長は笑って謙遜したが、同時に、この若い提督の態度に感心させられてもいた。いまいったような程度の意見であっても、上官の尊厳を損なったとして怒りの導火線に煙を立たせる司令官を、彼は幾度となく見てきたのである。
参謀長はその心の
「人選に労を割いたおかげで、この艦隊には、良い人間が集まりましたな、提督」
「まったくだ。イェンとミューには私の分艦隊司令時代からささえてもらっているが、ほかは全くの白紙だったからな。ありがたいことだ」
名を挙げられた人物のうち、同席しているメイ・ファン・ミュー少佐が、上品な微笑とともに応じた。
「ラオ・ファオ中佐殿、ディエプ・ミェン・ホワン中佐殿、ファラ・フェイレイ中佐殿。どなたも個性的ですが、信頼のおける方々ですね」
「フェイレイは私の旧知だがな」
そういって、シュウ提督は、ふいに悩む表情をつくった。
「これで陸戦司令官を
声量を落としたそのつぶやきを聞いたアイリィは、この若い艦隊司令官が、陸戦司令官も兼ねている、といっていたのを思い出した。
「両者の兼務は、大変なのでしょうね」
「艦隊指揮の才をも有するカムレーン少将が、参謀長としてすすんで来てくれたから、なんとかやれている。参謀長がいなかったら、第三独立艦隊は、最初から荒天のなかの航海を余儀なくされていただろうな」
功労者として指名をうけたカムレーン参謀長は、笑って一礼した。たんに賞賛されたことに対する照れ笑いというだけではなかった。第三独立艦隊に参謀長として転仕した当時のことを思い出して、苦笑を
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