5
無名の惑星がみっつの生命を迎え入れて三日、生活の根拠にさだめた場所も設置された電流鉄線に囲まれ、危害を加える恐れのある動物が侵入してくる危険も少なくなった。それまでは、ふたりが交替で、危険生物が来ないかテントの外で見張らなければならなかったが、その必要もなくなり、あらゆる作業を効率よく進められそうである。むろん、油断は禁物だが。
その〝見張り〟も、危険な夜間はすべてアイリィが受け持ち、鉄線の設置などの作業も、多方面に器用なアイリィが、黒赤髪の親友とくらべて数倍の要領良さでこなしていった。すると、どうやら完全に
「私、全然役に立ててないよね……」
と落ち込んだように年下の親友がいうので、アイリィはその精神攻撃のバリエーションの多彩さになかば感心しながら、
「あはは、そんなことないよ」
となだめるのであった。むろん、親友が見せる純真な心情の発露に
三日、といっても、
アイリィが異変を察知したのは、降陸してからその二十一時間二十分をちょうど三度経過させた直後のことである。尋常ならざる事態をさとった彼女は、テントの中で眠りをむさぼっている親友を起こしに向かった。
「おい、起きてくれ」
その呼びかけは、いうまでもなく無益に終わった。心を浸食しようとする魔物と戦い続けているはずのこの親友の体内には、より強力な睡魔が巣くっているようで、多様な攻撃で純粋な心をゆさぶる精神の魔物も、彼女の睡眠世界を幾重にもとりかこむ鉄壁に、ひびの一つも入れることができないようであった。一日の時間がふだんより二時間四十分も短いことなど完全に無視して、この三日間、しっかり我星本星での睡眠時間を守り通した彼女である。
アイリィは親友の神経の太さを心の底から尊敬したが、起こさないことにはどうにも話が進まないので、親友の両肩をつかんで、その身体を左右に揺さぶった。しかし、反応は無かった。つづいて、その愛らしい寝顔の左右の頬をつまんで上下左右に顔を変形させてみたが、やはり反応は無かった。結局、無理矢理上半身を引き起こし、顔を平手で軽く二、三発殴ったところで、ようやくその大きな目の三分の一ほどを開かせることに成功したのである。
「ん、おはよ……」
アイリィは親友の寝起きの劣悪さをもう少しからかって遊びたいところだったが、そのような余分な時間は与えられていなかった。
「すぐ来てくれ、様子がおかしい」
黒赤髪の生物科学少佐は乱暴な起こし方をされて機嫌が良かろうはずはなかったが、ハンド・ボウガンを投げ渡しながら自らは闘槍をたずさえて外に出て行った親友の姿を目で追いかけて、目を覚まさざるをえなかった。可能な限りの速さで臨戦兵装を整えると、先に出ていった槍術の名手の後に続いた。
「こっちだ」
湖の方角に向かったふたりは、湖岸に出る手前の
「退避! 退避!」
藪に身を隠したふたりが顔を出すと、まったく見たことの無い生物が、数名の人間を追い回していた。どうやら加害者であるらしいその生物は、亀を相似形に巨大化したような姿形をしているが、その倍率が中途半端なものではなく、体高で二階建ての家屋ぐらいはありそうである。
「何これ? どうなってんの?」
ハンド・ボウガンを左腕に装着して、寝起きにしては上々の体調で戦闘態勢に入っているようすの黒赤髪の生物科学少佐はたずねた。だが、訊かれたほうも、回答するために必要な原子ひとつも持ちあわせてはいなかった。
「わからない。私もさっき気付いたばかりだからね」
ふたりは巨大亀生物に気付かれないように、姿勢を低く保ったまま事態を観察した。兵士と思われる人間二名が後退しながら光線銃で応戦する中、女性とおぼしき人物が、頭部をふりまわして
「へぇ、長剣使いか。しかもかなりの腕だね」
剣というのは、槍や弓と同様に古くから存在する武器である。しかし、
亀のような生物が巨大なので、兵士の撃つ光線銃は外れようがないのだが、与える
「どうする?」
すでに矢をハンド・ボウガンにセットした生物科学少佐がたずねた。
「あの剣の腕だと、こっちが手出ししなくても、彼らは逃げ切れそうな気もするけどね。ここは後々のために、恩を売っておこうよ」
そういって、久々に活躍の機会を与えられたらしい槍術の名手は闘槍をかまえた。
「了解!」
返答するやいなや、黒赤髪の生物科学少佐は、胸元から綺麗な黄緑色の相棒を取り出した。右手の先端にとまったその小鳥は、主人の腕の振りと親指の動きで押し出されるように、巨大亀へ向かって、きれいな直線を描いて飛んでいく。
次の瞬間、小鳥の主人の指から、ちいさな電流のようなものが、小鳥を追いかけて空中をはしっていった。
その小さな電気の糸が飼鳥の身体に到達した瞬間、主人のものより数倍の太さを持つ電光が小鳥の身体から放たれ、巨大亀生物を直撃し、水に濡れた巨体を電流がかけまわった。これは、惑星術を日常的に使用する彼らが自衛手段としてそなえているもので、本来、巣に侵入してきたり、襲ってきた敵に対して使用するものだが、彼がまだ被験体だった当時、生物科学実験の主任者だったシュティ・ルナス・ダンデライオンの惑星術に反応して使用するよう教え込まれたのだ。彼は、主人の金星術を合図として、先制の電撃を巨大亀に浴びせたのである。
もっとも、いくら人間のそれより強力とはいえ、ものが惑星術であるから、このような巨大な生物に対して気を失わせるような威力を期待することはできない。突然の身体の痙攣におどろいた巨大な先住民は、しかしそれ以上の動揺を見せず、目障りな乱入者に制裁をくわえようとはかった。だが、空中で身を翻す小鳥を追い回す間もなく、ハンド・ボウガンの矢が一本、二本と、巨大亀の身体と首に突き刺さる。むろん小鳥の主人が放ったもので、こちらも致命傷とはなりえなかったが、
そのとき、俊敏な槍術の名手は、すでに亀の頭部の正面に陣取っていた。野生の生物と
だが、巨大な先住民は、突然の乱入者に押しつけられた攻守交代に甘んじなかった。闘槍の刃先が自身の眼球につきささるより早く、まさに亀の首が甲羅から飛び出すように、巨大亀はその首を視界への侵入者に突進させたのだ。
「のわぶっ!」
可憐さと威厳の双方に欠ける悲鳴を残して、小柄な身体は身長の五倍ほどの距離をふきとばされた。
「気をつけろ! 奴の首は凶器だ」
突然の乱入劇を茫然とながめていた剣士が我をとりもどして、途中出場した槍術家に警告した。衝突の直前に側方に跳んで首をかわそうとしたので直撃はまぬがれたが、アイリィはそれでも軽く三〇フィートを空中飛行させられてしまっていた。なるほど、まさしく凶器というべきで、まともに当てられたら二、三本の骨折では済まないかもしれない。
「やれやれ、この作戦はだめだね」
倒れ込んだ場所から素早く身を起こした槍術の名手は、誰にむかってというわけでもなくそういった。ひとたびさだめた作戦に固執する愚をおかさないところもまた、彼女が有する非凡な点のひとつであった。彼女は藪のそばで待機している親友に向けていった。
「おーい、もう一度頼むよ」
「了解!」
シュティとその相棒は、友人の要求に過不足なく応えた。美しい黄緑色の小鳥が電流を発射し、ハンド・ボウガンの矢が巨体の分厚い皮膚につきささって衝撃をあたえる。重大な傷とはならないがわずらわしい攻撃に巨大亀が気を散らしているうちに、快足の槍術家は、その視界から姿を消していた。
むろん、彼女は親友を置いてひとりだけ逃走したわけではなかった。周囲の人間が気付いたときには、彼女は巨大亀の巨体の真下、大樹の
「ほう、成程」
その剣士はすぐに、彼女にとってみれば正体不明の槍術家の意図をみぬき、ふたたび巨大亀の正面にまわって、気を引くための攻撃を開始した。高速で振り回される首の衝突をかわしながらでは急所に当てることなど到底おぼつかないが、
巨大亀の真下にもぐりこんだ槍術の名手は、目の前の大樹の樹皮をひたすら削り取りにかかっていた。ただ闇雲に斬り、突きを繰り返すという、俊敏な身のこなしを信条とする彼女にとっては地味な作業であるが、危険度という点では、正面に立って攻撃を一手に引き受ける剣士と比較して、けっして低いものではない。まかり間違って巨体に押しつぶされるようなことがあったならば、彼女のちいさな身体は、瞬く間に二次元の赤い塗り絵になってしまうのだ。できるかぎり、ごめんこうむりたいところである。
先住民たる巨大亀は、死角に潜り込まれたうえに、正面からは
数トンにもおよぶであろう巨体の重量をささえる脚を守る分厚い
「退却!」
剣士の女性が叫び、指示を発した本人と二名の兵士は我先にとその場を離れていった。黒赤髪の生物科学少佐はその動きに同調せず、親友がいる方向を心配そうに見ていたが、風のごとく駆けてくる親友の行け、という
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