無名の惑星がみっつの生命を迎え入れて三日、生活の根拠にさだめた場所も設置された電流鉄線に囲まれ、危害を加える恐れのある動物が侵入してくる危険も少なくなった。それまでは、ふたりが交替で、危険生物が来ないかテントの外で見張らなければならなかったが、その必要もなくなり、あらゆる作業を効率よく進められそうである。むろん、油断は禁物だが。


 その〝見張り〟も、危険な夜間はすべてアイリィが受け持ち、鉄線の設置などの作業も、多方面に器用なアイリィが、黒赤髪の親友とくらべて数倍の要領良さでこなしていった。すると、どうやら完全にせんめつされていなかったらしい心の魔物が、戦術を変えて純粋な精神を喰らおうとしたらしく、


「私、全然役に立ててないよね……」


 と落ち込んだように年下の親友がいうので、アイリィはその精神攻撃のバリエーションの多彩さになかば感心しながら、


「あはは、そんなことないよ」


 となだめるのであった。むろん、親友が見せる純真な心情の発露にれることは、アイリィにとって喜びではあっても、苦痛ではない。


 三日、といっても、我星ガイア時間の三日とは時間にして八時間ほどずれがある。惑星にはそれぞれ個性として自転周期というものがあり、たとえば我星本星は二十四時間、アルバ星系第五惑星は二十七時間三十分、シュティ・ルナス・ダンデライオンの生まれ故郷であるミシュコルツ星系第三惑星ゼムプレーンは二十三時間十分である。これが長すぎると昼夜の寒暖差が激しくなり、居住に適さなくなる。逆に短い場合は、太陽がめまぐるしく天上を移動する、そのことに対して寛容な心を持つことができれば、大きな問題はない。星系の名も惑星の名もまだないこの星は二十一時間二十分で自身の身体を一回転させており、我星本星と比べて、三日で八時間の差違となるのである。



 アイリィが異変を察知したのは、降陸してからその二十一時間二十分をちょうど三度経過させた直後のことである。尋常ならざる事態をさとった彼女は、テントの中で眠りをむさぼっている親友を起こしに向かった。


「おい、起きてくれ」


 その呼びかけは、いうまでもなく無益に終わった。心を浸食しようとする魔物と戦い続けているはずのこの親友の体内には、より強力な睡魔が巣くっているようで、多様な攻撃で純粋な心をゆさぶる精神の魔物も、彼女の睡眠世界を幾重にもとりかこむ鉄壁に、ひびの一つも入れることができないようであった。一日の時間がふだんより二時間四十分も短いことなど完全に無視して、この三日間、しっかり我星本星での睡眠時間を守り通した彼女である。


 アイリィは親友の神経の太さを心の底から尊敬したが、起こさないことにはどうにも話が進まないので、親友の両肩をつかんで、その身体を左右に揺さぶった。しかし、反応は無かった。つづいて、その愛らしい寝顔の左右の頬をつまんで上下左右に顔を変形させてみたが、やはり反応は無かった。結局、無理矢理上半身を引き起こし、顔を平手で軽く二、三発殴ったところで、ようやくその大きな目の三分の一ほどを開かせることに成功したのである。


「ん、おはよ……」


 アイリィは親友の寝起きの劣悪さをもう少しからかって遊びたいところだったが、そのような余分な時間は与えられていなかった。


「すぐ来てくれ、様子がおかしい」


 黒赤髪の生物科学少佐は乱暴な起こし方をされて機嫌が良かろうはずはなかったが、ハンド・ボウガンを投げ渡しながら自らは闘槍をたずさえて外に出て行った親友の姿を目で追いかけて、目を覚まさざるをえなかった。可能な限りの速さで臨戦兵装を整えると、先に出ていった槍術の名手の後に続いた。



「こっちだ」


 湖の方角に向かったふたりは、湖岸に出る手前のブツシユで足を止めた。女性のものであるらしい、威厳のある声で叫ぶのが聞こえてきた。


「退避! 退避!」


 藪に身を隠したふたりが顔を出すと、まったく見たことの無い生物が、数名の人間を追い回していた。どうやら加害者であるらしいその生物は、亀を相似形に巨大化したような姿形をしているが、その倍率が中途半端なものではなく、体高で二階建ての家屋ぐらいはありそうである。


「何これ? どうなってんの?」


 ハンド・ボウガンを左腕に装着して、寝起きにしては上々の体調で戦闘態勢に入っているようすの黒赤髪の生物科学少佐はたずねた。だが、訊かれたほうも、回答するために必要な原子ひとつも持ちあわせてはいなかった。


「わからない。私もさっき気付いたばかりだからね」


 ふたりは巨大亀生物に気付かれないように、姿勢を低く保ったまま事態を観察した。兵士と思われる人間二名が後退しながら光線銃で応戦する中、女性とおぼしき人物が、頭部をふりまわしておうさつしようとする巨大亀の攻撃をひきつけて、たくみに防いでいる。その手にしている武器は、アイリィが得意とする闘槍でも、一撃の破壊力に優れるせんでもなく、上下両面に刃のついた長い剣であった。


「へぇ、長剣使いか。しかもかなりの腕だね」


 剣というのは、槍や弓と同様に古くから存在する武器である。しかし、射程レンジが長く間の取りやすい闘槍や、一撃でのうしんとうを起こさせることも可能な攻撃力を有する戦斧にくらべて、中途半端で使い勝手が悪い剣は、武器としては早くにすたれてしまった。その威厳のある形状から艦隊司令官などの高級士官が装飾として携える例は多いが、その場合、実用的な意味はない。両面に刃が付いていることから多彩な高速攻撃が可能なのが長所といえば長所だが、そのためには絶妙な間合いの感覚センスと、強靱な手首のかえしが必要である。凡人が満足に扱えるしろものではなく、あえてその武器を選んでそれを使いこなすこの剣士の才は、凡庸ではありえなかった。


 亀のような生物が巨大なので、兵士の撃つ光線銃は外れようがないのだが、与えるダメージとしてはあまり成果があがっていないようである。光条が命中した箇所から微量ながら出血するところをみると、硬い甲羅で身を守る亀とは異なり、分厚い皮膚を鎧として着込んでいる類型タイプらしい。動きは鈍重だが、あまりに巨体であるので、単純に走って逃げるだけでは、歩幅で不利な分、追いつかれて踏みつぶされそうだ。


「どうする?」


 すでに矢をハンド・ボウガンにセットした生物科学少佐がたずねた。


「あの剣の腕だと、こっちが手出ししなくても、彼らは逃げ切れそうな気もするけどね。ここは後々のために、恩を売っておこうよ」


 そういって、久々に活躍の機会を与えられたらしい槍術の名手は闘槍をかまえた。


「了解!」


 返答するやいなや、黒赤髪の生物科学少佐は、胸元から綺麗な黄緑色の相棒を取り出した。右手の先端にとまったその小鳥は、主人の腕の振りと親指の動きで押し出されるように、巨大亀へ向かって、きれいな直線を描いて飛んでいく。


 次の瞬間、小鳥の主人の指から、ちいさな電流のようなものが、小鳥を追いかけて空中をはしっていった。プラネツトフオースのなかでも金星術と呼ばれるもので、古くは惑星元素のうち光の元素を操って雷光を発生させるものであるとされていたが、実際の原理は静電気に近い。もっとも、広くいえば雷も静電気の発露であるから、古代の人々の考え方は間接的に正しかったことになる。


 その小さな電気の糸が飼鳥の身体に到達した瞬間、主人のものより数倍の太さを持つ電光が小鳥の身体から放たれ、巨大亀生物を直撃し、水に濡れた巨体を電流がかけまわった。これは、惑星術を日常的に使用する彼らが自衛手段としてそなえているもので、本来、巣に侵入してきたり、襲ってきた敵に対して使用するものだが、彼がまだ被験体だった当時、生物科学実験の主任者だったシュティ・ルナス・ダンデライオンの惑星術に反応して使用するよう教え込まれたのだ。は、主人の金星術を合図として、先制の電撃を巨大亀に浴びせたのである。


 もっとも、いくら人間のそれより強力とはいえ、ものが惑星術であるから、このような巨大な生物に対して気を失わせるような威力を期待することはできない。突然の身体の痙攣におどろいた巨大な先住民は、しかしそれ以上の動揺を見せず、目障りな乱入者に制裁をくわえようとはかった。だが、空中で身を翻す小鳥を追い回す間もなく、ハンド・ボウガンの矢が一本、二本と、巨大亀の身体と首に突き刺さる。むろん小鳥の主人が放ったもので、こちらも致命傷とはなりえなかったが、うつとうしい小蠅と、矢を打ち込んでくる異星人と、どちらに対処すべきか、亀は一瞬だが迷ったようである。だが、そもそもこれらの一連の攻撃は、すべて単なる陽動でしかなかった。


 そのとき、俊敏な槍術の名手は、すでに亀の頭部の正面に陣取っていた。野生の生物とあいたいしたとき、目を狙って相手の視界を奪うのは基本戦術である。隙をついて敵の急所まで距離を詰めた異星からの戦士は、安住の地を侵されて怒り狂う巨大亀の瞳孔を、一閃に貫こうとした。


 だが、巨大な先住民は、突然の乱入者に押しつけられた攻守交代に甘んじなかった。闘槍の刃先が自身の眼球につきささるより早く、まさに亀の首が甲羅から飛び出すように、巨大亀はその首を視界への侵入者に突進させたのだ。


「のわぶっ!」


 可憐さと威厳の双方に欠ける悲鳴を残して、小柄な身体は身長の五倍ほどの距離をふきとばされた。


「気をつけろ! 奴の首は凶器だ」


 突然の乱入劇を茫然とながめていた剣士が我をとりもどして、途中出場した槍術家に警告した。衝突の直前に側方に跳んで首をかわそうとしたので直撃はまぬがれたが、アイリィはそれでも軽く三〇フィートを空中飛行させられてしまっていた。なるほど、まさしく凶器というべきで、まともに当てられたら二、三本の骨折では済まないかもしれない。


「やれやれ、この作戦はだめだね」


 倒れ込んだ場所から素早く身を起こした槍術の名手は、誰にむかってというわけでもなくそういった。ひとたびさだめた作戦に固執する愚をおかさないところもまた、彼女が有する非凡な点のひとつであった。彼女は藪のそばで待機している親友に向けていった。


「おーい、もう一度頼むよ」

「了解!」


 シュティとその相棒は、友人の要求に過不足なく応えた。美しい黄緑色の小鳥が電流を発射し、ハンド・ボウガンの矢が巨体の分厚い皮膚につきささって衝撃をあたえる。重大な傷とはならないがわずらわしい攻撃に巨大亀が気を散らしているうちに、快足の槍術家は、その視界から姿を消していた。


 むろん、彼女は親友を置いてひとりだけ逃走したわけではなかった。周囲の人間が気付いたときには、彼女は巨大亀の巨体の真下、大樹のみきのような太い脚のすぐ後方に移動して、巨体を支える四本の柱のひとつに攻撃を開始していた。


「ほう、成程」


 その剣士はすぐに、彼女にとってみれば正体不明の槍術家の意図をみぬき、ふたたび巨大亀の正面にまわって、気を引くための攻撃を開始した。高速で振り回される首の衝突をかわしながらでは急所に当てることなど到底おぼつかないが、速度テンポの速いオーケストラを指揮するかのように剣を縦横無尽に振り抜き、巨体の先住民に出血を強制する。ややおくれて、二人の兵士と一人の親友も槍術士の作戦を理解し、光線銃とハンド・ボウガンで二人の戦士を援護しはじめた。


 巨大亀の真下にもぐりこんだ槍術の名手は、目の前の大樹の樹皮をひたすら削り取りにかかっていた。ただ闇雲に斬り、突きを繰り返すという、俊敏な身のこなしを信条とする彼女にとっては地味な作業であるが、危険度という点では、正面に立って攻撃を一手に引き受ける剣士と比較して、けっして低いものではない。まかり間違って巨体に押しつぶされるようなことがあったならば、彼女のちいさな身体は、瞬く間に二次元の赤い塗り絵になってしまうのだ。できるかぎり、ごめんこうむりたいところである。


 先住民たる巨大亀は、死角に潜り込まれたうえに、正面からはもろコンダクターによる連撃をうけて、突然苦境に立たされてしまった。脚をちくちくと嫌がらせのように突き刺してくる邪魔者を踏みつぶしてしまいたいところなのだが、脚の関節の構造上後ろ蹴りをすることができず、膨大な重量が災いして、飛びかかって圧死させることもできない。多種多様な相手と戦ってきた経験をもつ槍術の名手は、そのことを一瞬で洞察したからこそ、敵の武器の死角となるその場所に飛びこんでいったのである。



 数トンにもおよぶであろう巨体の重量をささえる脚を守る分厚いレッグメイルは、数分間の防戦の後、突破された。多量の出血を強いられた脚は四分の一ずつ割り当てられた体重をささえる力を失い、ひざの部分でくの字に折れて、巨体は轟音をともなって右前脚の方向に沈み込んだ。アイリィは頭上から迫り来る大質量を半瞬の差で回避して、巨大プレス機の被験体にされることを免れた。


「退却!」


 剣士の女性が叫び、指示を発した本人と二名の兵士は我先にとその場を離れていった。黒赤髪の生物科学少佐はその動きに同調せず、親友がいる方向を心配そうに見ていたが、風のごとく駆けてくる親友の行け、というジェスチヤーに従い、巨大亀に背を向けて走りだした。深手を負った巨大な先住民は、縄張りを侵した異星人を追いかける気力と体力を、もはや残していなかった。

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