今回の〝修学旅行〟もといアルバユリア星域探査作戦の概要は、次のとおりである。


 アルバユリア星域は、我星首都星系より宙緯二三〇度・宙経一二〇度、これは我星本星の赤道面において、〝一月一日午前零時時点での、 白 都 ウエストパレスを通る本初子午線方向を(仮の)北〟としたときのほぼ南西・やや天底寄り方向にあたるが、この方向に五〇〇光年すすんだ彼方に存在する宙域である。アルバ・シビウ・フネドアラと名付けられた三つの恒星が存在し、うち恒星アルバは非常に安定した活動が観測されていた。さらにアルバ星系には第四惑星と第五惑星の二惑星が生命居住可能領域ハピタブル・ゾーンに存在し、さらなる研究の結果第五惑星に水、大気、生物の存在がかなりの確度で推認されるにいたって、本格的な探査作戦として我星政府軍第一艦隊の動員が決定された。


 五〇〇光年ともなると、超光速航行オーヴァ・ドライブの最高巡航速度をもってしても、その距離を征服し終わるまでに一週間を必要とする。移動するのは制式艦隊一艦隊であるから、現実的な速度はさらに制限されるため、アルバユリア星域への到着まで一〇日間の時間が予定された。これほどの距離を航行する任務というのはそうそうあるものでもないから、この移動自体も艦隊行動訓練のひとつとしての性格を帯びている。


 到着後はただちに惑星への降陸をはかるのではなく、降陸作戦に万全を期するために無人機械による惑星表面の事前調査をおこなうのだが、調査と情報解析にあたる情報析艦以外の艦艇も事前調査によって生じる時間の空白を無為に過ごすわけではなく、航宙戦艦戦闘航艦、単独では超光速航行能力を持たない駆逐艦SDなどの戦闘専用艦艇およびその他の補助艦艇は大規模な集団軍事行動演習を、唯一実験設備をもち、また情報収集分析艦につぐ情報処理能力を有する多航宙艦は、超光速航行をもちいて単艦で星域外縁部に散開し、無重力空間での実施を必要とする科学実験をおこなうかたわら、宇宙のさらなる深部へいたるための航路開拓の可能性をさぐることになっている。


 一週間の事前調査と情報分析の終了後、とくに問題が発見されなければ特務陸戦隊を先鋒として陸戦部隊と調査隊を降陸させ、本調査が開始される。二一日間を費やして先住生物・資源価値などを調査し、収集された情報をもとに、惑星開発、そして将来の有人惑星化の適否を判断することになるのだ。この本調査の際は戦闘用艦艇も惑星近宙にて待機し、必要な支援をおこなう。非常の場合は艦載艇による空からの支援や、艦砲による空爆まで行うこともある。


 探査終了後は往路と同じく一〇日間の予定で、我星本星に帰投する計画である。



「やれやれ、また単艦行動だね」


 アイリィは士官私室に臨時に運び込まれた簡易ベッドから視線と両脚を空中に放り投げて、天井に向かってため息交じりにいった。無論、ヴァルバレイス号が単艦行動中に実験事故を起こし、二一三名の殉死者を出したことを念頭においてのことばである。


「ま、何も起こらないでしょ。今回そんなに危険な実験もないしね」


 と、自らが指揮をる生物化学実験を終えて、こちらはもとから備え付けられているベッドに身を沈めているシュティは応じた。身を沈めている、というよりうつぶせで埋まっている、という表現のほうが正しいかもしれず、彼女が全体重を預けているのが底無し沼であったならば、光速にもおとらぬ速さで深淵の彼方へ沈みこんでいくだろう。どうやら特務陸戦隊の艦内訓練より、生物科学実験の指揮統率のほうが、心身の余力をより激しく削っていくようである。もっともこのふたりを比べる場合、アイリィ・アーヴィッド・アーライルが我星政府軍有数の槍術の名手たることを差し引いて考えるべきかもしれない。


 その槍術の名手はつづけてなにか言おうとしたが、もはやベッドに埋もれてダーク・レッドの長髪しか見えなくなっている親友の姿を見てあきらめ、みずからは精神を思考の海に沈めることにした。



 ヴァルバレイス号はたしかに単艦行動時に問題事象を引き起こしさんたんたる結末を迎えたのではあるが、同号の変事はすべて艦内で、しかもきわめて短時間のうちに生じたものであり、近くに他艦があったところで異変を察知できたかどうかは疑問である。むろん僚艦を配置できればそれにこしたことはないが、宇宙艦隊の艦艇数にも限りがあり、今回の航路開拓も、全三二隻の多目的航宙巡航艦をフル活用してなお十分たるかどうかの瀬戸際なのだ。


 また単艦行動時の対という面を考慮しても、多目的航宙巡航艦も戦闘専用艦艇におよばずとも十分な火力と装甲を持っており、武装商船ていどでは相手にすらならない。宇宙海賊の艦隊などとまともにやりあっては勝ち目はないが、このような辺境星域に宇宙海賊が出没することはあり得ないし、万一遭遇したとしても逃げてしまえばよい。多目的航宙巡航艦は比較的軽武装である反面機動力にすぐれ、包囲されるか、敵の別働隊に退路を断たれない限り追いつかれることは考えにくい。だいたい、近隣宙域に味方艦隊がいるのだから、逃げ切らずとも救援が到着するまでもちこたえれば、それでよいのだ。


「単艦行動はそれほど問題でもないか…」


 というのがアイリィの結論であり、それはヴァルバレイス号事件をうけて艦隊活動のあり方を再検討した政府軍本部の見解と異なるところはなかった。それより気味が悪いのは、艦内の生物科学実験の統率に関する艦首脳部の指揮系統の優越が認められなかったことである。まさにその部分こそヴァルバレイス号事件の原因の中枢であり、大幅に手術が執行されてしかるべきであった。

 しかし結果を見てみれば、生物科学部門から艦橋への報告の強化が織り込まれているものの、艦司令部からの実験室への強制的な介入権限は付与されなかったのである。その事実を知ったとき、第六艦隊司令官メアリ・スペリオール・ルクヴルール中将が〝好ましくない政治力を感じる〟と評した微妙な権力のシーソー・ゲームを、アイリィもまた感じざるをえなかった。


 もっとも今回、サルディヴァール号艦内の生物科学実験を統括するのはシュティ・ルナス・ダンデライオン生物科学少佐である。彼女は実戦部門との精神的あつれきとはいまのところ無縁であり、生物科学部門にまんえんしているエリート意識もない。こういった人物は生物科学部門では異端なのだが、万一制御困難な事象が発生したときには、艦橋にすみやかに報告し適切な処置を請うことをためらったりはしないはずである。いや、それ以前に彼女の能力をもってすれば、そのような破局的な事態をまねいたりはしないだろう。アイリィは生物科学分野における彼女の能力を、高く評価している。



「まあ、別に心配する必要もないかな」


 と、彼女は自らの思考の迷路に決着をつけた。親友の話によれば今回サルディヴァール号の艦内でおこなわれる実験に危険なものはないというし、この旅路に関していえば、不安の種にわざわざ水をまいて、かぎられた精神力を消費するのは避けるべきであるように思われた。あとから思い返してみれば、それはまったくの見当違いであったのだが。


 いまこのとき、艦隊はすでにアルバユリア星域の中心部でもあるアルバ星系外縁部に到着している。艦隊行動訓練の一環として戦闘陣形を維持していた我星政府軍第一艦隊はここで情報収集分析艦と多目的航宙巡航艦を切り離し、数時間のうちに前者は駆逐艦の護衛をともなってアルバ星系第五惑星の事前調査におもむき、後者は単艦で航路開拓調査のため星域各部へ散開する。サルディヴァール号は短時間の超光速航行をもって我星本星方向からもっとも遠いフネドアラ星系外縁部まで移動し、〝さらに遠くへ、もっと遠くへ〟という、人類が宇宙に進出して以降ずっと変わらず使い続けられている合言葉を現実化すべく任務を遂行するはずであった。


 アイリィも次の日の訓練に備えるため、頭脳の回転数を落として、眠りにつく準備をはじめた。ふと横に目をやると、黒赤の髪がわずかに上下に動いて、やや呼吸しづらそうにひかえめな寝息をたてていた。


「ま、何か起こったときは、私が守ってやるよ」


 というアイリィの心の声は、しかし、音波となって士官私室の中をでんすることはなかった。それは単なるひかえめな決意表明として、心のうちにしまっておいていいはずであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る