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「ごめん、遅くなっちゃって」
シュティ・ルナス・ダンデライオンが目的地に到着したとき、時計の針は、定刻に遅れてすでに文字盤の半分を征服しようとしているところであった。約束の時間を守らず他人を待たせるのは、心穏やかでいられるものではない。まして、その相手が自分にとってかわるもののない親友であるとなればなおさらである。なかには、そのような種類の行為にわずかの罪悪感をもともなわない強心臓な、あるいは無神経な人間も存在するが、いま待ち人の前にようやく姿を見せた女性は、そういった無価値な勇敢さとは無縁であったから、荒い息遣いのなかに平謝りの表情をうかべて、待ち疲れていたにちがいない友人を見やった。
その友人は、海を眺めることのできる向きに設置されたベンチの背もたれの上に行儀悪く腰掛けて、イヤホンをしながら
「大丈夫、そんなに待ってないよ」
そういってベンチの背もたれの上から、友人はその有する身体能力の〇コンマ数パーセントを使って飛び降りると、こんどは正常な用法にしたがってすわりなおした。
アイリィは優しい嘘が上手い、と彼女の親友は思う。事実を隠し通す技術に
「にしても、なんで
親友の冷静な指摘に、有益とは思えない思考をめぐらせていたシュティは現実に意識をもどした。
「ごめんね、もともと
公共の場所のほとんどに自動歩路が整備された現代において、西方王国の旧王都ウエストパレスの中心部は、そういった機械類がほとんどない。歴史ある街並みの風合いを保護するためで、旧王都は古くから建物の外装や道路の表面のほぼすべてが薄い空色で統一され、その特徴的な街並みは〝
シュティの住む旧王都中心部のやや東よりのエリアから国立公園の臨海区域までは、最寄りの西側入口を経由して徒歩で向かうより、路面電車で北側入口まで行ってから自動歩路を使った方がはるかに早い。だが、彼女がもともと自然好きでゆっくりと緑の中を歩きたかったことと、生まれもってそなえたとも思われる節約精神が連立して心の中で多数派を形成したのを、寝坊したあとも修正すべきことに気づかなかったのである。
まだ肩を小刻みに上下させて呼吸している
「よう、相棒」
彼女が話しかけたのは、淡い黄緑色の小鳥であった。種の名をヴァージニアインコといい、南洋諸島ヴァージニア地方原産の鳥類インコの一種である。同類のほかの種に比べて、体格が大きいのが特徴だが、生活で惑星術を多用することでも知られており、人間にもなつきやすいことから、惑星術を活用した生物科学実験の被験体としてもちいられた。そして、その科学実験に主としてたずさわったのが、シュティ・ルナス・ダンデライオンだった。彼女は
惑星術の行使は、その昔守護星によって分類されたことからもわかるように、通常、遺伝によって獲得したひとつの系統しか使用することはできない。だが、遺伝というのは非常に不安定なもので、原因不明の突然変異によって、通常とはことなる結果をもたらすことがある。惑星術の遺伝においてもそれは同様であって、惑星術をまったく操作できない者もいれば、複数の惑星術をあやつる人間も存在する。前者を
もっとも、ヴァージニアインコに限っていえば、人間の惑星術を契機として惑星術を使用するよう訓練することはできても、みずからの意志で通常の生活環境にない状況に対応することはできず、遺伝子操作によって子孫世代を作成しても期待される効果を生ずる見込みは薄いとして、実験は中断されてしまった。そして、行き場をなくして殺処分されそうになった被験体を、シュティ・ルナス・ダンデライオンが保証人となって引き受けたのである。
特に愛玩用として人間に飼われている動物は、ほぼ例外なく、その学術的な分類としての種の名称のほかに、主人によって固有の名前があたえられている。シュティ・ルナス・ダンデライオンも、あらたに家族にくわわった黄緑色の小鳥に、〝ピュアル〟という名前をつけた。純粋を意味する〝pure〟と自然の意である〝natural〟を組み合わせた造語で、その由来を聞いた彼女の親友は、特に理由はなかったが、「ああ、シュティらしいな」と思ったものであった。
心優しい生物化学少佐――当時は大尉だったが――に生命を救われたうえに名前まであたえられた黄緑色の小鳥は、主人の親友の声がした方向に顔ごと向き直ると、大きめの丸いふたつの目で、黙ったままじっと声の主の顔を見つめた。これはいつものことであって、顔を背けたり
「ところで、何聴いてたの?」
その小鳥の主人は、ようやく呼吸がととのって視覚の情報を整理できるようになったようで、親友の持つ携帯電子端末に興味を向けた。
「ああ…」
親友の表情がすこしかたくなったのを感じて、シュティは何か悪いことを聞いてしまったのかと不安になったが、アイリィは端末につないであったイヤホンをはずすと、
「二一三名の死者を出した多目的航宙巡航艦ヴァルバレイス号の事故から、明日で一年がた経ち…」
シュティ・ルナス・ダンデライオンは、どちらかといえば陽気なほうの部類に属する人間であったが、ニュース原稿を読み上げる電子ラジオの声を聴いて、さすがに
「もう一年になるんだね…」
「そうなるね」
親友の短い返答に、それよりはるかに多量の心情がこもっているのを察して、シュティはそれ以上の返答をためらった。
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