「ごめん、遅くなっちゃって」


 シュティ・ルナス・ダンデライオンが目的地に到着したとき、時計の針は、定刻に遅れてすでに文字盤の半分を征服しようとしているところであった。約束の時間を守らず他人を待たせるのは、心穏やかでいられるものではない。まして、その相手が自分にとってかわるもののない親友であるとなればなおさらである。なかには、そのような種類の行為にわずかの罪悪感をもともなわない強心臓な、あるいは無神経な人間も存在するが、いま待ち人の前にようやく姿を見せた女性は、そういった無価値な勇敢さとは無縁であったから、荒い息遣いのなかに平謝りの表情をうかべて、待ち疲れていたにちがいない友人を見やった。


 その友人は、海を眺めることのできる向きに設置されたベンチの背もたれの上に行儀悪く腰掛けて、イヤホンをしながら携帯電子端末モバイル・コンピュータを触っていたが、聞き慣れた声を至近に感知して、あんの感情がこもったにゅうな笑顔を向けた。


「大丈夫、そんなに待ってないよ」


 そういってベンチの背もたれの上から、友人はその有する身体能力の〇コンマ数パーセントを使って飛び降りると、こんどは正常な用法にしたがってすわりなおした。かたわらには、中身のほとんどが持ち主の胃に送りこまれて、残りわずかとなった飲料の容器が置かれていた。


 アイリィは優しい嘘が上手い、と彼女の親友は思う。事実を隠し通す技術にける、という意味ではない。それが偽りであると看取されてもなお、嘘をつかれるがわの、心のここちよい部分を刺激するのである。そしてその嘘に甘えるのは、いつもシュティのほうだった。年齢がふたつはなれているということもあるが、それ以上に自分は子供なのかもしれない、と遅刻犯は反省する。だが、寝坊はともかく、子供っぽい部分を自分からとりのぞいてしまうのは、なんとなくもったいない気がして、どうも前向きになれないのだった。もっとも、そう考えること自体、優しい親友に甘えているのだろう、とも思う。結局、自分はアイリィにずっと甘えていたいのかもしれない。



「にしても、なんで北側入口ノース・ゲートからこなかったのさ。そんな走ってこなくても、自動ベルト歩路ウエイですぐなのに」


 親友の冷静な指摘に、有益とは思えない思考をめぐらせていたシュティは現実に意識をもどした。


「ごめんね、もともと西側ウエスト入口ゲートから来ようと思ってたから、そっちから来ちゃって」


 公共の場所のほとんどに自動歩路が整備された現代において、西方王国の旧王都ウエストパレスの中心部は、そういった機械類がほとんどない。歴史ある街並みの風合いを保護するためで、旧王都は古くから建物の外装や道路の表面のほぼすべてが薄い空色で統一され、その特徴的な街並みは〝 白  都 キャピタル・オブ・ホワイトパール〟と呼ばれて、我星本星の重要な観光資源の一つとしての役割を果たしている。自動車の通行もほとんどなく、惑星地上の移動手段として無排気自動車や浮上式高速鉄道が当たり前となった現代にあっても、この旧王都では、いまだ路面電車トラムがゆっくりと人々を運ぶのが、日常であり風景でもある。そして、シルバーブレイト国立公園の西側入口は、旧王都市街地の延長線上にあたることを考慮して、自動歩路が設置されていなかったのだ。


 シュティの住む旧王都中心部のやや東よりのエリアから国立公園の臨海区域までは、最寄りの西側入口を経由して徒歩で向かうより、路面電車で北側入口まで行ってから自動歩路を使った方がはるかに早い。だが、彼女がもともと自然好きでゆっくりと緑の中を歩きたかったことと、生まれもってそなえたとも思われる節約精神が連立して心の中で多数派を形成したのを、寝坊したあとも修正すべきことに気づかなかったのである。



 まだ肩を小刻みに上下させて呼吸しているれんな遅刻犯を、親友はとくに責めることもせず、まだこんぱいの色が抜けきらない遅刻犯の顔から少し右側に視線を移した。そこには、もうひとりの待たせ人が、主人の肩で翼を休めていた。


「よう、相棒」


 彼女が話しかけたのは、淡い黄緑色の小鳥であった。種の名をヴァージニアインコといい、南洋諸島ヴァージニア地方原産の鳥類インコの一種である。同類のほかの種に比べて、体格が大きいのが特徴だが、生活で惑星術を多用することでも知られており、人間にもなつきやすいことから、惑星術を活用した生物科学実験の被験体としてもちいられた。そして、その科学実験に主としてたずさわったのが、シュティ・ルナス・ダンデライオンだった。彼女はアクテイブ・プラネツトフオーサーであって、惑星術を使用する実験に適役だったからである。



 惑星術の行使は、その昔守護星によって分類されたことからもわかるように、通常、遺伝によって獲得したひとつの系統しか使用することはできない。だが、遺伝というのは非常に不安定なもので、原因不明の突然変異によって、通常とはことなる結果をもたらすことがある。惑星術の遺伝においてもそれは同様であって、惑星術をまったく操作できない者もいれば、複数の惑星術をあやつる人間も存在する。前者をネガテイブ・プラネツトフオーサー、後者を陽性惑星元素異常といい、日常生活でまだ惑星術がその存在感を発揮していた時代は、前者の症状はけいべつの対象であった。惑星術がその姿を一般にあらわさなくなった現代においては、両者ともたいした意味はもたないが、一部の特殊な分野ではいまだに惑星術に役割が与えられていることもある。生物科学もその〝一部の特殊な分野〟のひとつであり、惑星術を使用した環境適応実験が、試行的におこなわれていた。


 もっとも、ヴァージニアインコに限っていえば、人間の惑星術を契機として惑星術を使用するよう訓練することはできても、みずからの意志で通常の生活環境にない状況に対応することはできず、遺伝子操作によって子孫世代を作成しても期待される効果を生ずる見込みは薄いとして、実験は中断されてしまった。そして、行き場をなくして殺処分されそうになった被験体を、シュティ・ルナス・ダンデライオンが保証人となって引き受けたのである。


 特に愛玩用として人間に飼われている動物は、ほぼ例外なく、その学術的な分類としての種の名称のほかに、主人によって固有の名前があたえられている。シュティ・ルナス・ダンデライオンも、あらたに家族にくわわった黄緑色の小鳥に、〝ピュアル〟という名前をつけた。純粋を意味する〝pure〟と自然の意である〝natural〟を組み合わせた造語で、その由来を聞いた彼女の親友は、特に理由はなかったが、「ああ、シュティらしいな」と思ったものであった。


 心優しい生物化学少佐――当時は大尉だったが――に生命を救われたうえに名前まであたえられた黄緑色の小鳥は、主人の親友の声がした方向に顔ごと向き直ると、大きめの丸いふたつの目で、黙ったままじっと声の主の顔を見つめた。これはいつものことであって、顔を背けたりかくされたりしないことを、好意のあらわれだとアイリィは思うようにしている。



「ところで、何聴いてたの?」


 その小鳥の主人は、ようやく呼吸がととのって視覚の情報を整理できるようになったようで、親友の持つ携帯電子端末に興味を向けた。


「ああ…」


 親友の表情がすこしかたくなったのを感じて、シュティは何か悪いことを聞いてしまったのかと不安になったが、アイリィは端末につないであったイヤホンをはずすと、機能を使用してその内容を聴かせてみせた。


「二一三名の死者を出した多目的航宙巡航艦ヴァルバレイス号の事故から、明日で一年がた経ち…」


 シュティ・ルナス・ダンデライオンは、どちらかといえば陽気なほうの部類に属する人間であったが、ニュース原稿を読み上げる電子ラジオの声を聴いて、さすがにきんちよくな表情をつくって応えた。


「もう一年になるんだね…」

「そうなるね」


 親友の短い返答に、それよりはるかに多量の心情がこもっているのを察して、シュティはそれ以上の返答をためらった。

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