断章
とある被召喚勇者の憂鬱
最初に断っておくと次に語るのは俺の記憶ではない。
同じ世界の、別の勇者の話だ——。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
彼は現代日本でニート生活を続けていたが、ある日ドラッグストアからの帰り道に突如として白い光に包まれ異世界に召喚されたのである。
彼はウェブ小説を日常的に嗜む程度のオタクだったので、自分が白い広間に出現し目の前になにやら聖女っぽい金髪美少女が出迎えるというシチュエーションに「異世界召喚キターーー!」と勝手にテンションが上がっていたのだが、そんなふうに意気揚々としていたのもほんのいっときのことであった。
麻辺リュウジ(仮名、十九歳)は異世界に召喚されていた。
彼はウェブ小説を重度に嗜みしばしば現実と虚構を混同する程度のオタクだったので、ろくに説明を受ける間もなくステータス画面を開こうとしたり、特殊能力を発動させようとしたりということをしばらく試みていたのだが、すぐにどうもそういう特別なことはできないらしいと気づいたのは彼が広間に現れて十五分ほど経ったころであった。
よくある異世界召喚物語だと、こういうときに聖女とセットでいるのはその国の王族だったり高位の神官だったりするものだ——そういうよくありそうで実は偏った展開を麻辺リュウジ(仮名、十九歳)は期待していたのだが、そのとき彼の周りに立っていたのは白衣の研究員らしきひとびとであった。
研究員たちはリュウジ(仮名)がひとりで脳内試行錯誤しているあいだにも何やらメモを取ったり時間を測ったりとせわしく動き回っていて、どうも彼のことを観察しているらしかった。
何より様子がおかしいのは正面におわす聖女様(?)だった。
彼女はこの世のものとは思えないほどの美少女だった。
透き通った肌にふわりとウェーブのかかった長い金髪。
年のころは十五、六そこそこだろうか。
身にまとっているのは細かな装飾の入った白いドレス。
頭上に載せたティアラは彼女が高貴な身分にあることを示唆している。
すらりと伸びた四肢はたおやかで、触れただけで折れてしまいそうだった。
リュウジ(仮名)の見識では〝まさに聖女!〟としか言い表しようのない人物だ。
そこまではいい。
彼女は両手両足を縄で拘束されていた。
それだけでなく帯状の布で目隠しをされた上に胴体は黒いベルトでがんじがらめにされ、おまけに首元には金属製の首輪のようなものを装着していた。
傍目には明らかに拉致監禁されている他のなにものでもない。
それで彼女はさぞかし苦悶していることだろうと思うとそれが違った。
彼女は苦悶するどころか何か恍惚とした表情を浮かべていた。
両目は隠されていたがほっそりとした眉はハの字に緩み、口元は半開きで涎を垂らしながらうへへえと不気味な笑みを漏らしている。
自由を奪われた肢体は艶美で背徳的ですらあったが、当人がそれを嫌がっている様子はない。
時折びくんびくんと全身が痙攣するのでそのたびにリュウジ(仮名)も驚きと困惑でびくっとした。
よく見ると手足の拘束もそれほど強固なものではないようで、彼女の細い腕でも外そうと思えばいつでも外すことができるであろう代物だった。
つまり彼女は理由は不明だが、少なくともある程度は自分から進んでその状況に甘んじているようであった。
「ああ、もっときつく縛って! そしてできれば強く叩いてください……。ふふっ、ふふ……」
ぶつぶつとあやしいことをつぶやいている。
——聖女っていうかただの変態じゃねえか。
自ら全身を拘束し恍惚とする聖女らしき美少女。
美少女要素を除けば、できることならお近づきにはなりたくなかった。
リュウジ(仮名)が変態聖女を前にどうしたらいいのか分からずにいると、研究員を押しのけて白いローブの男たちが彼のもとに現れた。
そのなかで一際偉そうな老齢の男がリュウジ(仮名)に会釈した。
「ようこそ、異世界の勇者よ。私はこの研究施設の責任者をしておりますホダルトと申します」
ホダルトと名乗った男はそこでリュウジ(仮名)にニッコリと微笑んだ。
一見紳士的な対応だったが、その目は笑っていなかった。
異世界の言語が理解できていることにあまり驚きはなかった。
麻辺リュウジ(仮名、十九歳)。彼は複数のウェブ小説を更新直後に同時にチェックしている程度のオタクだったので、その辺りの翻訳事情は召喚された時点で解決しているものだと当然のように思っていた。
「貴殿は神に選ばれてこの世界に召喚された。その奇蹟にまずは祝福を」
ホダルトはそう言ってリュウジ(仮名)の前で祈りをささげた。
〝高位の神官〟っぽいひとキタコレ!
そうそうこういうのだよ!
異世界召喚のシチュエーションって言ったら!
想像通りの人物の登場に麻辺リュウジ(仮名、十九歳)は俄然興奮していた。
「突然このような場所に呼び出されて、さぞ混乱されていることでしょう。疑問に思っていることがございましたら何なりとお尋ねください。可能な限りお答えいたしましょう」
「いえ、分かってますんでっ。おおかた魔王の侵略に困って勇者として俺を召喚したのでしょう? 分かってます」
「おやおや、これは驚きました。その通りでございます。さすが勇者様だ」
驚いたと言うわりに顔色に少しの変化すら滲ませずにホダルトが応答した。
「それで、魔王を倒すためには聖剣とか特殊なスキルが必要であると! で、どうせ勇者ってのも俺だけじゃなくて複数人いるんでしょう? 分かってますって!」
「いやはや、何もかもお見通しですな」
「いえいえ!」
リュウジ(仮名)はすっかり有頂天だった。
「……ただ、ひとつだけ訊きたいことが」
「おや、なんでございましょう?」
「あのう、あそこにいる彼女はいったい……?」
リュウジ(仮名)はすぐそばで縛られている変態聖女を指して尋ねた。
「おお、私としたことが紹介がまだでしたな。こちら、フリフィシア聖女殿下でいらっしゃいます。畏れ多くも中央教会最高祭聖にあらせられる」
ホダルトはうやうやしく述べた。
肩書きに比べて紹介忘れられてたり扱いが雑じゃないですかねホダルトさん、という言葉が喉まで出かかったがリュウジ(仮名)はすんでのところで呑み込んだ。
「ああ、やっぱり聖女様なんだ……。でも、あの状態はどういう……」
「あの状態、とは……?」
「え。いや、だって縛られてるじゃないですか、彼女」
訊くまでもないだろ頭おかしいんじゃねえのかおっさん、とあやうく乱暴なもの言いになりかけたがリュウジ(仮名)は必死に自制した。
「あれはああすることによって性的興奮を高める効果があるのです」
「えっ」
まさかの直球だった。
「そしてあのお姿こそが異世界召喚術に必要な装束なのです」
「えっ」
直球だと思ったら変化球だった。
「勇者様は異世界からいらっしゃいましたよね?」
「そ、そうだと思いますけど……」
「それは他でもない、すべて聖女様のお力あってのことなのです」
「は、はあ……」
「異世界召喚は中央教会のなかでも本来であれば禁忌とされる秘術——。聖女様は自身への被虐によって性的興奮を最高潮にまで高め、結果として精神を極限へ昇華させることで召喚術を発動させることができます。聖女様が絶頂に達した瞬間、異世界から勇者を召喚することが可能となるのです」
最低じゃねえか。
ってことはなんだ、俺の召喚と聖女様のオーガズムが同時だったってこと?
それは……なんかヤだなあ、とリュウジ(仮名)は思った。
「それを世間では我々が聖女様を監禁しているだの辱めを与えているだのと騒ぎ立てている輩がいる。嘆かわしいことです。まったくどこから情報が漏れたのか……」
いや、それほぼ事実じゃね?
そうリュウジ(仮名)は言いかけたがぐっとこらえた。
「我々だって心苦しいのです。聖女様にあのようなお姿を……。しかしこれはあくまで神聖な儀式。聖女様の尊い供儀の行いによって、神の御業を実現することが可能となるのです。嗚呼、なんという自己犠牲! なんという利他の精神! 彼女を聖女と呼ばずして何と呼びましょう!」
いや、自己犠牲っていうかむしろ喜んで縛られてるように見えるんだけど。
リュウジ(仮名)は思ったがもちろん口には出していない。
そこでそれまで黙って縛られていたフリフィシア聖女殿下がはっと頭を上げた。
「ホダルト様! そこにいらっしゃいますの?」
「はっ、聖女様。ホダルト、すぐ御前におります」
フリフィシアの目は変わらず布で隠されている。
「そ、そうですのね。ねえ、もっと、もっときつく縛ってくださらないこと?」
「お言葉ですが殿下、あまりきつくしますと肌に跡が残ります」
「そんなことはっ! どうでもいいのっ!」
「しかし」
「いいから! こんなんでは満足できませんーっ!」
聖女殿下、完全に手段と目的が入れ替わっていた。
「殿下、本日の召喚は無事成功しましてございます。ですので、もう御身体を拘束される必要は……」
「あら、では異世界の勇者様がこの部屋におられますのね!」
フリフィシアは目隠しをしたままきょろきょろと勇者の姿を探した。
「あ、あの。ここにいます……」
リュウジ(仮名)はおずおずと名乗り出た。
「勇者様——」
「は、はいっ」
リュウジ(仮名)に向けられた途端、フリフィシアの声がすっと厳しくなった。
「この国はいま邪悪な魔王の脅威にさらされています。わたくしたちもでき得る限りの努力を重ねてきましたが、それももう限界に近づいているのです」
「……」
「勇者様、お願いです。どうかこの国を、この世界を救ってください!」
フリフィシアが急に聖女っぽいことを言い出した。
神か何かに操られているんじゃないかという態度の変貌ぶりだった。
「それと、勇者様にはもうひとつお願いが……」
「な、なんでしょう……」
ごくり――。
「……わたくしを、このフリフィシアめを強く叩いてください!」
「そう言うだろうと思ったよ!!」
リュウジ(仮名)はついに思ったままに叫んでしまった。
「だって、教会のひとたちはわたくしがどんなに頼んでもあまり強くしてくださらないのです。だからどうか、お願いします! 勇者様!」
「いや、俺にSMプレイの素質とかないんで! お断りします!」
「そんな! 殺生な! どうか!」
言っておくがここまでずっとフリフィシアは両手両足を縛られた状態である。
ドレスの上から黒ベルトを巻かれた美少女が懇願しながらのた打ち回るさまはエロさとはまた別のシュールさがあった。
「……はあ、仕方がない。おい、丁重にお連れしろ」
ホダルトが周囲の部下に命じるとフリフィシアは拘束されたままにどこかへ退場していった。
——なんなんだよ……。
残されたリュウジ(仮名)はただ唖然とするしかなかった。
「うぉっほん。……お見苦しいところをお見せしましたな」
見苦しいって言っちゃったよ。
「それでは、勇者様。勇者様はご自分の境遇をよくお分かりのようですし、この際です、詳しい説明は省きましょう」
「は、はあ」
「さ、勇者様には以後ここにいる研究員の指示に従っていただきましょう。それが勇者様にとってもスムーズな異世界生活となりましょうぞ」
「え?」
そしてその日から麻辺リュウジ(仮名、十九歳)の拘束ライフが始まった。
彼はさまざまな実験施設をたらい回しにされた。
長時間眠らされたり水をぶっかけられたり電極をぶっさされたりした。
体力的な実験だけでなく知識や情報処理能力を試されることもあった。
他にもいろいろやらされたのだが、あまり思い出したくはなかった。
また、日々複数の実験をこなすなかで、リュウジ(仮名)は彼と同じ日本からの被召喚者と思われる何人かを見かけることがあった。彼らもリュウジ(仮名)と同様に能力別のテストを受けているようだった。
彼らは神に選ばれこの世界に召喚された。
しかしその扱いは不遇であった。
どうやらこの国にとって勇者とは〝都合のいい道具〟程度のものでしかないようだとリュウジ(仮名)が気づいたのは、彼が召喚されて十数日が過ぎた頃だった。
——そもそもの人権意識が未発達なのだ、この世界は。
殺さなければ道徳的とさえ思っているのではないかという節があった。
リュウジ(仮名)は連日の実験続きでひどく消耗していた。
彼は実験室のベッドでぐったりとしていた。
「どうですかな、ロングライス博士。その後の彼の経過は」
ガラス越しにリュウジ(仮名)の様子を観察するナイト・ロングライスにホダルト総大司教が尋ねた。ロングライスは優れた錬金術師だったが、現在は軍と教会の共同研究所で行われている召喚勇者の管理研究に不定期で参加していた。
「これは
メガネの位置を直しつつロングライス博士が答えた。
「体力はおよそ規定値。魔力値は多少余裕があるようですが、上位の八十八英雄ほどではありません。まあ、使えるかどうかで言えば、使えませんね」
「そうですか。残念ですな……」
「やはり召喚術のほうに問題があるのでは?」
「…………聖女様の奇蹟に間違いなどない」
「……左様で。それで彼の処遇はどうします。如何様にされますか」
「そうですな。彼はすでに帝国の秘密を知り過ぎてしまった。いつものように留置処分としましょう。残念です。誠に残念です」
「……分かりました」
ロングライスは答えながらカルテに何事かを書き込んでいた。
「——ところで博士、こちらの専任研究員のお話はどうなりましたかな?」
「いやあ。学院のほうの教務もありますので、なかなか……」
「そうですか……。なるべくお早い転向を願っておりますよ」
そういった経緯で麻辺リュウジ(仮名、十九歳)は地下牢につながれていた。
数時間前から遠くで爆発音とおぼしき轟音が聞こえていた。
見張りの兵士は一時間ほど前に慌てて出て行ったっきりで帰ってこない。
もしかすると逃げ出すチャンスだったのかもしれないが、そもそも手足を鎖につながれているし、よしんば身体が自由だったとしても、いまさらどこに逃げればよいというのか。
見知らぬ世界の孤独な牢獄生活でリュウジ(仮名)の精神は擦り切れていた。
どうにか力や知恵を働かせて脱獄する気力すら湧かないほどに。
思えばせっかく剣と魔法のファンタジー世界に召喚されたってのに、ろくにモンスターすら目にしていない。
本当にどうしてこんなことになってしまったのだろうか。
この世界の勇者は何をやっていやがるんだ。
そんなことをぼんやりと考えていると、それまで遠くから聞こえていた爆発音が急にすぐ近くで発せられた。
衝撃で建物が揺さぶられ、石壁にひびが入り始める。
——おおっ。これはいよいよヤバいんでね?
そう思っているうちに天井が崩落し、降りかかる瓦礫がリュウジ(仮名)を襲う。
彼はこの世界に来てはじめて青空を見た。
日本にいた頃と変わらない空だった。
どこからか、いつか怪獣映画で耳にしたような咆哮が響いてくる。
薄れゆく意識のなかで、彼は眼前一面に爆炎が広がっていくのを見た。
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