Episode02

ep2:甘い蜂蜜色の、永遠の在り処<1>

 校舎に忍び込んだ。

 換気をしていないせいか、空気が重い気がする。蒸し暑い。

「校舎、入れたね」

 遥君は反応を示さず、廊下のあちこちへ目を向けていた。

「なんか、誘われたみたい」

 都合が良いんだ。

 なんで鍵が開いていたのか。

 中に、誰かが居る?

 世々璃かもしれない。

 なんて言うのは、楽観しすぎかな。

「とりあえず、見られるとこまで見てみよう」

 遥君が頷いた。

 なんだか申し訳ないけどわたしたちは土足のまま廊下を歩いている。

 夕方までには、帰るつもり。

 お昼はここで食べれば良い。さっきコンビニで買ったパンがある。

「誰か、いるかな」

 遥君が首を傾げた。

「世々璃?」

 遥君は首を横に振った。

「ね、探してみよう。誰かが居るかも。何か知ってるかも」

 遥君が頷いた。

 わたしは心持ち、歩く速度を早くする。



 教室はところどころ鍵のかかっていない部屋があった。

 そういう教室には一応足を踏み入れた。どの教室もびっくりするくらい埃っぽい。

 人の生活しない建物は早く朽ちるって聞いたことがある。

 この学校も、朽ちはじめている。

 終わった事実を拒みながら、でも少しずつ、終わりの終わりへ向かっている。

 終わりの気配。

 拒みきれない、それ。

 下から調べていって、三階の端にたどり着く。

 図書室。

 その向こう。

 話し声が聞こえる。

 男の子と女の子、一人ずつ。

 楽しそう、っていうのかな。なんだか、幸せそうな話し声。

「遥君……」

 ちょっと尻込みしながらわたしは幼馴染を顧みた。

 まっすぐな瞳で、遥君はドアの向こうを見ている。

 思い切って、わたしは、ドアを開けた。

 途端。

 ものすごく濃密な、蜂蜜色が。

 終わりの気配が、溢れ出た。



 かりかり、しゃ、しゃ、と。 

 鉛筆が紙をなぞる音。

 それでね、と少女の声。

「ブラックホールがね。

 もし地球に近づいたら、ゆっくりと、あたしたちは終わるしかないんだって。

 まずね、星の並びが狂ってくの。少しずつ。だんだん。焦らすように。

 それが、前兆なの。

 何年もかけて、ブラックホールの強い重力によって侵されていく。

 最後にね。地球はぼろぼろになっちゃって。

 真っ暗の中にあたしたちは飲み込まれるの」

「ふぅん」

「なんか、さ。そういうのって、いいよね」

「そうかあ?」

 少年が、スケッチブックを見つめながら問う。

 スケッチブックには、明るい顔立ちの、ポニーテールの女の子が描かれていく。

 描かれていく少女とそっくりな少女が、にこりと微笑んだ。

 蜂蜜色の窓辺で、少年と少女が向かい合って座っているのが、ドアから見える。

 たくさんの本が、二人を見ている。

 彼らはこちらを見ていない。 

 互いに互いだけを見ている。

「終わり方とかは、問題じゃないよ。

 終わるしかないっていう状態が、素敵じゃない?

 ゆっくりと、いつ来るか分からない、だけど来ると分かりきっている終わりを待つ生き方。全てを諦めて、何もかもに執着しない。そんな世界は、きっと平和だよね。争う必要がない。だって何かを得たって結局終わってしまうんだもん」

「あー、ま、そう言われればなー。でも、やっぱ死ぬのは怖いだろ」

「うん。死ぬのは怖いよ。だけど、ね。今だって多分同じだよ。

 ゆっくりと、終わりを待ってる。

 ねえ、あなたたちもそう思わない?」

 ふいに、少女がドアを、わたしたちを見た。

 動くなっ、て少年が叱るように言う。

「あっ……、邪魔してごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げる。

 女の子がくすっと笑った。

 立ち上がって、こっちへ歩いてくる。

「いいよ。久しぶりに、あたしたち以外の人、見たし」

「続きはあとにしてやるよ、仕方ねー」

 頭を鉛筆のお尻で掻いて、嘆息交じりに男の子が立ち上がる。

 女の子が、不満そうに応えた。

「何よ、あたしが付き合ってあげてるんじゃない」

「描いてっつったのはお前だろ」

「描かせてあげてもいい、って言ったのよ」

「なにー? 生意気な奴!」

「そっちこそ!」

 ふんっ、と同時に鼻を鳴らして、さっきまで仲良く向かい合っていた二人が顔を逸らす。その動作は傍から見ると面白いくらい息がぴったりで、仲いいんだなあ、って見て判る。

「ところで……あの」

「あっ。あたしは長岡永子えいこ。こいつは安藤遠也とおや

「どうも」

「あ……わっ、わたし、佐崎みらい! で、この子は」

「川橋遥」

 わたしに続いて、遥君がぼそりと呟く。

「佐崎さんに、川橋君。よろしく?」

「よっ、よろしく。あ、みらい、でいいよっ」

「うん、みらい。じゃあ、あたしのことは永子って呼んで」

 緊張しながら、差し伸べられた手を握った。

 ふと、強く感じる、終わりの気配。

「あなたたちも?」

「え?」

「あなたたちも、なの?

 えっと、うまく言えないんだけど……あなたたちも、その、なんだろう」

 永子が助けを求めるみたいに安藤君を見る。

「なんつーかな、捕まった? ……囚われた?」

 言葉を捜すように、二人が唸る。

「――終わりの気配?」

「そうそれ! そういう感じ」

 わたしの助け舟に、二人はしきりに感心していた。

 やっぱり、という気持ちが強くなる。二人も、同じなんだ。

「その、終わりの気配に、なんていうかな、俺ら、ずっと捕まっちゃってて。

 出れねーんだ」

「もしかして、あなたたちもそうなのかな、って。違うの? 出入り、出来た?」

 期待の眼差しがわたしを見る。

 わたしはたじろいだ。

 遥君を見る。

 遥君は、何か思案深そうな顔をしていた。

「……さっき、来たばっかりで……」

 言葉に詰まる。

 永子が着ている制服が冬のものだと気付いた。

 わたしたちは、半袖姿だ。

 でも寒さは感じていない。極端な暑さも、ここにはない。

「そうなの? まだ、外に出たりしてない?」

「う、うん」

「そっか。じゃあまだ分かんないかー」

 気落ちするわけでも、期待を消すわけでもなく永子は近くの椅子に腰掛ける。

 安藤君はその後ろに立った。

「なんで来たわけ、お二人は」

「あ! わたしたち、人を探してて。青葉世々璃っていうの。

 髪の毛がストレートで長い、ちょっと大人っぽい雰囲気の女の子なんだけど」

「あおばせせり? 蝶の名前と同じ」

 感心したように永子が言うから、正直、わたしは期待した。

 だって、さっき永子が喋っていた話の内容が、近いと思ったから。

 世々璃の考えに。

 世界の終わりの気配に。

「でも、俺ら、自分達以外の人見るの今日で初めてだし」

「そっか……」

 気落ちしてしまったことをちょっと申し訳なく思うけどやっぱり少し残念だ。

 もしかしたら、って思ったんだ。

 この二人も、世々璃に教えられたのかもしれない、って。

 世界が終わりに向かってることを、知っているのかもしれない。

 わたしたちの、秘密の共有者。

 でも、違った。

「なんで」

 遥君がぽつりと呟いた。

「そうだよ。二人は、外に出られないって、どうして……? いつからここに?」

 スケッチブックを開いた安藤君が問いに答えてくれた。

「どうしてかはわかんねえ。

 俺たちは、卒業式の朝からずっと出られないんだ。この学校から。校舎から」

「あなたたちも、出られなくなるかもしれない。だから、用がないなら早く出たほうがいいよ」

「でもっ……」

 優しげな永子の微笑みが、寂しかった。

 せっかく会えたのに。

 せっかく、世々璃に近い、のに。

 永子はきっと知っている。終わりの気配をかんじている。

 友達になりたい。

「みらい」

 遥君に呼ばれて、わたしは振り返る。

「ひとまず、出たい」

 遥君がめずらしく、強く意思表示をした。

 それは意外なことで、でもちょっと嬉しかったから、こくんと頷く。

 安藤君が椅子をひいて立ち上がった。

「なあ永子、ちょっとこいつらについて行ってみようぜ。もしかしたらもう出られるかも。今まで入ってきた奴居なかったじゃん? 誰か入ってこられたってことは、俺たちも出入りできるかも」

「そう、かな。じゃ、みらい、一緒に行ってもいい?」

「うん、うんっ」

 わたしはすっかり永子を気に入ってしまったから、その申し出を断るつもりなんて、なかった。

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