第15話 STAGE9


 狭い場所では死にたくない。

 コクピットで目を覚ます度に夜坂北光よるさかほっこうはそんなことを考える。


 銀氷天ぎんぴょうてんの搭乗席には愛着を感じるものの、死に場所にできるかと聞かれたら迷わずノーと答える。

 ここは息苦しく、窮屈だ。

 死後の自分が魂となって空をさまようのだとしても、肉体がこんな場所に置き去りではきっと解放感など味わえないに違いない。

 どうせなら海原か、広い草地に大の字になって死にたい。

 ――――もちろん、元の世界の。


「……」


 浅い眠りから目覚めた夜坂北光よるさかほっこうは肩の筋肉をほぐし、大きく伸びをする。

 モニター類が慌てたように目覚め、わざとらしく強い光を放つ。

 チチ、とマイクに音が入った。

 

『おはようございます。北光ほっこう


 黄緑色のシーツを被った半裸の少女が姿を現す。

 半透明の姿の向こうに計器類が透けていた。


『昨夜はすごかった……』


 頬を染めて身をくねらせるミュスカデに北光は白い目を向けた。

 

「おいポンコツ。異常は?」


『ありません。外敵との接触なし。彼も――』


 一瞬でドレス姿に戻ったミュスカデがメインカメラに目をやる。

 外は星明かりに乏しい夜だ。


『ジンファンデルもずっとあのままです』


 疲れ果てた獅子を思わせるジンは焚き火に手を翳している。

 闇の中、彼が座り込んだ場所だけが白い光を放っているように見えた。


 寒いのだろうか、という疑問は、彼が居た世界はどんなものだったのだろう、という好奇心へと変わる。

 毛皮のコートを着ているということは寒い土地だったのだろうか。ドラゴンやクラーケンは居たのだろうか。

 スキットルから水分を補給した北光はしばし幼い夢想に耽る。


 もっとも、北光の胸の中で好奇心は長生きできない。

 彼はより即物的な事項を重視する。


「銀氷天の調子は?」


『損傷しているのはフレームのみです。戦闘の続行に支障はありません』


 ただ、とミュスカデはクラゲのようにふよふよと浮かびながら顔を顰める。


『現状最も危険視すべきは機体の損耗ではなく外部環境の変転かと』


「……快力オルゴンか」


『はい。銀氷天ぎんぴょうてんでアレを使う人間と交戦するのは危険です』


 ミュスカデは北光の返事を待たず、言葉を重ねる。


『もし私たちが稲穂秋鈴いなほしゅうれいと戦っていた場合、勝率は約17%です』


「シャールドンと再戦したら?」


『どれほど高く見積もっても、4%』


「……」


 既に故人だが、稲穂秋鈴いなほしゅうれいと皇帝シャールドンの持つ能力は北光の想像を遥かに超えていた。

 あれほどの身体強化が可能であれば、彼らは北光の攻撃を回避する必要すらない。

 上空から刀を降り下ろせば掴まれ、脚で踏み潰せば持ち上げられる。

 光片子デミパーシャルフォトンは発泡スチロールのようにちぎり捨てられ、コクピットは丸裸にされてしまうだろう。


 既に北光は自分が有利な立場に居るなどとは考えていなかった。

 自分は『挑戦者』だ。

 恥。外聞。矜持。体面。

 挑戦者はあらゆるものをかなぐり捨てなければ勝利を得られない。


『私の記憶に間違いがなければ、この世界にはあと三人、快力オルゴンを使う人間がいます』


 羽兜のセーラー服、赤髪に革鎧の男、迷彩服の金髪女がモニターに表示される。

 いずれも闘技場で交戦している姿だ。


『氷、火炎、電気を使うようですね』


「対策を練った方がいいな」


『はい』


「その前に現状認識をアップデートしろ、ミュスカデ」


『はい?』


快力オルゴンを使えるのは三人じゃない。……四人だ」


 北光はモニター越しにジンファンデルを見つめる。













 ナイアガラの戦闘が持久戦になることはありえない。

 ジンファンデルは既に彼女の死を確信していた。

 それはリースリング、シュナン・ブラン、カルガネガの死と同義であり、ジンファンデルの魔力が回復不能になったことも意味している。


 ジンは薄汚れた手を開閉する。

 この手に魔力が戻らないということは――――


「……参ったな」


 あぐらをかいたジンは枯れ枝を手の中でぽきりと折り、焚き火に放り込んだ。

 炎と光は敵を引き寄せてしまうかも知れないが、「ギンピョウテンノセンサー」とやらをくぐり抜けられることはないと北光が言っていたので平気だろう。


 北光。

 夜坂北光。

 ジンファンデルは彼をどうすべきか悩む。

 

 予定は狂ったが方針に変更は無い。

 ジンは神を殺すつもりだった。

 問題は――――




『ごきげんよう、勇者ジンファンデルさん。それに夜坂北光よるさかほっこうさん』




 突如として響いた彼女シーの声に北光はコクピットの中でひっくり返る。


「なっ! お前っ……!」


 北光は思わずミュスカデに目をやるが、彼女は首を振った。つまりセンサー類は反応していない。


(どこから出て来やがった……?)


 メインカメラの映し出す景色を隅々まで見回すが、当然のように彼女シーの姿は見えない。

 そこにあるのは枝を折る手を止めたジンファンデルのくたびれた後姿だけだった。

 彼はじっと炎の中を見つめている。


「よう。あんたか」


『神に対して不敬ではありませんか?』


 ジンは小さく肩を揺すり、笑った。


「神様がそんなちっせえことに目くじら立てるのか?」


 彼女シーの沈黙に微かな苛立ちが混じる。

 秋鈴の言葉を反芻するまでもなく、ジンは彼女の精神性に不完全さを読み取った。


「で、何の用だ。もしかして俺達が『勝ち残り』か?」


 ジンは淡い希望を込めてそう問うたが、期待していた言葉は返って来なかった。


『いいえ。ずいぶん時間も経ちましたので、死者と生存者を教えて差し上げようかと』


「……!」


 ジンは表情を険しくし、北光は前のめりになった。

 既にミュスカデは『参加者』の顔をモニターにずらりと並べている。


『では生存者をお伝えします。死者は甲斐路虎助かいじとらすけさん、カルガネガさん……』


 この瞬間から、彼女シーは己の声をセキレイとガルナチャにも『届けて』いた。












『オリヴァー・"デラウエア"・マイヤーズさん』


 読み上げられる死者の名前にセキレイはただ顔をしかめた。

 泥化粧はすっかり洗い流されていたが、皮膚には未だ乾いた感触が残っている。


『リースリングさん、ナイアガラさん、シュナン・ブランさん』


(名前言われても分からないって……)


 闘技場で十分に周囲を観察することのできなかったセキレイは参加者の顔はおろか数すら正確には把握していない。


 ぱっと窓の外で七色の光が爆ぜ、彼女の顔を照らす。

 古城の一室に身を寄せた彼女がそちらへ目をやった瞬間、思いがけない名前が耳に飛び込んで来る。


『オレンジマスカットさん、シャールドンさん』


(! 皇帝が……?!)


紅島甲州べにしまこうしゅうさん、狩峰翡翠かりみねひすいさん、稲穂秋鈴いなほしゅうれいさん……』


「ぇっ」


 衝撃の余り呻き声が漏れる。


 全員だ。

 自分と同じ世界から来た者は全員、セキレイを残して死んでしまった。

 甲州が炭化して死んだことは知っていたが、まさか翡翠やシャールドンまで命を落としているとは。


(シャールドンが……死んだ)

 

 それは進退窮まっていたセキレイにとって一つの契機だった。


 命か、地位か。

 分岐点に立っていた彼女の目の前で片方の道が崩落して消えたのだ。

 こうなったら最後まで生き残り、元の世界に生還するしかない。


「……」


 方針は明確になったものの、セキレイは少なからず動揺していた。


(シャールドンを殺した奴は今どうしてる……? 相討ちか? それとも……)


 彼女は救いを求めるようにして石造りの窓の向こうを見る。

 ガルナチャは正拳突きを繰り返す武闘家のごとく黙々と七色の宝玉を放ち、それらを消滅させていた。











『以上です。あなた方以外の生き残りは二人です』


 神様シーはジンと北光、セキレイとガルナチャそれぞれに同じ言葉を投げかけて「通達」を終わらせた。

 北光、とミュスカデが囁く。


『生き残りはこの二人です』


 モニターには参加者全員の顔が表示されていた。

 死者の顔は赤い『×』で塗り潰され、色も白黒になっている。

 生き残っているのはジンと北光、それに気の弱そうな少年が一人と、気の強そうな金髪女だ。


(これは……)


 もしかしてイけるんじゃないか。

 いかずち快力オルゴンを操る金髪女さえ抑え込んでしまえれば、あとは子供一人だ。


 湧き上がる勝利の予感に、いや、と北光は自ら冷や水を浴びせる。

 

 超自然的な能力を一切持たない自分はもはやただの弱者だ。

 たとえ相手が犬であれ猫であれ、油断をしてはならない。


 噂をすれば影とでも言うべきか、ちょうどセンサーに引っかからないサイズの生物、猫が廃屋の一つから姿を現した。

 にゃーん、と鳴いた黒猫はジンに駆け寄り、腰の辺りに身を擦りつけている。

 ジンはいささか迷惑そうに猫を手で追い払った。


(今はジンも快力オルゴンを使える……。そして向こうはそれを知らない……!)


 好機だ。

 これは今すぐにでも打って出るべきだろう。

 交替で休息を取っている場合ではない。


「おい、ジ――――」

「神様」


 ジンがうっそりと告げる。


『何でしょう』


「他の奴らの生き死にを俺達に教えて、あんたに何の得があるんだ」


『慈悲です』


「殺し合いさせといて慈悲、か」


 ジンはあぐらをかいたまま目を細める。

 凄んでいるつもりなのか、単に眠たいだけなのか、北光には判断できない。


「……そもそも何でこんなことを始めたんだ?」


『神を理(ことわり)で論じるおつもりですか?』


 そのおつもりだった。

 なぜならジンファンデルは神を信じていないからだ。

 彼は彼女シーの言動の裏に深遠な意思が潜んでいるとは考えていない。

 彼女シーがこの殺し合いを企画したのも、参加者同士の言語の壁を取り払ったのも、今こうして途中経過を伝えに来たのも、肥大化した自尊心の表れにしか見えなかった。

 言うなれば『プライド肥満デブ』。


 ジンは確信する。

 やはり彼女シーは神などではない、と。


 だが今のジンに彼女シーを破る術は無い。

 神ではないと喝破したところで、傷つけられず、殺せなければそれは『神』。


(……)


 ジンファンデルは誰にも悟られないよう静かに、奥から二番目の歯を噛んだ。


「なあ」


 馴れ馴れしいジンの口調に彼女シーが苛立ちを押し殺した笑顔の気配を向けた。


「勝者特権で誰かを生き返らせたとして、その後こっちに来た全員を生き返らせたらどうなる?」


『神の言葉は覆りません』


 マイクを通じ、銀氷天から苦々しい声が届く。


「……二人になるまで殺し合わなきゃならないってことか」


『その通りです、夜坂北光よるさかほっこうさん』


 彼女シーの声の向きが変わった。

 ジンはぴくりと目元の筋肉をひくつかせる。


(こいつ今……)


 さっと辺りに目を走らせる。

 が、周囲には闇が広がるばかり。誰かの姿が見えたりはしない。

 そもそも北光の「センサー」とやらに引っかからないのならこの場に『誰か』が居る可能性は低い。


 くすりと彼女シーが微笑する気配があった。


稲穂秋鈴いなほしゅうれいさんの言葉がそんなに気になりますか、ジンファンデルさん』


(……! やっぱ聞いてやがったのか、こいつ)


 ジンの表情からその考えを見抜いたのか、彼女シーは闇の中でにんまりと笑った。


『神の耳目を逃れる術はありません。私を殺し、皆で元の世界へ戻る……でしたっけ?』


 予想していなかったわけではないが、ジンの胸中に立ち込める絶望の霧は濃い。

 秋鈴が説明した『全員で帰還する方法』は彼女シーに筒抜けだったというわけだ。

 もし秋鈴の策を実行に移せば彼女シーはそれなりの対処を取るだろう。


 もっとも、秋鈴の策には致命的な欠陥が二つある。

 ジンはあえて指摘しなかったが、秋鈴自身も自覚していたに違いない。


『二つ、大きな誤りがあります。まず一つ。あなた方に私を殺すことはできない』


「……」


『お察しの通り、戦闘領域の周縁には空間転移のゲートを配置していますが……ふふっ。実体を持たない私をどうやってそこへ押し込めるおつもり?』


 持ってないことはないだろう、とジンは心中密かに呟く。

 だが実体を持っているからと言って彼女が強大な存在であることに変わりはない。


 秋鈴の策は『自分達全員で挑めば彼女シーを物理的に動かすことができる』という前提ありきだ。

 その前提をジンは疑っている。

 彼女シーが老いた牛のようにモタモタとゲートへ押し込まれる姿は想像できない。

 おそらくどこかのタイミングでひょいとかわされて――――それで終わりだ。


『そしてもう一つ』


 こちらの方が理由として強いのだろう。

 彼女シーはたっぷりと間を置き、告げた。


『私を殺したところで、あなた方に元の世界へ戻る術は無い。書物も教典も無いこの土地で魔女ナイアガラが私と同じ術を閃くことなど不可能です』


「……」


 そういうことだ。

 蘇生の術を操るナイアガラを蘇らせれば、全員で『生き延びる』ことはできる。

 だが元の世界へ戻る術がない以上、結局、彼女シーには誰も逆らえない。


 秋鈴が語ったのは実現する見込みのない理想論に過ぎなかった。

 本人がどう考えていたのかは分からないが、ジンにしてみれば現実逃避にも等しい考えだ。


『ではお二方、ご武運を』


 彼女シーの気配が消える。

 ぬるい夜風がジンの長い髪を揺らした。



 神は殺せない。

 元の世界へも戻れない。



 ジンは自分の手が小刻みに震えていることに気づき、逆の手でそれを抑えつけた。

 勇者が恐怖に呑まれるわけにはいかない。


「おい、ジン」


 北光の冷ややかな声。

 ジンは巨大な銀のゴーレムを見上げる。


「確認しときたいんだけどさ。……アンタ、『俺と』勝ち残るつもりがあるんだよな?」


 北光の言葉の裏には、表から透けて見えるほどシンプルな問いが隠されている。

 つまり、『二人で勝ち残った後、勝者特権で仲間を蘇らせたりしないよな?』という問い。


 もしジンがその道を見据えているのであれば、北光は方針を変えなければならない。

 神に勝つとか、敗けるとか。

 そういったドラマティックな話は北光にとって全く重要ではない。

 重要なのは己の生存、ただそれだけだ。

 

 あの神とか言う輩は気に障る奴だが、現状、立ち向かう術は無い。

 そして残る生存者は四人にまで減っている。

 今のところ、この殺し合いに勝利することこそが最善にして最短の道だ。


 夜坂北光よるさかほっこうは平和主義者ではない。

 平和主義者でないということは、理想主義者でないということでもある。

 

「シューレイだっけ? あいつとあんた達が話した内容、神様に筒抜けなんだよな?」

 

「……」


 ジンはシャールドンを殺めた後、仲間の遺骸を廃屋へ隠すと共にこれまでの経緯を北光に話して聞かせていた。

 北光は『神を殺して元の世界へ戻る』という話に多少乗り気ではあったが、『神を殺す』という甘いフレーズに聞き惚れることはなく、『いかにして生還するか』という即物的な問題についての説明が不十分であることに不満を漏らしていた。

 なので、ジンにとってこの問いは十分に予想できるものだった。


「それを踏まえた上で聞きたいんだが……アンタ、どうするつもりだ?」


 ジンは答えず、ぽきりと枝を折った。

 心臓が汗をかく感覚を久しぶりに味わっている。

 恐怖ではなく、焦燥。


 秋鈴の策に乗るかどうかは別として、ジンは当然ながら最後まで勝ち残り、まずはナイアガラを蘇らせるつもりだった。

 これが『第一の道』。

 リースリングやシュナン・ブラン、カルガネガと共に元の世界へ帰還するのであれば、魔女の復活は不可欠だ。

 モンスターとの戦闘と同じで、蘇生と回復の経路さえ確立できれば他のことはどうとでもできる。


 ただ、今の状況でそれをやると北光の疑念を呼んでしまう。


 元の世界へ戻れるのは生き残った二人だけ。

 この前提がある以上、一人ぼっちの北光はジンとナイアガラが揃い踏みした瞬間に背中を刺される心配をしなくてはならなくなる。

 ジンはリースリングやシュナン・ブランといった仲間を見捨てないし、ナイアガラも同じ考えであることは明らかだったが、それは北光には伝わらない。

 千の言葉で説いたとしても、北光を納得させることはできない。


 では『第二の道』ならどうだろう。

 あの少年と金髪女と和解し、手を組むのだ。


 組んで――――それで、どうなるというのか。

 ジン、北光、少年、金髪女の四人が揃ったところで彼女シーほふることはできない。

 できたとして、元の世界へ戻る術は無い。


 最後に『第三の道』。

 北光と二人で勝ち残り、ナイアガラを蘇らせることなく元の世界へ帰還する道。


 おそらくこれが最も無難な道だろう。北光も明らかにこの選択肢を望んでいる。

 だがジンファンデルはこの未来を選ばない。

 この未来を選ぶことは仲間を見捨てることを意味する。

 それは勇者の振る舞いではない。


(……)


 いつまでも『勇者』に拘る必要はないのではないか。

 そんな想いがジンの胸中を過ぎる。


 ジンファンデルにとって『勇者』とは地位であり、仕事だ。

 金を得るための手段だ。

 命の懸かったこの場面でどこまで『勇者』を貫く必要があるだろう。


 ジンの額に憂いの皴が生まれる。

 炎に照らされるその表情は戦地へ向かう老兵のごとき諦観に満ちていた。 



 結論を言うと、ジンファンデルは追い詰められている。


 少年や金髪女と和解したところで未来は無い。

 勝ち残って魔女ナイアガラを蘇らせれば北光と衝突する可能性がある。

 勝ち残って勝者特権を行使しなければ仲間を見捨てることになる。



 それが分かっているからこそ、北光も真剣な表情でジンの返事を待っていた。

 彼の選択如何によっては北光も重大な決断を迫られることになる。


『北光』


 ミュスカデがやや大きな声を上げた。


『もう休みましょう。疲れた頭で考えても無意味です』


「重要な話なんだ、ミュスカデ」


『重要な話だからです。一度脳を休ませてからの方が建設的な話し合いになるでしょう?』


 ポンコツオペレーターは既に銀氷天の計器類を停止させ始めていた。


「あ!? てめっ――」


『いいから休んでください、北光。気力も体力もスカスカなままで残りの二人に勝てると思いますか? センサーは生かしておきますから。ほら、ジンさんも』


「……ああ。そうだな」


 ジンは焚き火に泥を被せると、廃屋の中でごろりと横になった。

 そのまま目を閉じ、思索に耽り始める。

 彼しか知らない、『第四の道』について。


『ふっふふ。声が聞こえてもナイショにしてくださいね、ジンさん』


 喜悦を押し殺したミュスカデの声に、横たわったジンが僅かに頭を向ける。


「……ほ、北光。お前、幻の女を抱いてるのか」


 ジンの声には純度の高い忌避の感情が滲んでいた。

 北光は顔を真っ赤にし、ミュスカデを怒鳴る。


「このポンコツ! お前こんな時まで――――!」


 北光は息を呑み、言葉を切った。


『それじゃ、おやすみなさ~い』


 きゅううん、と銀氷天の放つ光が弱まる。

 ジンは横になったまま声を投げた。


「ああ。おやすみ」


 思索に耽るジンファンデルは気付かない。

 銀氷天のモニターに黄緑色の文字が走っていることを。


 《彼は危険です、北光》


 暗闇に包まれるコクピットの中、北光の瞳にその文字列が映った。

 

 《敵方の二人のうち一人を斃したら、その時はジンファンデルを――――》


 夜坂北光よるさかほっこうは平和主義者ではない。













(私たち以外の生き残りは、二人……)


 神の声が途切れた後も、セキレイはぼんやりと宙を眺めていた。

 託宣を待つ巫女のような己の姿を自覚した途端、彼女は羞恥に頬を染める。


(何やってんだ私は……)


 考えるべきことは多い。


 生き残った二人がどんな奴なのか探ること。

 セキレイとガルナチャの能力で何ができるのかを確認すること。

 沼を失った今となっては水源や食糧の確保も重要になってくる。


「ナチャ」


 石の窓枠に腕を置いたセキレイが声を投げると少年が振り返った。

 闇の中、連鎖を積み上げた秘精ヌミノースが打ち上げ花火のごとく七色の光を放っては散る。


 宝玉を操ることで疲労を感じたりはしないのか、彼の表情は訓練を始めた時とほとんど変わっていない。

 いや、少しだけ年を取ったようにも見える。

 成長ではない。

 成熟とでも呼べばいいのか。


「どうしました、セキレイさん」


「……!」


 その声音にセキレイはぞくりとした。

 子供が年上の女を呼ぶ声ではない。

 

「……そろそろ休みなさい」


 骸骨戦士を召喚して紅島甲州べにしまこうしゅうを葬ったガルナチャは休むどころか更に自分を追い詰め始めた。

 レベルアップを繰り返すことで気力と体力を充溢させることのできる彼は肉体的な休憩を長く取る必要は無いのだという。

 頼もしい言葉ではあったが、セキレイはいささか鼻白んだ。

 

「さっき言ったじゃないですか。休みなんて要らないです。僕はこのまま―――」


「いいから二時間だけでも休みなさいって。そこでポカポカやられたら私が落ち着かないから」


「あ、じゃあ僕あっちに」


「そういうことじゃなくて」


 聞き分けの悪い少年の態度にセキレイはぼりぼりと頭を掻いた。

 がつんと殴ってやれば言う事を聞くのかもしれないが、それは気が引けた。


 ふっと笑ったガルナチャは手の中に新たな宝玉を生み出す。

 そこにあるのは静かな決意だ。


「大丈夫です。セキレイさんは僕が護ります」


「……」


 依存されている、とセキレイは感じる。

 本来ならあの空飛ぶ少女を殺した自分はガルナチャにとって要警戒対象者のはずだ。

 なのに。

 なのに、ガルナチャはセキレイをゆるした。


 懊悩し、葛藤すべき状況でありながら少年は容易にセキレイを認めてしまった。

 成熟故の振る舞いではない。

 自我を保つための危うい騎士道精神だ。

 骸骨戦士を消滅させたことや甲州を殺めたこと、そしてこれから他の連中にも同じことをしなければならないという重責を、彼はセキレイへの献身でごまかそうとしている。


 嗜虐の快力オルゴンを操るだけあってセキレイにはサディストの気があったが、だれかれ構わず痛めつける畜生ではない。

 まして相手は子供だ。

 熱を浴びた飴細工のようにガルナチャの心がぐにゃりと歪む様を見せつけられ、胸の奥がじくじくと痛んでいた。

 ただ、その歪んだ騎士道精神につけ込まなければ自分が生存できないことも確かだ。


 もはや最終決戦は目の前に迫っている。

 ここでガルナチャと手を組まない理由は無い。

 正気であれ狂気であれ、ガルナチャが献身的になればなるほどセキレイの生存確率は上がる。


 利用しろ、盾にしろ、いつものことだろう、と理性はそう囁くのだが、彼女に僅かばかり残された善意がこれに抗う。

 セキレイは自分がこんなにも切れ味の悪い女だったのかと自問自答した。


「ナチャ」


「はい」


「あいつらと協力して神様と戦おうとか、考えないの?」


「……」


 ぽっ、と。

 秘精ヌミノースの最後の光が消える。


「神様のことは分かりませんけど」 


 辺りは闇に包まれる。

 輪郭だけを残し、少年の表情も黒く塗りつぶされた。


「――――死んだ方がいい人って、結構いるんじゃないかなって思います」


 少年の声の向こうに底知れない黒い感情を読み取り、セキレイはわざとらしく肩をすくめた。


「……寝るよ、ほら」


 言ってしまった後でセキレイはもう少し言葉を選ぶべきだったかとまごついた。

 が、庭園を横切った少年は窓枠を跨いで城内へと入り、彼女と共に二階へ向かう。

 二人は一つの寝台に身を横たえた。

 脚は腐り、シーツなど端切れほども残ってもいないボロボロの寝台だ。


 セキレイは何となくガルナチャに背を向け、身を離した。

 生乾きの迷彩ジャケットとインナーからは沼よりも厭わしい、えた匂いが漂う。


「セキレイさん」


「何?」


「もっとこっちに来てください」


 はっ、とセキレイは背を向けたまま鼻で笑う。


「寂しいの? お母さんが恋しくなったってわけ?」


「はい」


「……」


「寂しいです」


 その声に乾いた悲哀を感じ取ったセキレイはガルナチャを背中側から抱きしめ、おやすみ、と囁いた。


 










 翌朝。

 セキレイは鳥の囀りで目覚めるものだとばかり思っていた。


 違った。

 二人を目覚めさせたのは蛇だった。


 ――――ブラックマンバ。




「!!」

「っ!」


 古城の壁面にそれらが激突した音で二人は飛び上がる。

 間髪入れずに撃ち込まれた黒蛇がついに壁面を食い破った。


 身体能力に勝るセキレイが少年を抱いて飛び、新たに放たれた黒蛇たちをかわす。

 城内に炸裂したブラックマンバは寝台を粉々に吹き飛ばしていた。

 腐った木切れの破片がパラパラと地を打つ。


(これって確か空飛ぶアイツの……!)


「セキレイさん! 上だっっ!」


 ぼろりと崩壊した古城の壁面から青空を見上げると、そこには銀色のゴーレムが覗いていた。

 手の平には勇者の姿。


「北光」


 くたびれた毛皮のコートを身に纏う男は、外見以上にくたびれた声で話す。


「便利だな、アンタの「センサー」と俺の「ブラックマンバ」の組み合わせ」


「気を抜くなよ、ジン」


 北光はモニターを注視している。

 ヘルメットを被った彼の表情を知ることができるのはミュスカデだけだ。


「大事なのは……こっからだ」


 ああ、と勇者は古城の割れ目を覗き込んだ。

 トンファーを掴んだ金髪女と宝玉を携えた少年の姿が見える。


「悪いなァ。本当、申し訳ない」


 ジンファンデルは長剣をぐるぐると手の中で弄び、その切っ先をセキレイに向けた。

 一滴の水が切っ先を伝う。


「でもまあ……とりあえず死んでくれ」

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