第13話 STAGE8



 セキレイは詰んでいる。



 夕陽さながらの熱と光を放ち、紅島甲州べにしまこうしゅうが一歩彼女に近づく。

 学ランに赤い革鎧を合わせた赤髪の男は溢れ出すほどのオーラを漲らせていた。

 

「甲州っ……!」


 腰に吊るしていたトンファーを構え、彼女は手元で円を描く。

 嗜虐の快力オルゴンが紫色のオーラとなってセキレイを包み、棒切れに過ぎないトンファーが硬質さを増した。


 甲州が近づく度に大気は高熱で揺らめき、セキレイの泥化粧はぴきぴきとひび割れる。

 沼の水に濡れた衣服までもが乾いていくのが分かった。


 甲州はセキレイとの距離を詰める一方で、ガルナチャにも目をやっていた。

 その視線一つで水草はからからに乾き、沼の水面では銀色の魚たちがばちゃばちゃと逃げ惑う。


「ぅ、あ」


 小便が漏れそうなほどの恐怖でガルナチャの膝が笑い出す。

 皮肉なことに死の恐怖によって錯乱しかけていた少年は正気へと戻っていた。


 咄嗟に両手を盾のごとく構えるが、生み出されたのは橙色の宝玉が一つ。


「……」


 ふ、と。

 甲州の口元に笑みらしきものが浮かぶ。


 否、あれは笑みではない。

 シャールドンの熱烈なストーカーとして甲州を知るセキレイは、彼が笑うことなどありえないと知っている。

 憤激の快力オルゴンを持つ彼は怒らなければ力を発揮できない。

 その彼が笑っているということは――――


「しっかり生き延びやがって。ムカつくな、お前」


「……!」


 ガルナチャへ拳を向ける甲州の前にセキレイが割り込んだ。

 少年を庇ったわけではない。

 彼女は今なら甲州を殺せると踏んだ。


(こいつ『果てて』るな……)


 怒りの感情は基本的に長持ちしない。

 感情は常にフラットな状態へ立ち返ろうとするからだ。


 自分を傷つけたり、悲惨な思い出を反芻することで湯を沸かし続けるように感情を昂ぶらせることはできるだろう。

 だがそれは冷めていく怒りを自覚してこその行動だ。

 怒らなければと思った時点で、感情は凪を取り戻している。


 甲州はおそらく先ほどの火災旋風でひどく怒り狂ったのだろう。

 その反動で今、彼は――――


「てめえシャールドンの腰巾着か……! 便所に落ちたようなツラしやがって」


 ぼっと甲州の心に火が灯るのが分かる。

 セキレイは既に踵で地を蹴っていた。


「!」


 回転する二対のトンファーをぶつけ合い、彼女も心に火を灯す。


「『嗜虐の快力オルゴン』……!」


「上等だ。てめえも灰にしてやる……憤激の――――」


 腹の前で交差させた両手を腰に置き、甲州は俯く。

 様々な記憶と感情をドロドロのマグマが溜まった心の炉へ放り込む。


 翡翠を殺した魔女。

 翡翠を死なせた自分。

 師父を殺したシャールドン。

 神とかいう奴。

 快力オルゴン

 権力。

 軟弱さ。

 ルール。

 軟弱さ。

 軟弱さ。

 自分自身の軟弱さ。



「―――快力オルゴン!!」



 深紅のオーラが甲州を中心として円状に広がり、水草を焼き払った。

 物理的な圧力さえ伴った快力オルゴンの衝撃にガルナチャはひっくり返り、セキレイはどうにか踏みとどまる。


(何だこれ……!?)


 目の前で交差させたトンファーが燃えるように熱い。

 靴裏で地面にしがみつくようにしてどうにか転倒を免れているが、気を抜けば転ばされてしまうだろう。

 セキレイの知る限り、皇帝シャールドンですらこれほどの快力オルゴンを纏うことは無かった。

 つい数秒前まで不安定な感情を見せていた甲州の一体どこにこんな力が眠っていたのか。


(まさかコイツ……)


 ゆらりと顔を上げた甲州の口は耳まで裂けているように見えた。

 笑っているのではない。

 怒っている。


(燃え尽きてたわけじゃなくて……溜めに溜めてここまで――)


 目の前に甲州の顔。

 懐に飛び込まれた、と考えた時には既にセキレイは後方数メートルの場所にまで吹き飛ばされている。


「ッ! ッ!?」


 蹴り飛ばされたボールのごとく宙を飛びながら、セキレイは事態を飲み込む。

 真正面から拳で殴られた。

 どこを? 腹をだ。


 脳がそれを理解すると同時に、みち、と腹部の筋繊維が悲鳴を上げ、肋骨の一本一本までもが軋む。

 貫通した衝撃でぐぶっと呻きながらも、セキレイはどうにか着地する。

 ずぶぶぶぶ、と沼地に深い溝を残しながら彼女は顔を上げた。


「こいつっ!!」


 全身が発光し、枝分かれした紫色の雷が爆ぜる。

 セキレイの操る紫電は水や氷と違って物理的な実体こそ持たないが、水よりも氷よりも自由に、執拗に人間を殺す。


 今の甲州の速度は見切れない。

 受けながら、紫電による反撃を叩きこむしかない。

 何があったのかは知らないが彼の快力オルゴンは今や刀のように研ぎ澄まされ、運動能力は飛躍的に向上している。

 半ば義理で嗜虐の感情を呼び起こす自分とは比べものにならない。

 勝ち目は低い。


 だが、とセキレイは歯ぎしりする。

 だからと言って、敗けるものか。


「殺す! 嗜虐の――」

「憤激の」


 湧き上がる『怒り』以外の感情と記憶、観念をすべて心の炉へ投じ、甲州は吠えた。

 セキレイの声が聞こえなくなるほどに力強く。



快力オルゴンッッッ!!!」



 天を貫くには到底足りないが。

 人間一人飲み込むには十分すぎるほど巨大な火災旋風が巻き起こる。


 数は一つ。

 ぐるぐると渦巻く火炎の竜巻を前にセキレイはただ慄然とした。


(嘘……。この気勢でこれだけの規模……?)


 じゃあさっき自分が見た火災旋風は。

 今よりもずっと猛っていた甲州が繰り出したものなのか。

 今この状態ですら手も足も出ないと言うのに、彼の『怒り』にはまだ上の段階があるのか。


 ――――勝てない。 


 セキレイは詰んでいる。












 巻き上がる火炎竜巻を前にガルナチャは腰を抜かしていた。

 紫電を纏う泥だらけの女は青ざめており、息を切らしている。

 疲労しているのではなく、恐怖が彼女の鼓動を早めているのだと分かった。


(あ、あんなの……)


 無理だ、と少年は思う。

 あの火炎の男はここへ来てすぐに『神様』の像を壊し、共に転移した仲間にまで襲い掛かった。

 その上、あの巨大な火災旋風で辺りのすべてを薙ぎ払っていた。


 正気を失いかけたまま彷徨していたとは言え、ガルナチャは自分が『戦う』能力に欠けていることを自覚している。

 先ほどの空飛ぶ少女と棒持ち女との戦いにも割って入れなかった。声を上げて止めることすらもできなかった。

 ましてあの炎の男に立ち向かえるだろうか。

 いや、無理に決まっている。


(でも……)


 仕方ない、と彼は考えた。


 ガルナチャは自分の無力を肯定している。

 子供だからだ。


 子供は種だと母が言った。

 大事に大事に育まれ、それから芽を出し、花を咲かせる種なのだと。

 ガルナチャは自分が今、種なのか芽なのか分からない。花は咲いていないだろうということまでしか分からない。

 

 ただ、不用意に動くべきではないということだけは分かる。

 猫は動いた虫に喜んで飛びつくし、魚はぴくりとも動かない蟻よりも波に揺られる塵を食べるという。

 炎の渦巻くこの戦場で種がひょこひょこと動けば、あっという間に焦がし尽くされてしまう。


 ガルナチャにできることは炎の嵐が通り過ぎるのを待ち、そっとその場から逃げ出すことだけ。


「くっ、そ!」


 泥だらけの女が深く息を吸う。

 こおおお、といびきをかくような音。


 長い呼吸の後、セキレイはそれまでよりも遥かに濃く、鮮烈な紫色の快力オルゴンを纏った。

 傍目には布団一枚を被っているようにも見えただろう。

 これほどのオーラの漲りは彼女自身も久しく感じたことがない。

 臨死の恐怖がセキレイの潜在能力を大きく引き出した結果だ。


 ――――だが。


 だがそれでも、目の前に迫る火災旋風を凌げるだろうか。

 オーラの上から肉を焼かれ、塗炭の苦しみにのたうち回れば甲州は油断してくれるだろうか。

 否。

 おそらく、キレる。

 そして更に凶悪さを増した火災旋風がセキレイに襲い掛かる。


(……)


 セキレイは詰んでいる。


 つう、と髪を伝った汗が瞬く間に蒸発した。

 火災旋風が動き出す。

 夕陽そのものが地上に降臨したかのごとく、明るい光が周囲を照らす。

 小型であるせいか、じりじりと火災旋風が動き出す。


 断頭台に横たわる罪人の心持ちでセキレイは『その瞬間』を待った。

 耐えろ。とにかく耐えろ。

 たぶん敗けるが、挑まない理由にはならない。


(敗けるか……! やってやる……!!)


 あと何秒だ。五秒か。

 四。

 さ



 気づく。



「!? ちょっ、アンタ!!」


 セキレイの視界の隅に少年の姿が映る。

 棒立ちのガルナチャは衣服が焦げ始めていることにも気づいていないようだった。

 

「! 何してるのッ!!」


 セキレイは思わず叫んでいた。

 彼女にしては珍しく打算も下心もない、素の感情が口をついて飛び出す。


「逃げなさいっっ!!! 早くっっ!」


 ガルナチャは頷いた。

 頷く彼の手には、既に橙の宝玉が三つ揃っている。













 呆然と逃走のことを考えていたガルナチャは気付いた。

 今の自分のレベルは――――21。


(にじゅう、いち!?)


 頭の中を探ればいくつものスキルが並んでいる。


 スローダンサー。

 フラットハンター。

 スカイハイ。

 ハーベスト。

 ローリンローリン。

 ウォリアーズクルセイド。


(……)


 ふと、思う。 

 これだけのスキルがあれば『何か』はできるんじゃないか、と。


 レベル21と言えば、ガルナチャの世界なら十八歳を過ぎなければまず達せられない境地だ。

 自分は今、六年だけ他人より成長しているのだ、とガルナチャは考える。


 十八歳。

 十八歳の自分。

 ガルナチャは炎の中に未来の自分を幻視する。

 

 今から六年後の自分は両親の前で堂々と自分の意見を言えているだろうか。

 その男は今よりずっと背が伸び、髭を生やしているだろうか。

 恋人と友人に囲まれ、秘精ヌミノース使いとして幸せな人生を歩んでいるだろうか。




 その男は。

 火に焼かれる女を見捨てて逃げるような男だろうか。




 ――――違う。




「……!」 


 ガルナチャの手足を熱い血が流れていく。

 鼓動はなおも早まるが、それは怯えた血液が身体の中心へ逃げ込むためのものではない。

 真新しい、熱い血液が強張った肉体の隅々にまで行き渡るための烈しいポンピングだった。


 そうだ、とガルナチャは考える。


 12歳の自分が無力なのは、いい。

 だがレベルアップした今の自分が。

 18歳と同じ力を持つ今の自分が無力であっていいはずがない。


 子供は逃げてもいい。

 でも大人は――――逃げないはずだ。



 セキレイは詰んでいる。

 ガルナチャはそう感じる。


 詰んでいるのなら――――誰かが助けなければ。








 火災旋風のただなかに橙色の宝玉が三つ飛び込んだ。

 それらは強風に巻き上げられることなく、その場に滞留している。

 甲州は目を細めた。


「! ……」


 秘精ヌミノースの宝玉は外界のいかなる影響をも受けない。

 雨が降ろうと風が吹こうと、宙に滞留し、吸着した秘精ヌミノースを動かすことはできない。

 それを消せるのは秘精ヌミノース使いだけ。


「行け! ハーベストッッ!!」


 ガルナチャは七色の宝玉が寄り集まったブドウのような球体を手にしている。

 一つ、二つ、三つ。

 めちゃくちゃに飛ばされたそれらが火災旋風の進路に立ち塞がり、カラフルな宝玉の壁と化す。

 同色の幾つかは連なることで淡く輝いていた。


「スローダンサー!」


 宝玉の一つがガルナチャの手を離れ、ゆっくりと宝玉群へ向かう。


「ローリンローリン!!」


 ガルナチャの手の中で赤い球体と青い球体が真っ二つに割れる。

 破片同士が接着し、赤と青の二色を備える球体が二つ生まれた。


「飛べ!」


 ひゅお、と飛んだ赤青二色の球体が秘精ヌミノースの壁へ吸着する。

 片方は赤三つの宝玉群へ。片方は青三つの宝玉群へ。

 赤へ飛んだ方は赤に。青へ飛んだ方は青に。

 ガルナチャにとって最も都合の良いカラーに変じたことで『消滅』が発生する。


 ぱっと赤い光が爆ぜ、間髪入れずに青い光が爆ぜる。

 火災旋風の一部が削り取られ、消滅した。


「何っ!?」


 甲州が唖然とする間に、ハーベストで積み上げられた複数色の球体が次々に光り輝く。

 L字に輝く緑色。がちゃんとずれ込むことで今度は紫色の光が輝き、黄色の光が輝いた。

 虹色の光が次々に連なり、火災旋風は身をよじらせた悪魔のごとく削り取られていく。


「そこだっ!!」


 スローダンサー。

 時間差で宝玉群に到着した一つがガルナチャの狙い通りの場所にぴたりと収まり、途絶えかけた連鎖を再開させる。

 小規模の花火がさく裂するかのように、火災旋風のあちこちで七色の光が爆ぜた。

 やがて勢いを失った火炎の竜巻は宙に消える。


「ぇ……」


 セキレイは呆気に取られ、少年を見やる。


「!!」


 ガルナチャはレベルアップの気配を感じた。

 手足に活力が漲り、スキルは使用回数を取り戻す。

 新たなスキルを手にした彼は自分のレベルが27になったことを悟った。


 レベル27。

 完全に大人だ、とガルナチャは感じる。

 無垢な表情に凛然とした責任感が芽生えた。 


 自分は護らなければならない。

 この女の人を護らなければならない、と。


(……)


 ちらっと理性が囁いた。

 その人は別の女の人を殺したんだぞ、と。


 ガルナチャは首を振る。

 自分は大人である以前に男だ。

 まず護る。理由を聞く。聞いて納得できたら――――許す。

 ネチネチと人を追及するような、そんな大人になったつもりはない。

 大人は『大きく』なければならない、と彼は考える。

 大きいとは悠然としていること。

 悠然と、だ。


 少年はそのまま甲州の方へ向き直った。

 びしりと指先を突きつけ、少年だった男、ガルナチャが宣言する。


「今なら許してやる! どっか行け!」


「……ァあ?!」


「消しちゃうぞ! どっか行けよ!!」


 くくっと甲州の喉から奇妙な音が漏れた。

 快力オルゴンのオーラが見る間に彼の肉体を包み、そして彼は常人には反応不能の速度で地を蹴――――


「危な「ウォリアーズクルセイド!!」


 がん、と秘精ヌミノースの盾に甲州が衝突する。

 盾は青と白の宝玉で構成されており、既に『連鎖』が完成していた。

 次の瞬間、甲州の革鎧と快力オルゴンオーラのいくらかを道連れに盾が消滅する。


「かっ……!」


 快力オルゴンの防御もろとも『持って行かれた』。

 甲州の心を怯えが過ぎり――――それが瞬く間に赤い感情となって燃え上がる。


「な、めるなっっ!!」


 再び深紅の衝撃が広がる。

 宝玉を連ねている暇などあるわけがない。


 今度はセキレイがガルナチャを抱きしめ、嗜虐の快力オルゴンを全開にして衝撃を和らげる。

 背にフルスイングを喰らうような一撃でセキレイが呻き、ガルナチャも己の慢心を思い知る。


「お、お姉ちゃんっ!!」


「うるさいっ! 大丈夫だからっっ!!」


 セキレイは少年に賭けることにした。

 彼なら甲州を斃せる可能性がある。

 なら自分はそれを全力で援護するだけだ。


「ぅ、おおおっ……らァあああああっっっ!!」


 赤い髪を振り乱し、甲州が次々に火炎の竜を生み出す。

 とぐろを巻き、うねり、顎を開いた竜たちが一斉に二人へ襲い掛かった。


「どいてお姉ちゃん!!」

 

 触れれば骨すら焦がす火炎の悪魔。

 レベルアップしたガルナチャは先ほどよりも冷静に、進路上に宝玉を『置く』。


 ローリンローリン。

 ファナティックレイン。

 ハイヌウェレ。

 スローダンサー。

 ローリンローリン。

 ウィンディカプリッチオ。


 新旧様々なスキルを駆使し、ガルナチャは一歩もその場を引かず竜たちを消し去る。

 緑色の光が爆ぜたかと思えば黄色と水色の光が混じり合って瞬き、次の瞬間には青い光が竜の頭部を消し去る。

 少年はいつしかセキレイを庇って立ち、その両手に山ほどの宝玉を蓄えていた。


 逆に、甲州は思わぬ攻撃に襲われていた。

 灰色の宝玉が次々に彼目がけて飛んでくるのだ。


 一つ一つの威力は低いが、視界を覆われ、動きを制限されることに彼は苛立ち、怒り狂う。

 おまけに彼の火炎でそれを焼くことも、拳で叩き割ることもできないのだ。


「っだルァああああっっっ!!! ぅぜえ! うぜえうぜえうぜえうぜええええっっ!!!」


 甲州の咆哮と共に、深紅のオーラが一段と濃度を増す。

 今度の衝撃はセキレイのオーラでも防ぎきれず、ガルナチャは背から地面に叩き付けられたかのような激痛に呻く。


「くっ! ダメだ……!」

「ダメか……!」


 二人の悲鳴は重なった。


 紅島甲州べにしまこうしゅうの持つ憤激の快力オルゴンは劣勢に陥れば陥るほどに肥大化し、巨大化する。

 彼に抗えば抗うほど、闘志に火を点ければ点けるほど、火勢は増し、火災旋風は高く大きく舞い上がる。


「今更手足なんざ惜しくは無え……」


 快力オルゴンが甲州の手足に集中する。

 消滅覚悟で突っ込んで来る気だ。


 いけない、とセキレイは身構える。


 ガルナチャもセキレイの動揺を肌で感じ、悟る。

 この一撃は防げない、と。


(何か……何か無いか……!!)


 ガルナチャは必死に己の身に着けたスキルを探る。

 宝玉だけではだめだ。

 宝玉以外の何かでないと彼を止めることはできない。


 セブンスセンス。

 ウォーペイント。

 クイッククライマー。

 セイントブロッサム。


(違う……違う……!)


 泥棒が箪笥の中から財布を探るように、少年は大慌てでスキルを探る。


 フェンリルロアラー。

 ローズドレッサー。

 サモンソウルズ。

 ビショップ・テン。

 フラクタルアイズ。

 ラスティア――


(――――!) 


 サモンソウルズって何だ。

 スキルに神経を這わせ、意味を理解すると同時に叫ぶ。


「さ、サモンソウルズッッ!!」


 ガルナチャは縋るような想いで叫んだ。

 彼が大気へ還元した秘精ヌミノースが更に高密度の秘精ヌミノースとなって渦を巻き、彼の目の前に集う。


 七色の輝きを伴う風は蜘蛛の糸を思わせる濃密な存在となって二人の前に渦巻いた。

 ぐるぐるぐるぐると渦を巻く大気は徐々に高さを増し、ガルナチャより、セキレイより高い背丈を得た。


 やがて白い風が消え失せ、『ソレ』が現れる。





 現れたのは。

 豪奢な革鎧を身につけた全身骸骨の戦士。





「っ」


 ガルナチャは息を呑んだ。

 彼は―――― 


「……」


 招ぜられた骸骨戦士は己の意思など持ってはいなかった。

 彼の存在意義はただ一つ。

 主に命じられた通りに敵を討つこと。

 それは相手が宝玉であろうと人間であろうと同じだ。


「……!」


 骸骨戦士は火炎の魔人を睨む。

 落ち窪んだ眼窩はがらんどうだった。


「何だてめえ。死に損ないの生き損ないが……」


 甲州の顔面が醜悪に歪む。


「ナめてんじゃねえぞコラァァァ!!!」


 ぼうっ、と。

 砦すら飲み込むほど巨大な火災旋風が現れる。

 これはどうあっても耐えられない。

 そう直感したセキレイは嗜虐の快力オルゴンを全開にすると共にガルナチャを抱きしめ、沼へと身を投げる。


「……!」


 火災旋風へ飛び込んだ骸骨戦士は瞬く間に髄までもを焼かれ、紙切れのごとく消し飛んだ。

 


 だが彼は死なない。



 骸骨戦士は意思を持たないが、己の性質を理解していた。

 たとえこの身を構成する骨の一つ一つを砕かれても自分は死なない。

 俺は不死身だ、と。

 そんな意思ならぬ意思が骸骨戦士を衝き動かす。


 豪奢な革鎧と共に、彼は火災旋風の跡地に再誕する。


「ぁあ!?」


 疑念の混じる怒声。

 振り返った甲州の顔面に骸骨戦士の拳が突き刺さる。

 スカスカの外観からは想像もつかないほど高密度の骨が甲州の頭を一瞬、揺らした。


「……っ!?」


 甲州は痛みを感じなかった。

 憤激の快力オルゴンは厚く彼を護っており、人類の範疇を出ない一撃など痒みすらもたらさない。

 だが彼は苛立った。

 焔のごとく赤髪が揺らめいた。

 

「……ムカつく」


 ぼそりと呟いた甲州は顔を伏せた。


「ムカつく……」


 再び顔を上げた時、彼の顔面には笑みに近い怒りの表情が浮かんでいた。

 待っていたと言わんばかりに紅島甲州べにしまこうしゅうは猛る。


「ムカつくなァ、てめえ!!」


 目にも留まらぬ速度で駆け抜けた赤い風が骸骨の巨躯を吹き飛ばす。

 数十メートルも吹き飛ばされた骸骨戦士は革鎧諸共バラバラになったが、すぐに復元した。


 次の瞬間にはもう、宙を舞った甲州が拳を振りかぶった状態で骸骨の目の前に飛びかかってきている。

 高熱を帯びた手甲が頭蓋骨を粉砕し、噴き上がる火炎が鎧を溶かした。


「死んだんなら死んじまえよ……! 俺の前に出て来るんじゃねえよ……!!」


 溶けた鎧を浴びた白骨を甲州は何度も何度も殴打する。


「スカしたツラしてんじゃねえよ! 畜生! 畜生! 畜生っっ!!!」


 何度も。何度も。何度も。

 狂ったように殴り、炎を噴き上げ、吠え、猛った。


「ァァあああらァああああっっっ!!!」


 ごう、と肩から火炎を噴き上げ、紅島甲州べにしまこうしゅうは地面に大穴を空けるほどの殴打を繰り返す。


 数十分後、そこにはクレーターじみた穴と、白い灰の山だけが残されていた。

 甲州は息一つ乱さず、のそりと立ち上がる。


「クソが……!」


 がいん、と呼応するかのように手甲が動く。

 骨粉の山に背を向けた甲州の耳が、ずぞぞぞ、という音を聞いた。


「……ァあ?!」


 革鎧を着た骸骨戦士が蘇り、その頭蓋が甲州を見つめている。


 その佇まいはただただ静かで、知性すら感じさせた。

 びきびきと甲州のこめかみに青筋が浮かぶ。

 そこには怒りがあった。

 健全な怒りだ。

 

「上等だ……」


 既に十分な怒りを得た甲州は湧き上がる新たな感情を心の炉へ放り込む。

 それは謝意に近い感情だった。


「やってやる……やァってやるァあああああっっっっ!!!!」


 絶叫と共に、深紅の風が駆け抜ける。







 骸骨戦士と赤き魔人の戦いは一時間続き、二時間続いた。

 陽が没し、夜が訪れてもなお続いた。

 局地的な火災旋風が度々巻き起こり、夜空は何度となく赤い光に照らされる。




 骸骨戦士と赤き魔人の戦いは三時間続き、四時間続いた。

 空に満天の星々が瞬き始めてもなお続いた。

 古城に残る枯れ葉の幾つかが自然発火し、沼地は干上がり、魚の焦げる異臭が立ち込める。





 六時間後。


 役目を終えた骸骨戦士は星空を見上げていた。

 落ち窪んだ眼窩には何も映らないはずだが、彼は何かを求めるように星空を見上げ続ける。


 やがて一陣の風に身を撫でられると、彼は秘精ヌミノースの粒子となって消えた。




 後には炭化した紅島甲州べにしまこうしゅうの死体が残された。


 血と涙を燃やし尽くした黒炭が、夜風に吹かれてぼろぼろと崩れていく。

 頬を構成する炭が崩れた時、その死体はどこか満足気な笑みを浮かべているように見えた。


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