第3話 GAME START

 

 半歩ほど他に先んじる者がいた。

 夜坂北光よるさかほっこう、オリヴァー・"デラウエア"・マイヤーズ、甲斐路虎助かいじとらすけの三名。

 彼らは『テレビゲーム』あるいは『ビデオゲーム』と呼ばれるものを知っている。

 つまり『異世界』の存在を知っていた。

 また、魔女ナイアガラは時空転移について少々の知識があったので、流す冷や汗の量も小さじ一杯ほどで済んだ。


 しかし事態を正確に把握できた者は誰一人居ない。

 勇者も、戦士も、精霊人も、秘精使いも、傭兵も、パイロットも、高校生も。

 表情に差こそあれ一様に唖然としていた。


 面食らう一同の中、真っ先に動く者が居た。

 彼を衝き動かしたのは支配者としての責任感。


「おい」


 一歩前へ出たのはブレザーの上に鉄の胸当てを着けた男。

 シャールドンはうろたえる甲州や糸目の法務官、秋鈴しゅうれいを無視し、女神像に言葉を放つ。 


「ここはどこだ」


『私の支配する土地です』


 声は直接脳内に響くようだった。

 女神像の足元で眠っていた猫が飛び起き、胡散臭そうな目で一同を見渡すと闘技場の外へ出ていく。


 ふむ、とシャールドンは顎に手をやる。

 彼は尊大な男だったが、自分より遥かに強大な力の持ち主を認められないほど頑迷ではない。

 彼は神を信じている。敬うつもりは無いが。


「戻せ。俺は忙しい」


『もちろんです。生き残ることができたら元の世界へお戻しします』


 生き残る、というフレーズに多くの者たちが反応した。

 なかんずく、これまで「生き残る」経験をしたことのある者たちが。

 つまり高校生である虎助、そして刃傷沙汰と縁遠いガルナチャ以外の全員が。


「生き残る?」


『ええ。ルールを説明します』


 女神像は微動だにしなかったが、彼女の手に持つ石板が光りはじめる。

 石板は何らかの魔力を帯びているのか、誰もが二種類の文字を認識した。

 本来そこに刻まれている複雑怪奇な文字列と、彼ら自身が認識可能な文字――――虎助なら日本語、デラウエアなら英語――――の二つ。




 <ルール>

 元の世界へ戻れるのは生き残った二人だけ。

 二人の勝者へのご褒美:ゲームの途中で死んだ誰かをそれぞれが一人だけ蘇らせることができる。




 真っ先に口を開いたのは黒紫の髪を持つ精霊人、ロザリオビアンコだった。

 パニック寸前に陥ったオレンジマスカットは意識の水槽へ沈められている。


「殺し合えということ?」


『はい』


 空気が凍る。

 だが多くの者は凍った空気に心地よさすら感じていた。

 ああまたか、といった諦観に近い覚悟。

 命を賭けずに生きてきた者だけが恐怖に竦む。


「なぜ?」


『神をことわりで論じるおつもりですか?』


 女神はロザとの会話を打ち切り、一同に語りかけた。


『共謀・協力はご自由に。その為に文字も言葉も通じるようにしています。……ああ、魔法が効かない方はごめんなさいね』


「……」


 状況をこれっぽっちも飲み込めていないのは骸骨戦士のカルガネガ。

 彼は既に死者であるため、精神や神経に作用する術の影響を受けない。

 彼は女神の言葉の意味が分からず、石板の文字も読むことができなかった。


『時間も場所も好きなだけ使ってくださって構いませんが、私は文字と言葉以外の何物も与えるつもりはありません。それから、あまり遠くに行かないようにしてくださいね。私ですら助けることのできない宇宙の果てへ飛ばされてしまいますから』


 神の声には冷笑の響きがあった。

 底知れぬ恐怖を覚える者、怒りに身を震わせる者、ただただ困惑する者が居る。

 だが畏敬の念を抱く者は一人も居なかった。


『以上です。それでは健闘を祈――――』


 ばがあっ、と。女神像が砕け散る。

 そこに立っていたのは深紅のオーラを纏い、両肩から火炎を放つ紅島甲州べにしまこうしゅう

 目にも留まらぬスピードだった。肉眼はもちろん、銀氷天のセンサーですら彼を捉えることはできなかった。


「てめえを、殺しちゃ、いけないって」


 手甲の一撃で女神像を粉砕した彼は、白い像が粉末となるまで執拗に踏みつける。

 蟻塚を踏み壊すように。


「ルールは、どこにも、無いんだ、なっっ!!?」


『ええ、ありません』


 どこからともなく聞こえた声に甲州の顔面が歪む。


『できませんから。私を殺すことなんて』


(ま、そうじゃろうな)


 魔女ナイアガラは冷静に考える。

 ルールの一つに「蘇生」が組み込まれており、彼女ですら知らない時空転移の術を操る以上、神を名乗る何者かは高位の術者だ。

 そう簡単に斃すことはできないだろう。


 だが、とナイアガラは冷笑する。

 賢者とまで呼ばれる自分にとっては造作もないことだ。

 すぐにこの間抜けを――――


『だから』


 神はまだそこに居た。


『お義姉さんと二人で帰りたければ、他の皆さんを殺すのが一番手っ取り早いと思いますよ? 紅島甲州さん』


「……!」


『皇帝シャールドンさん。やるべきことは多いのでしょう?』


「その通りだ」


『オレンジマスカットさん、夜坂北光よるさかほっこうさん、あなた達がこうしている間にも時は流れているのですよ?』


(っ。防衛隊の皆……!)


 オムの動揺にロザが顔を顰める。

 聞く耳を持たないで、と言いたいところだが彼女にも現状を打破する術は無い。


『北光』


 銀氷天のコクピットに不安げなミュスカデの声が響く。

 人工知能は恐怖を感じない。だが計測不能の事態を前に戸惑いを覚えることはある。


「ああ。カツカツの戦力でやってるんだ。穴を開けるのはマズい。……ってか、MIA《作戦行動中行方不明》は勘弁だ。年金も出ないだろ」


 神は自分の投じた一石がもたらした波紋に満足したようだった。


『それでは皆様――――』



「おいおい待てって」



 くだけた口調で割って入ったのは胃潰瘍を患った獅子を思わせる男、勇者ジンファンデル。

 長剣は鞘に収まったまま、腰の辺りで売り物のようにぶらぶら揺れていた。


「そんなカッカすることもないだろ。おたくら、殺し合えって言われたらはいそうですかって言っ……ちゃいそうな顔してるのね。あちゃー……」


 ジンの言葉の後半は甲州達のみならず、デラウエアにも向けられていた。

 彼は既に足音を殺し、移動を始めていた。

 闘技場から出る方向ではなく、この中で最も虚弱であろうガルナチャの立つ方へ。


 ぎしり、と巨大なロボットも身を軋ませる。


『北光。大気組成に問題はありません』


「……いやいや、お前にそんな機能はねーだろ」


 軽口を叩くミュスカデは電子立像として操作パネルの上を浮遊している。

 その姿は裾の長い黄緑色のドレスを身に纏った少女だ。

 彼女が実像を持つということは、それだけ北光のバイタルサインに揺らぎが検知されているということだ。

 ヘルメットの中で北光の髪は濡れていた。冷や汗と、脂汗に。


「どうすっかな……」


『撤退を提案します。あの手のRPGで――――』


 ミュスカデはメインカメラの画像を顎で示す。

 そこに映るのは獅子男、黒ローブ魔女、18世紀フランスに居そうな騎士、骸骨、それにピンクの甲冑を着た女だ。


『「ゴーレム」は敵なのがお約束でしょう?』


「だよな」


 北光は既に現状を受け入れていた。

 どうやら魔法が当たり前に存在する異世界の住人がこの事態を引き起こしたらしい、と。

 彼は魔法を使えない。

 ゆえに協力体制を敷くにせよ戦いを挑むにせよ、一時撤退して様子を見た方がいい。


 協力した場合、魔法を使えないという理由で格下に見られ、つけ込まれるおそれがある。

 敵対した場合――――


(魔法はやばいだろ、たぶん)


 彼の予想は的を射ている。

 現に、詠唱を終えた魔女ナイアガラの放った火炎がデラウエアのすぐ傍で燃え上がっていたからだ。


「!」


 生きているかのようにうねる火柱を前にデラウエアは大きく後方へ跳び、ざりりと砂を踏んだ。


「ちょっと! やめなさいナイアガラ!」


 声を上げたのはピンクの甲冑を着込んだ金髪の少女、シュナン・ブランだ。

 ジンファンデルよりも先にこの異世界へ跳ばされた彼女はほんの数秒だが

 気位の高そうな顔に浮かぶのは怒りの表情。

 ナイアガラは黒髪を手で払い、ふふんと得意げな顔をする。


「何を言うか。その髭――」


「あいや! 私が何か?!」


「おぬしではない。そっちの髭じゃ。……その髭、幼子に近づこうとしておるではないか。これでは話し合いもままならぬ」


「だったら口でそう言えよ。ガキかあんたは」


「全くです。人と人との交流は礼儀ありきでしょう。いくら千の魔法を使えても礼儀を欠けば人に疎まれるのも当然です」


 ジンとシュナンに続いて骸骨戦士カルガネガも重々しく頷いた。

 羞恥心から真っ赤になった魔女は癇癪を起こした子供のごとくデラウエアに喚く。


「ええいやかましい! そこの髭! よく耳を開いて聞くが良い。わらわがお主ら全員を元の世界へ帰してやるから――――」


 この時点で、ナイアガラは二つの誤りを犯していた。


 一つは不用意に攻撃魔法を放ってしまったこと。

 彼女にしてみれば『自分はこれほどの力を持っているのだから従った方がいい』というアピールだったが、それは示威行動ではなく宣戦布告として解釈された。


 デラウエアかつて身を置いていた西アジアの戦場に威嚇射撃などというものは無かった。おそらく今も無いだろう。

 自分に向けて引き金を引く者は例外なく敵。

 妊婦が、少年が、知恵遅れが、仲間の命を次々に奪ったことを彼は忘れていない。

 燃え上がる火柱を見つめる傭兵は、悲鳴と、怒号と、銃声を思い出していた。

 千の魔法を知る魔女は血煙と肉片の舞う現代の地獄を知らなかった。


 ナイアガラが犯したもう一つの誤りは、傭兵以上に好戦的な一団を刺激してしまったこと。


 彼等は身の危険を感じるや反射的に快力オルゴンを発動させていた。

 迸る火炎。

 鋭い氷柱。

 鋼のかいな

 蔓さながらの紫電。

 そしておぞましい水の剣。


 ジンファンデルの一団と違い、彼等の間に仲間意識は無い。

 何せトーナメントでぶつかる相手だ。

 舞台が変わっただけで、やるべきことは変わらない。

 甲州と翡翠はシャールドンに、セキレイと秋鈴は甲州に、シャールドンはその場に立つ全ての者に、研ぎ澄まされた殺気を向ける。


「……!」


 オリヴァー・"デラウエア"・マイヤーズは怒りの沸点こそ常人より高いが、殺意の沸点は低い。

 ひりつくような殺意に刺激され、彼は行動に移る。


「!」


 銃口が動く。

 骸骨の戦士が魔女を庇い、合計五発の銃弾を浴びる。


 テンポ遅れて発砲音。

 銃口からは煙。

 少年と高校生が耳を塞いで縮こまり、悲鳴を上げる。


 北光はペダルを踏んだ。

 地を離れた銀氷天ぎんぴょうてんは不気味なほどの青空へ飛翔する。

 ロザは一秒遅れてショットを放つ。

 彼女は自分と同じく「飛翔」する者の有利を潰しておきたかった。


『敵弾、来ます』


 カメラの中でうねる黒蛇の大群。

 銀氷天ぎんぴょうてんは大きく弧を描いて射撃をかわそうとしたが、黒蛇はまったく同じルートを辿って機体に追い縋る。

 夜坂北光よるさかほっこうは己の迂闊さを呪った。


追尾弾ホーミング……!」


 次の瞬間、彼の身体は激しく揺さぶられた。

 着弾した黒蛇が武者鎧の足一本を破砕し、ガラス片にも似たパーツが闘技場に降り注ぐ。


 光片子デミパーシャルフォトンが持つのは体感可能・計測不能の擬似質量だ。

 それはほんの数秒で霧散する光の粒子がひと時纏った幻の重みに過ぎない。

 銀氷天ぎんぴょうてんサイズの硬化光体ならともかく、発泡スチロールよりも遥かに軽い光片子の破片に潰されて死んだ者は人類史上に存在しない。

 だがそれを知るのは不幸なことに夜坂北光のみ。


 多くの者たちは落下する破片から逃げ惑った。

 幾人かの者たちはロボットにあるまじき現象に言葉を失う。


「!?」


 一瞬骨の見えた鎧武者の脚部がまばたき一つほどの間に完全に復元されている。

 飛翔するロザは顔を顰め、この『銀色の怪物』が見た目以上に厄介な敵であることを悟った。


『ロザ! ロザ待って!』


「……食い散らかしなさい、ブラックマンバ!」


 ロザは内なるオムの声に耳を傾けず、更に大量の黒蛇を放った。

 氾濫する河川のごとく黒蛇が銀氷天を追う。

 その一部は枝分かれし、銀氷天ではなく闘技場の人々に襲い掛かった。


 悲鳴。

 怒号。

 土煙。

 その真っ只中を、デラウエアは冷静に歩む。

 狙いを定めたのは撃っても死なない骸骨の化け物。


「……」


 カルガネガは銃弾の威力に驚愕していたが、それ以上の感情を抱くことはなかった。

 死者はもはや死なない。

 この骨をすべてへし折り、粉末に変えて海にばら撒いても、彼は死なない。

 ゆえにカルガネガは勝利を約束されている。

 因果な身体だがこんな形で役に立つとは。


(……)


 幸いにして彼の防具が着弾点を逸らし、魔女ナイアガラは無傷だ。

 だがあまりの恐怖に膝を抱え、黒い帽子を目深に被ってしまっている。


 彼女が混沌を引き起こしたことをカルガネガは不思議に思わない。

 そしてそれを咎めるつもりもなかった。

 頭の中で思い描く通りに物事が運ぶことなどない。人間関係を結ぶことはその最たるものだ。

 誰もが他者と良好な関係を築こうとして、結果的にすれ違い、傷つけ合う。


 確かにナイアガラは言動を誤った。

 だが行動した。

 結末はどうあれ、彼女は誰よりも先に他者と交わろうとした。

 その姿は賢しい沈黙を選んだ連中よりカルガネガの目に眩しく映る。


 飛散する石礫が、かいん、とカルガネガの頭蓋骨を叩いた。


 見れば鍔広帽の剣客リースリングが姫騎士シュナン・ブランを庇い、襲い来る黒蛇を切り伏せている。

 ジンファンデルは腰を抜かしつつも冷静に銃口を見つめていた。

 もしかして『習得ラーニング』できやしないか、と考えているのだろう。


 だがそれは無理だろう、とカルガネガは思う。あれはおそらく武器だ。

 むしろゴーレムと熾烈な空中戦を繰り広げる少女の黒蛇を習得ラーニングすべきだ。

 あのゴーレムは空を飛ぶだけでなく、無限に手足が再生するらしい。

 このまま殺し合いが続いた場合、ほぼ間違いなく勝ち残ってしまう。

 ナイアガラならいくらでも対処できるだろうが、できればジンファンデルにも―――― 


「っだあああっっっ!!! どいつもこいつもうぜえ! うぜえ! うぜええっっ!!!」


 ざしゃああ、と砂をまき散らしながらカルガネガの近くへ飛び込んできたのは紅島甲州べにしまこうしゅう

 彼を追い、一陣の光が放たれた。


 それを水だと認識した次の瞬間。

 シュナン・ブランの片脚と剣客リースリングの片腕が宙を舞っている。


「ぅっ」

「お、アッ!?」


 甲州の足元を抉った水流は収縮し、一人の男の手元へ戻る。

 豪奢な剣の柄を持つ皇帝シャールドンの手元へ。

 水の刃を手にした皇帝は青いオーラと共に悠然と歩む。


 切断された手足がぼたりと地を打ち、剣客と姫騎士の手足から血の噴水が噴き出した。

 赤という色を嫌う皇帝は眉根を寄せる。


「お前と意見が合うとはな、ヒス


 言いつつも、彼は死角から襲い来る鋼の腕をかわす。


「確かにこの煩わしさは苛立ちに値する。さっさと帰るとしよう」


 糸目の法務官、稲穂秋鈴いなほしゅうれいは細身の外見に似合わぬ一撃で地面に窪みを作った。

 その震動は局地的な地震を思わせたが、シャールドンは顔色一つ変えない。


「俺に手を上げるとは何のつもりだ、木っ端役人が」


「それはこちらの台詞です、皇帝陛下」


 糸目の男は両手両足を広げ、突進の構えを取る。

 必殺の『投げ』の構え。


「剣をお収めください」


「なぜだ」


「あなたは本当にこの場に立つすべての者を皆殺しにするおつもりか? 女子供を!」


「その『おつもり』だ。女子供が俺の国を統べてくれるのか? 痴愚め。死ね」


 皇帝は秋鈴しゅうれいに水の剣の切っ先を向ける。

 青いオーラが濃度を増した。

 支配の快力オルゴンに呼応し、水の剣が揺らめく。


「……!」


 視認不能。

 ゆえに回避不能。

 水の剣は光のごとき速度で放たれた。


 だが十数メートルも伸びた水流は秋鈴の鼻先で静止する。

 それは音もなく、根元まで完全に凍り付いている。


「静穏の快力オルゴン


 冷ややかな目をした黒いセーラー服の剣士、狩峰翡翠かりみねひすいがシャールドンを睨む。

 羽兜を被った少女は銀色のオーラを纏っていた。


(美しい……)


 皇帝は翡翠の感情を独占していることに身震いした。

 彼女になら殺されるのも悪くない。支配者らしからぬ背徳の恍惚が束の間、彼の脳を甘く焼く。


 恋は盲目。

 死角から放たれた紅島甲州の拳が皇帝を吹き飛ばす。








 ジンファンデルは空を飛ぶ少女を凝視していた。

 疲れた獅子を思わせる顔には、薄笑み。

 口唇が言葉を紡ぐ。


 お ぼ え た ぞ


(……)


 彼の横顔を見ながら、カルガネガはふと気づく。


「?」


 何かが身体に引っ付いている。

 大きな果実を思わせる赤色の球体だ。

 自然界には存在し得ない、驚くほどの真球。


 今、彼の身体に二つ目がくっついた。

 一体何なのだ、と顔を上げる。


 眼球無き目が、こちらに両手を向けた少年の姿を認める。

 少年は恐怖に震えている。

 膝が笑い、目尻には涙が浮かんでいた。


 自分の姿に怯えているのだろう。

 カルガネガは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 叶うなら優しい言葉の一つもかけてやりたいところだが、その前に髭面の男をどうにかしなければならない。


(……)


 当の傭兵は銃弾をいくら浴びせても死なない骸骨戦士を前に冷や汗を浮かべていた。

 一体どうすればいいのだ。祈りの言葉でも唱えればいいのか、と。

 落ち窪んだ眼窩に見据えられ、デラウエアはたじろいだ。


 三つ目の赤球が衝突した瞬間、カルガネガの身は小さく傾いだ。

 彼はようやくそれが攻撃行動だと悟る。小枝を振り上げるがごとき、涙ぐましい攻撃。


 もしや爆発する魔力球か。

 自分は平気だがナイアガラを傷つけるわけにはいかない。

 彼女が傷を負えば剣客と姫騎士を治療することができなくなる。

 ならばと彼は魔女を突き飛ばす。


「きゃっ!」


 四つ目の珠が宙を揺らめき、磁石のごとくかちりと吸着した。

 カルガネガは衝撃に備える。

 爆散にも備える。

 だが死には備えない。


 なぜなら俺は死なな




 不死身の拳闘士カルガネガは秘精ヌミノースの粒子となって消滅する。









 突如として消えた骸骨戦士。

 へたり込んだ魔女ナイアガラと傭兵デラウエアは互いの呆然とした表情を直視することとなる。


「?!」


「……ぇ?」


 彼女はゆっくりと辺りを見回す。


「な、何を……。どこへ行ったのじゃ。カルガネガ?」


 ナイアガラは右を見る。

 火炎を巻き上げる少年と氷の剣を持つ黒衣の女が背の高い男と切り結ぶ。

 糸目の男と目が合う。


 ナイアガラは左を見る。

 銀色のゴーレムが長大な剣を振るうと、空飛ぶ少女が華麗にそれをかわした。

 だが少女は突如として苦しみ出したかと思うと、尾の切れた蜻蛉とんぼのごとく宙をでたらめに飛翔する。

 急降下。

 蛇行。

 急浮上。

 その間、少女の髪は黒紫と濃緑を行ったり来たりしている。

 銀のゴーレムが飛び去る。


 ナイアガラは正面を見る。

 両手をこちらへ翳した少年が腰を抜かし、背の高い髭面の男を見上げている。

 少年の顔には、恐怖。

 彼は一目散に逃げ出し、髭面の男はその背を目で追う。

 彼の表情にも微かな恐怖が浮かんでいたのだが、ナイアガラは気づけなかった。


「―――ガラ!」


 音の消えた世界の中、魔女は骸骨戦士の革鎧の匂いを感じていた。

 薔薇は枯れても香りは残る。

 そんな諺が脳裏に蘇る。


「――アガラ! ナイアガラ! おいババア! 目ぇ覚ませ!」


 どんと肩を叩かれ、魔女は我に返る。

 見れば勇者ジンファンデルがリースリングとシュナン・ブランを担いでいた。

 二人は腕や足を切断されており、激しく出血している。


「逃げるぞ。遅延詠唱だ」


「……ぁ」


 剣客と姫騎士の手足からは栓を抜いた酒樽のごとく血が溢れ出している。

 むっとするほどの鉄の臭いに魔女は吐き気を覚えた。


「急げ!」


 ジンに怒鳴られ、魔女は即座に術を唱えた。


「……!」


 骸骨戦士を『消滅』させた少年を追っていたデラウエアは異様な気配を察し、振り返る。

 だがそこにRPGの一団は居なかった。


 残されたのは一陣の砂塵と、血液が砂に染み込むじうじうという音。

 それに学生服の一団が殺し合う喧噪。

 火炎に紫電。

 水に氷。

 あれに巻き込まれたらひとたまりもないだろう。

 壮絶な闘争風景を前に、デラウエアは巣穴へ向かう蛇のごとく静かに後退する。


 と、闘技場の中心に濃緑の髪の少女が舞い降りる。



「う、ぅぅぅあああああっっっっっ!!!!!!!」



 獣じみた咆哮。

 辺りに真っ赤な花が咲く。 


 デラウエアは目を見開いた。












 甲斐路虎助かいじとらすけ は闘技場の外壁に背を預け、膝を抱えていた。

 オレンジマスカットの「ブレイズカーネーション」が放たれる直前、彼は運良くここへ避難していた。


(何が起きてるんだよ……!)


 訳が分からない。

 訳が、分からない。


 なぜこんなことになったのか。

 RPGの登場人物が魔法を放ったかと思うと白人のおっさんが銃をぶっ放した。

 ロボットゲームに出て来るような珍妙な機械が空を飛び、シューティングの主人公じみた女の子がショットを放った。

 挙句、格闘ゲームの連中が当たり前のように殺し合いを始め、一番人畜無害そうな少年が骸骨の戦士を『消した』。


 そして今。

 凄まじい爆発によって闘技場は火炎に包まれた。

 虎助には分かる。

 これは『ボム』だ。


 少女は空の彼方へ消えた。

 そして恐るべきことに闘技場の中ではいまだに怒声が轟いている。

 悲鳴ではなく、怒声。

 あの学生服の一団はどういうわけだか生きている。

 もしかすると全身を包んでいたオーラが関係しているのかも知れないが、虎助はそれ以上考えることができなかった。


 なぜここにいるのか。

 どうしてこんなところへ連れて来られたのか。

 そしてなぜ自分なのか。


 虎助は考えに考えたあげく、ようやく最も重要なことを思い出す。


(生き残った二人だけが戻れる……)


 神様とやらが提示したルールを思い出す。

 つまりこの『ゲーム』では誰かと協力体制を敷くことができるのだ。

 報酬がなぜ「ゲームの途中で死んだ者を蘇らせる」なんて三歩進んで二歩下がるようなものなのかは知らないが、ともかく。


(帰るんだ、俺は……!)


 こんなところで死ねば両親が悲しむだろう。

 死体すら見つけられず、永遠に自分を探し続ける。

 自作のチラシを道で配り、お涙頂戴のマスコミに見つけられ、くだらない視聴率の餌にされてしまう。

 先輩も、あいつも、かー子も、ユッキーも、皆、悲しむだろう。

 死んだ虎助さんの友人、だなんて名目でマイクとカメラを向けられる彼女達の泣きっ面が目に浮かぶようだ。


 いや、でも自分たちは慌ただしい毎日を過ごしている。

 もしかすると来年には俺のことなんて忘れ去られてしまうかも知れない。


 でも。

 だったらなおのこと戻らなければ。

 俺は――――俺は生きているんだから。


「よし……!」


 虎助は涙を拭う。

 顔を上げる。

 銃口に気づく。



「え」



 どん、と胸に強い衝撃。

 続いて焼けた火箸が突き刺さったかのごとき激痛。


「いっ……」


 痛い。

 飛び出しかけた言葉に代わり、大量の熱い血が吐き出される。


「はぶぐっ」


 地面に自分の血が広がる。

 鮮烈だが光沢に乏しい、赤。

 喉に絡む血と唾液。

 むせ込む。気を失うほどの痛みに涙がこみ上げる。


 顔を上げる。

 髭面の白人。


「……」


 少年は虫の息だが、デラウエアは懐のナイフを使わない。

 とどめを刺す時こそ慎重にならねばならない。


 最も小さな羽虫が熱病を媒介するように。

 最も虚弱な少年が不死身の怪物を消滅させたように。

 強者は必然しかもたらさないが、弱者は思いもよらない結末をもたらす。


 真に追い詰められた時、強者は粘るだけだが、弱者は化ける。

 ゆえに、まず消し去るべきは、弱者。

 それも慎重に、念入りに。






 オリヴァー・"デラウエア"・マイヤーズは神を信じている。

 そして弱者の可能性も信じている。


 傭兵は二度目の引き金を引く。

 ぱん、と乾いた音。

 少年の頭部が吹き飛ばされ、闘技場コロッセオの壁に脳漿と血がこびりついた。


 ずるずると崩れ落ちる死骸。

 その肉体が温かみを失っていくことを確認し、傭兵は四方を見渡した。


 東には朽ちた城が見える。

 北には森。

 西と南は見通しが悪い。


(……)


 闘技場からはなおも怒号が聞こえていた。

 デラウエアは身を伏せ、静かに走り出した。


 彼はいつも通り、命を賭ける。

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