マイナスファンタジー

icecrepe/氷桃甘雪

第1話 PRESS ANY KEYS

 

 善意の行き届いた世界は疲れる。

 心地良いが、疲れる。


 人はもっと不善に寛容になった方がいい。

 彼、ジンファンデルはそう考える。


「あーあー。辺鄙な場所に建てやがって」


 山道を歩く彼のブーツは乾いた泥に覆われていた。

 今また新たなぬかるみに踏み込み、湿った土が跳ねる。


「神殿って神様にお祈りする場所だろ? あいつらさ、もう少しこう……人が通いやすい場所に建てるべきだったんじゃねえの?」


「これ、ジンよ」


 まろやかな女の声。

 賢者の名をほしいままにする黒髪の魔女ナイアガラが液体じみた漆黒のローブを揺らす。

 彼女は宙に浮くほうきに腰かけているので泥一つ浴びていない。


「呆けるでない。警戒するのじゃ。敵はいやしくも神を名乗っておる。わらわが加わったとて万全には程遠いと知れ」


「はいはい。……」


 仲間になってまで説教するのな、このババア。

 その軽口を一言一句正確に聞き取ったナイアガラはこめかみに青筋を浮かべた。

 実年齢こそ二百歳に迫っているが、十代後半にしか見えない美貌をババアなどと呼ぶのはこの不埒者を置いて他にいない。


「じゃあ警戒するからMP《魔力》分けてくれよ。もうスッカスカだ。集中できねえ。息するだけで目が回っちまう」


 小遣いをねだるような声。

 魔女はぴしゃりと言い放つ。


「ならぬ。自業自得じゃ」


 先頭を歩くジンは頭の後ろで手を組んだ。

 そこに落胆の色は無い。

 あるのはいつもと同じ、怠惰によく似た冷静さだけだ。


 獅子を思わせる茶褐色の長髪と、襟元に粗末な毛皮ファーをあしらったロングコート。

 実際はまだ二十歳なのだが、くたびれた顔立ちと老成した雰囲気のせいで、黙っていると三十路を過ぎた所帯持ちのようにも見える。


 ナイアガラは思う。

 とてもではないが『勇者』の装いではない、と。

 装いだけでなく器も。

 それに性格も。

 平たく言えば彼のすべてが『勇ましき者』にふさわしくない。


 だが実際問題、ジンファンデルは多くの功を成した。

 数か月前まで酒場で芸人をやっていたこの男が、だ。


「お主、覚えた『敵の技』を使い過ぎじゃ」


「技術ってのは使わなきゃモノにならないだろ?」


「確信があるのなら我慢をせい。次の休憩までせいぜい馬鹿のように剣と拳を振るうが良いわ」


「あいや! 耳が痛い!」


 ぺしんと腿を手で打ったのは細身の剣客リースリングだ。

 彼は大きな羽根飾りのついた鍔広帽を被っており、細身の軍服に身を包んでいる。

 洒脱な口髭を生やした紳士はラッパのようによく通る声で続けた。


「この辺りは硬いモンスターが多いですからな! 我らが間抜けに見えるのも頷ける話! なあ、カルガネガ殿!」


「……」


 首肯を返したのは衣服を纏う骸骨だった。

 豪奢な革鎧に身を包んではいるが、中身は文字通りの骸骨。

 元人間の拳闘士カルガネガは窪んだ眼窩をナイアガラに向けている。


「ああそんな目で見るでない。剣と拳を振るう者が皆馬鹿だとは言っておらぬよ」


 魔女は困ったように両手を振った。

 透明のガラスを雑巾で拭くかのごとき所作。

 ははっとジンが悪気の無い笑いを漏らした。


「あーあー。五人中四人が戦士だってのによくそんなこと口走れるよなぁ。やっぱ人付き合いの経験が足りないんじゃねーの?」


「ぬぅ」


 言葉では煽っているが、娘の不出来を心配する父親のような声音だった。

 ナイアガラは怒ることもできず、悔しそうに唇を噛む。


「なあ、シュナン。……」


 ジンファンデルは振り返り、首を傾げる。

 殿しんがりを務めていた姫騎士の姿が無い。

 あの派手なピンク色の全身甲冑を見失うわけがないのだが。


「シュナン? ……おい。シュナン・ブラン? 姫様ー?」


「はて。便所かの」


 骸骨が無言で魔女の肩を叩く。


「な、何じゃカルガネガ。何じゃその目は」


「ナイアガラ殿! シュナン嬢は急に花を摘みたくなったのです。不浄などではありませぬよ!」


 紳士の言葉に骸骨戦士が重々しく頷くと、魔女は顔を真っ赤にして縮こまる。


「わ、妾が下品と申すのか……」


「ええ! 率直に申し上げて社交の場には出られないことをお勧めします! なあ、カルガネガ殿!」


 骸骨戦士は困ったように頭蓋を指先で掻いた。

 魔女は既に涙目で、術者が動揺したせいか箒の柄も危うくぬかるみに沈みかけている。


「おいおいおいおい、おたくら。冗談は後にしてくれ。一応、仕事でやってるんだからさ」


 忽然と姿を消した姫騎士を目で探す内に、ジンファンデルは妙なものを視界に捉えた。

 宙を漂う黒いもや


「んー?」


 仲間の脇をすり抜け、靄に近づく。

 モンスターのようには見えない。さりとて魔力が実体化したものでもなさそうだ。

 念のため長剣を抜き、彼は靄をしげしげと眺める。


「なあ、ナイアガラ」


 これ、何だ?

 勇者ジンファンデルがその言葉を発する機会は終ぞ訪れなかった。



 ================================================



 トーナメント表が発表されるや、場内は熱気に包まれた。


 彼、紅島甲州べにしまこうしゅうもその一人。

 彼は熱気を帯びている。

 怒りと言う名の熱気を。


 襟を開いた学ランの上に真っ赤な革の胸当て。

 深紅に染めた髪を彼は左手でかき上げた。


「……ムカつくな」


 整髪料が乾いているからではない。

 観衆の声が耳障りだったからでもない。

 師の命を奪った男、皇帝シャールドンと戦うまでに十数名の参加者を打ち破らねばならないからでもない。


 怒らなければ『力』を得られない。ゆえに彼は怒る。

 手甲に包まれた片手を開閉させ、彼は絶えず怒る。


 理屈と膏薬は何にでもくっつくと言うが、怒りの感情は明るい未来の見通しや懐かしい思い出にすら引火する。

 ゆにえ甲州の表情は険しい。眠っている時でさえも。


「っ」


 大騒ぎをする観衆の一人が甲州に肩をぶつけた。

 おっと悪い、の一言でもあれば良かったのだが、アルコールで赤ら顔になったその男は不用意にも悪態をついてしまった。


「気ィつけろや、兄ちゃん。じきに見世物が始まるんだぞ。つまんねえことで――」


 ぴくりと反応するや、甲州は右腕を伸ばす。

 がちゃん、と手甲に内蔵された仕掛けが作動。鷲の鉤爪を思わせる鉄爪が飛び出す。

 喉に爪を宛がわれた男は「ひぅ」と情けない声を漏らした。


「その見世物と今ここで殺し合ってみるか? ああ?!」


 甲州は『力』を解放する。

 ごく僅かな人々――――つまりトーナメントの全参加者――――に与えられた超自然の力。

 快力オルゴンが深紅のオーラとなって彼を包む。


「カスが。ステーキになりやがれ……!」


 甲州の持つ『憤激の快力オルゴン』は怒りの感情を力に、炎に変える。

 肩から翼のごとき炎を生やした少年は心の中でカウントダウンを始める。

 ステーキ完成まであと――――

 二。

 一。

 ゼ


「やめなさい」


「!」


 背に切っ先を突き付けられた甲州は即座に快力オルゴンを霧散させ、手甲の機構を解いた。

 尻もちをついた男が一目散に駆け出し、観衆がどっと沸く。甲州に小銭を投げつける者まで居た。

 これが世界だ。

 命は火薬よりも安い。

 だと言うのに、お節介を焼く馬鹿が居る。


翡翠ひすい


「お姉ちゃんと呼びなさい」


 そこに立っていたのは長身の少女。手には白刃。

 黒いセーラー服に黒タイツを合わせた女は白銀の羽兜で頭部を飾っている。

 戦乙女さながらの佇まいを前に多くの観衆が溜息を漏らした。


「血も繋がらねえくせに姉貴ヅラしてんじゃねえ。俺の姉さんは一人だけだ」


 その言葉に翡翠はやや傷ついたようだったが、甲州は意にも留めない。

 実際、そうだからだ。


 父親の後妻の娘であった彼女が両親を喪った甲州の保護者を名乗るのは構わない。

 だが家族の振りをされるのはうんざりだった。

 関係性が愛情に先立つ「家族」なんて紛い物だろう。


 翡翠は赤の他人のくせに姉を自称し、あれこれと世話を焼こうとする。

 偽りの家族関係。

 偽りの家族愛。

 そして今見せられた偽りの傷心。

 どれもこれも甲州にとっては燃料に過ぎない。


「いい子ぶりやがって。ムカつくんだよ、てめえ……!」


「何の騒ぎですか」


 涼しげな声と共に現れたのは裁判官を思わせる仰々しい出で立ちの男。髪は狐色。

 糸目の男は困ったような表情で甲州を見下ろす。


「またあなたですか、甲州」


「……」


「場外乱闘もいい加減にしてください。トーナメント参加者でなければとっくに監獄送りですよ」


 犬を見るような目。

 だが甲州に言わせれば糸目の男の方がよほど犬らしく見えていた。

 見てくれは人間だし、自分よりずっと理性的だが。

 こいつは権力に尾を振る犬だ。


「フハハハハッ! 試合前だぞ! 何の騒ぎだ!」


 一際大きな声が上がり、群衆が道を開ける。

 現れたのは紺青色の甲冑を着込んだ制服姿の男。長い茶髪は編み込まれ、片側に垂れている。

 甲州は学ランだが、そいつはブレザーの上に青い鉄の胸当てを着けていた。

 身長は2メートルに迫っており、周囲にずらりと並ぶ衛兵よりも威圧感がある。


「シャールドン……!」


「またお前か、ヒス


「誰がヒステリーだ! 俺の名前は紅島――――」


「あー! あー言わなくていい! ……俺は皇帝だ。他に考えるべきことが山ほどある。名前を覚えてほしければ優勝して俺にそう願え」


 トーナメントの優勝者は皇帝シャールドンに挑む権利を得、勝敗に関わらず一つだけ彼に願いを叶えてもらえる。

 もしくは、とシャールドンは不遜な仕草で辺りの者にも声を放る。


「寄付をするがいい。100万AG《アスタゴールド》以上の寄付をした者には俺自ら手彫りの像を授けてやることにしている」


 甲州の顔面に血管が浮いた。

 膨張する怒りの余り、ぷちぷちと身体中で妙な音が聞こえる。

 頻繁にブチ切れることで有名な紅島甲州の毛細血管がまたしてもブチ切れた音だった。


「るぁぁぁっっっ!!!」


 肩口から炎の翼を噴き上げ、甲州は拳を振るう。

 がいん、とそれを受け止めたのはシャールドンの護衛だった。

 二対のトンファーを携えた迷彩服の女。


「不敬よ、坊や?」


 金髪の女は既に紫色の快力オルゴンを纏っていた。

 ヂヂヂ、とトンファーの周辺で不穏な囀りが聞こえ始める。


「放っておけセキレイ。それより――――」


 シャールドンはブレザーの胸ポケットから一輪の薔薇を取り出した。

 打って変わって優雅な足取りでセーラー服の少女へと近づく。


「これはこれはマイスイート。ご機嫌麗しく」


「どうも」


 翡翠は剥き終えたミカンの皮でも見るような目で皇帝を見つめる。

 ゴミ箱に収まる分、この男よりもミカンの皮の方がマシだと考えながら。


「……」


 一応の礼儀として彼女が羽兜を脱ぐと、長く艶やかな黒髪が揺れた。


 人知未踏の霊山に咲く花を思わせる芳香を感じ、シャールドンは眩暈を覚える。

 古今東西の科学者を集め、世界中の花という花を搾り尽くしたとしてもこの香りを再現することは不可能だ。

 彼は地獄を信じていない。

 だが天国は信じている。

 現に今、ここにあるのだから。


「陛下!」

「皇帝陛下!!」


大事だいじない。静まれ」


 駆け寄る衛兵を手で制し、ブレザー姿の皇帝は切なげな溜め息を漏らす。

 シャールドンは父の葬儀の時よりも必死に言葉を探し、選び、吟味し、そしてようやく声帯を震わせた。


「あなたはなぜこうも俺を苦しめるのだ、狩峰翡翠かりみねひすい殿」


「そういった心積もりはありません。陛下を苦しめているのならお詫びします」


 翡翠がぺこりと頭を下げるとシャールドンは悲鳴に近い声を上げた。


「嗚呼、嗚呼! 頭など下げないで頂きたい! 俺は貴女を下になど見たくない!」


「……その背丈で無茶を言わないでください」


 ぼそっと聞こえた言葉にセキレイが反応する。

 だがシャールドンは満足そうに頷いた。


「ふふ。てらいなく声を掛けられることのなんと幸せなことか」


 シャールドンが身をくねらせると群衆が奇妙な視線を向ける。

 明らかに珍獣に向けるそれだが、若き皇帝は気にも留めない。


 傷ついていないわけではない。

 彼は尊大な男だが、健全な羞恥心を持ち合わせている。

 市民に蔑まれれば苦しみもするし、傷つきもする。

 ただ、シャールドンは痛みを感じない。

 特に心の方は。


 甲州は片頭痛を覚えながらセキレイを蹴り飛ばし、前へ出る。


「シャールドン! てめえいい加減に翡翠から離れ――――」


 『それ』を目にした甲州は言葉を切った。

 ――――宙を漂う黒い靄。


「あ?! 何だこのゴミ――」


 怒る間も無かった。

 靄が膨張する。



 ================================================



「行くよっ!! それっっ!!」


 ガルナチャは手の中に生まれた青竹色の宝珠を投げた。


 十二歳、それも肉体労働に長けていない少年の腕力だ。

 宝珠が果物と同じ重さを持っていたら、拳二つ分ほども浮くことを許されず地面に叩き付けられていただろう。

 だが宝珠は意思を持つかのごとく弧を描き、宙に並ぶ宝珠の塊に吸い寄せられた。


 四色の宝珠が連なった瞬間、ぱっと光が爆ぜる。

 大気中に漂う秘精ヌミノースを結晶化した宝珠は同色を四つ揃えると消滅し、大気に還元されるのだ。


 青竹色の宝珠からは緑色の光。

 続いてイチョウ色の宝珠が黄色の光を放ち、琥珀色の宝珠がオレンジ色の光を放つ。

 2コンボだ。


 更にコンボは続く。

 3コンボ。

 4コンボ。

 同時消しで5コンボ。


「お、おおおっっ!?」


 対戦相手の青年は思いがけない連鎖を前に目を白黒させた。

 彼の傍を浮遊する宝珠群に山ほどの球体が降り注ぐ。

 ただしその色は灰色。活力を失った秘精ヌミノースのカスだ。


「だーっ! 負けたっ!」


「やったっ!!」


 ガルナチャは無邪気に喜び、新たなスキルを得たことを知る。



『スキル:スローダンサーをゲットしました』



 ガルナチャはスキルについて多くを知らない。

 まだ秘精ヌミノース使いとしてはあまりにも未熟だからだ。

 そのレベルはたったの七。

 彼と同じ年齢の秘精ヌミノース使いはほとんどがレベル十を超えている。


 だがレベルアップによって気力体力が全快した彼にとって未来は染み一つない薔薇色の道だった。

 少年は未来に夢しか見ない。

 今日より素晴らしい明日が来ると彼は信じて疑わない。

 赤。橙。黄。緑。青。紫。白。

 宝珠と同じ七色の未来。


「やるなぁ、君」


「へへ」


 賭け金であった数枚の銅貨を手渡され、ガルナチャは照れくさそうに笑う。

 元貴族である彼にとってその程度の金額はゼロにも等しい。

 だがそれでも、ガルナチャは嬉しかった。


 自らの手で得たお金。自らの手で得た勝利。

 自ら切り開いた未来。

 そのすべてがみずみずしく、色鮮やかに輝いて見える。

 この銅貨は使わずに持っておこう、と少年は懐に小銭をしまう。


 青年と別れて街道を往くと、何度か荷馬車とすれ違った。

 ガルナチャが元気よく挨拶をすると、御者も、商人も、商売女も、皆愛想よく挨拶を返した。

 彼が家を飛び出した大貴族の子息だと知ればもっと愛想よくなっただろう。


 だが自分の素性など誰も知らなくていいと、少年はそう思う。

 こうして手を振れば、誰かが手を振り返してくれる。

 笑顔に笑顔が。

 優しさに優しさが。

 親切に親切が返って来る。


 そんな世界で威張り散らし、怒鳴り散らし、権威を振りかざすことにどれほどの意味があるのか。

 あの家から見た世界は淀んだ鼠色だった。

 今こうして、自分の目で見る世界は美しい。


「ん~!」


 伸びを一つ。

 青空には羊のような雲が流れていく。

 風が吹くと草原には緑色の波が立つ。

 ガルナチャの淡い茶色の髪も風に揺れた。


「いい天気だなぁ……」


 ふと見れば、黒い靄が近づいて来るところだった。


 黒。つまり秘精ヌミノースではなさそうだ。

 何だろう、と少年は不思議に思う。

 靄はなおも近づく。


「ん~?」


 好奇心旺盛なガルナチャは自ら靄へと手を伸ばす。

 少年は未来に夢しか見ない。

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