CHANGE!!!! Hinako side(3)

 車を日菜子の家の前で停めると、与謝野が言った。

「それじゃ、よろしくお願いします羽後さん。日菜子も、うまくやるんだぞ」

「わかってますよ」

 日菜子の姿をしたなお美が、疎ましそうに答えながら車を降りた。

「とにかく、やってみます」

 日菜子も、そう言って車から降りる。与謝野は少し不安そうな様子だったが、それ以上は何も言わず車を発進させ、去っていった。後には二人だけが残される。すでに夜の8時を過ぎていた。

 ここに来る途中で何度も打ち合わせはしたし、事前に家へ連絡も入れている。問題なく演じきれるはずだ。何より演じるのは、あの羽後なお美なのだ。大丈夫に決まっている。

 そう自分に言い聞かせながらも、日菜子の緊張は収まらなかった。日菜子は日菜子で、羽後なお美を演じなければならない。何度かドラマで演技経験はあるとはいえ、まだまだ自分の演技が拙いものであることは理解している。自信があるとはとても言えなかった。

「都内に庭付き一戸建てとは、なかなか羨ましいねえ。よし、それじゃあチャイム鳴らすね」

 なお美が感心しながら表札の下にあるボタンを押そうとする。日菜子はふと違和感を覚えた。

「待ってください。なお美さんは今、私なんですから、わざわざチャイムを押すのも変じゃないでしょうか」

「あ。そう言われればそうかも。じゃあ勝手に入ればいいのか。……慣れないなあ」

 なお美はそう言うと玄関まで進んだ。日菜子も後を追う。なお美は玄関のドアに手をかけようとして、いったん引っ込めた。深呼吸をしている。なお美も緊張しているようだ。

「よし」

 なお美が再びドアノブに手をかけようとしたとき、内側からドアが開いた。

「あら、日菜子」

 顔を出したのは、日菜子の母だった。なお美は面食らったようだったが、すぐに笑顔を作り、

「ただいま、ママ」

 と挨拶する。大したものだ、と日菜子は思った。

「お帰りなさい。階段から落ちたって言ってたから心配していたんだけど、意外と平気な感じ? 怪我はないの? 本当に何日か休むだけでいいの?」

「うん。電話でも説明したじゃない。打撲くらいで済んでるんだって」

「だったらいいんだけど……。ええと、そちらの方が、声優の?」

 母が自分の方を見ていることに気がつき、日菜子はあわてて、

「羽後なお美と申します。今日はお世話になります」

「いえいえ、そんな。昔から日菜子に話はうかがっています。憧れの人なんですもの、ゆっくりしていってください」

 お互い会釈し合う。自分の母親に対しても、他人を演じなければならない。どうにも気持ちが悪かった。


「き、緊張した!」

 日菜子の部屋に入るなり、なお美が膝から崩れ落ちた。

「大丈夫ですか、なお美さん」

「なんとかね……」

 言葉とは裏腹に、その顔には疲れの色が浮かんでいた。無理もないと思う。日菜子もなお美も、今日一日で様々なことがあり過ぎた。打撲による全身の痛みもあり、へとへとである。そのうえ、今後はお互いが入れ替わったことを隠しながら生活していかなければならなくなった。当然プレッシャーを感じていた。

 

 与謝野の勢いに押され、なし崩し的に入れ替わり生活を行うことを決めた後、三人はとりあえず今夜と明日をどう過ごすか話し合った。その結果、なお美と日菜子がお互いを演じるに当たり、とにかく徹底的に二人が情報を交換し合う必要がある、ということになったのである。

 時間を有効に使うため今夜は二人とも日菜子の家に泊まることにし、日菜子の母親には与謝野からうまく事情を説明した(もちろん人格入れ替わりについては隠したうえで、怪我をしたため大事を取って仕事をしばらく休むと正直に話した)。

『羽後なお美』が泊まることについては、幼い頃から憧れていた声優と意気投合したため、せっかく翌日が休みになったのだから泊まりにきてもらい、いろいろ話を聞かせてもらうよう日菜子が熱心に頼んだということにした。その後、なお美の家に寄って着替えや必要なものを持ち出した後、夕食を手早くテイクアウトのハンバーガーで済ませ、日菜子の家へやってきたのである。


「しかし、若くて美人だよねえ、ひなこちゃんのお母さんは。何歳なのか、聞いていい?」

「確か、37だったと思います」

「ひいい、あたしと5歳しか変わらないっ! 歳の差を痛感するわあ。しかし、それだと20歳でひなこちゃんを産んだの?」

「ええ、短大を出てすぐにお父さんと結婚したそうですよ」

「はああ……」

 なお美が言葉を失った。なお美が結婚できないネタを自虐的にラジオで語っていることを、リスナーでもある日菜子はよく知っている。なお美も思うところがあるのかもしれない。日菜子は話題を変えた。

「そんなことよりなお美さん、まずはお風呂でゆっくりしたらどうです?」

「うん、そうする……」

 日菜子から風呂場の場所を教えてもらうと、なお美はおとなしく出て行った。

 一人になると、日菜子は改めて部屋の様子を確認した。飾り気のない部屋だと自分でも思う。ポスターもぬいぐるみも目立つインテリアもない。あるのはいずれも落ち着いたデザインのベッドと机と本棚とクローゼットに小型のテレビ、クッション程度である。本棚にしても、教科書等、必要最小限のものしか入っていない。もっとも本やCDについては別の部屋に大量に保管しているのだが……。

 現役女子高生アイドルの部屋がここまで地味だと、なお美にがっかりされないだろうか。人格入れ替わりという異常な状況下で気にすることではないのかもしれないが、どうしても気になった。やはりなお美は日菜子にとって憧れの人なのだから。

 しばらくすると、階段を駆け上がる音が聞こえてきた。やがてドアが勢いよく開かれると、パジャマを着た日菜子の姿をしたなお美が立っていた。なお美はドアを閉めるや否や、

「ひなこちゃん! ひなこちゃんのこの体、すっごいんだけど! もう水を弾きまくりなんだけど! 若い! 体が若い!」

 なお美は興奮していた。日菜子は思わず下を向いてしまった。顔が赤くなるのがわかる。

(そうか、体が入れ替わるってことは、下着も裸も見られちゃうってことなんだ……)

 部屋を見られるどころのレベルではなかった。


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