常陸国トラジコメディ
竹雀 綾人
プロローグ
「これ、受け取って!」
そう言って幼な馴染みの
手に持っていたのはちょっと大き目な平たい箱。可愛らしい包装紙と、可愛らしいリボンがつけられている。
場所は校舎裏。
人気は無い。
差し出されたものはきっとバレンタインのチョコレートだ。しかも本命。ある意味ベタとも言うべき雰囲気だが、それでもやはり場違いだった。
「でも今日卒業式だよ?」
「しってる!しってるよぅ!」
可彦の言葉に兎萌の頬が少し膨れる。しかしその頬は彼女の声同様、徐々にしぼんでいった。
「渡しそびれちゃったんだもん……」
いつも闊達ではっきりとした物言いの兎萌が言いよどむその姿が、春には遠く、しばしば寒風が吹く季節にもかかわらず、可彦の身体に温かく染み込んでくる。
「そっか」
「そ、それだけ?」
兎萌の声はどこかもつれる様に掠れていた。
暖かくなったはずの空気がやはり気のせいだったとばかりに元に戻っていく。この季節、やはりまだまだ寒いのだ。
「ひょっとして……迷惑だった?」
兎萌の声が冷たい空気の中を滑っていく。
「迷惑じゃないけど……」
しかし可彦の声色に、兎萌は目の淵を光らせる。
「でも怒ってる……」
「だってさ」
可彦の口がまるで餅でも食べているかの様な緩慢さで言葉をこぼす。
「兎萌は人気があるし、頭もいいし、運動もできるし、僕なんかいっつも引っ張られてばっかりだし……」
可彦の独白に兎萌の目は大きく見開かれていく。可彦の口からこぼれるその言葉を、目で見て確かめようとするかのように。
「だからさ……」
冷たい風が吹き抜ける。兎萌の身体が小さく震え硬くなる。
「これだけはこっちから言いたかったんだ」
可彦はそういうと鞄の中から小さな箱を取り出した。それは手の平に乗るぐらいの小さな箱だが、意匠や包装は凝っており、一見してそれなりの金額のものに見えた。卒業式を迎えた中学生ならきっと精一杯の品物だ。されるがままに手渡されたそれを、兎萌はただ見詰める。
「ホワイトデーにはちょっと早いけど、いいよね」
「え?」
「なんか、改まって言うのも変な気分だけど、僕と付き合って下さい。正式に」
可彦は寒風に頬を染めながら、それでも兎萌の目をまっすぐと見詰める。
「だめ……かな?」
可彦の言葉が風に浚われるよりも先に兎萌は首を横に振る。その動きは思考ではない、反射だ。
「よかった」
可彦の顔が柔らかくなったのもつかの間、次の瞬間今まで以上に固くなる。
「と、兎萌?」
目の下に兎萌のつむじが見える。胴を一周する細く柔らかい感触が、さらに可彦を固くする。兎萌の背中に回そうとした両腕が、そのまま寒風に身を委ねる枯れ枝のように揺れる。
「そこまでかぁ」
兎萌の息が、可彦の顎から鼻腔にかけて優しく昇る。醒めたような口調とは裏腹に、焦がれる様な熱気。
「でも、べっくんにしては思い切ったよね」
固まった可彦から身体を離すと、その場で大げさにくるりと廻る。
「告白を準備してたとは思わなかったなぁ」
風に舞うのか風が舞うのか、兎萌が廻る。襟足で切られた、ちょっと巻いた髪の毛がつられて踊る。
「目が回っちゃうよ」
「ずっとくらくらしっぱなしだよぅ」
ようやく止まった兎萌の口から乱れた息が風に乗る。上気した顔が乗せた風を熱くする。
「開けてもいい?」
開きかけた可彦の口を遮って、その答えを待つまでもなく包みを開け始める。外したリボンと包装紙を器用に畳むと鞄にしまう。
「じゃじゃん」
箱の中に入っていたにはネックレスだった。銀色の化粧鎖、銀色の小さいウサギのチャーム。ウサギの両目には赤い石が輝いている。
「かわいい!」
「本当は指輪をあげたかったんだけど、サイズも解らないし、お金も足りなかったし」
「ううん!すごくうれしいよ!これなら学校来る時も、いつもしていられるし!」
兎萌は箱からネックレスを取り出すと箱を鞄にしまってから自身の首にかける。ウサギのチャームが丁度兎萌の胸元を飾った。
「似合う?」
「うん。可愛いよ」
「私が? うさぎが?」
「兎萌が」
「うん!」
間髪入れずに答えた可彦のその言葉に兎萌は満足そうに頷く。
「上出来! 顔真っ赤だけど」
「勘弁してよ」
可彦は頭をかきながら、それでも嬉しそうにぼやく。ここはデートの約束ぐらい取り付けたほうが良いだろうか、そんな思いが頭をよぎった。
「それじゃさ、明日……」
そこまで言って可彦は口をつぐんだ。明日は……。
「ご、ごめん明日は私、駄目なんだ」
可彦が言葉を継ぐよりも先に兎萌が両手を合わせてちょこんと頭を下げる。
「卒業記念で家族と食事する約束で……」
「そうなんだ」
可彦は内心ほっとしつつも、残念そうな表情をして見せる。
「それじゃあさ、明日の夜、電話するよ」
「うん! まってる!」
兎萌はもう一度可彦に抱きつく。無造作に柔らかい感触が可彦を襲う。
「あ、そろそろパパが探しに来るかな」
抱きついたまま兎萌が落とした視線の先には、文字盤にウサギをあしらった腕時計。
「あたしそろそろいくね!」
「僕は少し時間をずらしていくよ」
「うん。ごめんね」
「お互いにね」
兎萌は可彦から体を離すと思い出したように襟元を緩め、胸元を広げる。見下ろす可彦の目の前に同年代の中ではかなり大きい兎萌の胸の谷間が覗く。慌てて目をそらそうとするが、急に動くとかえって怪しまれそうだと思う気持ちと単純に目が釘付けなのが相まって動けない。
兎萌はネックレスを服の中にしまう。ウサギのチャームが兎萌の谷間に包まれる。
「これでよし」
兎萌は服の上から大事そうに胸元のウサギを触ると、可彦から身を離し、手を振って走り去る。体育館の角を曲がり表に出る瞬間、一度だけ振り返った。
「すけべ」
三日月の笑みを残して、兎萌はそのまま走り去る。残された可彦はもはやなすすべはない。しばし固まった後、一人苦笑いを浮かべながらその場を後にした。
「
「お入り」
「失礼します」
可彦は奥座敷の襖を開け中に入ると、広い座敷の上座、一段高い所にいる女性の前に正座した。
「中学校卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
可彦は深々と頭を下げる。
「式に出てやれずに済まなかったな」
「いえそんなこと」
「何か良い事があったかい?」
「え?」
頭を上げて見上げた女性の顔にはさも楽しそうな笑みが浮かんでいた。
「声の弾みでわかる。女絡みじゃな。告げたのか、告げられたのか」
「え、えーと」
「相手は黒坂の小娘じゃろ?」
可彦の身体がちいさく弾む。しかしその硬くなった顔は悪戯を見つけられた子供というよりも、もっと深刻な、脱走を見つかった捕虜のそれのようだった。
「よいよい。それについては咎めまいよ」
彼女は笑いながら手を上下にしならせる。
「とはいえ佐伯と黒坂の因縁は承知しておるな?」
可彦は無言で頷く。しかしその無言こそが決意の表れでもあった。
「戦いの場で私情が挟まれなければそれで良い」
彼女も頷いた。
「もっとも黒坂を攻め立て、奪い取ってしまうのが早道かも知れぬぞ?」
「そんなこと!」
笑いながら再び手をしならせる。
「その気概で戦えということじゃ。まぁ黒坂の当主はいまだ健在じゃし、確か小娘には弟がいたの。なら跡を継ぐのはそいつじゃろうから、お前が
「はい」
「それよりも可彦」
そういって彼女は自分の太股を叩く。
「久しぶりに耳掃除をしてやろう」
「え、自分でちゃんとしてますよ」
「その歳になると
彼女は眼を細める。
「本当に大きくなった。良いではないか。お前が甘えるのではない、吾が甘えさせたいのじゃ。それにお前など吾の前ではまだまだ赤子同然よ」
もう一度彼女は太股を叩いた。可彦は頭をその太股に預け、横になる。その顔には穏やかな緊張が浮かんでいた。
彼女は脇に置かれた煙草盆の引き出しから耳かきを取り出すと可彦の耳を覗き込む。下げた頭からつややかな黒髪がそろっと流れ落ち、可彦の顔を撫でる。頬に当たる彼女の太股が優しく心地良かった。いつしか緊張も気恥ずかしさも優しい熱に溶け落ちて、そうなると今度はまどろみが可彦を包み始める。
「結構汚れておるぞ」
しかしその言葉に叱る色はなく、ただ慈しみが流れていた。可彦の耳に近づいた薄桃色の唇からは、彼女の吐息がただただ優しくそよぐ。その流れとそよぎに可彦の意識はまどろんでいく。
「明日は約定通り初陣じゃ。良いな」
「は……い……」
「なんじゃ眠いのか。そういえばお前は耳掃除をしてやると、いつも吾の膝で寝てしまっていたな」
彼女のしなやかで柔らかい指が可彦の頬を撫でる。可彦を見下ろす黒い瞳が淡い光を宿している。可彦を見つめるその横顔は一族の長たる刀自のものではなく、恋する乙女のようであった。彼女のその姿は、言葉遣いやその雰囲気とは裏腹に可彦と変わらぬ年頃の少女であった。
「それからな可彦」
返事はない。しかし微かに頷いて見えた。
「二人の時は吾のことは名前で呼んでおくれ」
「はい……
寝言のような呟き。
「寝るがよい可彦。吾の膝で」
葛妃は只々寝息を立て始めた可彦の横顔を見つめ続けていた。
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