第2話 惨劇、そして来訪者

 静寂は、ほんの数十秒だったかもしれない。だが俺にとっては何時間にも及ぶ空白の時間に感じられた。


 目の前に突きつけられた事実。惨殺された友人の恋人。人であらざるモノの存在。引きちぎられた俺の右脚。すべてが信じられないし信じたくない事ばかりだ。化け物の存在や欠損した右脚は今の俺にはどうでもいいことだった。


 寧々が殺されたことに比べれば……。


 俺は友人の恋人を守ることができなかった。何一つできなかった。いいやそうじゃない。本当に耐えられないのは、俺が親友を裏切ったことなんだ。


「うーん」

 呻きとも唸りともとれるような声を発し、如月流星が起きあがった。尻尾のように生えた5本の触手も鎌首をあげるように天を突く。

 ゆっくりと振り返り、俺を認識すると嗤った。


 嗤った。


 次は俺の番か……。


 覚悟はできている。だが簡単には殺されたりはしない。たとえ一撃でもいいから奴にダメージを与えてやる。寧々をあんな目に遭わせた奴をぶっ殺す。

 奴はゆっっくりと歩いてくる。

 奴に感づかれないように右手で学生服の内ポケットを探る。肋骨が何本か折れている感じがする。それを庇っているように見えれば満点だ。

 確かボールペンを入れたままだったはず。壁に体を預けながらそっとボールペンのキャップをはずし、如月を睨みつける。

 出血は止まってないし、痛みは半端なく尋常じゃない。すぐにでも意識が飛びそうなくらいぼーっとしている。反撃は一度が精一杯だ。


「月人君、まだ生きてますかぁ? 」

 ぺたりぺたりと歩くたびに音がする。全裸の如月の性器は屹立したままだ。吐きそうなことに先端が三つに分かれあいつが動くたびにクルクル回っている。


 見たくもないものに目がいってしまう。


「ふふふ。どう、凄いだろ僕のイチモツ。寧々ちゃんもこれで突きまくられてひーひー昇天しちゃったからね。いやすごい」

 嗤いながら俺に顔を近づける。


「……っんだよ」

 俺は吐き出すように言うがちゃんと声にならない。


「はあ? なんていってんの」

 生ゴミが腐ったような口臭が漂ってくる。


「臭いっていってんだ、よ」

 俺は叫び、右手に掴んだボールペンを思いっきり奴の左目に突き刺した。

 ズブズブとペン先が奴の眼球の白目と黒目の境目をゆっくりと吸い込まれていく。透明なゼリーみたいなものがテロテロとはみ出してくる。このまま突っ込み、奴の脳を破壊してやる。

「あうあうあう」

 押し込むたびに如月が頓狂な声を上げる。

 ペン先から14.4cmの長さの黒色のボールペンはずっぽりと奴の眼球にめり込んでいる。そしてそのペン先は間違いなく奴の脳に到達しているはず。これは致命傷だ。


 しかし、……奴の潰されていない側の目が、ゆっくりと俺の顔の方へと動き始める。俺は視線を避けようとするが動かない。動けない。そして奴は笑った。

 俺は全身の血の気が失せていくのを感じた。それは明確な恐怖だった。背後は壁で逃げることができないのになんとか後方へと逃れようと足掻く。しかし、素早く右手をがっしりと掴まれていた。


「だめだよ、月人君。ボールペンのような尖ったものを人に向けちゃあ。目なんかにささったら失明しちゃうじゃないか。そんな悪い子ちゃんにはメッ!だよ」

 そう言いながら俺の右手に奴の左手が絡みつき、ぐっと握りしめた。


 パキパキ。


 枯れ枝が何本か折れた様な音がするのと同時に激痛が貫くのを感じた。奴の手の中で俺の右手が握りつぶされ、表皮を突き破って何本も骨が露出し、血と肉が垂れる。

「ぐがっ」

 脚が引きちぎられた痛みでさえ精一杯なのに右手をグチャグチャにされた痛みが加わり、俺は再び喘いでしまう。痛みには際限がないってーのかよ、

 なんだよまったく。


「泣きたいなら泣いたらいいんだよ、月人君。泣いたって誰も助けてくれないけど、その悲しみは僕が受け止めてあげるから安心して。君みたいなクールな奴でも泣き喚いちゃうところを見せておくれよ。へっ」

 どうして如月が俺が泣くところをみたいかなんて考える余裕がなかった。ただただ痛い。痛み以上に思ったことがある。千切られた右足、潰された右手……。仮にこの場を助かったところでちゃんと治らないだろう事が想像できる。今まで五体満足で生きていたから考えたことも無かったけど、一体俺はどうしたらいいんだろう。絶望感が俺を襲ってくる。心が折れそうになっているんだ。思わず叫び出したくなる。「助けてくれ」と。「お願いだから解放してくれ」と。


 俺は虚ろな目で如月を見返す。そしてその背後に倒れたかつての寧々が無惨な姿でうち捨てられている。彼女の無念を思うと折れそうになる心に炎が滾ってくるのが分かる。寧々が一体何をしたんだ。

 こいつだけは許せない。許してはいけない。絶対にぶっ殺す……。でも、もう俺にこいつを斃すチャンスは訪れないんだろうなって確信している。選択肢は殺されるという一択しかない。こいつと俺の間にある圧倒的な力の差、それはどうしようもない。ちぇっ。なんだかわかんないけど足掻いても仕方ないから殺されてやるよ。……でもお前が望むような死に方だけはしてやらねえ。絶対、泣きわめいて助けを求めたりするもんか。

 ニヤニヤと笑う如月の顔に唾を吐きかけてやった。

「くそ、くらえ、だ。ばかやろう」

 全身の痛みをこらえながらなんとか言ってやった。うまく言葉にできたことで、よしっと俺は心の中でガッツポーズ。


 顔面にかかった俺の唾を如月はゆっくりと右手で拭き取った。その顔からは気持ち悪いヘラヘラ嗤いが消えていた。真顔になると今まで知っていると思っていた如月の顔とはほど遠い面容に少し恐怖する。奴は未だに突き刺さったままボールペンを左眼から引き抜いた。

 じゅるるっと糸を引く。それを舌でベロリと舐めて嗤った。


 全身に悪寒が走る。


 次の刹那、奴は俺の左耳を鷲掴みにすると、無造作に引きちぎった。皮膚と肉が剥がれる聞き慣れない嫌な音がし、顔中に痛みを感じた。だけどその痛みは今俺が感じている痛みと比べれば小さなものだったので悲鳴も上げなかった。奴の手には俺の左耳とおまけでくっついていった顔の皮膚が握りしめられている。どうやら左頬の皮膚もだいぶ持って行かれたようだ。チリチリとした痛みを感じる。

 如月は俺の耳を俺に見せつけるようにすると、そのまま口に含んだ。グチャグチャとかみ砕きごくりと飲み込む。


 サヨナラ俺の左耳。今までありがとう。俺の左耳はロストした。失ったものは戻らないんだ。

 でも泣いたりしない。目の前のバケモノが望むような死に方はしてやらない。最後まで意地を通し最後の最後は舌を噛み切ってでもして死んでやる。それが最後の意地だって思ってる。


「泣きわめいてよ、月人君。そうしたら助けてあげるかもしれないよ」

 優しくささやくバケモノ。


「なんども、いわすなよ、くそやろう。だれが、いのちごい、なんかするか」

 本当は泣きそうだし死にそうだしシャレにならないくらい痛いけど我慢してる。もうちょっと格好良い台詞を決めてやろうとした時、奴の5本の触手の一本が俺の口に押し込まれた。ぬるぬるした触手は喉の奥の方にまで押し込まれ、俺は喋る事も喚くこともでき無くされてしまった。しまったと思ったが手遅れだった。そろそろ舌を噛み切ろうと思っていたのに先手を打たれた。これで俺は奴の解体ショーの餌食になることが決まったようだ。潮時を読み間違えたな、こりゃ。


「こっから酷いよ~。残念だったね。死に逃げは許さないモンね。えへらへら」

 如月は左手に持ったボールペンを右手に持ち直した。残された触手のうちの二本が体に近づいたかと思うと俺の上着を引きちぎった。

 むき出しになった俺の腹部に奴はボールペンを這わす。こそばゆい感触で俺は身じろぎしてしまう。そしてツーっと黒い線が俺の腹に横一文字に引かれた。

「この線に沿っておなかを切り開くんだ。生きたままだから結構痛いと思うよ。切腹《ハラキリ》だね。侍だね。月人君にピッタリだ」

 ボールペンが左腹部に当てられる。ゆっくりとゆっくりとそのペン先は俺の腹に押しつけられていく。逃げようにも逃げられない。いつの間にか奴のケツから生えた触手が俺の体をガッシリと押さえつけていた。背中は壁にべったりだからどうしようもない。腹筋で抵抗しようにもそんなの無理。

 ズブズブと腹の肉に食い込んでくるのが分かった。そして激痛。しかし声は上げられない。なんか唸るだけだ。血が腹から噴き出してくるのが視界の隅に見えた。如月は痛みに歪んだ俺の顔を嬉しそうに見ながらペンを引き抜いた。


 悪夢だ。悪夢だ。でもさめることのない現実なんだ。


 ボールペンを捨てると、今度は右手をボールペンの開けた腹の穴にねじ込んでくる。皮膚が割けていく。さらには左手も俺の腹に突っ込み、傷口を開いていく。これまでにない痛みで俺はひっくり返りそうになるし悲鳴も上げそうになるが、それらの動きは全て不可能の状態だ。失神でもすれば良いのにその気配すらない。本気で地獄の痛みだ。目からは意図しない涙がボロボロ流れ出ているのがわかる。大量の出血で意識が遠のきそうなもんなのに、痛みで意識が戻ってくる。


 触手が俺の口の中に入り込み、喉の奥の方までつっこまれている。息苦しさもあるし、顔を固定されているから下を見ることができない。でも痛みの感覚から真一文字に腹をかっ捌かれているのは分かる。


「くへー。臭いなあ。これ」

 無邪気な笑い声を上げながら如月は俺の腹の中に手を突っ込んでグチャグチャかき回す。もう痛いのやら何なのやらよく分からない。ただこんなのが永遠に続いたら死ぬ前におかしくなるかもしれない。

「さあさあ見てみて。汚いなあ、月人君のこれ~」

 そう言って奴は俺の前に腹から引きずり出した腸とかを見せてくれる。ピンクやら薄肌色やら赤やらで彩られたそれは吐き気を催すし気が遠くなりそうだった。そんなもん見たくもない。

「これからバラバラにしていろいろしてみたいな。それまで死んだりしないでよ」

 勝手な事を言う。いそいそと何かを準備をしているようだ。

「うん? 」

 突然、如月は動きを止めた。警戒するように辺りを見回す。そして肩を震わせケケケケケと嗤いだした。

 ついに気が狂ったか?

「あいつだ。……感じるぞ。あいつが近づいてる。……うーん、下だな下した」

 俺を見る。

「月人君。ごめん。お客さんが来たようだから君の相手はもうできないよ。本当は用事が済んだら帰ってきたいんだけど、その頃には死んじゃってるだろうね。残念。……何か記念がほしいなあ。そうだ! 」

 そう言うといきなり俺の口に押し込まれた触手が引き抜かれた。気持ち悪さで咳き込み僅かな内蔵物をはき出す。

 そんな俺の頭をガッシリと掴むと、奴は俺の左眼に指をつっこんできた。ぐりぐりと人差し指と中指を器用にめり込ませる。もはや痛みなんかない。

 ポロンという感じで俺の左眼が摘出された。目ん玉にくっついてる筋肉みたいなのを無造作に引きちぎると、自分と潰れた眼球をほじくり出し、俺のを押し込んでセッティングする。

 何度か目をぱちくりしすると俺の目だったものが奴の左眼で馴染み、もとより奴のものだったように動き出した。


「ふふーん。これであいつに相対しても死角はない」

 満足そうに言うと、もはや俺に興味が無くしたかのように立ち上がり、三つ叉になった性器を扇風機のように回し、ケツの穴から生えた5本の触手を誇らしげに立ち上がらせ、如月は教室の窓から飛んだ。


 ほんのしばしの空白。


 とりあえずの地獄巡りからは解放されたようだ。

 しかし、もう俺が死ぬのは時間の問題だった。体からはみ出した内蔵、ほじくり出された左眼、グシャグシャにされた右手、引きちぎられたままの右脚。これで良く生きていられるもんだ。……まあもうすぐ死ぬけど。

 結局、日向寧々を護ることもできなかったし、敵である如月に一矢報いることも結局できず、このまま無念のまま死んでしまうことは耐えられなかった。でもどうにもならない。これが運命ってやつか。如月の思うような泣きわめいて命乞するところを見せなかっただけでも奴に一矢報いたということで満足するしかないんだな。世の中には俺より不幸な終焉を迎える人間が数え切れないほどいるんだから。


 次第に視界がぼやけてくる。痛みはまだまだハッキリとしているがそれ以上に俺の体の機能がどんどん停止していってるんだろうな。だからなんだか我慢できる。ぼやけた視界の中に日向の亡骸がある。

 「ごめんな、寧々。怖い想いをしただろう。助けてやれなくてごめん。お前の仇を討ってやろうって思ったけど、ぜんぜん駄目だったよ。弱っちくてごめんな。でも俺もそっちにいくから、また謝るわ」

 死んでいく時って寒気も感じるもんなんだな……。

 俺は目を閉じようとした。だって目を開いたまま死んでるのって結構発見者が怖がるだろ。


 再び教室の引き戸が開かれる音がした。


 閉じゆく俺の目が再び開かれ、ゆるゆるとそちらを向こうとする。また如月が帰ってきたのかよ。


「ずいぶんと酷いやられかたね……」

 声の主を求めて俺の視線は彷徨う。

 誰かが立っているのは分かった。それは如月ではなかった。


 ――それは、少女だった――






 

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