第70話 血の誓い(1)

 進んでいくにつれ、遠巻きにじりじりと自分たちを取り囲むように動く影が見える。ランディの兵士たちが、「白銀」「落陽」の応援に動いているのだろう。決して攻撃はしてこない様子なので、リリスたちは気にせず進んでいくことにした。


 ようやく四人の姿がはっきりと見えるくらいまで近づいたとき、攻撃はいったん止まった。言葉を交わすつもりはあるようだ。そうリリスは判断し、まずは穏便に話してみることにした。


「アイラ、エリシア、セイン。もう攻撃はやめて。この作戦はすべて、ランディが自分の野望のためだけに仕組んだことよ。あなたたちが忠誠を誓うべきは、彼ではなく王様のはずでしょう?」

「……」

「今ならまだ間に合うわ。王様の差し向けた軍がこちらへ向かっている。このまま私たちを攻撃し続ければ、あなたたちもランディとともに王を謀ったものとして扱われるわよ」


 こたえは、なかった。アイラの相手パートナーだけが、かすかにリリスの言葉に反応して身じろぎしたが、残りの三人の表情は全く変わらない。ただ憎々しげに、リリスをにらみつけるばかりだった。


「あなたたちの地位は、血のにじむほどの努力で手に入れたものでしょう。こんなことで、失ってしまってもいいの?」


 リリスはさらに問いかける。どれだけ自分の部屋に引きこもっていても、情報はいくらでも入ってくる。彼らの今いる地位は決して家柄だけで決められたわけではない。そのことを少女はよく知っていた。たゆまぬ努力と持って生まれた才能の両方があって初めて王宮付き魔法使いとして認められる。それを、こんなことで取り消しにされるようなことがあってはいけない。今ならまだ間に合う。王様の軍が到着する前の、今ならば。


「……それよりも、優先するべきことがあるんだよ。姉さん」


 重たい口火を切って話し始めたのは、弟のセインだった。リリスを除いて、最も次期当主に近いとされていた、有能な弟だ。リリスに出て、彼に出なかった当主の印。その差に彼も苦しんでいたのかもしれない。どこか苦しげな口調に彼の苦悩がにじみ出ていた。


「僕たちは、あんたを倒さなきゃならない。そうしなきゃ、当主の印は手に入らない」

「……あなたは知っているのね。印がないものが、当主になる方法を」

「魔力が大きいだけのあんたより、この子セインのほうがずっと当主に向いているわ。私とセインはあんたを倒して、セインはサーシャの次期当主になるのよ」

「エリシア……」


 決意がにじむ二人の声音に、リリスは何も言えなくなった。魔力が大きいだけ――今まではそれを悪口にしかとらず、すべて耳をふさぎ、目をふさいで何も見ようとはしなかった。それでも、彼らにとってはそれが正論だった。


 次期当主の印は資格のあるものが切磋琢磨し、努力して手に入れるものではない。ただ、一族の中で一番潜在能力が高いものだけに与えられるもの。どれだけ努力しても、その印を与えられた者が魔法使いでなければ印を奪うことすら許されない。リリスが魔法使いになることで初めて、彼らはようやくリリスと同じ土俵に立つことを許されたのだ。そんな機会を、彼らが逃すはずがない。


「アイラ。あなたも、当主になりたいの?」

「そのつもりはないわ。こちら側になったのは、セインの後押しをするためよ」

「そう。なら、あなたには必要ないかしら?」

「いいえ。やるわ。あんたが本当に『次期当主』たるべき資格があるのか、見定める為に」


 アイラにぎらりと光る瞳で言葉を返され、リリスは頷くほかになかった。本当は使いたくない。けれども、彼らを納得させるために必要な儀式。「血の誓い」と呼ばれるそれは、当主もしくは次期当主が己の力を認めさせるために行うものだ。それが受け入れられれば、一族のものは当主として認める。だが万が一「血の誓い」が打ち破られれば、打ち破ったものが新たに「当主」を継ぐ者として認められるのだ。


「ならば、血の誓いを受けるのはセインとエリシア、アイラと……あなたのお名前は?」

「ルークだ」

「アイラの相手のルーク。この四人に、血の誓いを行います」


 静かにリリスが宣誓を行い、四人はそれを受け入れるべく頷いた。東の空を見上げると、地平線のふちがうっすらと白み始めてきている。完全に日が昇る前に、この決着をつけなければならない。リリスは深く息を吸い込むと、セレスの手を取り、その爪で己の親指を深く切りつけた。


 一瞬痛みに顔をしかめながらも平静を装い、リリスは親指を地へかざす。ぽたり、ぽたりと大地にしみ込んでいく血を目を凝らして確かめつつ、ゆっくりと手を巡らせる。ぐるり、と二人の周りを取り囲むように血を落とすと、印の色と同じ赤い燐光がそこから立ちのぼった。


「……サーシャ家次期当主のリリスと」

「その相手パートナーセレスにより」

「血の誓いを始めます」


 リリスとセレスの声に反応して、場の空気が一変した。足元に落とされた血は陽炎のようにゆらゆらと揺れながらふくらみ、まるで鳥かごのように二人を包み込む。それと同時に4人の足元から赤い触手のようなものが現れ、体へ戒めのように巻きつく。そうして、すべての準備は整った。


「さあ、私を攻撃しなさい。その力尽き果てるまでに戒めを解き、私を護る籠を打ち破ることができれば、その者を次期当主として認めましょう」


 うたうように、リリスが言葉を紡ぐ。その言葉すらも具現化して戒めとなり、青い鎖が四人の体をじゃらりと縛る。身体的苦痛はないはずだが、見ていてあまり気持ちの良いものではない。そうリリスは感じたが、儀式を受けることを決めたのは彼らだ。手加減するのはそれこそ失礼だろう、と自分を納得させ、全力で彼らを迎え撃つことを決めた。


「サーシャの子らよ。常に誇り高く、高潔であれ。その血の一滴が枯れるまで、己と敵に屈することなかれ――」


 サーシャ家の者ならだれもが知る、初代当主の言葉。それが、始まりの合図だった。四人の魔法使いたちは瞳に戦いの意志をみなぎらせ、契約の言葉を紡ぐ。言葉が、魔法が飛び交い、籠にはじかれる。戒めは体の動きを制限し、魔法の力を削っていく。リリスとセレスはただお互いの力を信じ、籠の中でじっと四人へと向き合い続けた。


 それは永遠にも似た時間だった。すこしずつ、すこしずつその場の全員の力が削り取られながら、戦いは続いた。己の力をも凌駕する、意志と意志のぶつかり合い。最後にその場に立っていたものが、次期当主の資格を持つ。ただそれだけを確信し、相手へ向き合う。空全体が白み始めてもまだ、その戦いは終わらなかった。


 わずかな均衡が破られたのは、初めに己の力の限界を悟った「落陽の魔法使いアイラとルーク」だった。戒めは少しばかりの気持ちの変化に明確に反応し、二人の疲れ切った四肢をからめとる。がくりと膝をつき、悔しげに唇をかみしめるアイラの瞳に、もはや戦いを続ける意思は残されていなかった。


「……認めてやるわ、姉さん。あなたこそ、次期当主にふさわしい、と」


 その言葉とともにすべての力を使い果たした二人の体からは力が抜け、どさりと崩れ折れる。「白銀の魔法使いエリシアとセイン」はわずかに狼狽する表情を見せたが、こちらの二人にはまだ戦う意思が残されていた。

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