第9話 吐露

「驚かせてすまなかった。大丈夫か?」


 身を起こした男が気遣わしげにそう問いかけ、手をさしだした。リリスは素直に男の手につかまり、助け起こしてもらう。大丈夫、とどこか遠くで言う自分の声を聞いてようやく我に返った。


「あ、なたが、私をここに……?」


 先ほどまで忘れていた驚きと恐怖に、それだけ問うのが精いっぱいだった。おおよそ山賊というには程遠い身なりのいい服と、細身の体躯。胸のあたりまで伸ばした髪はさらりと後ろへ流されている。男は夕方襲ってきた山賊とはあまりにも違う容姿と身なりだったが、それだけでは安心できる材料にはなり得なかった。


「俺が運んだ。山賊に気絶させられて、どこかへ連れて行かれるようだったから助けたんだが、余計なお世話だったか?」

「助けて、くれたの……?」

「ああ、そうだ」


 男の簡潔な言葉に、リリスは体の力を抜く。全身を支配していた恐怖から解放され、思わず床にしゃがみこんだ。その様子を見て、男は怖がらせてすまなかったと詫びた。


「一部始終を見ていた。山賊のよく使う抜け道にいたから、最初は仲間割れかと思ったんだ。だがあまりにも必死で逃げていたんで、違うと気付いた」

「山賊の抜け道……そんなはずないわ。あそこは山賊が出ないって教えてもらった道よ」


 男の説明に、リリスは思わず反論した。わざわざ教えてもらった道が山賊の抜け道だったとは、いったいどういうことなのだろう。リリスの疑問をよそに、男は表情を変えずあっさりと切り返した。


「騙されたんだな。王都の市場にいくつか店を出している、山賊と手を結ぶ商人の口車に乗せられたんだろう」

「そんな……」

「よくある手口だ。幾軒かの店を回っている客に同じ噂を吹き込み、不安を煽る。 最初は気にしなかった客も、何度も同じことを言われると不安になる。そうなれば山賊に襲われない方法はないかと店主に問うだろう?  すると店主は嘘を教えて山賊の出る道へ行くように勧めるんだ」

「そうして捕まえた旅人の身包みをはいで、山賊は商人と山分けするってわけ?」


 驚くリリスに男は頷く。その答えにがっくりと落ち込んだ。自分は世間に疎い自覚はあったが、詐欺に騙されるほどではないと思っていたのだ。


「商人の嘘と真を見分けるのは難しい。よくあることだ、気にするな」

「気にするわよぅ……」


 全く慰めにならない台詞に余計脱力しながら、リリスはそう呟く。精一杯自分を励まそうとしているのか、男は少し困った顔をしながら、俺も引っかかったことがあると付け加えた。その言葉に、リリスの落ち込んだ気分が少しだけ浮上する。 引っかかったのは自分だけではない。そう思うと少しだけ安心できた。


「やっと笑ったな」


 優しい声にうつむいていた顔を上げる。いつの間に座ったのか、すぐそばに同じ目線に男の顔があった。 びっくりした顔のリリスに、ぶっきらぼうだが優しい声音で男は続ける。


「今までまったく笑わなかっただろう。ずいぶん怖がらせてしまったから、心配していた」

「それはあなたが何者かわからなかったから……って、私あなたに足払いをしたのよね、ごめんなさいっ!」


 リリスは先ほどの男へ対する仕打ちを思い出し、思わず頭を抱えたくなった。自分を山賊から助けてくれた恩人の手を払いのけた上、足払いまでかけるとは失礼全般、恩知らずもいいところである。


「いや、いい。何も知らずに寝かされていたうえ、知らない男がいきなり小屋に入ってきたら誰だって怖がるだろう。もっとも、足払いをかけるやつはそうそういないだろうが」


 くくっ、と男の口から漏れる笑い声に、リリスは大人気なくむくれた。


(悪かったとは思ってるわよ。でも、そんなにわらうことないじゃない……)


「悪かった、悪かったからそんなに俺を睨むな。もう笑わないから、機嫌を直してくれ」

「本当に? 笑わない?」

「ああ、もうしない」

「じゃあ、いいわ」


 なかなか笑いやまない男に、リリスはむくれてそっぽを向いた。その様子に、慌ててとりなすように男が頭を下げる。もうしないと言質をとったあと、ようやくリリスはふくれっつらをやめて前に向き直った。青年と交わす軽口は、リリスにどこか懐かしい感情を呼び起こした。素直に自分の感情をさらけ出してしまえる気安さ。 軽口のやり取りをしながら、会話をする楽しさ。 少し考えてから、それが伯父とのやり取りによく似ていたことに思い当たった。


(だめ、思い出さないようにしてたのに……)


 少し浮上した気分がまた深く沈みこんでいく。 今まで考えないようにしていたこと──出来損ないの自分は家を追い出されたのだ、ということを思い出す。 きりきりと痛み出す胸に舞い込んだ寂寥感をもてあまし、リリスは再び顔をうつむけた。今度は、目にたまった涙を男に悟られないために。


「どうした?」

「……なっ、なんでもないの……!」


 自分を気遣う男の優しい声が身に沁みる。ここで泣いたら絶対変に思われる。そう思うのに、涙は止まらない。一粒、二粒床に転がり落ちた涙を見つめる。それが限界だった。


 次々あふれてくる涙に視界がゆがむ。父にあれほど色々なことを言われた時だって大丈夫だった。悲しかったが、何とか泣かずにいられた。それなのにいまさら泣いてしまうなんてどうかしている。


(知らない人の前なのに。さっき、知り合ったばかりの人なのに。どうしてこの人の声はこんなにも私を泣きたい気持ちにさせるの……?)


「ど、どうした?! 俺に笑われたのがそんなにいやだったか? それともさっきのことが怖かったか? 本当に悪かった、悪かったからもう泣かないでくれ……!」


 自分が泣かせたと思ったのか、目の前の男はひどくうろたえていた。最後の余裕を全部かき集め、リリスはぶんぶんと首を振る。そのおかげか、何とか彼の所為でないのはわかってもらえたらしく、目に見えて男の表情が和らいだ。だが人のことを気にしていられたのもそこまでだった。


 必死で嗚咽を抑えようとするが、止まらない。こらえきれない泣き声はみっともなく喉からしぼりだされ、涙はほたほたと服や床にしみをつくっていく。寂しい、もう一度会いたい、一度だけでいいから──そうつぶやく声は嗚咽に半ばかき消され、自分の声ではないように聞こえた。


 伯父にもう一度会いたい。 会って、父の話は嘘だと否定して欲しい。 どうか自分を拒絶しないで欲しい。 自分は孤独ではないのだと、そう証明して欲しい。ただそのことを切に願って、リリスは泣いた。そうでないと、自分がこの世界にい続ける価値はなくなってしまう。誰も必要としてくれないなら、自分のいる意味はなくなってしまうから。


「……今は俺がいてやる、だからもう泣くな」


 不意に頭に載せられた温かさと言葉に、リリスは泣きじゃくりながら前の男を見上げた。涙でゆがんだ男の表情はわからない。だがまるで壊れ物を扱うようにおっかなびっくり、それでも確かな温かさを持って頭をなでる手に、リリスは安堵を覚えた。もう泣かないでいいと自分をなだめるように優しく背中を撫でる手が心地よくて、知らず知らずのうちに男のほうへと身を寄せる。男はそれを拒もうとはせず、ゆっくりとリリスを抱きしめた。


 自分を閉じ込める腕の力の強さと体を包み込む温かさに、言いようのない安心感に包まれる。 あやすように語りかける声音は誰よりも優しかった。嗚咽はいつの間にかやみ、泣きつかれたリリスの意識に紗がかかっていく。何も心配せず、今は眠るといい。落とされたささやきに一つうなずいて、リリスはぬくもりに身を委ねる。やがて誘われるように意識は眠りの淵へと落ちていった。

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