第96話 老獪

「銀河断、だとぉ……」

眼前の光景を前に、ライド・シュテルンビルド・アドルスティン伯爵は絶句した。

超光速騎士である伯爵の超感覚は、別の戦場でマイレイ・サイズレート男爵が討たれたことを知覚している。

そして彼女の思念がこの周辺宙域から消えていくまで。

それを追うように、眼前の敵、剣将機ザラードの軍将ザルクベイン・フリードが同じ軍将である伯爵の感知できないほどの超巨大エーテルを撃ちだす姿を目の当たりにしたのだ。

ザラードは、まるで目の前にいる自分たちの存在すらいないかのように、全出力を放出した姿を晒している。

流石の神速騎士といえど、奥義たる銀河断を放てば一時的に全闘気を消耗する。

その無防備な姿を前に、伯爵は逡巡した。

眼前の敵はあまりにも無防備で、明白な挑発でしかない。

だが、今攻撃しても仕留められる保証もなかった。

伯爵は負傷した身であり、彼の乗騎ボリュディクスも動くのが限界。配下の騎士団も消耗している。

神速騎士の常軌を逸した回復力があれば、今すぐにでもザラードは態勢を立て直す可能性すらある。

ここで攻勢に出ればむしろ撤退の機会を失うとみるべきだった。


撤退すべきだ。

伯爵の理性はそう判断する。

伯爵とザルクベインとでは戦闘力の差が圧倒的なまでに違い過ぎるのだ。

神速騎士という存在を今、思い知らされている。

今退けば、これ以上の損失を出さずに騎士団ごと逃げられる。

「全隊、退け――」

その言葉を

「——ザルクベイン!」

憎悪に満ちた師、カテナ・サープリスの叫び声が打ち消した。

軍将機ソルティール。カテナの駆る超光速騎が力を失った剣将機ザラードへ迫る。

「先生!いけません!罠だ!」


師、カテナが冷凍睡眠装置フリーイングに入ったことの意味を、伯爵は正確に理解していなかった。伯爵だけではない、当時彼女への処置を手配したものたちもだ。

冷凍睡眠により20年の月日をカテナは一瞬で過ごした。

彼女は力と若さを保ち、教え子であった伯爵は彼女に匹敵する力とそれ以上の経験を身に着けた。

そして仇であるザルクベインは年老い、しかしその力は僅かも衰えたようには思えなかった。むしろ以前より強くなったようにすら思える。

そして伯爵たちの誤算はそれだけではない。

彼らにとっては20年前の悲劇。ザルクベインに至ってはもはや覚えてもいない恨みを、カテナは今も覚えている。

彼女にとってはそれはつい数年前のこと。

その怒りは、恨みは、彼女から冷静な判断力を奪い取るのに充分だった。


ソルティールに対する剣将機ザラードの動きは鈍かった。

当然だ。すべての力を使い切った後なのだから。

鈍い、といっても超光速域での話。

ザルクベインも超光速の大剣を振るうの余力は残している。

力を使い切ったのは事実。

だが、不用意に近づいてきた敵を切り捨てるだけの力は残していた。

元から、そのためにわざと敵の眼前で力を使って見せたのだ。

逃げ腰の敵を確実に葬り去るために。

ソルティールがその大剣を躱す。復讐に燃えていても彼女は冷静だった。

カテナ・サープリスはこの瞬間のために生き永らえてきたのだから。

ザラードの大剣が再び振るわれ、ソルティールがさらに躱す。

すでにカテナは敵の懐に飛び込んでいる。

後は彼女の剣の一振りですべてが終わる。


次の瞬間、ソルティールの胴から下が吹き飛んだ。

その装主席ごと。カテナの存在ごと。

二度の大剣は視界を奪う囮。

ザルクベインの本命はその裏、腕部に内蔵していた神速の火砲。

ザラードの内蔵火器に装填された実体弾は、圧縮された高密度エーテルを内包している。それは超光速騎の防御を抜くのに十分な破壊力があった。

そして発射用の信管には事前に必要出力を蓄積済み。

機体の全出力を放出した後でも使える奥の手を潜ませていたのだ。

ザルクベイン・フリードという老人は戦にしか興味がない。

そしてこと戦場においては老獪。

敵を討つのに、自分の剣に拘る男ではなかった。


「先生ェェェェェェェェッ!」

カテナは自らの死を感じる間もなかっただろう。

その代わりに、伯爵の叫びがボリュディクスの装主席に虚しく響いた。

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