第95話 遊びの終わりに

ゆっくりと意識が覚醒する。

それまであった手足の感覚が消え、別の手足の感触が頭に伝わってくる。

奇妙な、しかし慣れた感覚にしばし浸る。

「男爵様、ご無事で?」

その余韻を断ち切るようにマイレイ・サイズレート男爵の耳に声が届く。

あーあ、とため息をつきながら彼女は身を起こした。

彼女の周囲を覆っていた薄いヴェールを払い、自分の身体を横たえていた増幅筒から立ち上がる。

この身体を動かすのは実に数週間ぶりになる。


分体エイリアス』は魔導士たちが運用するもう一つの意識体であり肉体。

通常ならば使い魔として管理の容易な小動物や召喚獣を用いるものだが、サイズレートのような高位の魔導士であれば、それを自分と全く同じ予備体として運用することも可能だ。

彼女とその配下の精鋭魔導部隊は自らの身体を、本拠地である惑星ウーシアの地下の増幅施設に残し、創り上げた分身体を戦場に送り込んでいたのである。

たとえ戦場で分体が死んでも、本体が残っていれば高確率で生きながら得ることが出来る。

あるいは、本体と分体の二つ以上を同時に動かすことで、自らを複数に増殖させることも可能だ。

だがサイズレート男爵には、最初から本気で戦う気はなかった。

超光速騎である彼女と光速騎の精鋭魔導部隊が参戦したならば、フェーダ五大貴族としての義務は充分に果たしている。

それ以上に自分と領民の命を懸けるほどの価値を、彼女はフェレス復興軍とその戦いに見出していなかった。


サイズレートの目が周囲を見回す。

彼女が身を横たえていた高出力エーテル増幅器。百万光年以上の距離でも分体と自分の意識を同期させていたそれと異なり、地下施設内に設置された他のエーテル増幅器には分体との完全な同期機能はない。

彼女の部下たちは戦場で分体が死んだことで、ここで眠りについて以降、分体に意識を移し替えてからの数週間の記憶を失ったまま、この後サイズレート男爵の指示で目覚めるのである。


「……男爵様」

「——終わりね」

主君の身を案じる近習の視線を、サイズレートは切り捨てた。

エーテル増幅器の中で眠っていた彼女の周囲には、今は増幅器の維持管理を行う少数の魔導技術者しかいない。

近習がサイズレートの目覚めを外部へ知らせたので、この後惑星管理を任せた代官らが駆けつけてくるだろう。

「遊びは終わり、さっさと皆を起こして逃げるとしましょう」

さばさばとした口調で、近習の不安を消すようにきっぱりと言い切る。

対立していたシュテルンビルド伯爵と異なり、ここにいるのは彼女が良く知る配下たち。

必要以上に演じる必要もなく、気安く話せる相手だ。

「……本当に、よろしいのでしょうか」

そんな彼女に近習たちは不安そうな表情を返した。

「いいのよ別に。負けの見えた戦いにこれ以上付き合う義理もない」

ナーベリアでの戦況を彼女は理解している。

自分以外の戦場がどうなっていたのかもだ。

「ただフェーダ貴族というだけで巻き添えはごめんだわ」

だから逃げる、とサイズレートは言い放った。


そのための準備はしてある。

惑星ウーシアに残した魔導士、人員たちにより恒星系そのものを宇宙航行できるように惑星改造を行っていた。

リューティシア皇国との決戦に備えて戦力を整えていた他のフェーダ貴族の目を盗みながらの作業は困難だったが、分体運用のための増幅施設を中心とした戦時体制への移行、という名目で多くを秘密裏に行ってきたのだ。


「……しかし、フェーダの楔は」

「それこそ付き合っていられない」

近習の言葉を強くいさめるように切り上げる。

「本気でフェーダ貴族の使命とやらをありがたがるならいくさなんてやらなければ良かったのよ」

近習の口にした【フェーダの楔】の話は彼女には不快でしかない。

物心ついた時から彼女を縛る楔そのものだからだ。


「男爵様!」

別の声が、増幅施設の外から響いた。

振り向いたサイズレートの先で、施設の外部に通じる通路口で彼女の知る顔がこの世の終わりのような表情を浮かべて息を切らせていた。

「——何事か!」

「そ、外に……とにかく外に!」

息も絶え絶えに言葉が告げられる。

僅かに遅れて、彼女の超感覚がそれを感知した。

増幅施設は防衛機構の最深部にあり、その防壁は外部への知覚を遮断する。

加えて、本体で覚醒したばかりのサイズレートは身体感覚を取り戻すまでにわずかでも時間が必要だった。

だから気づかなかったのだ。

空を、惑星を、全てを覆いつくす巨大なエーテル体が降り注いでくることに。


「そんな……こんな……こんな終わりで……」

外に飛び出た先の世界の全てが光に覆われていた。

その光は、惑星ウーシアのみならず、ウーシアが存在する恒星系すべてを覆いつくし、星ごと塵になるまで跡形もなく焼き尽くす。

銀河断はその名の通り、銀河をも断つ剣の一振りだ。

いかに空間と時間を超越した次元断とはいえ、本来なら100万光年以上先の目標を狙うことは至難の業。

だが、今なら、ナーベリアにあったサイズレートの意識が分体を離れ、ウーシアに眠る本体に戻るその道筋を辿れば、確実に位置を測れる。

超光速騎であるゆえに、サイズレートが最高位の魔導士であるがゆえに、彼女は分体と本体の意識を直結リンクさせることが出来ていた。

それ故に、ザルクベイン・フリードは惑星ウーシアを狙ったのだ。

戦場で逃げた敵に、確実に止めを刺すために。


超光速騎といえど、今のマイレイ・サイズレート男爵は生身で、その身は目覚めたばかりで何の装備もしていない。

いや、たとえ万全であっても、魔導機に乗っていたとしても、超光速騎としては中位の彼女の力では神速騎士の最大の剣から逃れる術はない。


そしてフェーダ銀河系からウーシア恒星系はそれを構成する100億を超える民衆とともに消滅した。

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