第72話 戦場遠景 4
「……撤退、ですか?」
「その可能性もそろそろ考えていた方が良い」
側近からの思わぬ言葉に、リューティシア皇国第二皇女ティリータ=ティルテュニア・リンドレア・スウォルはその顔を見上げていた。
彼女の座上する第三重征師団旗艦スレイドルは、重征鎧将ウォールド=ウォルムナフ・ガルードの指揮する超光速艦である。
その主であるウォールドの言葉に、ティリータは眉をひそめた。
だが、ティリータが何かを言う前に声を上げたのはドヴェルグの艦橋に同乗するフォーント・カルリシアン侯爵だった。
「鎧将殿、何を言われるか。まだ戦闘は継続しております」
「……だからだよ」
侯爵は戦場の人ではなく、フェレス復興軍艦隊に参列するフェーダ五大貴族では唯一の非戦闘員だ。それゆえにティリータと同じく戦場後方に位置するドヴェルグに控えていた。
そんな彼と、ティリータの納得していないという表情に、ウォールドはティリータの観覧席を挟んで反対側に座る妻のメルヴェリアと視線を交わす。
ウォールド自身はティリータから見て左側に合わせて立ったまま、そしてその前にある急ごしらえの観覧席に座って戦況を見るカルリシアン侯爵の視線を受けて、戦況情報をいくつか取り上げた。
「今のところ、こっちは自動艦の半数以上を損失。第一師団は疲弊はあるがほぼ無傷。もうそろそろ戦況が動くころだ」
「……それはベルウッド卿の狙い通りではないのですか?」
「第一師団の連中にとっても狙い通りだよ。奴らはこっちの戦力を丸裸にしてんだ」
当初の作戦計画では、戦力の半数を使って二人の神速騎士を足止めし、その間に残った龍装師団艦隊と軍将二人を900万艦隊で約三倍の戦力で討つ予定だった。
この際、自動艦隊内の無人艦を優先的に攻撃させ、敵軍将の力を疲弊させてから本格的な攻勢に入るまでは予定通り。
艦隊戦力の半数を失うことまでは想定済みの状況だ。
――しかし
「思った以上に敵が削れてない。退くなら今の内だな」
「待っていただきたい。そう簡単な話ではありません!」
ティリータに応じるウォールドの言葉に、カルリシアン侯爵が反発する。
「……今なら自動艦が無くなっただけで済む」
「自動艦自動艦と簡単におっしゃるが、あれとて泉から湧いてくるわけではないのですよ!」
先の軍議におけるシュテルンビルド伯爵の言葉と合わせてあまりに軽い扱いに、カルリシアン侯爵は憤懣やるかたないという表情で抗弁する。
怒っても、礼節を崩さないのは流石は歴史ある貴族の老身である。
一千万の自動艦隊の調達、その施設建造にカルリシアン侯爵と娘の嫁ぎ先である孫のヴェルヌ子爵のフェーダ五大貴族の内二家は多額の投資と10年という時間を費やしているのだ。
現在も、今後の戦略的に予想される艦隊損耗の補填のため、光速艦の建造工廠は休むことなく艦隊の増産を行っている。
彼らの資産を食いつぶしながら。
「ここで勝てば、次代竜皇へ不満を抱く皇国内の勢力を我々の見方に出来るはず。
そう簡単に引くわけにはいかないでしょう」
「都合のいい見方だな。第一師団なんて所詮使い捨てだ。勝ったところで皇国軍がリュカから離れるわけがない。軍団が味方に付かなきゃ応援団がいくら増えようが無意味」
カルリシアン侯爵の肩を持つティリータの言葉を、ウォールドはばっさりと切る。
「第一龍装師団が皇国軍最強の軍隊ではないのですか?」
「あそこで最強は団長と副長だけだ。あの二人の戦力だけで、他の師団と同等以上。あとの連中は使い捨ての自動艦と大差ない数合わせに過ぎん」
「そんな言い方……」
「そもそもゼトが来る前はリュカが団長兼任してたんだぞあそこは。最強なのはその頃の話。今の第一師団は評判だけの二番手だ」
「……では今の皇国で一番の軍隊はどこなのです?」
「——リュカのいるところに決まってるだろ」
なぞかけ返しのようなウォールドの回答にティリータは戸惑う。
「話を戻すが、この戦いで勝つ必要性は低い。少なくとも、これ以上の犠牲を払う必要のない話だ」
憮然とした表情でウォールドは言葉を次ぐ。
その横顔に、妻のメルヴェリアが頷いた。
「当初の予定では、復興軍1千万艦隊に対し、アウェネイア銀河にリュケイオン陛下自身が到着。陛下の率いる竜撃隊、第一、第二師団及び予備隊合わせて500万艦隊に対して、一千万艦隊と私たち第三師団で戦闘に挑む戦略要諦でした」
言葉の足りない夫を補足するように、第一戦略資格者であるメルヴェリアが立体映像の戦略図を操る。
「皇国軍もおそらくその予定だったと思われますが、第一師団はアウェネイア銀河より離脱して単独行動をとり、ナーベリアで事を構えた。この時点で第一師団に関する私たちにとっての戦略価値は失われています」
「では戦闘を回避すればよかったのではありませんか?」
「単にアウェネイアの本隊と第一師団で挟み撃ちに合うだけだぞそれは」
今さらのティリータの疑問にウォールドは呆れた表情で腕を組んだ。
「アディレウスが動いたのは、ザルクと愛居真咲の来援を確信してからだろう。奴は愛居真咲の戦闘力を知っていた」
ウォールドの目には、今現在戦場で自動艦隊を次々屠る鬼獣の姿が見えている。
開戦前の予想をはるかに超えた上級軍将に近い戦士の姿だ。
上級軍将であるウォールドの目にはまだ未熟な戦士として映るが、彼以外にとっては脅威に他ならない。
「あの二人が加わった時点で第一師団はリュカ抜きでも最強の軍団と化した。そのくせ、倒しても実入りがないと来てる」
「……しかし一方で第一師団を撃破。最低でも軍団だけでも殲滅しなければ、リュケイオン陛下を戦場に引き出すことが出来ません」
「極端な話、ザルクとゼトの二人だけでもアウェネイアの本隊と合流すりゃ、第二師団と神速騎士二騎での第二陣が張れる。リュカは皇都から動く必要すらないわけだ」
「元が短期決戦の予定でしたからね。他国からの介入のないうちに決着をつけたいのはお互いに同じだったでしょうに」
「リュカがこっちに来てれば全軍使い潰してでも首を取ればこっちの勝ちだったんだがな。
自動艦の分裂戦法まで全部手の内バラされちまった」
夫婦の流れるようなやり取りに、ティリータはかろうじて追いすがる。
「だから撤退するというのですか?」
「前々から言ってた第二案だ。戦場でリュカが討てないなら、フェーダー銀河に引き込んでこっちが長期戦に構える。リュカも戦を長引かせたくないだろうから、本人が出張らざるを得ん」
そこを叩く、と言い切る軍将の姿に、ティリータは当惑した。
すでにウォールドはこの戦を捨てているように見えたのだ。
「もう、この戦いは負けるというのですか?」
「そうは言ってない。まだ勝ちの目はある。
だが、さっきも言ったが、敵がまだ削れてない」
軍将の目が細められる。同じ軍将である彼には敵軍将の余力が見えている。
「こっちはもう盾になる無人艦が残ってない。まだ戦えるが、ここでこれ以上粘れば、相当な犠牲を覚悟する必要がある」
「もうすでに十分な犠牲を払って……」
「誰かが死ぬかもしれないって話だ」
ティリータの反駁を遮ってウォールドが言葉をかぶせた。
「侯爵には悪いが、自動艦はまた作れる。だが騎士団はそうはいかない。軍将も、光速騎士も簡単に育ちはしない」
小さく、ウォールドはカルリシアン侯爵に頭を下げる。その姿に先ほどまで反発していた侯爵は戸惑った。
「温存された本隊はリュカと戦うための戦力だ。第一師団に勝つためにそれを注ぎ込めば、肝心の敵と戦うときにそれこそ手が足りなくなる」
「それはベルウッド公爵が一番よくわかっているのではありませんか?」
「……どうだかな」
ウォールドは肩をすくめた。その目ははるか遠い戦場を見ている。
「侯爵の言った通りだ。自動艦だって地面から生えているわけじゃない。今までの損を取り戻すことを考えたら、ここは勝ちたいところだ。そして完勝の可能性はある。困ったことに……」
「ベルウッド公爵は戦場全体の損耗を均一化する形で艦隊戦術を展開しました。今の第一師団と復興軍が戦場全体で拮抗しているように見えるのはそのためです」
「上手く行けば、相手が崩れたところで敵全部をまとめて討てる状態」
「一歩間違えれば、逆に自分たちが全滅しかねない情勢ということです」
ウォールドの言葉をメルヴェリアが補足し、戦況情報を連動させる。
「ウォルは、公爵たちが負けると考えているのですね」
「さっきも言ったが、第一師団が全滅したところで、ゼトたち軍将格さえ後続と合流すれば収支は合うからな。100万艦隊と引き換えにしても、1000万以上がすでにやられてるんだ。割の合わねえ賭けだよ」
徐々にウォールドの口調が自棄になり始めている。
こうして話している間にも、撤退への貴重な時間が失われているのだ。
「……彼らは、自分たちが捨て駒にされているとわかっているのですか」
「知ってようがどうだろうが、連中に逃げ場はねえんだよ。元が罪人の集団って言ったはずだがな」
「今は……違うはずです」
「違わんさ。多少お行儀良くなっても第一師団だ。敵前逃亡も団からの脱走も殺されるだけ。軍人だろうが罪人だろうが、戦場で生き残ったやつだけが偉いって連中だ」
その感覚はティリータにはなかった。
「……ではベルウッド公爵と連絡を取ってください」
「それはなティル。お前がやるんだ」
え、とティリータはウォールドの顔を見上げた。
彼女は軍人ではなく、彼らのまとめ役でしかないという自覚があった。
軍隊に命令を出すなど考えたこともない。
ティリータには撤退という判断が正しいかどうかもまだわかっていない。
「ウォル、貴方が言い出したことです」
「……それを連中が聞けばな」
思わず咎めるような口調になったティリータを、ウォールドは見ようともしない。
「俺が何を言ったところで、余計な邪魔としか思わんだろうよ」
第三師団と復興軍、いやウォールドたちと五大貴族の間の対立をティリータは知らない。気づいてもいない。
「そんなことはありません。彼らにも何が正しいかわかるはずです」
「これが正しいかどうかなんて俺にもわからん」
その言葉にティリータは絶句する。
あまりにも無責任な物言いに思えたのだ。
「結果なんて誰も保証は出来ん。ある程度の予測は出来るがな」
それはウォールドの諦観であり、経験だ。
「ベルウッドには俺とは違う展望と予測があるだろう。だから話にならん。
俺と奴は同格で、俺にはそこの侯爵すら納得はさせられん」
その言葉に、カルリシアン侯爵は不満を隠していた顔を思わず撫でた。
「お前がどう考えてるかは知らないが、俺たちの主君はお前だ。
だから、お前の言うことなら皆が聞く」
およそ主君に投げかける言葉とは程遠いぞんざいな物言いだが、ティリータは幼い頃からその言葉を聞いて育ってきた。
家庭教師を務めるメルヴェリアの夫として、子どもたちを引き連れて遊び相手になってくれた男だ。ティリータにとってはもう一人の父のような人だ。
彼女が成長するにつれ礼節を保つようになった男は、かつてのように、まだ子供に話すようにぶっきらぼうに言葉を注ぐ。
「今話したのは俺の見立てだ。お前が納得しないなら無視すればいい」
それだけ言い放ってウォールドは沈黙する。
ティリータは反対側に座るメルヴェリアに視線を向けたが、彼女も無言で首を振るだけで、どちらの味方もする様子はなかった。
どこまでも、判断はティリータに預けられていた。
「……私には何が正しいかわかりません」
しばらく考えても彼女に応えは出せなかった。
意外とも失望とも、ウォールドは何の表情も見せなかった。
「では結果を見届けるとしよう」
彼らが話をしている間にも戦局は刻一刻と変わりつつある。
ウォールドとメルヴェリアにはその戦の趨勢が徐々に見えてきていた。
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