第36話 リュケイオンの挑戦
光が走った。
リューティシア皇国第三王妃ティルト=ラース・フェリシア・ティルテュニアの目にはそうとしか思えない。
セイレーン城の王宮庭園の中庭で、重くなったお腹を浮遊式座椅子で支えながら、ティルトはその光景を呆然と眺めていた。
二度、三度と光が交錯し、僅かな瞬間、その光の中で二人の姿が見える。
「は、母上、頑張って!」
ティルトの傍らで、少年が叫んだ。
今年で6歳になったリューティシア皇国第一皇子リュクス=リュクシオン・セイファート・リードは、一つ上の義理の姉と手を繋いで母、シリルの戦いを見守っている。
その横で、弟の手を握り返しながら第一皇女サリア=サウリード・アリエイル・フォシルは光が瞬くたびに身をすくめていた。
光の交錯が止み、庭園には二人の騎士の姿が映った。
片方はリューティシア皇国第一王妃シリル=セイル・シルフィード・ファルクレア。
そして彼女が育てた養子である竜公子リュカ=リュケイオン・グラストリア・リードの姿だった。
「流石です母上。かつてはシンクレア有数の騎士と呼ばれただけはある」
「それで挑発のつもりですか?」
挑戦的な息子の言葉を軽く受け流し、シリルは光剣を構え直す。
今や多数の超光速騎士、軍将を抱えるリューティシア皇国において、シリルのような光速騎士は珍しくもない。
逆に、わずか12歳で光速域に到達した天才戦士は二人しかいない。
竜公子リュカと、鎧将ゴルバトノフが育てている孫のバルドルだけだ。
この二人はすでに最前線に送られ、共に戦場で競うように功を挙げ、時には連携して格上の超光速騎士すらも討ち果たしたことすらある怪物である。
あと数年もすれば超光速域に達して、皇国内でも並ぶものがいない騎士になると評判であった。
そんな超天才からすれば、光速が限界の母など通過点に過ぎない。
そんな二人の様子を、ティルトと子どもたちがはらはらしながら見守っている。
光速騎士と言っても、常に光速で動くものではない。
通常、会話するのは基本の速度領域のままである。
光速騎士とは、そのまま光速域に移行し、光速物体を認知することが出来る存在だ。
どちらが先に光速で動いたとしても、もう一人はそれを認識して対応することが出来る。
後は、体力的、エーテル的な光速域での活動限界の問題だけである。
逆に言えば、会話中に無駄な体力を消耗する必要はないのだ。
「挑んできたのは貴方です」
「わかって――」
リュケイオンの姿が消える。同時にシリルの姿も消えた。
「——います」
残されたティルトに見えるのはその言葉の残響だけ。
だが、光速域にいる2人には、それはただの剣戟の延長に過ぎない。
シリルの振るう光剣の鋭い突きを、リュカは長剣を盾に逸らしながら距離を詰める。そのまま間合いを詰めて横なぎに一閃。
シリルは最小限の動作でその剣を躱し、振り終えたリュカの動作の間隙を突く。
だが、リュケイオンは振りぬいた剣をそのまま翻し、返す刀でシリルの突きを弾いてさらに踏み込んで斬撃を放つ。
光速による斬撃は、光の速さと無限に増大する質量を備えて放たれる。
しかし、いかに光速剣と言えど、相手が同じ光速域に立てば、光速という速さも、無限質量の加算も無意味だ。
光速拳士同士の両者の勝敗を左右するのは、お互いが備える力、技、速さ、そして経験のみ。
シリルの光剣がリュケイオンの長剣を受け流し、その内側を滑るように光剣がリュケイオンの顔に伸びる。
リュケイオンが身をそらして距離を取り、それを追ってさらに伸長した光剣の先端を、長剣の柄で横合いから叩いた。
魔力光で形成された超高温、非実体の剣と言えど、闘気で強化された実体剣を貫くのは容易ではない。柄頭で逸らされた光の剣は、リュケイオンの顔の左側をそれてその光を失う。
上体の攻防にわずかに遅れてシリルの膝がリュケイオンの腹に撃ち込まれ、同様に跳ね上がったリュケイオンの左脚がその膝頭を足場に後方へ宙がえりした。
膝を受けられることを予測して次の斬撃を放ったシリルの光剣は、空中で身を捻ったリュケイオンのわずかに下を空振る。
そのまま母子は再び距離を取る。
――強い。
何度目かの剣戟を交え、シリルは我が子の脅威を思い知る。
4年前の試乗式以来、戦場に立つようになったリュケイオンと顔を合わせる機会は少なかった。
戦場で光速騎士として覚醒したという話も、今までに上げた戦功の数々も聞いていたが、それは同行する軍将カーディウス率いるドータス騎士団の力であり、息子は護られる立場だと思っていた。
しかし、実際に手合わせをしてみればその考えが間違いだったと思い知る。
2年前の皇都襲撃を機に、リュクシオンの妊娠、出産を機に実戦から遠ざかっていたシリルは騎士としての復帰を決意し、自らを鍛え直していた。
光速騎士として実力を自負し、引退前と変わらない力量を取り戻したつもりだったシリルが、わずか12歳の息子に優位を取れないのだ。
(それに……手が読めない)
以前にシリルがリュケイオンと手合わせしたのは彼がまだ5歳に満たない頃の話だ。
模擬戦ですらなく、子どもの騎士ごっこに母として付き合ったに過ぎない。
それにも関わらず、リュケイオンはシリルの剣技の多くを習得していた。
幼い頃の息子にせがまれて見せた技の数々を使いこなしているリュケイオンの姿に、シリルは背筋が凍った。
そこにさらにドータス騎士、アルミニア騎士、リンドラス騎士といった、リュケイオンがそれまでに接触した戦士たちの剣筋や技を模倣し、それを次々と切り替えてシリルを翻弄していた。
リュケイオンの長剣はその度に性質を変え、シリルの対処が追い付かないのだ。
母子は再び、剣戟を交わす。
観戦しているティルトや子どもたちにはわからないわずかな差で、シリルは徐々に押されていた。
だが、その中でシリルもまた一つの勝機を見出していた。
シリルの剣が振るわれ、リュケイオンの右の長剣を叩き落す。
それまでの流麗な剣から、力押しへの変化。思わぬ母の動きに、リュケイオンの反応が遅れた。
リュケイオンもまた母の剣のすべてを知っているわけではない。
そして同じシンクレア流の剣の技量では、その習熟度で母に劣っていた。
高い学習能力によって多様な剣技を使いこなすリュケイオンは、母と違い、一つの剣技の技量を突き詰める必要性がなかったのだ。
それが、シリルの勝機だった。
同じ剣技を使うなら、シリルに優位があった。
直後にリュケイオンの剣に変化が生じる。
長剣がリュケイオンの闘気に合わせて変形し、シリルの力の剣を受け流した。
それもまたシリルの読み通りだった。
受け流された同時にシリルの右手が剣から離れ、リュケイオンの顔を撃つ。速さのみを優先したシリルの拳が、その左半面を叩いたのだ。
その攻撃に、リュケイオンは対処できなかった。
流れるように、シリルはリュケイオンの左腕を取り、捻りあげ、組み伏せる。
ぎゃっ、といううめき声とともにリュケイオンが大地に打ち付けられた。
瞬く光の交錯が止んだ。
ティルトの目の前で、母の手で庭園の床に組み伏せられたリュケイオンが、ばたばたともがき、そして諦めたように手をついた。
ティルトと子どもたちには手合わせを始めてから数十秒。
光速騎士同士の戦いは、本人たちには長い時間に思えても、外から見る人間にはわずかな交戦に過ぎない。
「やったー!母さまが勝ったー!」
その様子に、シリルの実子であるリュクシオンが両手を上げて喜んでいた。
掴んでいた姉の手を放し、リュクス皇子は母の元へ駆け寄る。
その後を少し遅れて浮遊椅子を動かしてティルトが、その後ろを支えるようにサリア皇女が追った。
駆け寄る息子の姿にシリルがリュクシオンを抑え込んでいた手を放し、母と子が立ち上がる。
二人とも息は弾んでいたが、特に目立つ傷もなかった。
当然だ。あくまでこれは手合わせに過ぎなかったのだから。
「流石ですね母上」
リュケイオンの表情は晴れ晴れとして、悔しさのようなものは見当たらない。
「……そういうことはその目を治してから言うものです」
シリルは、長子の左眼に目をやった。
その言葉に、ティルトは小さく首をかしげる。
「前に、見えてるって……」
「——ただ見えることと、動きを追えることは違います」
ぱっぱっとリュケイオンの左手が、その左半面に目を寄せる二人の母の言葉を誤魔化すように振られた。
「……すぐ治りますよ」
「治ってから言いなさい」
その言葉に、シリルは小さくため息をついて歩き去る。
その後を追おうとして、ティルトは浮遊椅子の影に隠れるように小さくしているサリア皇女が、リュケイオンを見上げていることに気づいた。
「兄様、強いんだねえ」
去り行く母の背中を見るリュケイオンの横から、リュクシオンが兄を見上げていた。
「兄ではなく、リュケイオンとお呼びください。殿下」
膝を屈め、リュケイオンは頭を異母弟と同じ高さに合わせる。
「母上から、貴方が兄上であると伺いました」
「……私は、あくまで殿下にお仕えする身でございます」
首をかしげる異母弟に、あくまでリュケイオンは自分の立場を固持する。
その言葉に、ますますリュクシオンの首が傾いた。
「お見事でございました」
庭園から室内に戻ったシリルを出迎えたのは軍将カーディウス=ベルガリア・カドリアヌス・ラウス伯爵だった。
リュケイオンの側近である彼は、先刻までの母子の手合わせの審判役を務めていた。皇子皇女と第三王妃を含む親子の間には立ち入らないように遠巻きに。
カーディウスの手から手拭いを受け取り、シリルは顔を拭く。子どもたちの前では平静を装っていたが、大量の汗が噴き出していた。
「……あの子、手を抜いていたのではありませんか?」
「妃殿下も本気ではございませんでしたでしょう」
シリルの不満を、カーディウスは笑っていなした。
魔法剣士であるシリルの真価は、魔力剣を振るって初めて発揮される。
あくまで剣のみに限定した手合わせでは全力ではなかった。
だが、それはリュケイオンも同じことだ。
「公子殿下は、戦い一つにも課題をもって挑まれる方です」
「……課題?」
「内容までは存じておりませんが、一戦ごとに何かを成し遂げようと考えて挑まれております」
「あの子、戦場でもずいぶんと余裕があるのですね」
「……まあ実際のところは、全く達成できてないようですな。いつも戦闘後は自室にこもって反省されておられるので」
シリルの疑念に、カーディウスは肩をすくめ、諦めをもって答える。
シリルは庭園を振り返る。
弟に、彼女の実の息子に促され立ち上がったもう一人の息子が、弟に何かをせがまれる姿が映った。
先日、初めて顔を合わせた時はぎこちなかったリュクシオン皇子は、目を輝かせてリュケイオンに何かを話している。
母との手合わせを経て、自分の兄が騎士であることを目の当たりにしたのだ。
その姿に、シリルの中で幼い頃のリュケイオンの姿が被る。
騎士に憧れているのは兄弟とも同じだった。
「きっかけが欲しかったということですか」
「……おそらくは」
唐突に、腕試しと称して手合わせを挑んできたリュケイオンの姿を思い返してシリルはかぶりを振る。
「本当にあの人そっくり」
戦い一つとっても、自分に意味のある戦いをしたいという姿は、彼女の夫に、リュケイオンの父の姿にとてもよく似ていた。
二人の視線の先で、ティルトがリュケイオンに声をかけ、彼女に促されるように、その後ろに隠れていたサリア皇女がおずおずと義兄に顔を合わせようとしているのが見えた。
その姿を見届けて、シリルは踵を返した。
「……よろしいのですか」
「着替えてきます。こんな格好ではあの子たちに示しがつきませんから」
内心で汗だくの姿を恥じる王妃の姿に、真面目な軍将は無言で頭を下げて身を引いた。
ただ格好つけたい息子と違って、母には母の威厳の保ち方があるのだ。
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