第29話 公子の帰還
宇宙船スィーフィード号内にしつらえられた貴賓室は、その名に反して簡素な作りだった。
船そのものが、外観の優雅さこそあれ、装飾などは少なく、機能美にわずかな外観を追求するものだった。
室内の装丁やシンクレア式の家具類は丁寧な作りではあったが、派手さはなく、落ち着いた質感を室内にもたらしている。
「まもなく、惑星シンクレアに到着します」
自分よりずっと年下の少年が、笑みを絶やさずに語り掛けてくる姿を、ティルト=ラース・フェリシア・ティルテュニアはぎこちない笑みを浮かべて受けた。
その隣では、父カート=カーランド・ラースが困惑気味な態度を隠せずに座っている。
向かい合って座るまだ8歳(地球人年齢換算)の少年が一番落ち着いていた。
リューティシア皇国公子リュカ=リュケイオン・グラストリア・リードは、困惑する父と娘を前に優雅な仕草で佇んでいる。
「御心配には及びません。父も母も、貴方の到来を心待ちにしております」
その言葉を、
ただの商社員であったカートは、妻となったティナとごく普通に出会い、ごく普通に恋に落ち、そして結婚し、娘のティルトを設けた。
そのはずであった。
普通の人であったはずの母ティナが、かつて蒼海統一国家であった旧フェレス朝の末裔であると
その少し前から、ごく普通の家族であったはずのラース家周辺に不審な一団が見られるようになっており、今際の際に母からその出自を告げられた父、カートは慌てて蒼海の大国、アルミニア公国公王アルフォースへ自分の娘の保護を願い出たのである。
アルフォースはその願いを受け入れ、父娘は自分たちに纏わる徹底した身辺調査の末、初めて母とその一族がそれまでどう生きて来たかを知ることになった。
母が、どれほど普通に生きたいと願っていたかを始めて知った。
そして、それが叶わなかったことも。
そして、その日からティルトもまた自分が普通に過ごすことは出来ないのだと思い知らされることになる。
アルフォース王の庇護下においても、ティルトに面会を求める人間は後を絶たなかった。
エンダール帝国による蒼海制覇の統一戦争と、それを阻止せんとするアルミニアを中心とした連合国軍との戦いは、蒼海超銀河団全土を巻き込み、人々は疲弊していた。
エンダール帝国が討ち果たされ、滅びた後も、蒼海制覇を企む多くの野望が沸いては消えた。
そして戦後、一部の人々は、その安定と安寧をかつての蒼海統一国家フェレス朝の末裔であるティルトに求めたのである。
ティルトがアルフォースの息子、フォースウィルの妻となり、アルミニアが蒼海を統一し、超銀河に安定をもたらす。
アルミニア公国民はそう願った。
あるいは、彼女の身柄を手に入れ、自らが蒼海の覇者となる。
そしてアルミニア以外の少なくない国家では、そう目論むようになった。
母が、そして母の家族たちがずっと身を隠し、出自を隠してなお、誰かに追われ続けていた事実をティルトは身をもって知った。
賢王と謳われるアルミニア公王アルフォースはそれらの野心には耳を貸さず、自らも乗り出すことはなく、何年もティルトを護り続けた。
彼は安定のための新たな戦も、これ以上の混乱も望んでいなかったのだ。
だが、ティルトが14歳(地球人年齢換算)になり、アルフォースが自らの老いを自覚したころには、アルフォースの息子、フォースウィルの野心は隠しようがないほどに大きくなっていた。
エンダール戦後、何年もに渡って蒼海安定のために奔走していたアルフォースには家族を顧みる余裕は少なく、その間に育っていった息子の野心に気づけなかった。
そして気づいたころには一部の家臣団が蒼海制覇を唱えるフォースウィルを担ぎ上げ、勢力を広げていた。
老いたアルフォースにはその勢いを止めるのが困難になっていたのだ。
そしてアルフォースは残された手として、同盟国としてアルミニアへ親善大使として送られていたリューティシア皇国公子リュカに、ティルトとその父、カートの身柄を預けてアルミニアを脱出させることにしたのだ。
それがアルミニアとリューティシアの戦争を引き起こすことになるのを承知の上で……。
我が子が統一戦争を仕掛けて銀河全体に血を流すより、リューティシアに息子を討たせ、リューティシアの傘下にアルミニア公国を参入させることで、国民の痛手を最小限に抑えさせたうえで国内の安泰を優先させる。
父の情を捨てた公王として、国家の指導者としての苦肉の策であった。
アルフォースの最期の言葉を受けて、リュカ公子はその手引きによりティルトたちを連れてアルミニア公国を脱出。
追っ手を振り切り、リューティシア皇国内に帰還したのである。
リューティシア皇国軍の国境警備は万全であり、緊急に追撃したアルミニア軍で突破することは困難であった。
だが、こうなった以上、アルミニアとリューティシアの開戦は避けられなかった。
それこそが、リュカとその父、グラスオウの狙い通りではあったが。
「……着いたようですね」
重力制御された室内では、宇宙船の状況はわからない。
それにも関わらず、リュカはその状況を察知していた。
戦士ではないカートやティルトにはわからないものが、リュカには見えている。
リュカの言葉に少し遅れて、室内に響く艦内アナウンスが到着を告げる。
リュカに促される形で父娘が立ち上がった。
ティルトもカートも、今はリュカの言葉に従うことしかできなかった。
宇宙船から降りた先には、ごくわずかな人員しかいなかった。
リュカ公子の帰還は、今はまだ極秘事項でしかないのだ。
だが、その出迎えの中心にいる人物にカートは目を見張った。
小さな子を抱いた両親の3人家族。
リューティシア皇国竜皇グラスオウとシリル王妃。
そして母の腕に抱かれたリュクス皇子。
他ならぬリュカ公子の父と母、そして弟の姿であった。
それが、その周辺を警戒するごくわずかな装機だけを伴って宇宙船の発着場に立っている。
皇族としてはあり得ない光景であった。
纏っている服もごく普通の騎士とその夫人と言った様子で、あらかじめ知っていなければただの若い夫婦にしか見えない。
しかし、その家族の背後に立つ装機、龍王機ベルセリオスが、そこに立つ青年が竜皇グラスオウ本人であることを物語っている。
思わぬ事態に硬直したカートとその娘を置いて、リュカが前に出る。
「ご無沙汰しております。竜皇陛下、王妃殿下」
他人行儀でシンクレア式の敬礼を優雅に行う我が子の姿に、王妃の顔が悲しげに歪む。
実の父であるグラスオウは、それを流して小さな頭を叩いた。
「よく帰ってきたな」
父の言葉に笑みを浮かべ、リュカは続いて母に抱かれたまま、自分を見下ろす幼な子に向き合う。
「皇子殿下もお元気そうで何よりです」
二歳になったばかりの幼い弟は、まだ言葉がわからない。
異母兄の姿を見て、すぐに母の胸に顔をうずめた。
生まれてすぐに顔を合わせたきりなのだ。
兄のことなどわかるはずもなかった。
「積もる話もあるが。まずは家に帰ろうか」
二年ぶりの家族の再会を終えて、竜皇は静かに告げる。
その言葉に、リュカは目を閉じて答えた。
「お二人もどうぞ、おいでください」
それまで我が子たちの様子を見守っていたシリル王妃に言葉に、ティルトは慌てて頷いた。
きれいで優しそうな人。
それが、最初に抱いた危なげのない感想だった。
その人と自分が並び立つことになることも、その内面の強さも、その時は考えることはなかった。
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