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 実島宏美の後ろ姿が闇に紛れるのを待って、久間瑞穂はいま来た道を振り返る。

 等間隔に配置された街灯が照らす、晩秋の夜の澄んだ空気。明かりの中で動くものは、光源に群がる羽虫以外に見当たらない。


「気を付けてください」


 一見無人に思える街路へ、呼びかける瑞穂。


「私の同僚が、あなたの気配に勘付いたようです。

 彼女を不安がらせるのは、そちらとしても本意ではないはずでは?」


 反応は、すぐに現れた。

 立ち並ぶ電柱の内の一本、その後ろから男が姿を現す。まだ若い。街灯の光越しに見る限りでは整った容貌であるが、やや固く見えるのは緊張のせいだろうか。

 服装は背広、もっとも着慣れているとは言い難く、むしろ背広に着られている。不自然に伸びた背筋、張り詰めすぎて滑稽に思える姿勢も、そのイメージを助長させていた。


「申し訳ありません」


 男の口から漏れた声は、やはり硬い。


「以後は、このようなことがないよう努力します」


 生来からの真面目な性格――というだけでなく、慣れないことに緊張して固くなっているように見える。入社したての新入社員を自然と瑞穂は連想するが、それを彼の印象として固定することは控えておく。彼は自分を監視するために派遣された人間だ。派遣元である警魔庁けいまちょうの思惑次第では、醸し出している雰囲気自体が演技である可能性もある。




 呪術関係の諸事を取り締まる国家機関、『警魔庁』の監視下に久間瑞穂が置かれるようになったのは、既に二十年近く前のことだ。原因は、小学四年生のときに関わった一つの魔法少女事件。初期段階で事件に巻き込まれた瑞穂は高位の魔法操作能力を獲得し、同級生二名と共に事件へ積極的に関与した。その結果、事件は多数の死傷者を出すという最悪の形で終結。警魔庁が事件の存在を把握したのは、総てが終わってからのことだった。

 事件の結果について、瑞穂が何らかの責を問われることはなかった。小学生に刑事責任は問えないし、何より呪術関係の事件を世間一般に公開するわけにはいかないからだ(事件で生じた被害についても、一般的には『直下型地震とそれに伴うガス爆発によるもの』と発表された)。だがもちろん、警魔庁は瑞穂の存在を放置したわけではなかった。同様の事件を再発させる可能性を危惧した庁は、彼女を職員による監視下に置くことを決定。中学、高校、大学を卒業し、呪術とは無関係の会社に就職した今も、その方針は継続されている。

 常に付きまとう監視の目を、煩わしく思ったことがないと言えば嘘になる。だが瑞穂は、煩わしく思う権利など自分にはないと考えていた。小学生だった彼女が関わった事件で、命を落とした人間の数は四百を超える。その中には、彼女自身の両親も含まれている。その総てとはいわなくても大部分は、失わずに済むはずの命だった。救えるはずだったのだ――十九年前に自分が正しい判断を下すことができていれば。彼等を殺したのは自分。だから瑞穂は、警魔庁の監視下に置かれることなど、取るに足らない――むしろ軽すぎる罰だと信じていた。

 とはいえ『罰』は、責のある人間――瑞穂本人のみに課せられるべきものだ。自分への監視が周囲の者たちに悪影響を与えることまで、許容すべきだとは彼女も考えていなかった。その点で、最近までの警魔庁による監視は彼女の嗜好に合致していた。瑞穂以外の人間に監視を悟られることを、彼等は慎重に避けていた。

 だが先ほど、同僚である宏美は、瑞穂を見張る視線を感じ取った。また瑞穂自身も、この地に越してきた先週頃から尾行がひどく稚拙になったと感じている。このことについて、瑞穂は不快感とは別に一つの懸念を抱いていた。十九年前の事件が起きた場所、武蔵ヶ原――自分がその地を再び踏んだことにより、警魔庁は自分に対する認識を変化させたのではないか、彼女はそう考えていた。




 自分を監視している、先ほどの若い男。彼が見せた態度について思索を巡らせていた瑞穂の、歩みが不意に止められる。賃借しているアパートまでは、徒歩であと五分ほどはある。だがそのために進まねばならない眼前の街路に、変化が起こっていた。

 街灯が照らしだしているのは、ごく平凡なアスファルト舗装の道路――つい数瞬前までそうだったことは、間違いない。けれど今はその道路上に、街灯と同様の間隔で、小さな炎が並び連なって生じていた。物質の燃焼によって生じる明かりではない。燃える対象の不在にもかかわらず、炎は炎としてそこにあり、己が存在を増大させている。点々と灯る光は蝋燭ほどから暖炉ほどにまで増幅し、ああ、灯篭流しみたいだと考えた瑞穂は右手をバックの中に自然と伸ばした。


「鬼火⁉」


 戸惑ったような声は背後から。自分の監視役の若い男だ。彼の態度からすると、これは警魔庁の仕業ではないらしい。周囲の霊素――宗派様式によってはマナとも妖気とも呼ばれる、呪術行為の触媒となる粒子――の濃度が、異様に高まっていることに気付く。過去の事件のせいで平均霊素濃度が高い武蔵ヶ原にしても、通常ならば考えられない濃度――それが、さらに上昇する。電車がトンネルに入ったときに感じるような、気圧の変化による微かな耳鳴り。


「顕現! 来ます!!」


 男の警告を聞くまでもなく、脚部の魔力強化を行った瑞穂は塀の上に跳び退いた。男も瑞穂の右隣に跳び退き、身を屈めて道路の様子をうかがう。

 アスファルト上に灯っていた鬼火が、点滅の後、総て掻き消えた。同時に、消えた鬼火の向こうで、個々の鬼火などとは比べものにならない濃厚な気配が、現世へと其の型を顕わにする。顕現した姿は、四肢を持つ獣。狐とも狼とも付かぬ肢体は小型車ほどの大きさで、口には鋭い牙、四脚には長い爪が見られる。


――動物霊? にしては強大。それに、明らかにカスタマイズされている……


 生じた現象についての認識を瑞穂が終了するより前に、瑞穂たちの眼前には新たな事象が出現した。


 それは、無数の光だった。

 それは、獣を型取って顕現したものを、四方八方から取り囲んだ。

 それに目掛け、獣は即座に右前脚を鋭く振るった。


 獣の脚は切り裂く風を巻き起こし、光の弾の約四半分を掻き消す。


「カン!」


 鋭い声。瑞穂がどこか懐かしく感じたその声は、数を減らした光弾への指示――それを受けて光弾は獣へと殺到し、獣は怒り猛った吼え声を上げる。

 だが瑞穂は、大気を震わせる獣哄を聞いてはいなかった。



 彼女の耳には、獣に向けて光弾を放った声が残っていた。

 彼女の目は、獣に向けて光弾を放ったものに向けられていた。



 瑞穂と彼女を尾行していた男を間に挟み、道路に降り立ち獣と対峙したそのものは、キャスケット帽を被り、ゴシック調のワンピースに身を包んでいた。常ならば装飾過剰に思えただろうその服装は、小学生と思しき彼女によく似合っていた。人気の無い深夜の街路というこの場所も、左右の手に握られている拳銃を模ったそうも、彼女が持つ調和を崩すことはなく、むしろより一層確かなものにしていた。



 間違いなかった。

 間違えようがなかった。



 彼女は、かつて瑞穂がそうであった存在――魔法少女だった。

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