魔術の国の短編集

礫瀬杏珠

第1話『どうしてこの愛しさは消えてくれないのだろう』

『どうしてこの愛しさは消えてくれないのだろう』


苦しさがこみ上げる。


いつもの魔力切れの症状に指先が冷たくなる。


息が浅くなる、過呼吸のような症状には正直慣れた。


「悪いな、ちょっと煙草吸ってくる」


「えー、お師匠相手してよー」


ジャージを袖捲りして片手に木刀を持った生徒、猫谷楓は不満げに俺を見つめる。


「すぐ戻る」


自主練してろ、と言って体育館を出て階段の踊り場へ向かう。


『プロテクション』


身を守るための魔法を少し厚くかけると周りから身を隠す隠れ蓑になる。ついでに言えば煙草の煙も外にもれない便利な魔術だ。


いつものようにポケットを探る、がポケットが無い。

しまった……俺は今道着を着ているんだった。


目眩がして俺は目を閉じる。


どうする……薬も鍵も準備室の白衣の中だ。

校舎に戻るまで保たないだろう。


まさかこんな状況で死ぬのか?俺は

俺が生き残った意味はなんになる?


静かにその場にうずくまって震えに耐える。

目の前が真っ暗になっていく感覚。


ああ、ごめんなさい。貴女を独りにしてしまう。

先立つ不幸を、許して欲しい。


頭の奥で、オルゴールの音が響いている。

所々音の飛んだジムノペディ。


「お師匠、大丈夫?」


顔を上げると楓がいた。


「お前……どうやってここに」


「チェシャ猫はどこにでも入り込めるんだよ」


にはは、と笑って彼女が俺と目線を合わせる。

その姿がどうしても貴女と重なって見えた。


「お師匠、体調悪いの?」


「……ああ、薬忘れちまった」


「その症状、魔力切れ?」


「お前、知って……」


驚く俺をよそに楓はジャージを下ろして首筋を出す。


「お師匠、私の血を飲んで」


「……ダメだ。心臓に近ければ近い程執着が強くなる」


俺の家系、吸血鬼は他者からの血で魔力を贖う。現代では薬剤で賄えるようになったが、こうして薬が無ければ生死をさまようのだ。


「そんな事言ってる場合じゃないでしょ?」


「なら指先でいい」


「それじゃあ足りないじゃん!」


「……手首でいい」


捲られた右腕を取って、手首にそっと口付ける。


「ッ……!」


魔力が回復していくのがわかった。

彼女の手首に残る、黒い跡。


彼岸花のような花弁の痣。


「所有印……」


吸血鬼が効率よく血を手に入れるために付けるマーキング。吸血鬼が愛したものにしか残らない。


それは、つまり。


「お師匠……」


「……これは、だな」


説明ができない。貴女を愛すると誓っていたのに、目の前の気紛れな猫が気になってしまう。


「……いいよ、平気。だって私お師匠のこと大好きだし」


「だから、平気だよ」


可愛らしい笑顔を浮かべた彼女は、その場に倒れた。


「楓……!!」


急な魔力流出による気絶。だから指先でいいと言ったのに。


俺はため息を吐いて、楓を抱き上げる。


魔力切れ起こした教員が生徒の魔力貰って所有印付けて、挙句の果てに生徒を魔力切れさせるなんて大問題だ。


……多分あいつなら上手くやってくれるだろう。

そう期待して俺は保健室に向かった。


「手のかかる生徒だな、お前は」


俺は彼女の頭をそっと撫でて階段を降りていく。所有印を隠すようにジャージを伸ばして。


気紛れで、ワガママで、振り回されっぱなしだ。


でも、どうしてこの愛しさは消えてくれないのだろう?

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