古沢/オンエア!!
折見900
オープニング 怪物と呼んでいいものか
女の子がモンスターに襲われていたら、人はどうするだろうか。
学校帰りの高校二年生、古沢恭一は、雨の降る路地裏にて黙考していた。
戦う、という選択肢がある。
しかし実際戦うとなると、生身の人間には中々厳しい。戦うだけなら猿にも出来るが、勝てとなると話は変わってくる。女の子がそいつに襲われているか否かに関わらず、だ。女の子を救いたい気持ちだけで何とかなってしまうほど世の中甘くない。
では見守るか、応援するか。
確かに女の子がモンスターに互角以上の戦いを挑んでいたなら、それもありだ。こちらが干渉すれば野暮の謗りを免れまい。しかしそうでなければ話は別だ。たとえば人がモンスターに食い殺されかけたりしているのを黙って見ているというのは、ちょっと人間としてどうかと思われる。相当心が荒んでいないと出来ないF難度の大技だ。声援など送れば即座に加点である。
ではどうするか。警察を呼ぶ、という選択肢もある。
勇者が剣など使わなくとも、現代人は電話のキー三つで国家権力を召喚する能力を備えているのだ。その威力は魔法のランプに勝るという。しかしながらこの召喚術は、現代日本においてはモンスター相手に効かないのだ。電話口でモンスターのモの字を出した瞬間に術式は解け、電話は切れる。このあたりモンスターは上手くやっている。
あるいは、と古沢は、もう一つの選択肢を思い出した。
「女の子がモンスターに襲われてたらボクも一緒に襲っちゃうよねデュフフフフフフフ」――この間電車で、豚の水死体みたいな男が眼鏡を曇らせながらそんな独り言を呟いていた。女の子一人を犠牲にしてでもモンスターと手を組み、後々敵側の内部分裂を引き起こすべく工作するという算段だろうか。しかしそれだけの使命感と自己犠牲精神がないと実行できない作戦だ。なので恐れ多かったのだろう、彼の周囲半径一〇〇メートルには人がいなかった。
――――さて。
逃避はこれぐらいにして、古沢は学生帽を被り直して目の前を見た。彼がわざわざ雨中で立ち止まってこんなことを考えているのには、きちんと理由がある。
すぐそこで、女の子がモンスターに襲われているからだ。
(敵はおおむねでかいカエルってとこか……襲われているのは制服からしてうちの生徒だな。しかもほとんど力尽きている)
色々考えたが、実際問題として――こういう時は自分の実力に応じて、逃げるか助けるかの選択をするしかないのだ。そして古沢はといえば、カエルぐらい一瞬で倒せるだろうと踏んでいた。
もっとも今目の前にいるソレは、姿形がカエルっぽいだけで高さが五メートルぐらいある。しかも臙脂と黒の縦縞という気持ち悪い色合いだったのだが――この際、どっちでもいい。
あいにく怪物をこの目で見るのが始めてなので、その辺の価値判断は適当だった。古沢はスニーカーの裏で足場を確認する。アスファルトは多少濡れていたが、凹凸があるので踏ん張りはきく。つまりここからダッシュしようと思えばいつでも怪物に殴りかかれる。
だが、古沢は冷静だった。まだ駆け出さずにじっと待ち、まずは現状を整理する。
襲われているのはうちの生徒、という認識に間違いはない。冬用である白の長袖セーラーに身を包んだ女子生徒が、具体的にはビルの二階に相当する高さまで持ち上げられて、べたついた手というか前足で玩具のように弄ばれている。当然その白いスカートは重力に従って大変なことになっていたが、中にはこれも白のタイツを着けており、女子生徒の方もさして隠すそぶりを見せない。
そんな体力がない、というだけかもしれないが。
(軽く絶体絶命らしいな。しかも見てりゃあいつ、さっきから卑猥な部位ばっか触っていやがる。女子高生の前鋸筋がそんなに好みか変態め……いや、女子高生、というより)
古沢は帽子の奥で目を細めた。
そこにあったのは、女子高生というよりも――かなり見覚えのある人物の姿だった。なぜだか長い髪を銀色に染め、それでいて教師陣から何一つお咎めのない人間。その髪を見れば、否が応でもわかってしまう。
待田街。クラスメイトにして、ここ豊島区の平和を守る魔法少女――だったはずだ。
目の前の惨状を見ると、残念ながら過去形にせざるを得ない。
三年間にわたり区を守ってきたという彼女の活躍はもはや、区民なら誰でも知っているレベルだ。そんな彼女が今こうして窮地に陥っている理由だが、しかしそれも古沢は知っている。というより、少なくともクラスメイトは全員知っている。季節外れのインフルエンザである。
よく見ればその額には冷却シートが貼られていた。顔は上気したように赤く、しかし唇は青ざめて小刻みに震えている。手にも足にもぐったりと力がなく、目は焦点を結んでいないように見える。素人の古沢でもドクターストップをかけたいレベルだ。
それでも待田が欠けると代役がいないのだろう。インフルだろうが何だろうが出動しなければならないのだ。
古沢は一つ息を吐き、傘を半ばまで閉じて前に傾けた。
区も区だし、怪物も怪物だ。病人のことはいたわれと、小学校で教わらなかったか。
スタンディングスタートの格好で膝を曲げる。気付かれないうちに懐に潜り込んで、腹でも殴ってやればおそらく一発だ。女子高生(の前鋸筋)に夢中な変態ガエルから身を隠し、かつ空気抵抗を最小限にできる絶妙な形となった傘を両手に構え――古沢は一気に身を屈め、地を蹴った。
濡れるのも構わない。距離は三〇メートルほど、しかし一瞬で詰まる。それに気づいた変態が唸りながらやっと古沢に目を向けたが、もう何もかも遅かった。敵が何か行動を起こす前に、古沢は傘を完全に閉じきる。目隠しから刺突武器へ。瞬時に役割を変えたその傘を、古沢は過たず敵の脛に突き刺す。
カエルに脛があるとして位置が正しいのかは微妙だったが、果たして古沢は傘が骨にぶつかる確かな感触を得た。呻き声とも雄叫びとも取れない声が路地裏に響き渡る。カエルの潰れたような声、というのを古沢は身をもって体感した。踏み込んだ体勢から素早く戻し、怪物の反撃を予測して身構える。が――見れば怪物は白目を剥いて、もう反撃の気配すら見せていなかった。
怪物の粘液にまみれた手が力なく緩む。クラスメイトこと魔法少女の待田の体がぬるりと滑って重力に引かれ、頭を下にして吊り下げられた格好になる。抗う体力ももう残っていないようだ。
茫然とした待田の目が、少しだけ開かれる。だが、それだけだった。次の瞬間彼女の体は加速度に従って落下する。高さはビル二階分。古沢は何も考えなかった。黙って傘を投げ捨て、駆ける。落ちきるまでは一秒。その真横から体当たりをかますように飛び込み、同時に待田の首を支え、彼女の体を九〇度回転させながら水平に飛ぶ。足が軽く潰れそうになったが、構っていられない。そのまま待田を抱えながら右足を軸に半回転、左足を後ろに蹴り出す。そこにあったどこかの家の室外機があっけなく砕ける音がして、がくりと二人の動きは止まった。
抱えた待田を落とさないようにしながら、古沢は力を抜いて、数度深呼吸して息を整える。その間にカエルの怪物の体はゆっくりとぐらつき、雨水を撒き散らしながらドシャリと後ろに倒れた。
なんだかよくわからなかったが、とにかくうまくいったらしい。
特に安堵も感慨もなく、古沢は腕の中の待田を確認する。怪我はなさそうだったが、呼吸が浅い。あれだけの雑魚に抵抗すらできないほどに弱っていたのだろう。長袖のセーラーと白のタイツで肌を覆い隠してはいるが、それでもこの雨は危ない。体温がこれ以上冷えたら、死ぬかもしれない。とりあえず自分の体で彼女を庇いながら、古沢は声を掛けた。
「おい」
「……………………」
「立てるか」
「…………やっ、と」
掠れて消えそうな声を、古沢は何とか聞き取る。
「……やっと、来てくれた、のか」
「やっと、って」
思わず聞き返したが、待田の目は相変わらず焦点を結んでいないままだった。
返事をするわけでもなく、雨音よりも微かな声が、上言のように吐き出される。
「三年間、ずっと…………願っていた。古沢に……助けてもらえるのを」
「…………三年間」
それは確か、待田が魔法少女として活動を始めたばかりの頃。
しかし、だから何なのか。それが何を意味するのか。眉間に困惑を浮かべる古沢をよそに、待田はなおも声を出そうとする。
その顔は、微笑んでいた。安堵したように、あるいは恍惚としたように、力なく頬を緩ませていた。だが――
古沢は同時に、見ていた。彼女の目元が潤んでいるのは、おそらくこの雨のせいではないだろう。
「……無理するな。とにかく、歩けないならどこかに迎えを――」
「…………夢みたいだ……夢、なのだろうか……? これは。私は……もうすぐ、死ぬ、のか? 古沢」
話が全く噛みあわない。
相手は重病人なので、それも仕方ないことなのかもしれない。だが、それにしたってよくわからない点が多かった。そもそも待田とは単なるクラスメイトで、それ以上の親交はなかったはずである。三年間も待たせていた覚えなどどこにもない。
いや、それより。
古沢自身が、三年前のことを。
「……夢じゃないし、まだ死なない……はずだ。気をしっかり持て、もしダメなら救急車を」
「古、沢…………お願い、だ…………」
「…………」
「私と一緒に……魔法少女に、なってくれないか」
そこまでだった。
糸が切れるように待田は意識を手放し、後にはもう、雨の音しか残らなかった。
「…………」
結局、わからないことだらけだ。三年間という言葉の意味もそうだし、魔法少女になってくれという言葉もそうだ。魔法も使えない男子高校生に、このクラスメイトは何を要求してくれるのか。
眠っているような彼女の顔を見て、また帽子を押さえようとする。そこで古沢は初めて、自分の頭から帽子が消えていることに気付いた。待田を受け止めた時に、落ちたのだ。
雨から待田を庇ったまま、古沢は少しだけ考える。
三年間、と待田は言った。では三年前、一体何があったのか? しかし古沢には、どれだけ考えても覚えはなかった。
というよりも、「覚えていなかった」と言う方が正しいだろうか。
古沢恭一という少年には、ある一年間の記憶が、ごっそり欠けているのだから。
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