第18話 絵の秘密
鶴屋喜衛門の別宅を出て、一同揃って西福寺に向かう。俺は春朗に春章師に事の次第を説明に行く旨を伝えた。
「そうですか、それは有り難いことでございます。師匠も大変胸を痛めておいでです。私以外の方からおっしゃって戴ければ幸いです。それにしても、春信が敵の間者だったとは……」
それは今更言っても仕方のないことだが、それだけマフィアが入念に準備をしていたという事だろう。お栄のことと言いこちら側は後手後手に回ってしまっている。
「あれを取り返すのは直ぐには無理かも知れませんな」
蔦屋さんが呟くように言うと山城さんも
「お栄は何処に行ったのやら」
そうなのだ、仕上がっていない絵を何処かで完成せねばならぬ。
「恐らくどこかの時代にあるマフィアの工房でござんしょう。仕上げてオークションに出すつもりでござんしょうねえ」
さきが今迄の流れから見通しを言う
「オークションとは?」
春朗が面食らって質問をするので
「競売とも言うものですね。その物を欲しいと思う者同士で競り合うのです。高い値を付けた者が所有者になるという方法でございますよ」
俺はこの時代の彼にも判るように説明をした。
「そうでございますか、その代金はどのように?」
「基本的には、手数料を競売の業者が引いて、残りは絵の所有者に入ります」
本当は税やその他のこともあるのだろうが、今は言っても判り難くするだけだと思った。
そんな事を話しながら歩いて西福寺に着いた。正門が大きく開かれていて、寺男の人々が心配そうに数人立っていたが、どこと無く所在なげに感じた。
「ああ、春朗さま!」
寺男の一人が声をあげる
「師匠は?」
「庵に……」
「ありがとうございます。私の友人達をお連れしました。この度の事で力を貸してくれた方々です。
春朗は一応断って一緒に来るように俺たちに促した。
寺の一隅に瀟洒な庵があり、そこが工房だと春朗は言った。
「あそこで、今度の絵を描いておりました。寺の本堂とも離れていますので、夜になれば抜け出すのは簡単でございます」
確かにその気になれば、書きかけの絵を盗んで逃げ出すのは簡単だと思った。
春朗は庵に近づくと表から中に声を掛けた。
「師匠、春朗戻りましてございます。以前よりお伝えしておりました。蔦屋殿とお仲間達をお連れしました。今回の春信の一件につきまして説明したいとの事でございます」
春朗の言葉が全て終わるまで聴いていた庵の春章は
「そうか、ご苦労様でした。どうか狭い所ですが入って貰いなさい」
その声は意外にも落ち込んでなどいない声だった。
庵の中は八畳ほどの部屋が二間。それに小さな土間の台所や便所などがついていた。春朗によればこの寺には風呂があるので、入浴はそこでしているそうだ。
部屋の一つが工房になっており、その部屋は大きく外に開かれていたが、蔦屋さんが言うには間接的に光が入る様に工夫がしてあるそうだ。
その工房の奥に春章は座っていた。
「蔦屋殿以外にはお初にお目にかかります。勝川春章でございます」
春章はこの時七十歳程だがもっと若く見えた。この二年後に亡くなるようには見えなかった。
春章の自己紹介を受けて、春朗が俺とさき、それに山城さんを紹介してくれた。蔦屋さんのことは説明してあるらしい。
「この度は本当にお手間をかけました。弟子の仕業とは言え全く油断しておりました。まさか、あ奴があんなことをするとは思いませなんだ」
確かにその通りだろう。マフィアが狙っているということは春朗には伝えていたが、師匠の春章に伝えるかどうかは、春朗に任せていたからだ。それに何かあるとすれば絵が完成してからと、完全に思い込んでいたこちらの油断もあった。
「実は、絵の方は敵の者に伝わり、逃げられてしまいました。この通り申し訳ありませぬ」
責任者として俺は頭を下げた。お栄のことは言わない方が良いのではと考えた。だが……。
「絵を持ち去ったのはお栄という者でございましょう。恥ずかしながら我が娘でございます。事情があり私は若い頃にある娘と所帯の真似事のようなものを持ち、子を儲けました。暫くは幸せな日々が続き、それは今でも私の心に大事な思い出として残っております。でも、それまで売れなかった一介の絵師の自分に江戸で勝川派の絵師からの誘いがありました。機会さえ与えられればと常に思っていた私はそれに飛びつきました。必ず迎えに来るからと言い残して江戸に出て来たのでございます。しかし、事情があり中々迎えに行く事も侭なりません。そのうちに行方が判らなくなってしまったのでございます」
まさか、お栄ことを知っていたとは思わなかった。それに、今迄で、そんな事情があるとは思っていなかった。単純な理由ではないとは思っていたが……。
「だから、私は今度の絵に贖罪の意味も兼ねて絵の中に自分の心に住んでいる二人を絵の中に蘇らせたつもりなのでございます」
一瞬言っている意味が理解出来なかったが、「美人鑑賞図」が幾人もの女性を描いていることを考えれば春章が何を言いたいのか理解出来た。
「では、絵の中に二人の面影を閉じこめたということですかな?」
山城さんがちょっと興奮して質問をする
「左様でございます。丁度別な下絵がありますので、それをお見せしましょう」
春章はそう言って、春朗にもう一つの八畳にあった下絵を持ってこさせた。
「これでございます」
下絵は色は塗っていないものの我々にも判るほどの出来だった。
「この絵には都合十人の女性と一人の子供が描かれております。その子供がお栄なのです。そして、それを一番左で見守っているのがかって私が愛した者なのでございます」
今更改めて下絵を見なくても「美人鑑賞図」は鮮やかに思い出せることが出来る。確か、お栄のつもりで描いたその子供は後ろ向きで顔を見せてはいなかったはずだったし、目の前の下絵もそうだった。
「笑ってくださいませ。私はあの日から一日たりとも忘れた事はありません。探しても逢えないならば自分が絵師として有名になれば名乗り出てくれると思い精進しました。でもいざ、その面影を書こうとしても、今の私には書けないのでございます。妻の面影はハッキリと思い出させても娘の成長した姿を描くことが出来ないのでございます」
下絵を我々に見せてくれた春章は涙にくれていた。それは自分の描く絵の中でしか逢うことが出来ない老年の絵師の姿だった。
「春章殿、あなたさえその気なら、お栄を連れて来る事も出来るかも知れません」
蔦屋さんがそう言って春章に詰め寄ると
「いえ、私はそんな資格のない者でございます。美人画を描くようになったのも、絵の中で思い出を手繰っているのでございます」
そう言って頭を振った。
もう、それ以上は言えなかった。俺たちが気分的に沈んでいると春章は
「それより、あなた、さき殿と申されましたな。あなたは美人だ。あなたを見ていて創作意欲が湧いてきてございますよ。どうですが、あなたの姿を写生させて戴きとうございます」
そう言って俺たちを混乱させた。さきは目を見開いたまま驚いている。
「どうですかな。そして今度の絵にあなたの姿を入れたいと思っております。どうせ描くなら新しく下絵を描いてみたいと思うのでございます」
春章がそこまで言ったので、俺は改めて下絵を眺めた。すると僅かに一番右で床の間に掛け軸を掛けている女性の顔が僅かに出光美術館で見た「美人鑑賞図」と違っていた。それは僅かだが、それを知ってた上で見ると違いが判るものだった。
「描いて貰いなさい。恐らくそれが真贋を分ける判断の材料になるやも知れませぬ」
蔦屋さんがそう言って勧めたので、さきは
「不束かでございますがよろしうにお願い申します」
そう言って頭を下げた。隣に座っていた山城さんが小声で
「写楽の時と言い、美人は得じゃな」
そう言って俺の横腹を肘で小突いて来た。
「痛いですよ」
そうは言っては見たものの、実は俺も嬉しかった。そして、浅田学芸員がさきと「何処かで会ったことがある」と言っていた意味がやっと判ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます