第6話 対策会議の夜
気が付くと、訓練センターの転送室だった。さきは俺に向かって
「光彩さんは部屋に帰っていてください。私は今回の事を報告してきます。次回の予定にも影響してくると思いますので」
そう言ってどこかに消えて行った。事の重大さもさることながら、さきの言葉が今の言葉に戻っていた事の方が驚いた。俺は元の部屋に帰った。
着物を脱いで、着物掛けと呼ばれる漢字の日の字に似た感じの着物掛けに、脱いだ着物や帯を掛ける。こういうのは着物の着方を教わった時に習った。向こうで泊まり込みになることもあると言われたからだ。
支給されたジャージに着替えると、やはり体がほっとしたのを感じた。さきなんかはもしかしたら着物の方が楽なのではないだろうか、今度訊いてみよう。
体が楽になったら腹が減った。食堂に行って何か食べよう。思えば江戸で朝飯を食べただけで、茶屋でお茶を飲んだきりだと思いだした。
食堂に行くと、この前の男がいた。
「どうもこんにちは。どうでしたイギリスは?」
挨拶ついでに聞きながら前の席に座ると、男は、
「ああ、あんたか、俺の方は大変だったよ。何でも向こうにも買い付けの組織があってな、そいつらが妨害するんだ。『ここは俺達のテリトリーだ、日本人は来るな!』って言われたよ。」
「それが関係あるのですかねえ。俺の方も邪魔が入って、もう少しで買い付けた絵が台無しになるところでした」
男は、暫く考えてから俺に
「どうやら、買い付けの下部組織同士で競争になっているみたいだ。どちらが高く売ってノルマを上げる競争みたいだな」
男は冷静に分析をして見せた。
「それで、買い付けは上手く行ったのですか?」
「まあな、半分だけだがな。状況を把握次第また向こうに行くらしい。きっとあんたの方も予定が変わってくると思うぞ」
そう言って男は食べ終わって、トレイを持って去って行った。俺はその姿を見送って、所詮自分ではどうにもならないと腹を括った。
借金から逃れられないなら、どんな妨害も覚悟の上だ。どんな事があっても借金を返済する。そして、アートディレクターになり認められている範囲のお宝を買い付けて一財産築いてやるのだと覚悟を決めた。
二日後にはまた江戸に行く手はずだったのだが、どうも、あの男の言った通り予定が変わった。
俺は、研修センターで江戸時代の事を色々と学んでいた。それらは時代劇等とはかなり違っていて新鮮な事だった。そんな時だった。昼飯を食べていると、坂崎同心が食堂に入って来た。
「あれ、坂崎さん! どうしたのですか? こちらに来るなんて」
俺は、正直驚いた。江戸在住の坂崎同心は江戸時代を離れることはないと思っていたのだ。
「おお、こうすけか。お前もしかして、ワシがタイム・ワープしてこっちにやって来たのを不思議に思っているのだろう?」
まさに正解だった。坂崎さんがタイム・ワープが出来るというのが衝撃的だと思った。
「お前大体、さきが何時の時代の人間だか未だ教えて貰ってないのか、聞いたら驚くぞ」
坂崎さんの姿は江戸と同じ同心ルックだ。変わりはない。
「同じ格好ですね」
「当たり前だろう! これが同心の正式な装いじゃ」
きっと、坂崎さんにとってはこの格好が一番過しやすいのだろうと勝手に思った。カウンターで山盛りのご飯と味噌汁、それに沢庵を貰うと、何ととんかつを注文して、副食には牛肉の佃煮を注文した。そして、驚いている俺の隣に座ると
「また、何驚いている。こっちに来た時はやはり肉じゃよ。こっちでは柔らかい肉ばかりだし、旨い料理法もある。逆に野菜は水ぽいし、豆腐や納豆は食えたもんじゃない。お前もそれぐらいは想像つくだろう。この前向こうで食わせてやったから」
確かにそうだった。米と野菜の味がまるで違っていた。
「まあ、米はそんなに変わらんがな。ワシはこのとんかつが大好きでな。肉もこれは臭くないし、旨味も強い。このソースを掛けて食べると格別じゃ」
坂崎さんはそう言ってゴキゲンで食べ始めた。そして、食べながら、こっちに来た事情を説明したくれた。
「この前のお前にぶつかって来た奴な。実はもう取り調べてあってな。やはりイギリスの奴らの手下でな。あいつら未だ日本に正式に入国出来ないから、人を使って色々とこっちの妨害工作をしてるんだ」
「あれ、未だ黒船は来ないんですか?」
確か嘉永六年はペリーが最初にやって来た年だと思ったが
「今は何月だ。あいつらが来るのは来月だ。未だ日本は泰平の眠りにある」
そうか、開国してないから、イギリスの居留地も横浜には無い訳だ。きっと、居留地が出来ると何だかんだと理由をつけて江戸の街に出向いて、浮世絵を買い漁るんだろうな。そうしたら、俺の借金返済計画もおじゃんだ。そうはさせないと改めて思う。
「そこでな、各時代の駐在員が集まって対策を協議するためにやって来たという訳じゃ。あ、そうそうお前もオブザーバーとして会議に参加する事になってるからな。聞いておるじゃろう、さきから」
はあ? そんな事は聞いていてないし、それにさきとは、帰って来てからまだ会ってない。
「なんだ、あいつも肝心な事を言ってないのじゃな。意外と駄目じゃのう」
そう言って坂崎さんがご飯を丼で山盛り二杯、とんかつを三枚食べて食事が終わった。
「ああ、食った食った! これで暫く肉を食わなくても良いな。この後確か会議があるはずだがな」
そう坂崎さんが言った後だった。さきが食堂にやって来た。
「坂崎の旦那、お早いですね。会議は今夜ですよ」
「時間に余裕を持って行動するのが、我らの習わしじゃ。それよりもお前、こうすけに会議の事何も言っていないのか、こいつ知らなかったぞ」
坂崎さんがそう言って俺の言いたい事を代弁してくれと、さきはケロリと
「ええ、だから今言いに来たんですよ」
そう言って笑っている。本当か、さもなくば忘れて誤魔化したのかは俺には判らなかった。
「光彩さん。今日の十八時から中央会議室で今回の事に対する対策会議があります。光彩さんは、現場での体験者としてオブザーバーとして出席して戴きます。この会議にはほとんどの駐在員と我々同行員が出席します。証言を求められると思いますので、宜しくお願いします」
さきは恐ろしく事務的な言い方で今夜の会議の事を俺に告げた。判っているのは、俺には拒否する権利は無いということだった。
「その通りですね。他にも被害を受けた人も出て戴きます。対策は早く講じた方が良いですからね。あ、そうそう、この前の「蒲原」ですが、思っていたより高値で取引出来ました。この調子なら回数を減らせますね」
そうか、そう言えば「蒲原」が幾らで取引されるなんて考えてもいなかった。高ければ、高いほど俺の返済も早まる訳だ。
「坂崎の旦那は時間までどうなさるのですか?」
突然さきの言い方が微妙に変わった。まるで、誰かにわざと聞かせているかのような口ぶりだ。ここには他に誰もいないのだが。
「予定は無いが、暇つぶしに映画など見せてもらおうかと思ってな」
「それなら坂崎の旦那、向こうで、お江戸での面白い話を聞かせてくださいな」
「おお、ワシの話で良ければ幾らでも聞かせてやるぞ」
そう言ってさきと坂崎さんは食堂を出て行こうと立ち上がった。二人とも芝居をしているのが丸判りだし、さきは俺の腕を掴んでいる。
「さ、光彩さんも一緒に……今日は講義もありませんからね」
そんな感じで二人に俺は連れられるように食堂を出て行った。
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