第3話 江戸へ

 朝は七時に天井のスピーカーから爽やかとは言い難い音楽と、無機質な声の放送があった。

「起床の時間です。九時より訓練が始まりますので、それまでに朝食を済ませておいて下さい」

 この放送は果たして俺に言ってるのだけでは無く、昨夜食堂にいた者全員に言ってるのだろう。部屋の洗面所で顔を洗い、備えつけのタオルで顔を拭く。兎に角、腹が減ってはと思い食堂に行く。昨夜の男がいるかと思ったが誰もいなかった。思えばここは二十四時間食事が出来るのだ。この時間である必要は無かったのだ。朝食はしっかり食べる方なので何か腹に入れておきたかった。

 これが旅行で来ていたら、朝風呂と洒落込むのだろうが、正直そんな気分にはなれない。食事を済ませると真っすぐ部屋に帰る。ちなみに部屋には鍵は掛からない。神経質な者はそれだけで眠れないだろうと思う。俺は平気な質なのだ。結局部屋に戻り、ベッドでボケっとしていたら、八時四十五分にドアがノックされた。開けると制服姿のさきが立っていて

「さあ、今日も元気に訓練致しましょう。今日は、髷の事と、言葉ですね。それを勉強します」

 冷静になって考えると確かに、頭の格好だって江戸時代は髷を結っていた訳で、それはどうするのか、と俺も考えていたのだ。

 昨日とは違う教室に入って行く。どうやら、本格的な理容の設備が整っていた。要するに理髪店みたいな教室だ。

「昨日の測定時に測った数字を元にかつらを製作しました」

「かつらを被って江戸時代に行くのか、取れたりしたら怪しまれるだろうな」

「かつらと言っても時代劇で使うようなかつらではありません。もっと薄く、自然な感じのかつらです。無理に強い力で引っ張らなければ取れることはありません」

 さきが、そう言って奥の部屋から持って来た箱の中に、俺が被るかつらが入っていた。見ると時代劇などで使うかつらよりはるかに薄くて小さい。

 実際は、理容師さんが俺の頭の上にかつらを載せ、頭にピッタリとフィットさせて行く。

「時代劇などのかつらは、頭の毛を後ろにとかして、その上に手ぬぐい等を載せてかつらを被りますから、随分と長い顔になってしまいます。江戸時代の人が見たら笑いますよ。これは基本的に被るというより頭に組み込む形です。だから顔が間延びしません。まず判りません」

 さきが自慢するだけあって、自然な形で仕上がった。さすがだと思う。その頭で昨日の着物を着て、雪駄を履いて歩く訓練をする。多少昨日よりましになった気がする。

 それが終わると言葉の稽古だ。さきはその前にと言って大事な事を語り出した。

「こうやって着物を着て戴きましたが、一箇所だけ現代のままな場所があります。お判りですか?」

 さきの質問だが、実は俺も気にしていたのだ。そう、それはパンツだ。本来ならふんどしだろう。越中か六尺かは知らないがどちらかを締めなくてはならないのだと思っていたのだ。

「そうなんですが、向こうで着物を脱ぐことはありませんのでこれは良いでしょう」

 残るは言葉だ。これについてさきは

「こちらに来る前に、~です、~ますは止めて下さいと言いましたが覚えていますか?」

「ああ、覚えているさ。です、ますが卑しい言葉だったなんて知らなかったからな」

 これは、俺としてはちょっとしたカルチャーショックだったから印象深いのだ。

「じゃあ俺はどんな言葉を話せばいいのかな」

「そうですね。基本的には喋らなくても大丈夫なのですが、普通の言葉でいいと思います。江戸時代、それも我々が行く幕末では、今と若干アクセントは違いますが近い言葉を使っていましたからね」

「じゃあ、浮世絵を買う時には『これをくれ』とか『それをくれ』とかで良いのかな?」

「そうですね。それで良いですね。ただ、人や職業によっては早口だったり、符牒なんかを使って話す人もいますからね」

 そうさきに言われて少し安心した。「ですます」だけつけないように話せば良いととりあえずは判っただけでも安心した。

 そこまでで、午前が終わり食事となった。今日は、食堂でさきも一緒に食べる。

「君も、向こうに行けば言葉が変わるのかい?」

 カレーライスを口に入れながら尋ねるとさきは

「そうでござんすよ旦那、当たり前って言えば良ござんすかね」

 いきなりそう言って俺を驚かせ、カレーをムセさせた。それを見て、さきが笑う。

「驚きました? これが当時の町娘の言葉ですよ。最もこれは、よそ行きでしてね。仲間達で話をするときは凄いですよ。例えば『てめえ、この前の色とはどうしたんでえ!』『どうもこうもあるめえ、何もなく尾張のコンコンチキよ』なんて会話をします。これ歳の頃十八の娘同士の会話ですからね。意味はお判りになるでしょう?」

 さきが言った内容に少し驚いたが

「ああ、つまり今風なら『あなた、この前の彼とはどうなったの』『どうもこうもないわ、何も無かったのよ。悔しいわ』と言う感じだろう?」

「そうです。よく出来ました。まあ向こうで判らなければ私が通訳しますから」

 まあ、そんな事にならないようにしたいと思う。だって同じ民族なのだからな。

 

 午後は何と走る訓練だ。

「まず、腕を胸の前で交差させて下さい。そして肩を左右に振って走ります。まあ、これは緊急の場合です。基本的に江戸時代の人は道路を走りません。道路は往来と呼ぶのですがね。でも走らなければならない時もあります。そんな時は、こうして走って下さい。それと往来を歩く時は道の両脇を歩いて下さいね。真ん中を歩くと年寄りに叱られます。

 聞かねば知らない事ばかりだ。本当に僅かの間に日本という国が変わったのだと思う。

さきが手本を見せてくれる。知らなければ本当の江戸時代の町娘だと思いそうだ。

「明日は、理容師さんに頭を拵えて貰ったら早速向こうへ行ってみましょう。練習代わりに「東海道五十三次」の「蒲原」を買ってきます。研究者では『蒲原の謎の絵』と言われていますね」

 それは俺も聞いたことがある。蒲原は静岡で気候が温暖な場所だ、滅多に雪なぞ降らないが、何故か広重の「蒲原」には雪が振っている。調べによると、広重が写生をしたと思われる時期には雪は降っていないのだそうだ。

「それに『蒲原』には幾つかのバージョンがあります。空が暗いもの、明るいもの、それに雪が舞い降りているもの、無いもの。幾つかバージョンがありますので、今回はなるべく多く買い入れます。まあ、手始めですね」

「手始めって、そんなに何回も行くのかい?」

 俺は一度行けば良いのだと思っていたが、さきは

「そうですよ。色々な絵師の絵を買うのに生きた年代だってまちまちですし、何回かに分けて行った方が効率的でしょう。一度行って何十年も向こうで暮すのは非効率的です」

「そうなのか、俺は、一度で数枚買えば、それで借金がチャラになるのかと思ったんだ」

 俺はそんな楽観的な事を考えていたら、さきは

「光彩さんが背負わされた借金はこんなものでは全く足りません。十分の一ですね」

 本当は幾らなんだろうか……。

「それに」

「それに?」

「光彩さんが将来この仕事に転身したいと思った時の為に経験は多い方が良いと思います。光彩さんは真面目な方なので覚えも早かったですしね。ふてくされて真面目に覚えない人も多いのです。その方達に比べると向いているのかも知れません」

 確かに借金を返済して元の仕事に戻るより、このアートディーラーの方が良くなる可能性もあると思った。そうか、俺は夢中でやっていただけだが、そう思われて悪い気はしなかった。


 翌朝は六時起床で、理容師さんにかつらをセットされて、着物に雪駄を履く、さきは風呂敷に何やら卒業証書を入れるような筒を何本か包んでいる。

「向こうでは風呂敷が一番ですからね。それにこの筒も向こうの作です。目立つようなことはありません」

「ところで、年代は何時頃なんだい?」

 俺の質問にさきは

「東海道五十三次が完成した嘉永五年の翌年、人気が出た年で嘉永六年です。西暦千八百五十三年です」

 正直西暦で言われてもピンと来ないし、年号なら益々だ。

「嘉永元年はフランス革命の年です」

 そう言われて何となく納得した。


 今、俺とさきは「転送室」なる場所にいる。さきが持っているのは七インチほどのタブレットで、それが江戸時代に行った時の時間移動装置の端末らしい。ようするに戻る時はこれを使うのだそうだ。最もこれでは人間が二人とその持ち物しか転送出来ないらしい。部屋の隣には見たこともない大きな駆動装置が置かれてあった。何でも時空の歪みを人工的に作り出して転送するらしい。江戸時代に行く時はこの装置なので問題は無いが、帰りは小さな端末なので制限があるのだと言う。もっと大きな装置なら、大きな物も転送出来るそうだが、それは、さきなどの下の者には使わせて貰えないそうだ。

「じゃあ行きますよ」

 さきは丸い円を書かれた輪っかの中に俺を招き入れた。さきは持ち物の確認をする。

「大丈夫! 全部揃っている。OK大丈夫です。ではカウントして下さい」

 小窓の向こうは制御室になっているのだろう。そこに声を掛けると、壁のタイマーのような数字が動き出した。残り三十秒からカウントダウンが始まった。ゼロに進むにつれて、俺を抱きしめたさきの腕に力が入る……。

 気が付くと、薄暗い部屋に立っていた。周りを見ると、六畳一間に土間と上がり口、裏に抜けることが出来るみたいだ。土間には竈と流しがある。まるで時代劇で見た、長屋の一室みたいだ。

「転送成功です!」

 目の前でさきが俺に笑顔で伝えてくれた。江戸時代は薄暗くて、それに何かものが腐ったようなすえた匂いがした。そんな場所だ。

 さきは、俺を放して、持って来た持ち物の点検をしている

「うん、ちゃんとあるでござんすね」

 さきはすぐに順応できたのだろうが、俺は違う。戸惑っていると、いきなり引き戸が開けられ

「おお、さき、やって来たか! ご苦労!」

 そう言って入って来た男は、髷は武士の髷で着流しに黒の紋付きを着ていて、腰に大小の刀を刺していて、僅かに腰には朱色の房の十手が覗いていた。これは俺でも判る、同心だ! それも定町廻りの同心だ。これは大変な事になった。俺達の不正行為が早くもバレたのだろうか? まさかと、混乱している俺をよそにさきは

「あら、坂崎の旦那、今回もお世話になりんすよ。これは土産のシャボンでござんすよ」

 慣れなれしくも、そう言って化粧石鹸を差し出した。

 石鹸が土産になるんだ! それに、この二人が知り合いとは……。

 俺の頭は益々混乱するのだった。

 坂崎と、さきが呼んだ同心は、ずかずかと上がり込んで来た。そして俺に向かって

「お前さんが今度の顧客という訳か、まだ若いな。その歳で何の道楽をやらかしたんだか」

 見ると、横でさきが笑っている。どうやら敵ではなさそうだと少し緊張を解く。

「まあ、まあ、坂崎の旦那、このお人は、ご自分が元の借金ではありんせん。親の相続でござんす」

「親か、全くいい迷惑って奴か、ご苦労なこった。で、今日はどこに行くのだ?」

「今日は、東海道五十三次の蒲原を幾枚か買って行くでござんすよ」

 二人の会話を聞いていると、この坂崎という同心とさきは、かなり親しいか、あるいは仲間なのかも知れない。組織が幕府に送り込んだスパイではないか等と思っていたら、さきが

「こちらは光彩孝さんと言います。こちらでは“こう”あるいは“こうすけ”って呼ぶことにしようと思っているのですが、如何でござんすかねえ」

 坂崎同心に俺のこちらでの呼び名を相談している。俺も聞いた話だが、実は苗字は殆どの者が持っていたが、名乗れないだけだったそうだ。だから「苗字帯刀を許す」とは苗字を名乗れて刀を持つ事が出来る言わば武士に準じる扱いになるという事なのだ。

「そうだな、こっちでは苗字帯刀が許されていないと、名乗れねえからな“こうすけ”でいいんじゃねえか、それなら誰も怪しまねえしな。それにしても、こいつも大きいなあ~ こりゃ街を歩くと目立つぞ」

 俺は突然の出来事に慌てていたので、今更気がついたのだが、坂崎同心は俺よりも五センチは小さい……この時代だと一寸ほどか。確か俺の知ってる範囲だとこの時代は男の身長が大体百五十五~百六十ほどだと聞いた事がある。そうするとこの坂崎同心はこれでも大きい方になるのだと気がついた。

「まあ、でも芝に行って浮世絵を買うだけですから。問題が起きる可能性は低いでござんすよ」

「そうか、なら良いが問題を起こすなよ、後で始末が大変だからな。ところで、お前ら朝飯は済んだのか?」

 そう言われて、今日は朝食を食べていなかったことに気がついた。途端に腹の虫が鳴った。

「どうやら、未だみたいだな。なら色々と話しもあるから、一膳飯屋で朝飯でも食おう」

 そう言って表に出て行こうとするのを後ろから、さきが

「旦那の奢りでござんしょう?」

 そう声を掛けると、坂崎同心は半分呆れた顔で

「お前から銭を取った事があるか! いいからついて来い、そこの“こうすけ”もだ」

 そう言われて、俺はさきと一緒に坂崎同心の後を付いて表に出た。いよいよ江戸時代の街の探索だと思うと緊張するのを感じていた。

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