僕と彼女の平均日常会話

氷菓子

第1話 川縁の石


 下流へと流れ着いた石の多くは、角が取れて丸くなっている。

 川底を転がるうちに研磨され、一回り、二回りと小さくなるのだ。勝手に転がされ、形を変えられる。どこか川岸に立つ僕、徳島楓とくしまかえでに似ているように感じて滑稽こっけいに思ってしまった。


「何を笑っているのです、楓くん?」


「あ、いや、笑っていたわけじゃ……」


「大方、女の子とデートができていることに喜んでいるんでしょう、わかります。

私、美少女ですから」


「あはは……」


 うんうんと満足そうに自分を指して頷く彼女に、僕は空笑いで応える。

 高校二年の夏、せみの鳴き声と、じりじりと肌を焼く陽射ひざしがうるさい中、僕は麦わら帽子をかぶった真っ白な肌の少女、水瀬遥みなせはるかと出会った。


 自分で美少女と、まったくもって自意識過剰な発言が痛いが、眉目秀麗びもくしゅうれいな顔立ちと、落ち着き払った雰囲気が大人びて見えてしまうから、文句の一字も口を出ない。


「あんまりな反応ですね、これだから最近の男は……などと言われるのです」


 優柔不断だし、会話スキルもなく、ろくに言葉も交わせない僕は反論できない。苦笑を浮かべて、そうだねと調子を合わせるぐらいが限界だ。

 そんな僕と彼女が今こうして会話を交わしているのは、水瀬さんが失くしたという落し物を探す手伝いをしているから。


 美少女の小間使いなんて嬉しいに決まっているという彼女の言い分に物言いたくなったが、これはこれで楽しいし、暇もつぶせる。夏休みの一日二日、彼女と過ごせるなら幸運でなくて何なのだと、僕は小間使いになることを快諾したのだった。

 そんな折、熱く焼けた河川敷の小石群に目を配っていると、緩く涼しげな風が上流の方から流れてくる。顔を上げてみれば、白のワンピーススカートをひるがえし、麦わら帽子を片手に押さえる水瀬さんが川面を眺める姿があった。


「……」


 無言のまま深緑色に染まる川を眺める水瀬さん。

 その瞳はどこか嬉しげで、しかし気取ることない淡い桃色の唇には薄い笑みを作っている。

 そんな彼女にぼーっと気を取られていると、背後で小気味いいバットの快打音が耳を打った。隣にかかる飯泉橋を境に、野球とサッカーのフィールドが展開されている河川敷には、小学生たちの賑々にぎにぎしい歓声と熱い試合が展開されている。

 汗だくになりながらボールを追いかけ、グローブを広げる野球帽の少年。

 得点を知らせる笛の音が遠くから聞こえると、地面をけずるスライディング。上がるセーフの一声。ホームベースに帰着した選手が、控えの子らとハイタッチしながら得点板に始めて入った一点に沸く。

 その始終に小さな拍手を送って、僕は広大な酒匂川に再び目を向けた。すると、すぐ目の前に水瀬さんの顔があった。

 ち、近い。


「……ど、どうしたんですかっ?」


 咄嗟とっさに僕が伺いを立てると、彼女はご立腹と眉尻を吊り上げる。


「どうしたんですか、ではないです。よそ見しないで探してください。じゃないと、わかってますか? あなたとの約束は守らないですからね」


 僕の鼻頭に人差し指を突き立てる彼女は、はぁとため息をついて、想いを馳せるように再び川辺へと身を翻してしまう。藻で覆われた川辺の小石はぬるぬるとしていて、サンダルの水瀬さんには危ない。というのに彼女は勢いよくしゃがみ込み、手のひらに水をすくっては指の間から流す遊びを繰り返す。

 そんな自由奔放な彼女の背中を見つめながら、僕は数日前を振り返る。


 水瀬遥と僕が交わした約束は、至極単純なものだった。

 対岸にあるサイクリングロードのその脇を今までいろどり、生い茂っていた丈の長い雑草は数日前に駆逐くちくされ、万が一に備えて芝生のような短さまで刈り取られていた。事前の席取り禁止のロープが至るところに張られ、とはいえ言うことを聞かない一部の客が広げただろうブルーシートがひらひらと風に舞う姿は、数日後と迫った祭りへの期待を彷彿とさせる。


 八月一日、小田原に流れる酒匂川では花火大会が開かれる。


 神奈川県の中でも、横浜や厚木の鮎祭りのような規模の大きい花火大会と比べたらちっぽけなものではあるけれど、地元民からすれば歩いていける距離で夜空に咲く大輪を眺められるとあれば行かない手はない。

 高校二年。来年は受験で忙しく、遊べる機会も今年ぐらいしかない僕は、水瀬さんの探し物を手伝うことを条件に、彼女へとデートの申し込みを口走っていたのだ。

 我ながら勇気を発揮した夏のいい思い出。

 しかし、蛮勇だったと一瞬の後に後悔し、ごめんなさいと訂正しようとしたところ、なんと了承を得たのであった。

 ……でも。


「じゃあさ、もう一度確認していいかな?」


「ん、どうぞ?」


 ぴちゃぴちゃと水で遊び、探す気もない彼女は振り返ると、僕に笑みを浮かべて応える。


「探し物って、その……」


「そう。これくらいの大きさで、これぐらい丸くて、薄くもなく厚くもない、ちょうど良さげな厚みなの。それで、色は灰色。水に濡れると黒くなって、乾くと元の色に戻ります。

 そんな石を探してるんです」


 手振り身振りを加えて一生懸命に説明してくれる彼女に、僕は何度目かのため息をつく。

 適当な石を拾い上げ、僕は彼女に差し出す。


「これは?」


「違いますね、私の石はもう少しかわいかったです。厚さはこれも最高ですけど」


「じゃあ、これはどう? さっきのよりは丸くてかわいいんじゃ」


「いえ、これはぶりっ子ですね。こんな子に引っかかるなんて、あなたの女性観は二次元思考で停まっていると理解できます。引いてしまいます」


 とまあ、こんな調子なわけで。

 女性観はともかく、水瀬さんに遊ばれているのは確実だった。

 それにも関わらず、僕が絶対に見つからないだろう彼女の探し物に付き合っている理由といえば、至極簡単な話だ。決して小間使いにされることが嬉しいわけじゃない。


 約束は守られないとしても――ここ数日、彼女と河川敷で集まっては石探しをしていた。

 半日近く河川敷で二人、片や水遊びをし、片や熱く焼けた石を拾っては吟味するという特異な状況ではあるけれど、彼女も言っていたではないか。


 これは、俗に言うデートではないか、と。


 無意識なのかわからないが、二人きりの時間を重ねられているこの幸運に、僕は不満を言う気にはなれずにいた。


「早く見つけないと花火大会はなしですからね」


「はーい」


「なんですか、その間抜けな返事は」


「すいません、頑張りますっ」


「気持ち悪いです、その顔」


 急かす彼女の言葉がおかしく思えて、笑いを堪えて返事をする。気持ち悪いだなんて言われても、君がこの状況を作ってくれているからなんだ。そんなことは言わないでほしい。

 また川面に視線を移す彼女は、僕が背中越しに見ていることも知らず、その頬を緩ませる。

 人知れず、小さく微笑む彼女の姿に、密かに癒される毎日。


 花火大会の約束が無理だとしても、もっと簡単なお願いなら聞いてくれるだろうか。今すぐに振り返り、いつも川面に向ける微笑みを一度でも僕に向けてはくれないか、と思う。

 とはいえ、横顔こそ覗き見できているのだから、そこまでの欲張りは言えないか。

 ただ、それでも、この時がいつまでも続いてほしいな、と思うぐらいのわがままは許されてくれるのだろうか。


「ほら、手が止まってますよ。楓くん」


 水瀬さんの叱咤しったを聞きながら、僕は今日も彼女の小間使いをこなしていく。

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