み、い

 太郎はベッドに横になりながらスマホで恋人の花子と話をしていた。太郎はよく言葉を省略して話すことが多く、花子はその略語の意味を理解するのに度々苦労していた。

「太郎君、明日のデートは遅刻しないでね。」

「り。ドラマみたいに、や5ま、でいくから大!」

「やご…え?何?」

「や5ま!約束の5分前に!り?」

それぐらいちゃんと言ってほしいものだ、と花子はため息をついた。

「太郎君さぁ、私達もう高校生なんだから変な言葉使うのやめようよ。周りから馬鹿っぽく見られるよ?」

さっきまでとは様子が違う口調から花子の呆れと苛立ちを感じ取った太郎は、慌てて彼女に謝った。

「わ…じゃなくて、悪かったよ!今後はきr…気を付けるよ…。」

それからもう一度集合時間と愛を確かめ合い、太郎は通話を切った。両手を広げて大の字になり、ため息をつく。

「略語使うな、とかマ無…マジ無理…。」

目を瞑り、頭を慣れさせようと何度も略語と元の言葉を交互に思い浮かべていく。そんな脳トレをしているうちに太郎の意識はまどろみに沈んでいった。


 ふと周囲の喧騒で太郎は目を覚ます。目を擦り、時間を確認するために手に持っていたスマホを見ようとするが、その前に辺りの様子が目に留まって一気に眠気が覚める。

「…どこだここ?」

自室で寝ていたはずの太郎は、夢を見ている気分だった。目の前に広がっていたのは、SF映画などでよく見るような近未来的な町並みだった。空には何台も車が飛び交い、あちこちに奇抜なデザインの建物が連なり、地面にはコンベアのような移送装置が敷き詰められていて、道沿いには何体もロボットが配置されていた。あまりにも現実からかけ離れた光景を受け入れられずに、太郎は自分の頬を思いっきりつねってみる。ものすごく痛かった。

「夢、じゃない…。」

ひとまず状況を整理しようと太郎は思い返す。花子と連絡を取り、あれこれ考えながらベッドでそのまま眠ってしまい、そこまでは何となく覚えていた。もしここが現代ならば、空の明るさを考えると、あれから夜が明けて…。眠ったまま移動するほど器用ではないので、遊園地に先に来て待っている間に眠ってしまったか?それならばデート用の服を着ていてもおかしくはない。今の装いはパジャマだった。現代の可能性は極めて薄いのかもしれない。となると、本当に未来に来てしまったのか、あるいは異星人にサンプルとして連れてこられたのか…。あれこれと納得のいく答えを探していると、道の向こうから警察官のような格好の人がコンベアに乗って近付いてきた。人間、しかも見た目が日本人の警官がいたことに太郎は安堵した。彼から事情を聞こうと、太郎もコンベアの横を歩いて警官に近付く。警官はコンベアから降りて、近くに来た太郎の前に立ち、一礼してから口を開いた。

「こ。こ、ど?」

警官の言葉に太郎は首を傾げる。ここど?日本語のようで何か別の言葉にも思えた。太郎が言葉の意味を考えていると、困った顔で警官が続ける。

「も、き、が?こ、わ?」

謎の言語のおかわりに太郎は益々混乱した。もしかして自分は外国に来てしまったのだろうか?確認のために日本語が通じるかどうか、太郎は逆に警官に話しかけた。

「あの、ここって日本じゃないんですか…?」

太郎の言葉に一瞬目を大きくして、警官は物珍しそうに太郎を見た。それからジェスチャーでもう一度同じ言葉を言うように促した。太郎は不思議に思いながら同じ言葉を繰り返すと、警官は笑顔で頷いた。それが問いの答えとは到底思えなかった太郎は、相手の出方を伺うことにした。警官は、懐から手帳を取り出し、思い出すように何かを書いてから紙を千切り、太郎にそれを手渡した。その紙を覗くと、そこには太郎の知る日本語の文が書かれていた。

■ここは日本です。あなたが使う言語は昔使われていた、長語、と呼ばれる古語の一種です。私たちの使う現代語は通じないみたいですが、紙でのやり取りならば大丈夫ですか?■

文脈から察するに、ここはやはり未来の世界のようだった。紙でのやり取りなら問題ないだろうと判断し、太郎は首を縦に振る。それに安心した警官は、次の紙を太郎に手渡した。

■あなたはどこから来たのですか?パジャマで。あなたも日本人ですよね?古い言葉を使う年には見えないのですが。■

恐らく警官は、怪しい容姿で辺りを見回していた自分が不審者に見えて職質をしにきたのだろう、と太郎は理解した。自分の言語が古語扱いされているということを考慮して、ゆっくりと言葉を紡ぎ、警官に答えを伝える。

「おr…私も日本人です。私は先程まで家で寝ていたのですが、気が付いたらここに来ていました。信じられないでしょうが、恐らく私は過去から来ました。」

意味を調べているのか、時折小型の機械を取り出して操作しながら、警官は太郎の言葉を理解した。

■タイムスリップですか。タイムマシン以外にも方法があったというのは驚きです。私の記憶では、長語の使われた時代にはタイムマシンは存在しなかったはずですが。とにかくあなたの処遇のことも含めて本部に連絡して、タイムマシンの許可も取ってみます。■

確かに太郎の時代にはタイムマシンはない。漫画や映画の中の話だ。それをこの時代では許可さえ下りれば使用可能だというのだから科学の進歩は目覚しいものだと太郎は感心した。

「よろしくお願いします。」

研究機関に回されてモルモットにされる可能性も一応考えたが、何の当てもなく帰る方法を探す方がかえって危険に感じたため、太郎は申し出を受け入れた。それを確認した警官は、機械で本部に連絡を入れ、再び太郎に紙を渡した。紙の上には何かのカードが添えられていた。

■本部で少し話を聞かせてもらって、それから元の時代に帰す、ということになりました。受け入れの準備が整うまで少し時間があるので、良ければ町を観光してきてみてはどうでしょう。少しですが、このカードがあれば買い物もできます。■

帰る手筈を整えてくれただけでなく観光も勧めてくれる警官の親切心をかえって申し訳なく思い、カードを返そうとする太郎だったが、警官は遠慮無用と言わんばかりに笑顔でカードを太郎の手に握らせた。警官の顔を立てて太郎はそれを素直に受け取ることにした。

■他の警官にも事情は通っているから、怪しまれることはありません。私がついていくと窮屈だろうから一人で行ってくるといいですよ。時間になったら放送でお知らせします。■

最後のメモを渡し、一度敬礼してから警官はコンベアに乗って去っていった。待ち合わせ場所とか決めていないが大丈夫なのだろうか、と不安を拭いきれない太郎だったが、自分の時代の常識が通じない世界だし何とかなるだろうと楽観視することにした。

 警官からもらったカードを手に、太郎は町のほうに伸びるコンベアの上に乗った。太郎の重さを認知したのか、太郎が乗った部分の床の色が変わり、その変わった床が道に沿ってゆっくりと動き始めた。初めての動く歩道に太郎は興奮して足に力を入れる。と、それに応じて移動速度が少し速くなった。全部で5段階の速度変更が可能なようで、未来の技術に感動を覚える太郎であった。街中に入り、ひとまずコンベアを降りた太郎は、自動販売機でジュースを買うことにした。カードリーダーにカードを通すと、見慣れた数字と、え、という一文字がリーダー上の小さい画面に表示された。もしかして円のことだろうか。通常の自販機同様に見本の下のスイッチのランプが点灯した。どんな商品があるのか一通り目を通す太郎だったが、絵柄での判断をせざるを得なかった。商品名が一文字、もしくは一文字を点で区切って続けた文字で表示されていたからだ。初めは理解に苦しんでいた太郎だったが、とある表記でなんとなくこの時代の言葉の原理を理解した。青色と赤色の帯がスイッチ下に描かれていて、青い方には「つ」、赤いほうには「あ」、の文字がそれぞれついていた。そこで太郎はようやく略語が使われていることを知った。

「あ…温かい、つ…冷たい。じゃあこの商品名も警官が話していたのも全部…略語!?」

警官の最初の言葉を思い返してみる。「こ。こ、ど?」発音や区切り方から文章を推測すると、普段から略語を使っていたおかげかなんとなく意味が見えてきた。

「こんにちは。こんな所でどうしたの?…これっぽいな。」

太郎はため息をついた。一文字繋げて会話を成立させる難しさが身に染みた。時折略語の意味が分からずに不満を言う花子の気持ちがよく分かった。イチゴの絵が描かれた「い、み」という商品を買い、太郎は自販機を後にした。コンベアを避けて歩きながら町の様子を見回すと、変わった建物の形や言語、交通手段を除けば、太郎の知る町の賑わいと通じるものがあるように感じた。空を行き交う車からの排出ガスはなく、騒音となる音もないので、太郎の時代の都会よりは過ごしやすい環境にあるようだが。キョロキョロとしきりに頭を動かしながら入るお店を探していると、不意に後ろから肩を掴まれた。力のこもった手の感触に恐る恐る振り返ると、スキンヘッドで上半身裸にジャケットを纏った悪人相の太った男がこちらを睨みつけていた。男は振り返った太郎の胸ぐらを掴み上げ、怒声を上げた。

「て、な、み!?」

突然のことに言葉の意味を考えられず、太郎はそのまま固まっていた。

「き、こ!!」

両手で胸ぐらを掴まれてなお威嚇される。頭の中が真っ白になりながらも、相手が怒っていることだけなんとか分かった太郎は、彼の怒りを静めようと謝罪の言葉を口にする。

「ごめ、ごめんなさい!よくわからないけど、勘弁してください!!」

懇願するように声を大きく発すると、男は許すどころか、ますます顔を赤くして、片手を離して握り拳を作った。太郎は自分の発する言語がこの世界では古語扱いであることを忘れていた。もしかしたらあの警官は趣味だか学校教育だかでたまたま知っていただけかもしれない。

「て、な!?ば、ぶ!!!」

勢いよく男の拳が太郎の顔面に飛んでくる。胸ぐらを掴まれているせいもあるが、震えて何もできない自分を太郎は情けなく思った。拳打が顔に到達する前に太郎は意識を失った。


 スマホのアラーム音が騒がしく鳴り響く。音を消そうと太郎は手探りにスマホを掴み、音を止めた。体を起こし、辺りを見回すと、そこは見慣れた自室だった。先程までの出来事を思い返す。未来世界に行って、言葉が略語で、町を見て、不良に襲われて…。太郎は恐る恐る顔に手を当てる。痛みも怪我も無い。ホッと胸を撫で下ろし、あれが夢だったと理解した。SFの話では、大体未来で得た何かを手に持っていて、「実は現実でした」などというのがよくあるパターンだが、太郎が右手に握っていたはずのジュースを見ると、いつも枕元に置いている体を冷やす清涼スプレーに変わっていた。現実の可能性は完全になくなった。寝汗をタオルで拭き、スプレーで火照った体を冷やす。しばらくして、花子から電話が来た。

「おはよう!昨日はよく眠れた?私は楽しみすぎて全然眠れなかったよ!」

朝から元気な花子の声に太郎もつられて明るく答える。

「あはは!こんな元気な声なのに眠れなかったとかねーよ!」

ばれたか、と花子。電話越しに二人で大笑いし合う。

「昨日言ったように約束の5分前には行くからな!」

太郎の言葉に花子は一瞬、間を置いて嬉しそうに返した。

「早速、略語封印始まったんだ。感心感心!」

「や5ま」を使わなかったことを指摘されて太郎は思わず苦笑いした。夢の中の出来事だったとはいえ、大変な目に遭ったせいで、太郎は略語を話すのも嫌になっていた。

「略語はもうこりごりだよ!」

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