第10話 試の儀

 友枝の頭から全身を覆っていたローブは、強烈な臭気漂うマンティコアの体液に赤黒く染まり、袖や裾から涎の如く垂れ落ちる返り血の残滓は、緩慢に友枝の足元の血溜まりを広げていた。


「うわぁ、またドロっドロ! マサ兄、ちょっと待ってて」


 友枝は短くそう告げると、雨合羽でも脱ぐように、気安くローブを脱ぎ捨てた。

 重たげなローブから脱皮するように現われたのは、拍子抜けする程に記憶通りの、俺の馴染み知った友枝の姿だった。

 まだ臭うかなぁ、などと自分の手の甲を嗅いで小鳥のように首を傾げるその姿。

 本当に、何一つ変わらない、俺の知る友枝だった。

 

 あの自動車事故の忌まわしき記憶が蘇った。下半身不随の身となり、車椅子の生活の余儀なくされていた筈の友枝。

 そんな過去こそ夢だったかのように、健やかな足取りで大地を踏みしめていた。

 もしも、もう一度会えたなら、話したいと思っていたことは山程あった。尋ねようと思っていたことも山程あった。だが、いざ何も変わらない友枝を目前にしてみると、それらの総ては言葉として象を結ばないままに霧散してしまう。

 重い肩の荷が下りたような安堵と共に、ただ、嘆息だけが漏れた。

 長い革のブーツを脱ぎ捨て、頬に散った血糊をハンカチで拭っていた友枝の頭を、ぽむと掴む。


「体は、もういいのか?」

「それが、凄いんだよ! ほら、ほら!」


 友枝はけらけらと笑って、両手を広げ、子供っぽい仕草でクルクルとその場で回って見せた。

 忘れもしないあの日、最後に着ていたのは高校の制服だった筈だ。今は軍服のような趣の、茶色の軽装に身を包んでいる。

 俺の顔を見て明るくはしゃいでいた友枝は、ふと真顔に戻り、真剣な声色で問うた。


「それで、マサ兄。ここは何処なの? 一体全体、何が何だかかさっぱり解らないことだらけなんだけど……。

 目が覚めたら全然知らない山の中にいて、車椅子はぐちゃぐちゃに壊れてるし、何時の間にか元通りに歩けるようになってるし。

 最初は、もしかしてここが天国なのかな~、とも思ったけど、マサ兄いないし、信次郎爺ちゃんにも鉄也爺ちゃんにも、絹世お婆ちゃんにも会えないし。そもそも、日本人話せる人は誰もいないし、天国にしてはお腹が減るし。

 マサ兄は、何か知ってるの?」


 俺だって、この地の事情を上手く説明出来る訳ではない。

 だが、キヌに出会い、義太郎さんの手記を読んで、この奇妙な世界の一端を垣間見ることが出来た。何から説明したものかと考えていると、


【なんや? えらいごっつい兄ちゃんやな。なあ、そこの兄ちゃん、あんた、トモエの知り合いか?】


 カチューシャで黒髪を纏めた女が、興味深々といった様子で俺達の会話に割り込んできた。言葉はレディコルカと同じだが、イントネーションは少し異なる。 

 この女、確かさっきマンティコアと戦っていたエメンタールの第一魔道士――。

 初めて見る生粋のエメンタールの民。確かに日本人と同じ黒目黒髪ではあるが、高い鼻梁とくっきりとしたアイラインの特徴的な相貌は、アジア系というよりもラテン系に近いかもしれない。


「あ、カベルネさん、お腹空いちゃいました! 大物仕留めたんだから、今夜は美味しいもの食べさせて下さいね」


 友枝は親しげな様子で、大袈裟なジェスジャーを伴って彼女に語りかけた。


「お前、此処の言葉が分かるのか?」

「ううん、ほとんど分かんないよ」

 

 見れば、友枝の肩には妖精の姿はない。

 第一魔道士――カベルネに語りかけた言葉も、ごく普通の日本語だった。レディコルカの神聖言語とされている日本語を、エメンタールの魔道士である彼女が解する道理は無いだろう。


「じゃあ、どうやって話をしてるんだ?」

「ぼでぃ・らんげーじ!」


 友枝は誇らしげにVサインを突き出して見せた。……昔から、こいつはそうだった。賢くて、場の空気を読んで人の輪に入り込むのに長けている。親戚で集まって食事をする時にも、まだ4つ5つの時分から、澄ました顔で俺の隣に座り、分かりもしない仕事や景気の話にしたり顔で耳を傾けていたものだ。

 ただ、俺がこの世界でのファーストコンタクトにどれだけ苦労したかを考えれば、少々の嫉妬を禁じえなかった。

 今ではキヌの指導の甲斐あって、片言程度の挨拶を交わすことはできるようになったのだが。 


【それで自分、一体トモエの何なんや? もしかしてコレか?】

「俺はキリハ……、こいつの又従兄弟の正義という者だ。今はレディコルカに身を寄せている。

 友枝が、世話になったようだ」


 切畠の姓を名乗りそうになったのを済んでの所で飲み込み、まだ拙い言葉で感謝を伝えると、カベルネは瞳を細めて猫のように笑った。


【ほーう、マサヨシさん、言いましたっけ? トモエと違ってちょっとは言葉わかるみたいやな。

 ……随分鍛えたええ体しとるやないか。あんた、只者やないやろ?】


 カベルネは、上目遣いで俺の瞳を覗きながら、ぺたぺたと無遠慮に俺の胸板を触った。

 見知らぬ女性からのボディタッチに少々たじろいだが、俺が何かを口にするより先に、傍らのバルベーラが爆発した。

 俺の胸板を撫でていたカベルネの掌を、猛然の手の甲で払い除け、刀の鯉口に指をかける。


【控えよっ! こちらの御方を何方どなただと心得る! もう一度このような無礼を仕出かしてみよ! その掌、手首から斬り落とすぞ!】


 この紋所が目に入らぬか! とでも続けそうな彼女を窘めるより先に、俺の方が赤面してしまった。

 俺はまだ友枝の又従兄弟とだけしか名乗っていない。何方どなたと心得る、と問われた所で、カベルネには珍紛漢紛だろう。

 明らかに礼を逸したバルベーラの過剰反応だったが、カベルネはまるで動じなかった。

 それどころか、バルベーラの反応を窺って、チェシャ猫のような会心の笑みを浮かべたようにも見えた。


【面白いやないか。そちらのマサヨシさん、見た所エメンタールの人間でもレディコルカの人間でも無いようやけど、一体、何処のどちら様や? ウチもきちんとご挨拶がしたいさかい、いけずせんで教えてぇな】


 バルベーラは返答に窮した。隣のボジョレは『この馬鹿』とでも言いたげに首を振っている。

 俺達がマレビトであることは、レディコルカで正式な発表を行うまで口外法度ということにされている。バルベーラの軽挙は褒められたものではないが、このカベルネというこの女、どうやら最初から色々とお見通しのようだ。

 俺の相貌、肩に留まった揚羽ピクシー、友枝との会話――カベルネは全てを値踏みするかのようにじっと観察していた。笑顔に細められた瞳に燈っているのは、獲物を品定めする肉食獣のような冷たい輝き。


【カベルネさん、不味いですよぉ、あっちに留まっている馬車の紋章、レディコルカ王家の梅花紋ですよ。やっぱり、トモエちゃんはレディコルカの伝説の……】


 もう一人の魔道士が、おどおどとした仕草でカベルネの袖を引いた。見れば、まだ齢若い少女である。そばかすの残る頬に、眼鏡の下の弱気な瞳。先程マンティコア相手に命懸けの大立ち回りをしていた女性と同一人物とは到底思えなかったが……。


【ピノ、あんたはまた弱気になって。今更くよくよしてどないすんのや。毒を喰らえば皿までや。どーんと胸張って構えときや】

【でもでも、コレってどう考えても国際問題ですよぉ……】

「……マサ兄、もしかして、ここの言葉分かるの?」


 躊躇いながらも首肯すると、友枝は目を輝かせた。


「凄ぉい! ねえ、ちょっと通訳してみてよ! 私、きちんとカベルネさんやピノさんとお話したい!」

「言葉が解る、と言っても、まだ小学校低学年レベルも喋れないよ。それに、通訳なら最高の適任者がいるしな」

「?」


 首を傾げる友枝と、草を踏む音。

 

「そちらのお嬢様が、切畠の姫君、番匠友枝さまにあらせられますか?」


 刀槍で厳重に武装した衛士達に守られながら、マルゴーとキヌ――姓を国名と等しくするレディコルカの最高権力者の二人が姿を見せた。

 さしものカベルネも軽口を噤み、ピノと共に跪いて敬意を示す礼を取る。

 言葉は通じずとも、その身なりと佇まいから二人が貴人であることを察したのだろう。どう立ち振る舞えば良いのか解らずに、友枝は不安げに俺の顔色を窺った。

 カベルネ達のように跪くべきかと迷っている友枝の肩を叩き、そっとキヌを手招く。


「ああ、こいつが探してた俺の又従姉妹、絹世さんの孫の番匠友枝だ。俺にとっちゃ、妹のような奴だから、宜しく頼む」


 妹のような、という言葉を耳にした瞬間、友枝の眉が不満げに動いた気がした。

 深々と一礼するキヌの肩を叩き、困惑顔の友枝に向かって背中を押す。


「紹介しよう。この子はキヌ=レディコルカ。あの義太郎爺ちゃんの育てた、娘さんだよ」


 さしもの友枝も、俺の台詞の意味を咀嚼できず、頭上に沢山の疑問符を並べて目を白黒とさせた。

 俺は堪えきれずに吹き出して、友枝の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。



  ◆

 

 友枝がこの世界に漂着した後の経過を、大雑把に聞き纒めた。

 目を覚まして驚愕し、体が完治している己に歓喜しながらも戸惑い、死後の世界ではないかと疑念を抱く。そして数え切れない疑問は取り合えず棚上げして、生理的欲求に従って食料を探す。

 友枝がとった一連の行動の流れは、俺や義太郎さんのそれと概ね同じだった。俺達の行動は、ごく一般的で健全な判断だということだろうか。それとも、代々似たような土地な似たような生活を送ってきた血族故の相似だろうか。

 友枝の女子力は同年代の女子高生に比べてかなり残念なレベルだが、幼い頃から俺が仕込んだ甲斐あって、サバイバル能力はそこらの高校生とは比べ物にならない。火の焚き方やロープの結び方、釣りや魚籠ビクの編み方から、食べられそうな山菜の見分け方まで、最低限の知識と技術は叩き込んである。


 ……友枝が中学生の頃、夕食に友達を招いた際の話である。友枝は友人達の眼前でおもむろに鶏の首を鉈で落として、絶叫されて落ち込んでしまったこともあった。これなどは、友人付き合いを蔑ろにして俺のような男の真似ばかりしていた悪影響と言えよう。

 幼い頃の友枝は、俺の後ろを生まれたてのヒヨコのようについてまわり、俺の為すこと何もかもを、その大きな黒い瞳で興味深そうに覗き込んでいた。その愛らしさにほだされて、ついつい女の子には余計な事まで教えてしまったかもしれないと、少々反省していたのだが、ここで友枝が生き延びるのに役立ったのならば何よりだ。


 俺と同じように、ふてぶてしく山中で生き延びていた友枝を外の世界に連れ出したのは、この世界の怪異とカベルネ達だったそうだ。

 きっかけは、川の畔で突如として人面蛇身の奇怪な怪物――ラミアとの遭遇。

 カベルネとピノは、駆除のために山中でラミアを追い詰めていた最中だった。地元の住民も魔の森と恐れて近づかない山中に、ふらりと軽装の少女が一人迷い出たのは、彼女達にとっては全くの想定外の事だったそうだ。 

 緊急停止が不可能な、広域魔道の発動。

 カベルネ達は、友枝をラミアの巻き添えに焼き殺してしまったと確信したと言う。

 だが、地獄の業火の如き炎の中から平然と現われた友枝と、火傷だらけのラミア。

 友枝からしてみてれば、全く理解不可能な状況だったに違いない。半ばパニックに陷った友枝は、あろう事かラミアの下腹目掛けて前蹴りを繰り出し、一撃の下に粉砕してしまったのだ。

 Aランクの魔道に平然と耐え、ラミアを前蹴りの一撃で屠り去る。エメンタールの第一魔道士であるカベルネが、この奇妙極まる少女に興味を持つのは、当然の流れだった。

 身振り手振りや、簡単な絵をなど通じて友枝とカベルネは意思の疎通を図り、友枝のに目を付けたカベルネは、これ幸いと第二魔道士のピノを巻き込み、エメンタールの国家魔道士から脱退、冒険者パーティー『ヤタガラス』を名乗り、今に至る。 


「エメンタールの街に着いてからの衣食住、全部カベルネさんがお世話してくれたんだよ。買い物のやり方や値切り方も教えてくれたし、ほら、お小遣いもこんなに!」


 大まかな経緯をざっくりと語り、友枝は銀貨の詰まった小さな袋を誇らしげに掲げて見せた。

 俺はまだ、こちらの世界で買い物をした経験はない。しかし、単純な銀塊として値踏みして見ても、友枝の持つ銀貨の袋は相当高額な貨幣価値があるように思えた。

 だが、その袋を見て血相を変えたのはバルベーラである。


【なんという……友枝様の御力に縋って魔物を駆除し、ギルドから金貨40袋を越える報酬をせしめておきながら、友枝様に御渡ししたのがたったの銀貨一袋――800えん程度ではないか!? 恥を知れ、この詐欺師め!】


 カベルネは、バルベーラの怒気など気にもかけず、悪戯が見つかった子供のように舌を出した。

 

【そないにカリカリせんでもええがな。トモエの分の報酬はちゃんと別に保管してるさかい。まだ右も左もよう分からんトモエに金貨なんて持たせて表を歩かせたら、それこそ要らんトラブルの種や。銀貨一袋もあれば、ここいらの街道沿いの市なら好きもんを好きなだけ買えるわ】

【そんな言い訳が通用すると思ったのか!】

【……控えろ、バルベーラ】


 テーブル越しに掴みかからんばかりに頭に血が上らせている妹を、ボジョレがうんざり顔で制した。

 ――あれから、マンティコアの骸の横で立ち話をするわけには行かなかったので、近くの宿屋を借りきって、そこで友枝達から事情を聞く運びとなった。

卓を囲むのは、俺とマルゴー、キヌと護衛のセギュール兄妹以下数人、友枝と参考人であるカベルネとピノ。書記官と大臣達は少し離れて恐々と様子を窺っていた。

 国王であるマルゴーがエメンタールに訪問するのは国家の大事であるようにも思えるが、都合の良いことに先のエメンタールでの会談は、レディコルカで増加していたマレビト騙りのエメンタール人の処分の件についてだった。


『エメンタールの威信にも関わる問題なので、我こそはマレビトなりと騙る愚者は、レディコルカの裁量に於いて処分を下して構わない』


 そんな言質を得た矢先の出来事だったので、これ幸いと、マルゴーはマレビト騙りの処分の監査という大義名分の下、大手を振ってエメンタールへ入国したのである。

 従って、現在の俺の身分は、外的には未だマレビト騙りのエメンタール人である。これから行われる試の儀によって、瓢箪から駒が出たが如く本物のマレビトであることが発覚し、精査の後、諸国に天孫降臨の報を大々的に発表する――手筈であった。


【トモエ、この兄ちゃん、名前はなんちゅうんや?】

「ん? 名前? マサヨシだよ、キリハタ・マサヨシ。私の親戚」


 少ない語彙から的確に言葉を聞き取り、友枝は盛大に機密事項を暴露してくれた。


【さよか。自分、マサヨシ=キリハタはんいう名前か。ほぉ~、どこかで聞いたような苗字やな】

【……だからカベルネさん、不味いですって。やっぱりトモエちゃんも、レディコルカのマレビ――】

 

 カベルネは泣きそうな顔で縋りつくピノの頭を押さえつけ、意地悪げな猫のように瞳を細める。

 ……どう考えてもバレてるよなぁ、これは。間違い無く。


【マルゴー陛下、もしもの話で悪いんやが、レディコルカが本物のマレビトを確保したにも関わらず、それを隠してエメンタールに入国したりしはったら、国家間の大問題やで?】


 蛙の面に小便といった顔で、一国の元首を相手に平然と脅迫紛いの台詞を口に上らせるカベルネというこの女、中々の女傑である。

 マルゴーに代わって、ボジョレが涼しい顔で答えた。


【試の儀を抜きにして、レディコルカが『本物のマレビト』なるものを認定することは無い。それよりも――万が一の話だが、エメンタールの一介の魔道士が、レディコルカの皇統の血筋に連なるマレビトを、魔物の駆除のような雑事に御手を煩わせていたようなことなどあれば、それこそ国家間の一大事だと思うのだが?】

【かか、相変わらずボジョレはんは、いけずやなあ。うちらはあくまで、善意で行き倒れ同然のトモエを保護してたんやで? 抗魔剣士の才能が人よりあるようやったさかい、自分の食い扶持ぐらいは稼いでもろうたけどな】


 ボジョレとカベルネの間で、視線が交錯して火花を散らす。

 あっさりと折れたのはボジョレの方だった。


【……いいだろう。お前は何も知らずにそちらの女性を保護した。俺達は何も知らずに、新しいマレビト騙りのエメンタール人を連れてきた、そういうことでいいな? 

 これから、大掛かりな試の儀を行う。お前達もそれに参加しろ。報酬はいつもの倍支払う。言うまでも無いことだが――ここで見聞きしたことの全ては口外法度だ。もし破ったら、分かっているな?】

【しゃあないなあ。隣にトモエが居る時に斬りつけられたら、うちらのような魔道士は手も足も出らへんからな。トモエにはようさん稼がせてもろうたし、大物の狩り過ぎでギルドの金払いも悪うなってきたし、ここらで手打ちにしといたるわ】


 首輪の外れかけた猛犬のような目付きでバルベーラが睨むが、カベルネはどこ吹く風。

 ちらちらと悪戯げな視線をバルベーラに送ってる辺り、反応を楽しんで煽っているのかもしれない。

 剣呑な雰囲気の話が概ね終わった空気を察して、友枝は目を輝かせて身を乗り出した。


「えーっと、よく分からないけど、カベルネさんとの話は済んだ?

 じゃあ、聞かせてよ。今度は、マサ兄が今まで何をしてきたのかを」

 


  ◆


 少々長く、まわりくどい話になった。

 俺とてこの世界に来て日が浅い異邦人に過ぎないが、これまでの見聞によって得た情報量は友枝とは比べ物にならない。

 妖精ピクシーの揚羽と、キヌに出会えた僥倖の賜物である。 

 

『マレビト此の地の言葉通じざりければ、 ピクシヰピクシーが其の耳となりて、衆生の言葉をとどけしむると傳はりきなり』


 義太郎さんの手記の一節がリフレインする。キヌより聞いたレディコルカの伝説によれば、マレビトがこの世界に天降ると、何処からともなくピクシーが訪れ、善きマレビトか悪しきマレビトかを見定めるという。

 善きマレビトなりと認められることが出来れば、『妖精ピクシーの囁き』と呼ばれる力で、この世界の言葉の翻訳を受け、そのマレビトが善き心を失わない限り終生加護を受けると伝えられているが、その真偽は定かではない。

 友枝の肩には揚羽のようなピクシーの姿はない。しかし、この世界に漂着した当初、一度は友枝の元にもピクシーが訪れたのだという。

 カベルネ達との邂逅の際に、友枝がその加護を受けることが出来なかったのは、悪しきマレビトとして妖精に見限られてしまったからなのだろうか? そんな危惧が頭を過ぎった、真相はもっと馬鹿馬鹿しく、肩の力が抜けるようなものだった。

 せっかく訪れたピクシーを、友枝は叩き落してしまったのだという。

 妖精の姿に興奮し、捕獲しようと木の枝を振り回しているうちに、枝が手の内からすっぽ抜けて、空中を飛ぶピクシーに直撃してしまった、と友枝は申し訳なさげに語った。

 ……俺も、幾度かこの揚羽を捕獲しようと挑戦したことがある。幼少の頃から虫取り遊びは飽きるほどやったし、反射神経には自信があった。だが、この妖精の舞いは煙の如く捉え所無く、一度として捕まった試しがない。

 捉えようとすればする程遠ざかり、本人も意図せぬ一撃のみによって倒すことが叶うとは、古い民話に出てくる、妖怪のサトリのような話ではないか。

 昔話の斧頭は、心を読む妖怪の頭を砕いたが、友枝の手の内から抜けた木切れは、しきりに付き纏っていたピクシーの姿を雲散霧消させてしまったのだという。

 ピクシーが消えた跡には、これが残されていた、とビー玉程の赤い宝珠を取り出した。

 カベルネによれば、『妖精ピクシーの心臓』と呼ばれる、稀少な宝石らしい。

 ――例え宝石箱の底に仕舞って鍵をかけていても、月蝕の晩には妖精の体を得て飛び去ってしまう、という逸話があり、持ち主がいつの間にか紛失してしまうことが多く、そのレアリティに反して価格は低いそうだ。


 閑話休題。


 ピクシーの性質、義太郎さんの日記、キヌとの出会い、レディコルカという国の成り立ち――。

 これまでの経緯や、俺達以前にこの世界に漂着した義太郎さんの人生、レディコルカでの待遇など、話せばどこまでも長くなるので、この世界で生活するのに、必要最低限の分だけを言葉を選んで友枝に説明していった。

 説明に詰まった時には、横からすぐにキヌが助け舟を出して、理解しやすく噛み含めて解説してくれるので、予想していたよりも随分早く語り終えることができた。

 奇妙だったのは、友枝の反応である。

 最初は、義太郎さんの手記を手に取り、その武勇伝に目を輝かせて耳を傾けていたのだが、これまでの俺の経緯を解説していくにつれ、目に見えて不機嫌になっていき、俺の話が終わる頃には、不満の籠った眼差しに、蔑意さえ混ぜてじっとりと俺を睨んでいた。


「正義様、長くお話をされて喉が渇かれたでしょう。お茶を淹れて参りました」

「ああ、ありがとう、バルベーラ」


 馴れた手つきで差し出されたティーカップには、好みの濃さと温度とお茶が湯気を立てている。

 激しい音と共に、テーブルのソーサーが小さく跳ねた。

 剥き出しの怒気を隠そうともせず、友枝が卓を両掌で叩いて猛然と立ち上がったのだ。


「要するに。マサ兄の話を纏めると、私が毎日毎日、血みどろになってお化けや怪獣を退治をしている間、マサ兄はレディコルカって国で王様扱いされて、可愛い女の子をいっぱいはべらせて、お茶飲んだりごろごろしたりして、呑気に暮らしてたんだ!

 信じられない! 働かざるもの食うべからず、じゃなかったの!?」

「……そ、それは」


 概ね、友枝の、言う通りであった。

 女子高生の友枝が冒険者として必死に稼いでいる間、大の男の俺がレディコルカの食客として何不自由しない暮らしをしていたのだ。友枝が怒るのも、尤もな話だろう。

 けれども、友枝の怒りの原因には、待遇の格差の一言では片付けられない何かがあるようにも思えた。


「キヌさん、だっけ。こんな小さくて可愛い女の子をはべらせてるなんて、傍から見たら犯罪的だよ!? 日本でマサ兄とキヌさんが歩いてたら、悪人がどこかのお嬢様を誘拐してるようにしか見えないよ? 逮捕されちゃうよ?」


 地元だったら、まず顔パスで逮捕されないよ。そんな反論は、虚しく言葉にならずに消えた。

 確かに、俺のような野卑た男が、キヌのような貴人の少女と一緒に歩いていたら、変質者が少女を勾引かどわかしてるようにも見えるかもしれない。何しろ、俺達の身長差は50cm近くあるのだ。

 黒く円らな友枝の瞳が、翠の宝石のキヌの瞳を覗き込んだ。

 二人の肉体的な年齢はそう変わらない筈だが、同世代の中でも飛びぬけて背の高かった友枝と、身体的に幼い所が目立つキヌが並ぶと。――可笑おかしな話だが、随分齢の離れた姉妹のようにも見えた。

 瞳の色、髪の色、顔の造形、体つき。二人は何もかもが異なっている筈なのに、何処か、その芯の部分に似通った雰囲気あるようにも感じた。

 女心と秋の空、とは良く言ったものである。

 どういう心境の変化で寛恕かんじょしてくれたのかは定かではないが、友枝は暫しキヌと見つめ合うと、への字に曲げていた口角をにっこりと上げて、花のように微笑んだ。


「うん、目尻がちょっと下がって優しそうな所が、遺影の絹世お婆ちゃんに似てるかも。

 キヌさん、マサ兄がいっぱいお世話になりました。私も仲良くしてくれたら嬉しいな」


 キヌの小さな掌を握りしめて、ぶんぶんと上下に振る。


「おーい、キヌはレディコルカの大老だぞ? 王様よりも偉い人だぞ? 分かってるのか?」

「じゃあ、キヌ様って呼んだ方がいいかな?」

「友枝様、とんでも御座りません! 友枝様は切畠の皇統の御血族の姫君であらせられませれば、今後はレディコルカの王宮にて、何不自由ない暮らしを御用意させて頂きますので――」

「冗談だよ。普段通りに接してやってくれ。キヌも、またそんなカチカチの話し方をしてないで、俺と話してる時みたいに、もう少し肩の力を抜いて話せよ。顔に緊張が出てるぞ」


 少しだけ赤面して、キヌはしゅんと下を向いた。感情豊かになったのは良い傾向だ。友枝とキヌなら、きっと良い友達になることが出来るだろう。

 永い孤独を過ごしてきたキヌと、この世界で俺以外に話相手の居ない友枝。

 時間はかかるだろうが、これから二人も少しずつ打ち解けて……。


「うわ~、キヌさん凄いな~、可愛いな~、羨ましいなぁ~。

 髪サラサラ、瞳キラキラ、お肌モチモチ、どうやったらこんな体になれるんだろう……?」


 友枝はキヌを抱きしめて、腰まである美しい金髪に指を通して、大きな三つ編みを作っていた。


「いや、幾らなんでも馴れ馴れし過ぎるだろ!」


 だが、これこそが友枝の長所。

 見知らぬ異世界に漂着して、俺でさえも戸惑いと不安に潰されそうになっていた中、身振り手振りだけでコミュニケーションを取って生きていける逞しさと人懐っこさ。

 キヌも、無遠慮に髪を編まれながら、気恥ずかしさとくすぐったさをブレンドした表情で、心地良さげにその胸に背中を預けていた。人の感情の読めるエルフならば、言葉にせずとも友枝の心根が伝わっているのだろう。

 名声や肩書きだけでは決して手に入らない、友枝の人徳だった。


  ◆


「何か、長話で少し疲れちゃったね」


 小憩に少し風に当たろうと、二人だけに外に出た。

 友枝は猫のように柔らかく背筋を伸ばし、両手を背中に組んで悪戯げに踵を返す。


「両手に花の王宮暮らしはどうでしたか、レディコルカの王様?」


 首を傾げてからかうように俺を覗き込む瞳からは、先程のような尖った怒りは消え失せていた。


「義太郎さんが初代国王だった、って聞かされても、俺にはまだ実感ないし……。

 それに、王様扱いされるのも居心地がいいものじゃないぞ? 敬礼をされる度に尻がムズムズして仕方がない」

「あはは、マサ兄なら、きっとそうだろうね。どう考えても王様ってガラじゃないし」

「それを言うなら、お前だってお姫様だぞ? どうするんだ、これらから先」

「とりあえず、なるようになれ、で流れに身を任せてみる。

 キヌさん、凄くいいコだし。マサ兄が信用してるのも解るよ。

 マサ兄、大抵の自分の事は自分でやっちゃうから、人を恃んで何かをすることなんて、滅多にないじゃん。なのに、今日はキヌさんに頼りっぱなしで、びっくりしちゃった」


 バツの悪い思いを隠すように、視線を逸らして後頭を掻いた。

 確かに、キヌと出会ってから、あらゆる面で頼ってばかりだった事は否めない。

 友枝は、挑発するように踵を鳴らし、腰を折って不気味な程真剣に俺の顔を覗き込んで問うた。


「ねえ、マサ兄。私のこと、心配してた?」


 その声には、少しだけ不安の響きが混じっていた。

 全く。友枝は聡くて逞しいが――少しだけ、やきもち焼きな所は、昔から変わらない。

 

「心配なんて、してなかったよ。

 お前は、俺の自慢の妹弟子だからな。きっと何処かでピンピンしてるだろうと信じてた」


 思わぬ反撃に、友枝は困ったように眉根を寄せた。

 心配してなかった、と断言された悔しさと、俺に褒められた嬉しさ。

 感情をどちらに傾けていいのか、迷っているような表情だった。

 その髪をぐしゃぐしゃと混ぜて、問い返す。


「お前の方こそ、心配してたか? 俺のこと」


 友枝は腰に手を当て、虚勢と共に薄い胸を偉そうに反らした。


「心配なんて、するわけ無いじゃん。自慢の、兄弟子だからね」

「そうか。じゃあ、そろそろ戻るぞ。打ち合わせの続きだ」


 踵を返して歩き出すと、どん、と腰に軽い衝撃が。

 背中にぶつけられた頭。俺を繋ぎとめるように腰にまわされた腕。

 ――しゃくり上げるような、小さな嗚咽。


「……ごめん嘘、本当は、凄く心配した。凄くさびしかった」

 

 余りに素直に告げられた友枝の赤心は、俺の軽口を噤ませるのに十分な破壊力を持っていた。

 背筋から伝わってくる彼女の歔欷きょきに、潔く負けを認めるように両手を掲げる。

 

「馬鹿、そういう可愛げのある所は、もっと早くに見せろ。

 ――いつだって、お前は、痩せ我慢が過ぎる。

 本音を言うと、心配ばかりしてたよ、お前のこと。きっと、お前の100倍はな」

「マサ兄の、嘘つき」


 腰にまわした腕を、咎めるようにぎゅっと締めつけ、友枝は口を尖らせた。


「この世界の、何が本当で何が嘘か分かったもんじゃないが。

 それでも、お前が息災で、本当に良かったよ」


 心からの安堵の息を漏らしながら、俺は背中の友枝が泣き止むのをゆっくりと待った。



  ◆


 試の儀の準備は、俺達を置いてけぼりにし、迅速に進められていた。

 カベルネは集まってきた魔道士達を統率して隊列を組織し、手早く地面に幾つもの魔方陣を描いていた。その鮮やかな挙措は先ほどまでの彼女とは別人のようだ。

 久しぶりにレディコルカの国王が試の儀の査察に訪れたのと報を聞き、遅れ馳せながら次々にエメンタールの重鎮も近隣に集ってきた。

 マルゴー達は傍から見ても面倒な社交辞令の丁々発止に追われている。

 俺達は、監視という名目の下、バルベーラ達と雑談をしながら時間を潰すことになった。

 ボジョレは、近隣の冒険者達や見物人も続々と集まってきている、と面倒臭そうに報告した。

 試の儀は、広く一般に公開されているされている儀式であり、告示が早いと、一目見ようと民衆達が押しかけることもしばしばであるそうだ。

 江戸時代の獄門や中世ヨーロッパに於ける公開処刑のような、実に下世話な意味での見世物としての側面である。

 譬えるなら、今日のカベルネはムッシュ・ド・パリと言った所か。

 エメンタールの名を汚した不届き者を、国家の威信に懸けて確実に滅ぼして見せること。

 それこそが、この日集まった魔道士達の使命である。


 準備が終わり、カベルネが俺達を複雑奇怪な魔法陣の中心へと招いた。

 

【ついでや。トモエも一緒に来ぃや。集まった阿呆共を驚かしたり】

【良いのかね?】


 マルゴーが驚いたように聞いた。


【貸し、一つやで、陛下】


 カベルネは、チャーミングに片目を瞑って見せた。

 ……少し、後で知った話である。

 レディコルカで発見されたマレビト騙りは、あくまで俺一人。

 マレビトを国策で捜索しているのはレディコルカぐらいのものだが、マレビトが発見された場合、基本的に保護した国の所属となる。従って、友枝は本来ならば、エメンタール所属のマレビトとなる可能性も十分にあったのだ。あるいは、切畠の血筋である友枝というマレビトの『所有権』を火種として、レディコルカとエメンタールの政治紛争が巻き起こる可能性さえあったという。

 カベルネは、友枝を俺と共に試の儀に参加させた。実にあっさりと、母国エメンタールの外交カードと成り得るマレビトを、秘密裏にレディコルカに引渡してくれたのだ。


「ほんの僅かな間だけ、ご無礼をお許し下さい、正義様」


 セギュール兄妹が、形式的に腰を縄で縛った俺達を魔法陣へと引き立てた。

 

 ああ。その詳細の一切が伏せられていた『試の儀』であるが、この期に及べば、幾ら察しの悪い俺でも、それが如何なる儀式なのかは、容易に見当がつく。

 ――つまり、『試の儀』とは、レディコルカでマレビトを騙った罪人の、魔道士達による事実上の公開処刑に他ならない。


 上席から見守るレディコルカ・エメンタール両国の重鎮達と、黒山の人だかりを作る見物人の、好奇の眼差し。

 彼らは待ち望んでいた。

 魔道士達の絶技によって俺達が四散し無惨な死を迎える、その瞬間を。


『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』『死ね』


 恥ずべき大罪を犯した俺達の、応報の時を待ち望む、善良なる人々の怨嗟。

 疑いようの無い悪が断罪される瞬間を見届けることによって、拠り所の無い己の善性を肯定するための祭り。

 磔獄門、ギロチン、斬首……公開処刑は、時としてこの上無い娯楽となる。俺達の歴史を紐解いて見ても、連綿と続けられてきた愚行だ。

 知識では理解していたが、魔女狩りで松明を投げ込むが如き人々の狂奔がこれ程不気味だとは。

 友枝が唇を噛み締めて、俺の手を固く握り締めた。その細い手は、汗でぐっしょりと濡れて、小さく震えていた。


 役人が前口上として高らかに俺達の罪状を叫び、魔道士達の紹介をすると、一斉に群集が歓喜でどよめいた。どうやら、この儀式、魔道士達のデモンストレーションという意味合いもあるらしい。


 魔道士達の中心に立っていたカベルネは、友枝と目を合わせると、心配無い、とでも勇気付けるかのように、小さく微笑んだ。

 30m程の距離を置いて、俺達を十重二十重に取り囲んだ魔道士達。 

 全員、各々の魔杖を俺達に狙いを定める。

 彼らの持つ杖が如何なるものなのかを俺は知らない。

 だが、彼らの瞳はライフルを構える狩猟者のそれである。

 先頭に立つカベルネが、先端に赤い宝珠の輝く魔杖で天を指し、振り下ろして聲高らかに宣言した。


【執行!】


 一斉に、魔道士達の杖が光を放った。

 杖先から空中に描かれる輝く魔法陣。その中心から、光の礫が次々と襲い掛かり、驟雨の如く俺達に振り注ぐ。

 その輝きに、美しいイリュージョンでも魅せられているように目を惹きつけられた。

 光の礫は途切れることなく俺達に降り注ぎ、やがてそれは光の矢へと形を変え、次第に、炎や氷の氷柱へと千差万別に変化を続けていく。 

 炎の蛇が俺達を取り巻き、風の鴉が空を舞い、土の巨人が立ち上がる。

 万華鏡の向こう側の幻想的な光景。

 だが惜しいかな、それらは俺達に近づくと途端に形を失い、光の粒となって砕け散ってしまう。

 消え去ってしまう。

 手を伸ばしても届かない。近付けない。俺の指が触れる遥か手前で、一炊の夢であったかの如く痕跡さえ残さず分解されてしまう。

 魔術の到達を阻む、何か透明な膜のようなものでも張り巡らされているようだった。

 カベルネとピノを除く魔道士達が必死の形相で、俺達に光を放ち続けるのを見るに至って、これは処刑の儀式だったな、と他人事のように思った。

 火の熱さも、氷の冷たさも、肌を撫でる風も、何も――感じない。

 全ては、俺達を包む膜の向こう側で繰り広げられる、画面越しのような余りに現実感の無い出来事だった。


『レヂコルカの民語りて曰く、マレビトは、此の地の者に比類無き力持ちける者なり。如何なる力を持ちしかは千差萬別なれど、いづれも強大な抗魔力こうまりょくなる破邪の加護を身に纏いたりけむ』


 知識では知っていた。キヌからも幾度も聞かされていた。

 本当に俺がマレビトならば、俺にもその力が宿っているのだろうと、予想はしていた。


『抗魔力』


 だが、いざ我が身に宿るその力の加護を試してみれば、何の実感も湧かない。

 この力が無ければ、既に俺は爆裂四散して跡形もない燃え滓になっていただろう。

 しかし、俺からしてみれば、魔道という有り得ない力が、ただ俺の知る常識の通りに無いだけの話。

 実感も、現実味も無い。

 地面に描かれた魔法陣より、火山の噴火にも似た焔が立ち上がる。だが、器用なことに俺の周囲を避けるように空へと昇った。


「な~んだ、何かと思ったら、またこれをやるんだね」

 

 緊張して損した、とでも言いたいのか、友枝が安堵の声を漏らした。


「何度もやったのか? これを?」

「うん。カベルネさん達と、色々実験してみたんだよ。

 発見もあるんだ。マサ兄、ちょっと刀を抜いてみて」


 腰間の刀に手を伸ばす。刀は、試の儀の開始寸前にバルベーラ達から渡されていた。

 柄に手をかけた瞬間、俺の周囲を囲っていた火柱が、すっと遠のいた。

 静かに抜刀し、青眼に構えると、それに応じて、また俺を取り囲む火柱の位置が変わる。


「これは……」


 左諸手上段に構えると、逃げるように、再び火柱が俺の体から遠のいた。

 八相へと構えを変えれば、にじり寄るように近づき、上段に構えれば再び離れる。

 この距離は――。


「俺の間合いか!?」


 ぴんぽん、と友枝は親指を立てた。

 抗魔力の及ぶ範囲――抗魔圏の広さは、俺の間合いと同調して変化するのだ。


「多分、厳密には間合いじゃないと思う。

 ここは、私のテリトリーだ、って思える範囲。それが、この魔法に当たらない空間の広さなんだと思う。

 何もしない普段なら、プライベートエリアぐらい。

 寝てる時でも、無くならないんだよ」 


 暢気な口調で友枝は解説するが、それだけこの現象を把握するまでに、どれ程の試行錯誤を繰り返したのか。

 俺の抗魔圏外に着弾した火弾が地面を抉り、数えきれない飛礫が跳ねる。

 だが、その全ては、抗魔圏に触れた瞬間に勢いを失い、地面に散らばった。

 ――魔道の直接の効果のみじゃない、派生効果まで食い止めるのか。

 

 酸鼻極まる処刑シーンを期待して集った群衆も、何か尋常ならざる事態が起こっていることを、次第に理解し始めていた。

 罪人から的を外して魔術を放つ魔道士達への罵声は、やがて困惑の騷めきへと変わった。

 熱狂に背中を押された叫びは消え失せ、万に一つも有り得なかった筈の可能性を、真面目に考慮するものさえ現われた。

 涼しい顔で火柱の中から姿を現した俺達を見て、幾人もの男達が口を噤んだ。

 もう、群集も、何も知らぬまま集められた魔道士達も、正解に辿り着いている。

 だが、言葉に出来ない。言える筈がない。お伽噺のような戯言を、誰一人として口に出来ない。

 目に見えぬ王様の衣を讃えるが如く、ただ魔道士達の焔を固唾を飲んで見守っている。


 そろそろ頃合か。

 カベルネに視線を向けると、小さな頷きを返した。

 ここまでは、魔道士達のデモンストレーション。

 ここからは――俺達の、デモンストレーションだ。

 隣の友枝とアイコンタクトを交し、二人で刀を上段に構えた。

 カベルネの合図と共に俺達の眼前に、巨大な炎の龍がとぐろを巻いて立ち上がった。

 鋼さえ一瞬で溶解させる火龍。エメンタールの魔道士単身では行使出来ない、最高位のⅢSランク魔術。

 その場の群集の全てを消し炭にできるだけの火力を持った火龍は、俺達が同時に振り下ろした刀の一振りによって、真っ二つに両断され、苦しむように地面をのたうち藪草を焦がすと、光の粒となって砕け散った。

 もう誰も、声を発する者はない。

 俺達は静かに刀を納めて、柄頭を押えた。


 試の儀の終了を告げるべく備えていた役人は、呆けたように口を開けてただ立ち尽くしている。

 上席を見た。慌てふためくエメンタールの重鎮と、感無量といった様子のレディコルカの衛士達。

 ボジョレは、腕を組んで大きく頷き、バルベーラは飛び上がらんばかりに喜色を顕わにしている。

 キヌはただ、静かに微笑んで瞳を細めた。


 収拾をつける者が居ない中、マルゴーが独り俺達へと歩み寄った。

 猪首を縮めるように重々しく頷くと、俺と友枝の腕を掴み、空へと高らかに掲げた。


【レディコルカ国王、マルゴー=レディコルカがここに宣言する!

 切畠正義、番匠友枝、この両名――マレビトなり!】


 マルゴーの胴間声は、水を打ったように静まり返った会場の隅々まで響き渡り、群集を揺るがし、漣のように広がったどよめきは、やがてエメンタール中に広がっていくことになる。

 俺は、傍らの友枝に視線を落とす。


「上段、結構上手くなったでしょ? これが一番、遠くからお化けを斬れるから、沢山練習したんだよ」


 そう言って、無邪気に白い歯を出して笑った。

 友枝はこの状況を分かっているのか、いないのか。

 我先にと駆け出した群衆は、出会った誰かに語るのだろう。


『おい、お前知ってるか? レディコルカに新しいマレビトが――』


 時代が、動き始めていた。

 

 

 

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