日常のちょっとした瞬間の憧憬
和紀河
第1話 カメラ
シャッターを切る時のあの感触が、僕は好きだ。
両手に宿る程良い重みとざらっとしたグリップの感触。久しぶりの感触。
相棒を家に置き去りにして旅に出るようになって早3年。
会社に入って会社の中へがんじがらめにされると、せめて旅行の時ぐらい、縛られるのが嫌でヤツを棚の奥にしまい込んだ。泣いているのが判っても無視し続けていた。
ヤツとは長いつきあいだった。もうかれこれ10年になる。
初めて手にした時は大きな買い物をしてしまい、少し悔恨の何がなかったとは云えない。
十数年分のお年玉を貯めて、やっと買った。
無論、当時の高校生はアルバイトをするなどということが出来ない時代。
でも、自分の持ち金をはたいて買っただけあって、無性に愛おしい。
大学の頃は毎日抱えて夢中で撮影をしていた。当時はもう一台、相棒がいた。父の若かりし頃、愛用していたという鋼鉄の鎧を被ったカメラ。
こいつと2台で作品づくりに精を出していた。
やつらは僕にはなくてはならない存在だった。
いつしか社会人になって、撮影する暇もなく、奴らは家の隅でホコリ被っていた。
どんなに切ない思い、していただろう。
父のカメラは、半分壊れてしまった状態で時が止まっていた。
僕のカメラは部屋の隅っこの方で泣いていた。
久しぶりにシャッターを切る。
最初は感覚が戻ってこなくて戸惑った。
徐々にこの手の中に馴染んでゆく。愛おしい感覚。
ずいぶん長い間放って置いてしまった。
悔恨。
また、しばらくよろしくと気恥ずかしげに呟いた。
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