旅と撮影の日々
三上夏一郎
北京から来たカメラマン
目覚まし時計の電子音にたたき起こされ、私は眠い目をこすりながらベッドを降りた。時計を見ると朝の4時半である。
カーテンを開けてみた。案の定外は真っ暗。
「バッカじゃねえの、おれって」思わず私は自分に対して呪いの言葉を投げつけた。テレビディレクター、それも海外取材ドキュメンタリー番組のディレクターという職業を選んでしまった自分に対して。
夜は明けてないのは当然だ。むしろ太陽が顔を出していたのでは困ってしまう。朝日がどの方角から、どんなふうに昇ってくるかをチェックしておくために、私はわざわざ4時半という馬鹿げた時刻に目覚まし時計をセットしたのだ。
私は窓ガラスごしに外の暗がりをぼんやりと眺めた。ここは日本から見ると地球の裏側、はるか南米ブラジルのミナス・ジェライス州コンゴーニャス。アレイジャジーニョという天才彫刻家が造った石像が立ち並ぶ、「ボン・ジェスズ聖域」という世界遺産で知られる町だ。しかしこの暗がりの中ではその素晴らしい彫刻もまったく見えない。
私が率いる撮影チームは昨夜からここコンゴーニャスのホテルに泊まっている。ホテルのすぐ目の前が世界遺産という絶好のロケーション。なにしろ部屋から見渡す一帯が世界遺産なのだ。私たちの仕事はその世界遺産を撮影すること。なぜなら私が禄を食んでいるプロダクションが世界遺産を紹介する番組を制作しているから。番組プロデューサーは酔っぱらいでほとんどアル中といっていいような人物だったが、人格に反比例するように志は高く、有名なものから無名のものまでとにかく全ての世界遺産を紹介する、というのが番組の大目標である。それゆえ、ブラジルのコンゴーニャスなどという日本では「誰も知らない」ような世界遺産くんだりまで取材に来たのだ。
眼下の闇をぼんやりと眺めていると、なにやら人の気配がすることに私は気が付いた。
『おや? 人が動いている……』
目をこらすと、窓の下の暗がり中で確かに幾つかの人影が動いている。
『おお、感心、感心。今回のスタッフは優秀だなあ』
私は連れてきた技術スタッフが自主的に朝日を撮るために起きたのだと勝手に解釈し、急いで上着を羽織りサンダルのままホテルの外に出た。「ご苦労、ご苦労」などとお褒めの言葉のひとつでもかけてあげようと思ったのである。
おそらくブラジルのコンゴーニャス・ド・カンポといったところでそれがどういう世界遺産なのか、またそれがいったいどこにあるのかを知る日本人はほとんどいないだろう。何しろブラジルという国じたい、その実態を知る人は少ない筈だ。
昨夜は飛行機の乗り継ぎが悪く、その上陸路の移動に手間がかかり、この地に到着する予定時刻が大幅に遅れた。もっとも南米では物事が時間通りに進む方がおかしい。新幹線が30秒と遅れなかったり、飛行機が定刻で離陸するような我が国とは真逆にある物事の進みぐあいである。ホテルにチェックインし、ベッドに入ったのはたしか午前2時過ぎだった。それでも夜明けの状況を確かめたくて、私は目覚ましを4時30分にセットしたのだ。なぜなら、経験から、いい夜明けに遭遇するのは偶然でしかないということを知っていたから。たとえ前の晩2時に現場に到着したにせよ、次の朝に素晴らしい夜明けを目撃しないとは言えないのだ。そして一つのロケの中でひとたびいい夜明けのシーンを逃がしてしまうと、ほとんどの場合それ以上のものは撮れないのである。
ホテル前の路上に出てみると、なんと聞こえてきたのは中国語だった。カメラをセットし、夜明けのコンゴーニャスを撮影しようとしているのは私が連れてきた撮影クルーではなかったのだ。
『なんだうちのスタッフじゃなかったのか』
私はかなりがっかりした。自分のチームの連中だったら大いに感心して褒めてやろうと思っていたのだ。しかし、気を取り直し、せっかくの機会だからと思い直した。そして異国の辺鄙な村で偶然鉢合わせした中国人テレビクルーの仕事ぶりをしばらく眺めていることにしたのである。
ぶらぶらと歩きながら近づいて行くと、カメラのパン棒を握っていたカメラマンが私に気付いて軽く会釈をくれた。私も右手を軽く挙げ、笑顔を返した。
「やあ、日本人かい?」
とカメラマンが英語で話しかけてくる。イエス、と私は答えた。それが私とリーさんとの出会いだった。
中国人スタッフが同じ世界遺産を撮影しに来ているということを、日系ブラジル人コーディネータのマリオ・Oから昨日聞いていたことを私はようやく思い出した。しかしまさかこんな形で彼らに出会うとは思ってもみなかった。中国人撮影スタッフというのは働かないというのがそれまでは業界の定説で、こんなに朝早くから仕事しているなんて想像もできないことだった。
私は彼らの邪魔にならないよう、カメラの後ろからしばらくその仕事ぶりを眺め、ホテルに戻り、またひと眠りすることにした。そしてついにこの日、我らが日本人スタッフが朝日を撮るため〈自主的に〉現場に姿を現すことはなかったのである。
朝の食事を済ませると、私たち日本チームも撮影に入った。中国人チームがまだ暗いうちから始動していたことを私は自分のスタッフには言わなかった。朝いちで文句を言われたら誰だって気分が悪くなるものだ。私にだってそれぐらいの気配りはできる。
中国チームはまだ撮影を続けていた。そうなると必然的にお互いの画面のフレームの中に相手が入ってくる可能性が出てくる。
「中国人、邪魔になりますよ」
機材の準備をしながら、若干の人種的偏見の持ち主であるオーディオマンのウエタがいった。技術スタッフは三人である。カメラマンと照明技師、あとはウエタのような録音技師がくることもあれば「カメアシ」と呼ばれる撮影助手がくることもある。或いはVE、ビデオの画質や色調整をするビデオエンジニアがくることもあった。その辺はカメラマンの裁量にまかされていた。
「わかってるよ。交渉してくる」
私は中国人と話し合ってみることにした。さきほど話しかけてきたカメラマンなら英語が通じる。トランシーバーを一台ウエタに渡し、私は遠くに見える中国人撮影チームに向かって歩いた。
「やあ。ニイハオ」私は中国人スタッフに近づくとにこやかに片手を上げた。カメラマンがひとなつっこい笑顔で右手を上げて応える。
「先ほどはお相手もできず失礼しました。リーです」カメラマンが英語で名乗ると右手を差し出した。
「いやあ、撮影ですから当然ですよ。ミカミです」と私も英語で答え、私たちは握手を交わした。
「ミスター・リー、これから我々も撮影に入るのですが、あなたがたはあとどれぐらい撮影を続けますか?」こいつらよく働くなあと感心しながら私が尋ねると、意外なことに、
「いやあ、このワンカットを撮ったらひとまずここはお終いです」とリーさんがいった。「ラストにこの位置からあっちに向けてワイドショットを撮りたいのですが、ちょっとの間だけ日本チームがあそこのポジションからどいててくれるとありがたい」
「あ、了解しました。それは失礼」私はトランシーバーでウエタを呼んだ。「中国チームはあとワンカットで撮影終わるそうです。ここからそっちをワイドでねらってるからそこ一瞬どいてあげてください、どうぞ」
「了解。どうぞ」トランシーバーからウエタの不機嫌そうな声がかえってきた。やがてウエタたちが機材を片づけ、ホテルの方へひっこんでいくのが見えた。
「あ、それでOKです。ありがとう。助かります」リーさんは私にとても嬉しそうな笑顔を見せてくれた。見ているこっちも嬉しくなるような、心の底からの笑顔だった。
それからリーさんはパンをしたり、ズームを使ったりして五分ほど撮影を続けると「OK」と自分のスタッフに声をかけカメラを離れた。
「ありがとう。おかげで無事終わりました」と私に再び握手を求めてくる。
「朝早くからたいへんでしたね」リーさんの無骨な手を握り返しながら私はいった。
「撮影の仕事は、世界どこでもそうでしょう?」リーさんは再び人なつっこい笑顔で答えた。
「この世界遺産での撮影は、終わったんですか」
「そうですね。ひとまずは」
「では、中国に帰る?」
「いいえ」リーさんは苦笑しながらいった。「このあと、ボリビアに移動です」
「ボリビア。それは大変だ」
「南米の世界遺産をひととおり撮影してからじゃないと、帰国できないんです。撮影したテープを運ぶ係が一人いて、彼は本国と南米を行き来しますが私たちはずっと残って撮影を続ける」
「じゃあ、しばらく国へは帰れないんだ」
「まあ、仕事だから仕方ないんですけど」リーさんはあきらめたようにため息をついた。「ブラジルに来て今日で一ヶ月になります。予定ではあと五ヶ月ずっと南米をロケして回ります」
「と、いうと、半年!」
私は素直に驚いた。私たちは基本的には一回のロケで三カ所の世界遺産を撮ることにしている。平均すると一ヶ月ほどのロケになる。下見のため先行するディレクターはほぼ一ヶ月半、日本には戻らない。その私たちよりきついスケジュールで回っている撮影クルーがいるとは夢にも思わなかった。やはり世界は広いのだ。
「すごいスケジュールだなあ。おれたちも長いと思ったけど、一ヶ月だからなあ。それにしても半年ってのは、ちょっと非人間的な気もするけど」
「そうなんですよ。私もついこの間、娘が生まれたばかりでして」
そういうとリーさんはベストの胸ポケットから奥さんが赤ん坊を抱いている写真を取り出して私に見せてくれた。
「これが奥さん?」
私が尋ねると、リーさんはいかにも嬉しそうにうなずいた。
「すっげえ、美人じゃないの」
写真の中で、髪を後ろに束ねた若い女性が赤ん坊を抱いて微笑んでいる。
「これじゃあはやく会いたいよね」私は写真をリーさんの手にそっと戻した。
「はい、そうですね。全くです」リーさんは写真をしばらく眺めると、大事そうにまたポケットにしまった。
日本人は狂ったように働く、といつも海外で呆れられるのだが、この中国人たちはそれ以上だなと私は内心舌を巻いていた。負けた、と思った。中国のテレビ技術はまだレベルが低いと思っていたが、これではすぐに追いつかれてしまうに違いない。
私たちが話しているところへ、黒い背広を着た中国人の男が片足を引きずるようにしながら歩いてきた。髪を整髪料できっちり七、三に分けている。年齢はどうやら僕より十歳ほど上に見える。五十歳ぐらいか。黒い革靴を履いていた。石畳の町で、革靴はひどく歩きにくそうだった。
「あ、紹介しましょう。こちらはうちの番組のプロデューサー、ミスター・スンです」
リーさんがその男を私に紹介してくれた。スン、という字はどう書くのかわからなかったが、私はミスター・スンと握手した。
ミスター・スンはひどく疲れているようだった。顔色が悪い。くそ暑いブラジルで背広に革靴ではさぞかし疲れるだろうと私は気の毒に思った。
「彼は英語は話せないから」
リーさんは英語でいうと、私にだけ見えるようにウィンクした。
ミスター・スンは渋い表情でリーさんに二言三言話しかけた。むろん中国語である。それから私に軽くお辞儀をすると、現場の後片付けをしている他の中国人スタッフの方へ歩いて行った。
ミスター・スンさんの後ろ姿を見送ると、リーさんが神妙な顔で私に囁いた。
「早めに帰国する可能性が出てきました」
「ほんと?」
「ミスター・スンは心臓に持病を持っているのですが、この二、三日それが悪化しているようなのです」
「心臓が悪いんじゃ大変じゃない」
「それで足を引きずっている。心臓と足にどんな関係があるかわかりませんが、心臓が悪化すると足を引きずる」
「なるほど」
「そして我々がこれから行こうとしているボリビアの世界遺産は、アンデス山脈の中にあるのです。何より、国の入り口、ラパス国際空港が海抜4千メートル以上ありますから……」
「うわ。つらそうだね」
「そう。とても心臓に悪い。4千メートルだと、普通の人はまず高山病になる。元々心臓が悪い彼の病状が更に悪化する可能性が高い。心臓が悪い人が高山病になったら命が危ないですよ」
私は思わずリーさんの顔を見た。するとそれまで深刻そうな顔で話していたリーさんがにやりと笑った。
「そうしたら我々も帰国できます」
「なるほど」
「すると私も、娘にようやく会えます」
リーさんは胸ポケットからまた家族の写真を取り出すと、いかにも愛しいという眼差しで再びそれに見入るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます