復讐のイヴ

レライエ

第一章復讐の四肢

第1話密会はオペラとともに

「酷い様だな、お嬢ちゃん」


 その声は、幻のように私の耳に響いた。

 精も根も尽き果てて、最早死を待つだけの私が聞いたただの幻聴かと思ったのた。


 声は、笑った。


「だとしたら、中々タフだな。されても尚助けを求める証拠だからな」


 声には明らかな嘲笑が含まれていたが、私は何も答えない。ここでされた事は、私から反抗心を刈り取っていたのだ。

 うずくまり、床を眺める私と視線を合わせるように、声の主はしゃがみこんだ。


「………願いはあるか?」一頻り笑ってから、声はトーンを変え、尋ねた。「世界で最高級に不幸なお前に、俺からのささやかな贈り物ギフトさ。どうだ?」


 いきなりそんなことを言われても、私の中には何一つ生まれては来なかった。


「死にたいか?早く楽にしてやろうか?」


 死。今まで幾度となく意識して、結局選ぶ勇気の無かった選択肢。その単語に私の心が僅かに震える。

 ………死にたいのか?

私は、この現実から逃げ出して楽になりたいのだろうか。苦しみを与えられるのはもう嫌だ、ならば、終わしかないのではないか。だからこそ、私の心は震えたのではないのか?


 本当に?


 誰かが私の中で囁く。

 それは母の声だった。父の声だった。隣のお爺さんの、学校の友達の、先生の、ボーイフレンドの声だった。かつて当たり前に甘受していた、暖かく穏やかな日々の声だった。


 それらが、くしゃくしゃに丸められた。まるで他愛のないゴミ屑として暖炉の中に投げ捨てられてしまった。


 


 本当に?

声が響く。穏やかな微笑みを浮かべる母の服が、髪が、肌が全身が、黒い炎に呑み込まれる。焼け焦げて炭となった骸骨の口が、私を穏やかに問い詰める。本当に、あなたはここで死にたいの?


「いいえ」私の喉が、しわがれた声を吐き出した。「いいえ、いいえ、いいえ!」


 冗談じゃない。ここで、こんなところで終わっていいわけがない。私が死んで私から奪った奴等が生きていていいわけがないのだ。

 漆黒の炎が、私の心を呑み込む。優しかった人々が優しい声で私に叫ぶ――奴等をけして赦してはならぬ。


「良いだろう」声は再び笑いを含んだ。「お前の復讐ドラマに、


 私はゆっくりと立ち上がる――

 牢屋の扉に、。びくともしなかった頑丈な扉は、菓子クッキーのように破れた。

 が私に奴等の襲来を伝える。獲物が近付いてくるよ、さあ剣を構えてと騒ぎ立てる。


 私は笑いながら、復讐のかがり火を焚いた。






「くそっ!!」


 低く毒づいた男の眼前に、巨大な炎が迫る。自分程度なら呑み込んでしまえそうなほど大きな火球に、男は両腕を顔の前で組み、防御の姿勢を取った。

 その全身が、淡く光っている。緑色の薄い膜は男の身を護るかのようにその輝きを増した。脅威に対する防御の算段が、男にはついているようだった。

 しかし火球は男を、何の抵抗もなく呑み込んでいった。夜の闇が赤く切り裂かれ、直ぐに消える。跡に残されてものは、ただ真っ黒な炭だけであった。


「馬鹿、で防げるわけねぇだろ!!」


 別な男が叫ぶ。その周りに、更に火球が降り注ぐ。暗闇に咲く真紅の花が、荒れ果てた裏路地を照らし出した。

 叫んだ男はかわし、かわしきれない一つの火球に右手を向け、短く叫んだ。


「【護法之一ガードレベルワン風盾ウインドシールド】!」


 瞬間、右掌前の空間が歪み、小さな竜巻が生じる。丁度飛び込んだ火球がぶつかり、轟音と共に相殺した。


 己の魔力と世界の魔力とを混ぜ合わせ、超自然現象を操る技、。あまり一般的でない技術だが、男たちにとってはナイフと同じ、商売道具である。

 こうして世界を歪められる程の魔術は稀少であり、【巡視隊】にも滅多にいない。だからこそ男たちは、僅か十数人でありながら夜の町の一画を牛耳ることが出来たのだが、しかし。


「お前ら、無事か………っ!?」


 それも、今夜で終わりらしい。

 男たちがねぐらにしていた裏路地には、最早リーダーだった彼以外には誰もいない。ただ、何かが燃えた炭が十数ヵ所散らばっているだけだ。


「………くそ、くそ、くそ!!なんだよ、なんなんだよ、これは!!」


 が回ってきたと言われればそれまで。男には攻撃される謂れは数え切れない程ある。巡視隊はもちろん、魔術に物を言わせて追い払った敵対組織、単なる被害者も合わせれば、恨み辛みは星の数だ。


 だから結果としては順当だ。そいつらに滅ぼされるのなら、承服は出来なくとも納得出来る。

 だが、けれども――


「なんだよ、お前はっ!!」


 叫んだ先、裏路地唯一の出口には、

 退屈そうに壁にもたれている、女。


 軽くウェーブがかった金髪を無造作に伸ばした、スレンダーな美人である。編み上げブーツにショートパンツ、サスペンダーという騎手ライダーみたいな服装で、薄汚れた路地にはあまり似合わない。まして、荒事に慣れた男たち十人余りを焼き払ったとは、麻薬中毒者ジャンキーだって信じないだろう。


 だが事実。女は顔色一つ変えずに腕を振るい、産み出した炎で男の仲間をことごと灰塵かいじんに帰したのだ。


「なんなんだ、あんた………俺たちに、何の恨みがあるんだ」

「………別にない」


 女は淡々と答えた。眉をひそめる男に対して、女は壁から背を浮かせると、悠然と向かい合った。

 男は息を呑んだ――人を騙し、犯し、奪い殺してきた男でさえ、夜中に目覚めてしまった子供のように身を震わせていた。


 火蜥蜴サラマンダーとも鬼火ウィルオウィスプとも、仲間を殺し尽くした火球とも違う、ひたすらに黒く暗い、火の形をした闇がちらついていたのだ。


「別にないけど………お前たちは、と取引した」


 その言葉に、男は理解した。この女は、と。

 端的な言葉からは、何の感情も聞き取ることは出来なかった。怒りや憎しみ、殺意すらもない。


 それは詰まり、取引の余地すらないということだ。相手に決意を変えさせる材料が、世界のどこにもないという証明に他ならない。

 男に許されたのは、選択することだけだ――大人しく死ぬか、抗って死ぬか。


 舌打ちして、男は身構えた。そして次の瞬間に気が付いた。どちらを選んだとしても、大差はないということに。


「………『火葬サヨナラ』」


 女の呟きと共に、その右腕から燃え盛る炎が飛び出した。それに呑み込まれ、男は、叫ぶ間すらなく絶命した。







 開いた幕の向こうから現れた三人の女性は、身体に張り付くような服の上から、色とりどりの布を巻き付けていた。

 動きと共に布が風をはらみ、膨らんで、風のようになびく。

 人体の構造と、運動神経の限界に挑戦するような踊りダンスだと、イヴ・スレイマンはぼんやりと思う。爪先を軸に回転したり、両足を開いて跳んだかと思えばそのまま着地、床を舐めるように足が回り、逆立ちしてまた回転する。


 軌道に沿って舞う布は、風をイメージしているのだろうか。無言で踊る彼女たちは、何も教えようとはしなかった。


「………よい働きだった」


 劇場に数席しかないボックスシート。隣に腰かける男の言葉に、イヴは、自分に対してか、それともウインド三人娘の踊りのことか一瞬迷った。

 ちらりと隣を見ると、若い男、ダニアンは背筋を伸ばしたまま真っ直ぐ舞台を見詰めていた。人形のように無表情な視線からは、どちらに対しても賛辞を感じ取ることは難しい。


「………なんで、こんなところなの?」結局判断がつかず、イヴは話を変えた。「チケットも安くはないでしょ」

「劇場に人は何を見に来る? 役者、そして、彼らが作り出す偽りフィクションの世界だ。………いうなれば、騙されに来ているのだ。密会には最適だ」


 イヴは眉を寄せて、ダニアンの几帳面に撫で付けられた金髪を見詰めた。ぴくりともしない彼の横顔は、誰かを騙す社交性に溢れているようには見えない。


 舞台上では、三人の風に招かれるように、純白のドレス姿の女優が前へと進み出てきた。張りのある声で、朗々と良い人生を歌い上げる。

 空と風、そして愛する人。彼らを抱き締められれば、それだけで世界は美しく、人生は素晴らしいのだと高らかに。


「………」


 イヴは自分の腕を撫でながら、複雑な気分でその歌を聴いていた。

 もしそれを抱き締められなければどうなのか、女優は語らず舞台を去っていく。


「………それで、密会の理由は? 単なる労いのつもりなのかしら?」

「これが貴様の安らぎになるのなら、それもまた悪くはないがな」

「私の安らぎが欲しいなら、役者と筋書きを変えて」イヴは吐き捨てた。「の悲鳴の歌なら、良いわ、気分良く聞ける」


 ダニアンは軽く片眉を上げた。それから、ため息交じりに一枚の羊皮紙を差し出す。


「そんな芸術はここには相応しくない。だが、


 イヴはそれを受け取ると軽く目を通し、それからくしゃくしゃと丸めた。軽く息を吹き掛けると、羊皮紙は一瞬で燃え上がり、灰となった。


「いつもご贔屓に、どうも」


 皮肉げに笑うイヴに、ダニアンは首を振った。


「礼は不要だ。お前が奴等を狩ることは、俺たちにも利がある」

「あらそう」イヴは肩をすくめる。「なるほど、? お若いさん?」


 その呼び名を第三者が聞いたなら、瞠目するか或いは有り得ないと鼻で笑うかだろう。都市の警備や犯罪捜査、逮捕権を有する【巡視隊】。その隊長ともなれば、権力は市長をしのいであまりある。それを、二十代半ば程の若造が担っているというのは、怪情報ゴシップとしても馬鹿馬鹿しい。

 ダニアンは視線をピクリとも動かさない。イヴより二、三歳上なだけだというのに、その態度はまったく堂に入っている。


「お前は王国俺たちとは何の関係もない。忘れたか?」

「思い出させたいなら、忘れられないように顔を出すことね。手土産も忘れずに」


 イヴは立ち上がった。それから、立ち上がろうとしないダニアンを訝しげに見詰める。


「………用がないなら観ていけばどうだ?」

「これを? あまり趣味じゃないけど。なに、贔屓の役者でもいるの?」

「妹だ、あれは」


 イヴはダニアンの横顔を、穴が開くほどしげしげと見詰めた。それから、舞台に目を向ける。そこで素朴な衣装に身を包む男性と陽気に踊る白いドレスの女優を見て、再びダニアンの横顔に穴を開けた。


「………妹?」

ジョークだ」本当だ、というのと同じ口調でダニアンは言った。「せっかくの席だ、観ていけ」


 やっぱり密会には向かない場所だと、イヴは肩をすくめる。こんな大根役者嘘吐きとの会合には、特に。






 ダニアンとは、自然にはぐれた。ボックスシートには座長が花形を連れて挨拶に来るのが常だから、一足先に出れば簡単に無関係を装える。

 一般客と共に劇場を出て、イヴは大きな伸びをした。流石に欠伸は堪えたが、周りには正直者も多くいた。


 理解と無理解の波に晒されるのは芸術の常だ。それらに磨かれるか、それとも砕かれるかはわからないが、波にすら当てられないよりは遥かにましだろう。


「………ん?」


 人の流れに逆らわず、先ずは手近な駅馬車乗り場にでも向かおうと思ったイヴの耳に、妙な音が聞こえてきた。


 視線を巡らすと、劇場の脇に男が一人座り込んでいた。

 あご髭でマフラーでも編むことにしたような男は、ギターをかき鳴らして声を上げていた。民族的な歌なのか、イヴには理解出来ない響きである。彼女の見たところ、男は主張を歌に込めるよりも、高名な劇場の前で演奏することに拘っているようだった――対抗心からなのか、おこぼれにありつくつもりかはともかく。


 もし狙いが後者ならば、それは成功している。劇場から出た客の多くは彼のギターに足を止め、関心か眉のどちらかを寄せていた。


 イヴは肩をすくめる。あとは対抗出来ていれば完璧だったろうに。

 無関心の波に乗り、彼女は夜の町を、自宅へと向けて歩き出した。調子外れな歌声は、愛を歌った踊りを道連れに、イヴの頭から流れて消えていった。

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