19. 戻れない毎日

 部屋の窓は北向き。陽は差し込まないはずだ。

 だから、その背中に見える後光は幻。幻だ。

――だけど怖い!

 窓を背にして立つ人は、皇都鎮台第五部隊の司令その人。その緩く弧を描いた口元が示すのは、笑みではなく怒り。

――うちの部隊長殿は怖い。

 颯太そうたははっきりとそう思った。


 その部隊長殿の、重たげな机を挟んだ反対側に立たされているのは、颯太とかい。さらに二人の背後には副隊長殿が立っている。

 常と変わらぬ声の高さで、淡々、延々と話した後に、隊長――柳津やないづ大尉は一つ息を吐いた。

「最後にもう一度。規則は絶対だ。そして俺の命令――万が一の際は高辻たかつじ少尉の指示には、必ず従ってもらう。守れなければ軍ではないと承知しておくように」

「分かりました」

 櫂が低い声で受ける。

 後ろで、高辻少尉がガシャンと鞘を鳴らしたので、びくっと肩を竦める。

駒場こまば

 颯太を苗字で呼んだのは大尉の方。う、と身を退く。

 バカでかいと評される颯太に比べたら低い背、体つきも決して太いわけでないのに、存在感が圧倒的過ぎる。

 ぎゅうと肩を小さくして、颯太はがくがく頷いた。

「二度と門限破りません」

「……そうか」

 ふ、ともう一度溜め息を響かせられる。

「門限もだが、他の部隊の戦闘に首を突っ込むのも程々にしておけよ」

「どうしてですか」

 首を傾げると、隊長殿は苦笑いを浮かべた。

「命令系統が混乱する」

「隊長殿だって出てきてたじゃないですか」

 櫂が唇を尖らせる。大尉はますます笑った。

「耳が痛いな」

「それに」

 と櫂は身を乗り出した。

「軍人なのだから、戦って当然でしょう」

「その点は同感だ」

 声は後ろから。え、と振り向くと、高辻少尉が口許を歪めていた。

 櫂は眉間にぐっと皺を刻んだままだ。

 颯太はごくりと喉を鳴らす。

「以上で、説教はお終いだ」

 大尉の声に、少尉が肩を竦める。

 正面に向き直ると、颯太と櫂を柳津大尉は順に見遣ってきた。

園池そのいけは哨戒に向かう部隊に合流。高辻少尉と共にすぐに迎え。あちらの指揮は少尉に任せる」

「おまえは?」

 副隊長がすっと目を細める。それに大尉は緩く笑んだ。

「少し情報を整理しておきたいんでね。駒場に残って、手伝ってもらう」

「ほえ!?」

「二人は行ってこい。気をつけてな」

 手を振る大尉に見送られて、櫂と副隊長殿は扉を出て行く。

 颯太は、ぱくぱく、と口を動かした。

「こっちだ」

 と、奥から横合いの棚に近い机に動いた大尉が声をかけてくる。

 その机には、新聞が山と積んであった。

 近寄ってみれば、どれも今日の日付のもの。一面は、夜半の狂い咲きの桜のこと。

「すごかったですものねー」

 はーっと大きく息を吐く。

「こう、いきなり、空が明るくなって。ばーっと花びらが降ってきて……」

 花に埋もれて、魔物は一匹残らず消えていった。

 誰もが驚いて空を見上げ、道を見渡して、感嘆の声を上げていた。

「でも、今朝はもう、花は残っていなかったんでしょう?」

 起き抜けに聞きかじった話をすると、頷かれる。

「残念ですね。……あれ? もしかして、あの花こそ幻だったんですかね?」

「さてな」

 くっと喉を鳴らしてから、隊長殿は下の方から一冊抜き出した。

「花の正体も気になるが、街の被害の状況も気に掛けろ」

 がさ、と大きな音を立ててそれをめくると、中面にも大きく写真が載っていた。電柱に激突した自動車と、その周りにいる軍の部隊を捉えたものを。

「……これ、隊長ですよね」

「いつ撮られてたんだかな」

 瞬いて、文面を追う。

 夕方出現した魔物に対応するために、軍の部隊が出動したこと。市中に広がった敵を追って配備されたばかりの自動車を走らせたこと。その操縦に失敗し、電柱を折り、その折れた先で建屋が潰されたこと。軍人だけでなく、市民にも怪我人がいたことが、つぶさに記され、そして。

「……なんで、一生懸命戦ったのを批判されなきゃいけないんですか」

「仕方ないな」

 また大尉は喉を鳴らす。

「最終的に魔物を祓ったのは、謎の桜だからな。それに今回は、その写真の電柱もそうだが、いろいろと街に影響を出してしまったみたいだからな」

 文章は、魔物の対策は新たな局面に入った、 軍の規模を縮小が検討できると締められている。

 その後には、この記事を書いた記者なのだろう、 『遠郷えんごういつき』と書かれていた。

「えええええ……」

 がっくりと肩を落とす。

「こんな落ち込める記事を、どうするんです?」

 ぱちぱちと瞬く。大尉は全く動じず。

「一面だけでなく、中も確認して関連しているのは全部抜いてくれ」

「……全部?」

「おう」

「えーっと…… 関連してるってのは、花が咲いたってことと街に被害があったってところで良いんですよね?」

「そうだ。さっさと始めろ」

 否は言えない。

 颯太は目尻を下げて、はさみを握った。

――本当は文章読むの苦手なんだよ、ねえ菜々子ななこ

 そこに、コンコン、と扉が鳴った。

「お邪魔します」

 ゆっくりと木の扉を開けて入ってきたのは、颯太より年上の青年。麻の小袖に袴を身に着けた彼の顔を見て、あ、とまた呟く。

 ――昨日、一緒に戦った『かんなぎ』の人だ。

泰誠たいせい殿」

 颯太が焦る傍で、隊長殿は落ち着いた声で呼んだ。

「ご苦労様です」

「資料、早い方が良いかと思って、お持ちしましたよ」

 にこ、と彼は笑う。

 ぽっちゃりした体つきの青年だ。顔も、昨日向けられたお小言が嘘のような、柔らかさ。

 だが、一度、その笑みが退く。

「柳津大尉。今、お時間は……」

 す、と下げられた視線が真っすぐ上がる。大尉はゆっくりと頷いた。

「ありますよ。横で作業しているのがいますが、それでよろしければ」

 口の端はいつもどおりに上げたまま、部屋の真ん中に対で置かれた、布張りの長椅子を掌で示す。

「どうぞ。座ってください」

 泰誠がそこに掛けると、隊長殿は傍の棚にあった魔法瓶の中身を湯呑に注いだ。

「お気遣いありがとうございます。――面白いですね、冷たい飲み物も入れておけるんだ」

「寒い時期にお湯を入れておく道具、と思いがちですけどね。夏場は重宝してますよ」

「分かります。部屋の中にいるだけでも結構暑くて。冷たい飲み物があると、書類仕事もはかどりますよね」

 にこやかに喋る泰誠の向かいに隊長も腰を下ろす。

 それを見てから、颯太は新聞と向き合えるように、そちらには背を向けた。

 耳は完全に二人に向いたまま。

「昨夜は大変でしたね」

「お互い様です」

 会話を一言も聞き漏らさない構えだ。だから。

「また倖奈ゆきなを助けていただいたそうで」

 泰誠からその一言が出てきた時、飛び上がりそうになった。

 そういえば、昨夜街で会った。魔物を追いかけている最中に会った。追いかけているうちに、颯太と櫂と泰誠の三人になっていて、泰誠が大いに焦っていたのを思い出す。

 その彼は今、固い声で話している。

「花を咲かせて、ひっくり返ったところを病院まで運んでいただいたと」

 振り向くまいとガチガチに体を固まらせて、颯太は必死に考えた。

 あの幻かもしれない花は、華奢なことこの上ない彼女が咲かせたものだったというのか。

――いやいやいやいやそれも気になるけどぉ!

 ぱくぱくと口を動かす。

――大尉が倖奈を助けたってどういうこと!?

 手は完全に止まってしまった。

 こつん、と机に何かが当たる音がした後に。

「彼女はどうしているんですか?」

 と大尉が言った。

「もう戻ってきている……」

「いいえ。今、美波みなみが迎えに行っています。さすがに男の僕が行くわけいかないでしょう?」

「そうですか」

「僕としても、彼女の具合は気になるし、できるだけ早く花を咲かせるに至った力の使い方について話をしたいところですけど」

 ふ、と泰誠は息を継いだ。

「ときに、柳津大尉と倖奈は、どのような関係なんです?」

――それ、俺も気になる!

 そろり、と振り向く。

 柳津大尉の笑みの形は変わっていない。

 ただ、長い脚を組み替えて。

「顔を合わせたら話す、その程度の関係ですよ」

 と言った。



 ******



 気が付いたら、堅い寝台の上の薄い布団に寝かされていた。

 むくり、と体を起こすと、無地の寝間着に着替えさせられていることも分かった。

「気分は?」

 と、染み一つない割烹着姿の女性が歩み寄ってきた。

 彼女のがさついた手が額に当てられる。

「熱は無さそうね。吐き気はある?」

「いいえ」

 応じながら、視線だけを忙しなく動かす。

 部屋の中には、倖奈が乗っている他にも三台の寝台――誰も寝ていなかったが。

 クレゾールの臭いが鼻につく。床板は濃い艶を放っている。木枠の窓には生成のカーテンがかかり、向こうには緑の木々と稜線が見える。蝉の声も聞こえる。

 東の郊外にある病院か、と倖奈は息を吐いた。

「あ、着ていた服はそこに畳んで置いてるから」

 割烹着の看護婦が言う。指さす先のテーブルには確かに倖奈の支子色の小袖と松葉色の袴があった。

「袴の裾だけじゃなくて、小袖も泥だらけになってわ。あれ、洗っても落ちないかも」

 眉を下げた顔で言われ、倖奈は静かに頷いた。

「あの…… 他に巾着が無かったですか?」

「いいえ?」

 きょとん、と目を見開いて、相手は首を振る。

 落としてしまったのだろうか。特別大事なものは入っていなかったけれど、と肩を落とす。

 それから、倖奈は背筋を伸ばし、看護婦に向き直った。

「わたし、ここにどうして?」

「急に倒れたから、と運ばれてきたのよ」

 言われて、うん、と唸る。


 桜の花びらが降ってきたことまでは覚えている。

 その後どうなった。何をしていた。

――魔物がどうなったのかを、知らない。

 まただ、と解けていなかったおさげ髪の先を握りしめた。


「特別具合が悪くなければ、すぐに帰れるわ。お迎えも見えているみたいだし」

 言われ、倖奈はそっと両足を床に下ろした。

「戻ります。ありがとうございます」

「じゃあ、お迎えの人を呼んできましょうか。あ、連れてきた人とは別の人よ」

 くすくすと笑われて、首を傾げる。

「あら。淡白な反応ね」

「だって、誰が連れてきてくれたのか、知らないもの」

「そうか。そうよね。えっと……男の人よ」

 今度はニヤニヤ笑われる。倖奈は首を傾げた。

――シロかしら。直前まで一緒にいたもの。今度会ったらお礼を言わなきゃ。

「事務の書類を見ればお名前分かるけど、どうする?」

「いいえ、大丈夫です」

 微笑んで、首を振る。

 そして、彼女と入れ替わるように、見知った顔が部屋に入ってきた。

「美波」

 同い年の、ずっと共に育ってきた彼女。

 今日は、大きな天竺牡丹と洋蘭が刺繍された振袖だ。帯にもまた凝った刺繍が施されていた。

 紅を塗った唇がふわりと綻ぶ。

「はい、着替え」

 すっと利休色の風呂敷包みを差し出してきた。

「泥だらけになっちゃったんでしょ」

 受け取り、開く。中からは、鈍色の小袖と京紫の袴。

「ありがとう」

 自分でも驚くくらい平坦な声が出た。

「なあに? 文句あるの? あなたの服でしょ、これ」

 美波の声は鋭い。

「ちゃんと大人っぽく見える方を選んであげたんだけど。さっさと着たら? 帰りましょ」


 病院の正面の車寄せには、人力車が停まっていた。

「鎮台に戻ればいいっすよね?」

 法被姿の車夫が大きな声で問うたのに。

「ええ」

 美波はつんと顎を上げた。ふわりと腰掛けた彼女の横に、倖奈もそろりと乗って、膝の上に包みを載せる。

 目の端に鮮やかな造花が映る。己の袴はくすんで見える。

 隣からは、ふわりと季節外れの花の香りもした。

「行きまっせー」

「お願いします」

 がらり、と車輪が回り始める。

 道の端では、露草が俯いていた。

 地面のでこぼこが震えとなって伝わってきて、唇を噛む。

 空が青いことさえ恨めしかった。

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