それはありですか? お兄様
その日、私は二人の自称『お兄様達』に付きっきりで部屋の改装に付き合わされた挙句、またまた昼食までしっかりと堪能させられ、今度は二人に挟まれて王都の散策に出掛ける羽目になった。
吸血鬼である事を上手く隠していた二人と一緒に歩く道は、穏やかなそれではなくて……。
無駄に顔の良い男性二人に黄色い声と好奇の視線を向ける女の子達の存在が、始終居心地を悪くさせていた。まぁ、私は幸い? なことに、幼い姿をしている実年齢十四歳だから、恨みがましい殺気の視線を向けられないだけ有難かったけれど、落ち着かない時間を延々と過ごし、――ようやく夜も更けて一人になる事が出来た。
「はぁ……、疲れた」
夜着を纏ったその姿でぽふんと柔らかな寝台に倒れ込む。
さらりと頬を伝う薄紫の長い髪を見つめながら思う……。
体力的にも気力的にも疲れ切った今の状態で……、果たして遠くまで逃げる事が出来るのだろうか、と。新しい『家族』……と、勝手に私を『妹』に認定したあの二人のせいで、今の今まで精神的な気疲れを強いられていたのだから。
物語の中に描かれていた吸血鬼に、さらに濃い個性が幾つか付属したようなあの二人……。
子供……では、ないのだけれど、私のような子供に見える対象を世話するのが趣味なのだろうか。
隙あらば血を吸ってやろうという気配はどこにもなく、むしろ……、本当に可愛がられているような気さえしてしまったのは、きっと私の思考が正常に働いていないせい、絶対に。
両親を失い、『協力者』まで失ってしまった私は、これ以上の苦痛を望まない。
一人になれる場所で、誰にも看取られずに最期を迎えられれば、――幸せな想い出を胸に終わる事が出来る。
だから、あの変な吸血鬼達に、僅かでも『家族』のそれに似た温もりを感じてしまったとしても、それは極限まで追い込まれ、痩せ細った死に際の木に少し水を注がれたようなもの。
飢えていれば、些細な優しさひとつにも、敏感にそれを感じ取り、自分にとって大きく感じてしまうものなのだ。
「逃げなきゃ……」
昼間に買ってきた可愛い鳥さん時計の針の音を聞きながら、私は起き上がる。
あの二人は、吸血鬼のくせに昼日中にも平気で正体を隠して出歩いていた。
普通は深夜に活動して、朝から夕方にかけては眠っているものではないのだろうか……と、思わないでもなかったが、物語の内容と、お父さんの話していたそれが、全ての吸血鬼に当てはまるものではなかった、という事なのだろう。
まぁ、だからと言って、夜に眠る保障はどこにもないのだけど……。
(気付かれないように抜け出せばいいだけ、うん……)
そう、極力物音を避けて、この部屋の窓から屋根に出て……、夜の闇の中に消えてしまえばいい。けれど、すぐに行動に出てはいけない。もう少し、せめてあと二時間ほどは大人しくしていよう。寝台の中に潜り込み、恐らく寝入ったかどうか様子を見に来るだろう二人の訪れを待つ。
それが過ぎたら……、逃亡の時が来る。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「んしょ……」
予想通り、あれから十分も経たない内に二人が私の部屋の扉を開けて寝台の中で眠っているかどうかを確かめにきた。寝台の傍にある窓の方を向いて寝たふりをしていた私の背後で、二人は無言のまま視線を向けてきたけれど、何も言わずにそのまま部屋を出て行ってくれた。
それからまた一時間ほどして……、階下から何も聞こえなくなり、それぞれの部屋の扉の閉まる音が聞こえた後、私は寝台から起き上がった。
多人数が住めるように設計されているこの家は、他の民家よりも大きな構造となっている。
お屋敷……というほどではないものの、この部屋とは反対の方にも二階に続く階段があり、そちらの方に二人の部屋がある、と聞いたのは、昼間の事だ。
今なら、窓から外に出られるはず……。閉じられた厚手のカーテンを開く。
「――っ!!」
けれど、私の手は条件反射故か、カーテンを素早く元の状態に閉め、そのまま固まってしまった。
……今、何か変なものが見えたような気が。恐る恐る、また、カーテンを開く。
「……」
見間違いじゃなかった……。真っ暗闇の中、私の部屋の窓に、残念な美形こと、自称『お兄様』の片割れが顔をびたんと硝子面に押し付けている。
それがレゼルクォーツさんなのだと認識出来るまでに、軽く十秒ほどかかってしまった。
何をしているの……、この人は。
『子供は早く寝ないと大きくなれないぞ~』
「……変態が外にいると、あらゆる意味で怖くて眠れないんですが」
無表情の顔で私がそう貶して差し上げると、レゼルクォーツさんはどうやって開けたのか、鍵のかかっているはずの窓を開けて中に入ってきた。
寝る前、だからだろうか……。結ばれているはずのリボンを解いているせいか、長い蒼髪はそのままの姿で背へと流れ、今までとは違う印象を抱かせる。
そのアメジストの視線が暗い室内に流され、呆れ交じりの溜息が聞こえてきた。
「リシュナ、そんなに嫌か? 俺達の『家族』になる事が」
「嫌という感情はありませんが……、必要のない事だと判断していますので、お暇しようと思っただけです」
「あ~あぁ……、せっかく用意してやったシーツをこんなにしてからに……。はぁ、まぁいい。リシュナ、お前に一人部屋はまだ早いようだな?」
逃亡用にと、縄の役目を果たして貰おうと犠牲にした白いシーツ。
与えた側からすれば、確かに酷い事この上ない。
「どういう意味ですか……」
じりり……。レゼルクォーツさんが寝台の上に座り込んでいる私の両脇に手を差し入れると、自分の腕に抱き上げてしまう。抵抗は……、相変わらず意に介してはくれない。
部屋の扉を開け廊下に出ると、そのすぐ横ではフェガリオさんがちらりと私の方を睨んできた。
まさかの外と中からの監視がついていたとは……。
「暇ですね……、貴方達」
「説教が必要か……?」
ぽろりと出た本音に、フェガリオさんの綺麗な青の瞳がさらに険しさを深めた。
どこの誰ともわからない子供一人の為に監視の目を光らせるなんて、本当に暇人だ。
『餌』なら他に探せばいいし、私一人に固執する必要もない。
そう伝えてみても、ますますフェガリオさんの気配は苛立たしいものへと変わっていく。
「ははっ、まぁ、リシュナも色々と不安なんだろうさ。よしよし、これからは『お兄様』の部屋で一緒に寝ような。二人でくっついて眠れば、朝までぬくぬくだぞ~」
「やめてください、変態吸血鬼さん。年頃の乙女にそんな発言をするような人は、警備隊に突き出されて、お仕置きでも受ければいいのです」
「そうは言ってもなぁ、見た目子供だし、正真正銘の見た目十四歳だとしても、俺達にとってはどの道お子様だ、って、もう何度も言ってるだろう?」
「失礼すぎます……」
あまりにも腹が立ったので、ぽかぽかと両手でレゼルクォーツさんの綺麗な顔を叩いてみせるけれど、全くダメージになっていない。微笑ましそうに「痛い、痛い、ははっ」と笑われる始末だ。
「レゼル、連れて行け……。暫くはお前の傍で見張っておく方が何かと都合がいいだろう」
「了解。よぉーし、じゃあ『お兄様』と初めての添い寝を堪能しような~」
「嫌です。離してください、このド変態吸血鬼」
人の話を聞かない楽観的な物言いに少しばかりの腹を立て、レゼルクォーツさんの夜着越しの腕に思い切って噛み付いてやった。
私は早くこの家から、貴方達から自由になりたいのだ。唯一つの願いさえ許されず、これ以上の苦痛と望まぬ生を強いられるのはもう沢山なのだから。
けれど、レゼルクォーツさんからは苦痛の声も聞こえず、怒られる事もなく……。
私の頭の上に、ぽふんと……、優しい手のひらの感触が落ちた。
「何……、してるんですか」
「怖いんだな……、お前」
「……何も、怖くなんかありません。元の状態に戻りたいだけです」
『怖いんだな』と言われたその言葉が、私の中に生じているある種の怯えを優しく包み込むかのように触れてくる。本当の家族じゃないのに……、何でこの人の腕の中はこんなにも温かく感じられるのだろうか。戸惑い俯く私の頬に、今度は別の温もりが添えられる。
「俺も一緒に添い寝をしてやろう……。お前の心が、少しでも癒されるように」
「いや、フェガリオ。お前まで来たらさすがに寝台からはみ出るだろう? リシュナの添い寝は俺一人で十分だと思うぞ?」
「どちらもいりません……。離してください」
本当にこの人達は、吸血鬼なのだろうか?
極上の血を求め、変態的な美学に陶酔すると聞く種族にしては、あまりにも規格外。
お父さんの話と、物語の内容と……、それから、『あの男』のそれにも当てはまらない、全く違う、温もりのある吸血鬼なんて……。
このままここにいれば、死にたくないと思い始めてしまうかもしれない。
失くしてしまった『家族』の温かさを感じさせる、この『お兄様達』と一緒にいたら……。
完全に信用したわけではないけれど、何故だか……、そんな恐れが、私の中には在った。
「うーん、リシュナは初めて会った時から思っていたが、どうにも素直になれない性格をしているみたいだな?」
「ついでに、頑固で真面目過ぎるんだろう……。一人で思いつめるタイプだ」
「勝手に人の性格分析をしないでください……」
抱え直されて階段を下りて行くと、私はレゼルクォーツさんの部屋へと連れ込まれ、私の部屋の寝台よりは大きいけれど、やはり三人で寝るには狭いその場所で眠る事になってしまった。
ぎゅっと握られた両手の温もりは……、本当に、今すぐに逃げ出してしまいたくなるほどに、温かくて。今はもういないお父さんとお母さんの姿を思い浮かべながら、私は一筋の涙を流した。
駄目、この温もりは……、絶対に拒まなくてはならない、毒。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「リシュナ、お前の身体の調子が完全に治ったら、一度里帰りしような」
「……はい?」
それは、翌日の昼食の時間の事だった……。
フェガリオさんお手製のふわふわもちもちのパンを頬張っていた私は、首を傾げる他ない。
里帰り……って、吸血鬼の世界に私を連れて行く気なのだろうか?
二人から逃げる為の体力と方法を探すべく、暫くの間は大人しくしておこうと決めた私は、それを喉の奥に流し込み、ホットミルクを口に含んだ。
こうやって自主的に食べないと、恥ずかしすぎる過保護が発動するので仕方がない。
「お前の故郷にだよ」
「……っ」
両親が亡くなったあの場所に、国境付近の村に……、戻る?
大切な想い出と、最後に見た恐ろしい戦火の光景を思い出した私は、ぶるりと身体を震わせてしまう。レゼルクォーツさんは……、私の傷を抉りたいのだろうか。
隣国の兵士に蹂躙されたあの場所は、まだ危険も多く人が近寄れたものではないと聞く。
本音で言えば、最後に両親と、『協力者』の亡骸を弔ってから死にたいとは思っていたけれど……。
もう一度あの場所に帰るのは……、怖い。
「お前にとっては、辛い思い出のある場所だろう。けどな……、ちゃんと弔ってやらないと、可哀想だろう?」
「吸血鬼に、そんな感情があるんですか……」
それは、誰が聞いてもわかる皮肉だった。
人を『餌』としか見ていない吸血鬼が、死んだ人々を可哀想……だなんて、何の冗談だ。
本当は二人に対してそんな事をもう思えなくなりかけているのに、私は冷めた目で嗤った。
だけど、レゼルクォーツさんも、食事を黙々とこなしているフェガリオさんも、不快に思うような目をしなかった。むしろ、私の表情と声を聞きながら、同情でもしているかのように、食後のデザートである自分達のケーキを私の前に差し出してくる。……本当に子供扱いだ。
「吸血鬼にだって家族はいるからな……。誰だって情を分けた相手に対する想いはあるさ」
レゼルクォーツさんの落としたその静かで淡々とした声音は、一般論を言っているというよりも、何故だか……、凍り付いてしまった何かを感じさせるかのように私の耳に届いた。
何か……、自分は人の心を土足で踏み荒らすような事を言ってしまった気がする。
何故だか、そう、強く思った。
「……ごめんな、さい」
謝らなければならない。それは頭で理解するよりも、心のままに出た言葉だった。
フェガリオさんが私の頭をぽんぽんと撫で、食事を続けろと促してくる。
「お前は早く死にたいと思っているようだが……、やるべき事を片付けてから、もう一度自分と向き合ってみるのもいい事だと、俺はそう思う……」
「フェガリオさん……」
「お前の両親も、きっと待っているはずだ……」
「……はい」
あの場所に戻って、お父さんとお母さんを探す……。
たとえ遺体が隣国の兵に片付けられていたとしても、そこに帰る事で、子としての責務を果たす。
怖い、あの場所を見るのは夢であっても耐え難い光景だ……、だけど。
お父さんとお母さんが私の帰りを待ってくれているのなら、あの人達の娘として、私は自分が最後に出来る親孝行を果たさなければ……。二人が安心して天国に逝けるように。
――最後のさよならを、告げなくては。
私は里帰りの件を承諾すると、零れそうになる涙を拭って食事を続けた。
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