妹ではありません、お兄様

「……また、か」


「ははっ、そんな顔するなよ。ほら、見てみろ。可愛いだろう?」


「……」


「とりあえず、空いてる二階の部屋で休ませる。あと、兄貴は? まだ戻って来てないのか?」


「いつもの事だ……。女の尻でも追いかけているんだろう」


 何だろう……。誰かの話し声が聞こえてくる。

 呆れと諦めを含んだ低い声の人と……、からかうような茶目っ気のある声の人。

 後(あと)から聞こえた声の人は、多分、森の中で出会った男性のものだろう。

 二、三言葉を交わすと、私をその腕に抱えているらしき男性は、一歩一歩、微かに軋む音を立てながら歩き始めた。

 どこに連れて来られたのかはわからないけれど、夢と現実をゆらゆらと漂っていた私は、薄らと自分の瞼を押し上げた。音から想像した通り、木の階段を上っている。


「えーと、奥の部屋でいいか」


 朧気に見える、見知らぬ家の光景。眩い屋内の光に目を細めた私は、それから逃げるように瞼を閉じた。せっかく心地良い眠りの中にいられたのに……。

 僅かに戻った意識は、ゆっくりとした軋みの音を揺り籠のように思わせ、もう一度私を夢の中へと誘ってゆく。

 ――けれど。

 

「お、暫く使ってなかったせいか、扉の立てつけが……、よっと!」


 ガタン……!! と、何だか妙な音が聞こえたかと思うと、男性は破れた木の扉を横にずらし、真っ暗なその中へと入った。今……、扉が思いきり傾いたように、見えた、気が。

 蒼髪の男性が中にあったランプらしき物に指先を向けると、勝手にその中に炎が灯った。

 蝋燭に火をつけたわけでもない、不思議な光景……。

 心の中で少しだけ驚いていると、私の身体は柔らかな場所に横たえられた。

 多分、寝台の類だろう。私はしっかりとした意識を取り戻す事はなく、また睡魔に襲われた。

 頬を撫でる大人の指先の感触、それを心地よく感じながら夢に落ちていくと、意識の遠くで……寂しそうな音が、聞こえた気がした。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ん……、ふあぁぁ」


 いつもとは違う、少しだけ……、穏やかな目覚め。

 窓から差し込む清々しい朝日の光を浴びて目を覚ました私は、ぼんやりと天井らしき場所を見つめた。

 ここは……、どこ? 宿屋に泊った記憶はないし、お金も当の昔に尽きている。

 あるのは、薄汚れた自分という存在だけ。そのはずだったのに……、変だ。

 ぬくぬくの毛布に包まっている私は、少しだけ埃臭い室内の空気で、昨夜の記憶を思い出した。

 通りすがり……、変な吸血鬼に出会って、それで……。

 ここは誘拐先だろうか。むくりと起き上り、入口の方を見ると……、あきらかに壊れている扉が、入り口らしき所を強引に塞いでいる光景が。


「何なの……」


 誘拐をしたなら、しっかりと扉を施錠しておくべきではないだろうか。

 非常に微妙なバランスの上で中と外を隔てている扉を見つめながら、息を吐く。

 昨夜の事が現実であるならば、――この後は?

 何のために、私はあの森から連れ出されたのだろうか?

 妹がどうとか言っていたような気がするけれど、それもまた、何かの比喩表現かもしれない。


(太らせて……、食べる、とか?)


 お世辞にも肉付きがいいとは言えない私の身体。

村から逃げて……、満足に何も食べていなかったから、酷い痩せ方をしている。

 確かに、これでは吸血鬼の食料にはならないだろう。

 となると、やっぱり……、でっぷりと太らせてしまおうという魂胆だろうか?

 

(でも……、吸血鬼って、美女の血を吸うイメージがあったような)

 

 いや、丸々と太って栄養のある子供もまた、彼らにとっては魅力的なものなのかもしれない。

 どちらにしても、……また、生き延びてしまったようだ。

 ごろん、と、私は横になりながら欠伸を噛み殺す。


「もう少しだったのに……」


 あのまま、朝日を見ずに……、旅立ちたかった。

 悲しみも、絶望も、願いも、何もかも……、この胸に抱きながら、覚めない眠りの底に。

 そんな、ささやかな願いさえも、叶わない。

昨夜、邪魔をしてくれたあの吸血鬼の男性は、一体何をどうしたいのだろうか。

 あの吸血鬼の企みがどうあれ、私には関係がない。

出来る事なら、一刻も早く逃げ出すべき……。

 あぁ、でも、抜け出した事がバレて、全速力で追いかけて来られたらどうしよう。

 大人と子供、逃亡の結果は目に見えている。

 というか、その前に体力と気力がない。逃げる以前の問題だ。

 さて、どうしたものかと、そう悩んでいると……、壊れた扉が大きな音を立てて横にずらされた。

 ごろん……。扉側に寝返りを打つ。

何だろう。片手に可愛らしい女の子用の洋服を持ってこちらを見ている不審者、じゃなくて、銀髪の長身男性が、ずらされた扉の横に立っている。

 一目見れば、何だこの怖い人は、と、子供が泣きじゃくりそうになるくらいの、残念な強面美形男性だ。

 怒っているような怖い表情を私に向けたまま、その男性は室内に入ってくる。


「起きたか」


「おはようございます……、不審者Bさん」


「何だと……? 誰が……、不審者、だ?」


 ごろんごろんと、やる気のない顔でそう呼んでみると、怖い表情の男性はぴくりと片眉を不快にあげた。あぁ、やっぱりだ。この声は、昨夜夢現の中で耳にした、もう一人の男性の声と同じ。

 という事は、人攫いの仲間という事で、誘拐犯、又は不審者呼びで問題はない。

 ふあぁぁ……と、欠伸を漏らし、また眠りの中に逃げ込もうとする私を、その男性はドカドカと歩み寄ってきて、毛布を無理矢理引きはがしにかかった。理不尽だ。


「俺は不審者ではない……。さっさと起きろ、朝食の時間だ」


「……朝食?」


 銀髪の男性に、寝台から下りるように促され、私はゆっくりと起き上がった。

流石、強面の美形だ。その威圧感溢れる気配で言う事を聞かせると、私の手を掴んで歩き出した。部屋を出て、一階へ続く階段に連れ出される。

傍(はた)から見れば、凶悪な誘拐犯と攫われていく被害者の構図だろう。

 けれど……、男性に掴まれている手首は、泣く子も黙る気配とは違い、あまり力を入れられてはいない。

 これは、気遣ってもらっている……という事なのだろうか?

 一階からは美味しそうな匂いが私の鼻を擽り、また、情けないお腹の音を促した。


「おい、先にこれを風呂に入れるぞ」


「あぁ、フェガリオ、おはようさん。それからリシュナも、おはよう。よく眠れたか?」


「……不審者A」


「不審者!?」


 私の暮らしていた村の家とはまるで違う。大きくて広い二階建ての家。

 ちらりと食卓らしきテーブルのほうを見やれば、右手をひらひらと軽く振って、昨夜私をここに連れて来た元凶……、蒼髪の男性が開口一番の言葉にぎょっと席を立ち上がった。

 誘拐=犯罪。私は何も間違った事は言っていない。

 蒼髪の男性は少し怒った顔で私に近付いてくると、その震える両手を肩に乗せてきた。


「不審者じゃなくて、レゼルクォーツ、それが俺の名前だ。あと、昨日俺が言った話、聞いてなかったのか?」


「……さぁ?」


 誘拐犯の話など、聞く耳なし。ぷいっと顔を横に背ける。

 けれど、不審者Aは私の両肩を掴んで、ガクガクと怒り心頭で揺さぶり始めた。

 寝起きの頭に何という負荷を……、あぁ、目がまわる。


「昨日言っただろう!! お前は、俺が拾った瞬間から、俺達の『妹』になったんだよ!!」


「どういう意味での妹ですか? まさか私に変な事をして遊ぶための」


「俺にロ○コン趣味はない!!」


「俺もだ……」


「本当に?」


「「本当に!!」」


 人生終了が目標でも、大人の男性達の玩具にされる趣味はない。

 疑い全開の顔で二人を見返すと、物静かそうな銀髪の男性まで、蒼髪の男性と声を揃えて必死の全力否定をしてくる。

 その真剣な目をじーっと見つめ……、やがて、零れ落ちたのは、一応の安堵の息。

 嘘を吐いているようには見えないけれど、だとしたら、本当にどうして……。

 自分は何故この場所に連れて来られたのだろうかと、俯きながら考え込んでいた私の手を、また銀髪の男性が掴んで歩き出した。


「身体を綺麗にしたら、朝食を食べろ。いいな?」


「それよりも、お暇したいのですが……、不審者Bさん」


「フェガリオだ……」


「フェガリオ……、さん」


 怒りを抑え込むように自分の名を口にしたその人の名を復唱してみる。

 確かに、変態的オーラは感じないけれど……、だからと言って、素直に従う気はない。

 どうやら自分がお風呂場に連れて行かれる事は察し、私はその場で踏ん張った。

お風呂よりも、朝食よりも、解放を願う。

けれど、掴まれているその手が離される事はない。


「嫌です……」


「駄々を捏ねるな。その薄汚れた姿でいられると、この家が迷惑だ」


「なら、追い出してください。私もここにはいたくありません」


 右手で自分の掴まれている手首の上にあるフェガリオさんの手を叩くけれど、その拘束はびくともしない。優しく包んでくれていたその力が、少し痛みを感じるように強まった。

蒼髪の男性も「何だ? どうした?」と不思議そうに後ろから近寄って来る。

 前も後ろも、逃げ場なしで包囲されてしまった。どうしよう。


「リシュナ、大丈夫だぞ? フェガリオが風呂を覗くとか、その辺を心配してるのか?」


「おい、レゼル……、俺を何だと思っている?」


「隠れむっつり」


「いい度胸だ……。これを風呂場に放り込んだら外に出ろ。今言った事を後悔させてやる……」


 背後から私の両肩に手を、頭に顎を乗せた蒼髪の男性、レゼルクォーツさんが、ニヤリと笑ってみせると「勝てるかな~?」と自信満々の声を返した。対するフェガリオさんはびしりと額に青筋を立て、その身に殺気の片鱗を滲ませた。……何故私まで巻き添えになっているのだろうか。

 

「喧嘩をするなら、ご自由に。ともかく、私はお暇いたしますので」


「それで? また死に場所を探すのか?」

 

 肩に籠められた力が緩む事はなく、少しだけ掴むようにその手が食い込むと、レゼルクォーツさんは声を低めながら冷やかに私の図星を突いてきた。

 この家を出て……、死に場所を求めて、また、彷徨う。

 それを否定する気はなく、私はレゼルクォーツさんの方を振り向いて淡々と言葉を紡いだ。


「赤の他人には関係のない事です……」


「他人じゃない。もうお前は、俺達の『家族』であり、『妹』だ」


「同意した覚えはありません……」


 わかっているのは、このレゼルクォーツさんが吸血鬼だという事だけだ。

 そして、一緒に暮らしているらしきフェガリオさんも、同じ存在なのかもしれない。

 自分達以外の種族の血、特に……、人間の血を好む吸血鬼。

 物語の中で見たその存在は、紛れもなく、人間を脅かす存在だった。

 『妹』という名の、『餌』にしたいのだろう。吸血鬼には特殊な趣味を持つ者も多いと聞く。

別に血を吸われて死ぬのは構わない。

けれど、あまりこの人達には関わりたくない。

それは、恐怖、と似てはいるけれど、その意味が違う感情……。


「吸血鬼の気まぐれに付き合う気はありません」


「気まぐれじゃなくて、本気。俺は、俺達は、今日からお前の家族だ」


「吸血鬼が善意の行動ですか? ありえませんね」


「幼い割に、吸血鬼に対しての知識はあるのか?」


 幼い、吸血鬼の彼らから……というよりも、私は実年齢の十四歳に対して、外見がそれより少し下に見えてしまうのが難点の為、人間達からも十歳前後の子供のように見られてしまう事が多々ある。

 けれど、その見た目に反して……、私の心は『絶望』を抱えすぎていた。

 だから、普通の同年代の子達のような明るさも、未来に希望を抱く生命の輝きも、私にはない。


「人の世界に出てくる吸血鬼の類は、人の血を啜る為に餌場を探すのでしょう? だから、私の事も食べようとした」


「ふぅん……、まぁ、正解と言えば、半分正解だな。だが、俺達は違うぞ?」


「信じません。吸血鬼は……、嫌いです」


「お前、何か俺達の種族に恨みでもあるのか?」


「人間として、食料に見られる側として、普通の感情ではないでしょうか」


 吸血鬼を忌むべき存在として考えるのは当たり前の事だ。

 捕食されれば、その血を貪られ……、枯れ果てる。

 彼らの獰猛な牙を見上げながらそう告げると、レゼルクォーツさんのアメジストが愉しげに揺らめくのが見えた。吸血鬼の抱く嗜虐的な気配ではなく、何か、悪戯を思いついたかのような揺らめき。

 

「知識があるのは良い事だが、吸血鬼だって人間だって、色んな奴がいるんだぞ? リシュナ」


「基本的な習性は変わらないと思います」


 闇のベールに閉ざされた、吸血鬼達の国……、グランヴァリア。

 その種族に生まれついた者は、人を惑わす魔性の美を抱き、独自の美学を胸に持つ。

 一種、変態的な性癖の者もいると聞くが、結論的に言えば、人の血を好む習性は皆同じ。

 追い求める理想の美酒……、芳しき紅の芳香を求め、狂う者もいる、と。

 時折、村に訪れる旅人さんや、ハンターの人達がそう教えてくれた事がある。

 そんな色々とおかしい噂の飛び交う種族の言葉を、そのまま素直に聞くような私でもない。

 昨夜は気分的なものもあって、好きにすればいいとは思ったものの……、この人達は駄目だ。

 絶対に関わってはいけないと……、昨夜の内に覚えておかなければならなかった警鐘が鳴り響く。


「確かに俺達吸血鬼は血を吸うが、人間だって同じようなもんだ。必要な物を求める」


「それは否定しませんが、話が違います。……離してください。私はここにいたくないんです」


 左手首を掴んでいるフェガリオさんは黙ったままだが、レゼルクォーツさんはまだ喋り続ける。

 そんなに『餌』を逃したくないというのだろうか?

 この汚れきった身体を綺麗にさせて、吸血鬼特有の美学とやらで飾り立てられ、最後に血をその牙で喰らわれる……。やっぱり変態種族だ。

 出来る限りの抵抗をして暴れる私に対し、レゼルクォーツさんは後ろから「よっと!」と掛け声を上げて、私の身体を昨夜のように抱え上げた。


「素直に風呂に入らねーと、『お兄様』怒っちゃうぞ?」


「赤の他人です、離してください」


「フェガリオ、これ、風呂場にぶち込むぞ」


「仕方ない……。このままでは野良猫と同じだからな」


 お腹の空き過ぎと、この日に至るまでの疲労が激しすぎた私は、徐々に抵抗の声が弱まり、二人の手によってお風呂場の脱衣所へと閉じ込められてしまった。どうあっても、私を綺麗にしてから食べるつもりらしい。

 扉の向こうから、早く身体を洗って湯船に沈まないと、自分達が洗ってやるぞと脅されてしまい、仕方なく……、着ていた衣服を脱いでお風呂場へと足を踏み入れた。

 そして、目の前に広がったその光景に……、半眼となった。

 一人用とか、そういう類のお風呂場ではなかったのだ。

 まるで王族や貴族の類が入るかのような……、広い広い豪華なお風呂場。

 何で二人暮らしの男性が、こんなにも余裕感満載のお風呂場を……。

 いや、それよりも……、一体どれだけの土地を使っているのか。


「でも、……」


 視線をゆっくりと流しながら、私はボディーソープの類を探した。

 ただ湯船に浸かって上がった場合、あの人達は絶対に有言実行をしてくるはずだ。

 いたいけな少女にあんな事やこんな事をして、恥ずかしい目に遭わせる可能性、百パーセント。

 それならば、自分で全部やったほうが遥かにいい。変態気質な吸血鬼達に何かされる前に自己防衛をしておこう。

 『お父さん』も言っていた。変態には気を付けなさい、って。物凄く怖い顔で。

 そう決めた私は、一人でせっせと身体を洗い始めた。

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