短編集:弱点

夕涼みに麦茶

魔王様は終知心(しゅうちしん)

 魔王城最深部に位置する玉座の間にて、サッカーボールほどの大きさの水晶玉を覗き込む魔王。映っていたのは、城の中を探索しながら奥を目指して進む勇者の姿であった。そんな勇者の一挙一動を見ては舌打ちをする魔王。いらついているのか、しきりに足を揺すったり、玉座の腕の支え部分を人差し指で何度も小突いたりしている。

「もはや我慢ならぬ!」

いよいよ以って怒りが頂点に達したのか、水晶をかち割り、マントを翻して魔王は玉座を後にした。水晶の破片には、宝物庫で大はしゃぎする勇者の姿が映し出されていた。


 勇者は宝物庫で金銀財宝に沸いていた。これだけの富があれば、自分の城を持つのも夢ではない。そして現国王に成り代わって、新しい時代の王として世界を統べるという大きな夢も叶う。だらしなく口を緩ませて、財宝の山に寝そべる勇者。どうみてもその絵面は、お宝を手にした盗賊のそれだが、一応これでも伝説の英雄の血を継いだ勇者である。しばし自分の使命を忘れて光の絨毯の寝心地を楽しむ勇者。と、宝物庫の扉が乱暴に開け放たれ、何者かが中に入ってきた。間抜け面をしていてもそこは勇者。突然の侵入者の顔を拝むべく、すぐに起き上がり剣を抜く。そこに現れたのは、城の主である魔王だった。

「これはこれは魔王殿。あなたとこうして対面するのは王都襲撃以来ですなぁ。」

煽るように声を掛けて相手の出方を伺う勇者。魔王の顔を見ると、おぞましい形相が更に歪んで酷い様相になっていた。

「勇者よ、貴様には失望したぞ!」

語気を荒げて責めるように勇者に怒りを表す魔王。握り締めた拳は震え、口からはゆっくりと白煙が立ち込めていた。

「何を怒り猛る、魔王よ?」

素行の悪さなど一切自覚がなかった勇者は、魔王の怒りの焦点が見つからずに困惑した。悪の権化たる魔王に「失望」されたのだから、無意識的に極悪非道を働いたとでもいうのだろうか。そんな無自覚な様子の勇者に魔王は更に顔を赤くする。

「とぼけるな!我が城での数々の無礼、全て見通していたぞ!」

勇者はまた首をかしげる。魔王の癇癪の原因がまるで見えてこない。これまで攻略してきたダンジョンと同じ要領で進行してきただけに、勇者は自分の粗を見つけられずにいた。怒りをぶつけてもなお、とぼけている(ように魔王には見えているようだ。)勇者に、魔王は更に憤慨し、ようやくその怒りの所以を吐き出した。

「シラを切れると思うなよ!貴様、我が城に配置された宝箱を開けたな!?」

確かに勇者は宝箱を開けて回っていた。数々のダンジョンを攻略していく内に、ダンジョン内の宝箱を全て見つけて開けることに使命感のようなものを感じていた。中には宝箱に扮した魔物もいたが、それを倒すのも楽しみの一つになっていた。

「ああ、開けたとも!ラストダンジョンということもあって、今のところ中身は良い物揃いだ。感謝するぞ魔王。」

皮肉とはいえ、お礼を言われて一瞬笑顔になる魔王。しかしすぐに我に返り、再び鬼の形相で言葉を投げた。

「は、話をすりかえるでない!貴様、開けた宝箱をどうした!?」

またおかしなことを聞くものだと、勇者は宝物庫の端に置いてある宝箱を見る。蓋が開いて地面に頭を向けている。それ以外は何らおかしなところはないただの空き箱。勇者の視線を追って、魔王はその箱に近付き、蓋を持ち上げて箱の口を閉めた。何が始まるのだろうと、勇者はその行動をじっと観察していたが、閉じたところで魔王は箱の上に手をついて話を進めた。

「開けたら閉めろ!中に埃が入ったらどうするんだ!」

勇者は茫然としていた。こいつは何を言っているんだ?宝箱を閉めなかったから本気で怒っている?固まる勇者を余所に魔王は続ける。

「まぁ、冒険者には足で蹴り上げて蓋を開けるような乱暴者がいるらしいから、手で開けたことは評価してやろう。だが、開けたら閉める、というのは大切なマナーだと両親から教わらなかったのか!?宝箱然り、扉然り、蛇口然り。」

一人納得しながら頷いている魔王。すっかり緊張感も警戒心もどこかへいってしまった勇者は、ため息を吐いた。

「魔王よ。お前の言うマナーというのは良く分かる。ちゃんと親からの教えはあった。扉や蛇口については共感できる。だが、宝箱に関して言えば、開けっ放しの方がマナーではないのか?」

勇者の主張に同意できない魔王は、理解に難色を見せる。勇者は続ける。

「マナーとは、他者を重んじるからこそ守るもの。お前の主張を俺が守ったとして、後々俺以外の冒険者がダンジョンに踏み込んだ時、開いていない宝箱を開けて中身が空だったらどうだ?お前が冒険者の立場ならどう思う?」

魔王は想像した。魔王の城ということもあり、冒険者達は未だ見ぬ隠された宝に心躍らせて探索を進めるだろう。しかし、苦労して見つけた宝が蓋を開けてみたらもぬけの殻だった、ではあんまりではないだろうか。魔王は黙って俯いてしまった。「それなら勇者が代わりの物を入れておけばいい」とか「そもそも魔王城という私有地で盗みを働くのはマナー違反、というか犯罪だ」とか、反論の余地はあったのだが、それすら思いつかないでいる魔王に勇者はまたため息を吐いた。この一言で終わりだろうと、話を続ける。

「そもそも世界を混乱させ、破滅へと導こうとしているお前にマナーを語る資格があるのか?」

魔王はすっかり落ち込んでしまった。これがかつて王都に進行してきた恐怖と絶望の権化かと思うと、勇者はやるせない気持ちになった。今日のところは出直して、魔王の精神が回復したら再度挑もうと、勇者は宝物庫を後にしようとした。しかし、魔王はそれを許さなかった。魔王にマントを掴まれていた。不意をつかれて緊張感を取り戻した勇者は、剣を構えてマントを外し、体勢を立て直そうとする。しようとしたのだが…肝心の魔王に殺気は一切なかった。再び脱力する勇者に、厳つい泣き顔で魔王が口を開いた。

「んぐふん…。まっで…。ま゛だ、わ゛れ゛のはな゛じ、おわっでな゛い゛も゛ん゛…!」

これが少女の姿だったらどれほど心に罪悪感を抱いただろうか。ぐちゃぐちゃな顔を更にぐちゃぐちゃにしながら話を続けようとする魔王の背中をさすってなだめる。あまりにも大きく、でこぼこしているその背中をさすりながら、勇者は今のこの状況に呆れるしかなかった。

 しばらくして落ち着いた魔王は、初めの調子を取り戻していた。再び怒り猛る魔王に対し、畏怖も危機感も完全に失せた勇者は地元の友人の愚痴を聞くようなノリで話を聞くことにした。

「悔しいが、宝箱の件は許すとしよう。貴様の心遣いに免じてな!」

色々と言いたい事はあったが、また泣かれては面倒だからと、勇者は次の主張を黙って聞くことにした。

「だが勇者よ!貴様にはまだ言いたい事が山ほどある!」

山ほどもあるのか。全部は聞いてやれそうもないので、勇者はキリの良いところになったらそこでやめさせることにした。ひとまず魔王の話に耳を貸す。

「勇者よ!貴様は愚かにも一人で魔王城に乗り込んできた!しかし、先代の勇者達はどれも皆仲間と共に苦難を乗り越えてここまで来ていた!貴様には仲間との交流の大切さや魔王軍との戦いにおける様式美というものが分かっていない!」

こいつは本当に魔物の長なのだろうか。仲間との絆を重んじているところを見ると、裏切りや抗争が日常茶飯事な暗黒街の住人よりも人間らしい。そのせいで勇者は散々調子を狂わされていた。並んで座る魔王の肩に手を置いて、勇者は魔王の顔を引きつった笑顔で見据えた。

「確かに仲間は大切だ。だが、一人でも十分に戦える相手のもとに余力となる仲間を連れて行くのは果たして意味があるのだろうか?保険という意味では大いにありかもしれないが、人数が増えればそれだけ罠にはまるリスクが増え、かえって大切な仲間を危険にさらしてしまう。だからこそ、必要があれば連れて行くものの、基本的には連れて行かないに越したことない。それから、仲間との戦いは様式美と言ったな。それについてだが、かつてのお前が強大すぎたか、もしくは俺のご先祖様が非力すぎたか、このどちらかによって二者間には大きな力の差があった。その圧倒的な差を埋めるために仲間が集い、お前に挑んでいった。それが偶々連続したために、さもそれが当たり前かのように錯覚してしまったのだろう。現に俺は、誰の力も借りずに己の力でここまできた。様式美など初めからない。あるのは世界の命運を賭けた光と闇の闘いのみだ!」

魔王は勢いを殺して勇者の言葉に絶句する。反論を思いつかないのか、魔王の目は泳いでいた。行き過ぎてまた魔王を泣かさないように魔王の背中をさすりながら勇者は続ける。

「なぁ魔王ちゃんよぉ。そもそもお前さんの方こそ、大切な仲間をなりふり構わず力の差がある相手にぶつけて自分は高みの見物。それこそ仲間の大切さというものが分かってないよなぁ?恐らくここに来るまでは玉座で一人待っていたんだろう?それはどう説明するんだい?ん?」

できるだけ優しく語りかけた勇者だったが、魔王は何も言い返さないまま、ぐったりとしてしまった。同じ展開を恐れて、勇者は魔王に助け舟を出すことにした。

「お、落ち着いて考えてみたまえ魔王君!そうはいったものの、玉座に座って部下を先に行かせるのは古くからの慣習みたいなものだ。人間社会でもその上下関係は十分に成立する。国王が良い例だ。それに先ほども言ったが、お前さんは魔王だ。仲間など道具以外の何者でもない。協力して戦闘なんて糞喰らえ!それでいいじゃないか!なぁ魔王殿!」

これだけ取り繕えば、さすがに調子を取り戻すだろうと思っていた勇者だったが、事態は思わぬ結果を招いた。励まそうとポンと魔王の肩を軽く叩いただけだったのだが、手が肩に触れた瞬間、魔王の体は砂のように崩れ落ちた。一瞬、勇者には何が起こったのか分からなかったが、足元に積み上がった砂の山を見て理解に及んだ。事態の確認の為に宝物庫を出て城内を軽く散策してみる。城内はすっかり魔物の気配が消え、窓の外には光が立ち込めていた。魔王は滅んだ。しょうもない雑談で。低レベルな問答で。図らずもこれにて役目を終えた勇者だったが、まだ探索していない部屋があることを思い出し、アイテム探しに戻っていった。


 それから数千年後まで魔王が復活することはなかった。本来ならば百年単位で復活していたので、長すぎる平穏に時の国王や歴史家達はかえって困惑した。そして、魔王が復活を遂げた年、魔王は軍を率いずに何故か単騎で王都に乗り込んできた。そして、魔王自身の提案で行われた勇者との一騎打ちの果てに、再び魔王は滅んだのだが、散りゆく刹那の顔は、とても満ち足りたものだったと、時の勇者は証言した。

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