第53話 カンボジア編 告白

 アヤカさんの足跡を見つけた夜。

俺は、ちびちびとウィスキーをやりながらカップルが行き交う橋を眺めていた。


このベンチで酒を呑むのも今夜が最後か・・・。


あとは成るようになれ。


不思議と気持ちは吹っ切れている。


孤児院の子どもたちの悲しみを思えば、俺の悩みなどちっぽけなものだ。


しかし、だからこそ、少年がくれたメッセージを無駄にはできない。


たとえすぐには再会できなくても。


何度だって来よう・・・。この街に。


アルコールの酔と過去が交錯する。


中学一年の夏。

非行に走った少年時代。

パチンコ屋での駆け落ち生活。

イラつく派遣労働。

失われた20代。

諦めの日々。


敗者の記憶はいつもここで途切れる。


ところが、今夜の物語には続きがあった。


ナオキとの友情。

芽生えはじめた恋心。

うっちーさんの優しさ。

孤児院の子どもたち。


そして、橋を見つめる今。


「日本で死んだように生きていた俺は、バンコクで蘇ったのだ!」


強く感じる胸の痛みがその証だ。


「さぁ、帰ろう・・・」


ベンチから立ち上がりかけた時である。


視線の先、橋の向こう側からスレンダーな青いシルエットが近付いてきた。


     ※     ※


風が止まる。

話し声。喧騒。せせらぎ。

街の音が消える。

ぼんやりと浮ぶ青を除いた色彩が融けて流れる。


世界はスローモーションだ。


「アヤカーーッ!!!」


橋の真ん中で立ち止まる彼女が、驚きの表情でこちらを見た。


次に気付いた瞬間。


俺はアヤカさんを抱きしめていた。


小さく肩を震わせる彼女から無言の想いが感じられる。


間違いではなかったのだ。


「ごめんね、カズさん・・・」


「俺の方こそごめん。アヤカさん、好きです。付き合って下さい!」


咄嗟に出た世界一シンプルな告白のセリフは、人生で初めて口にする魂の叫び。


「・・・・」


濡れた瞳が俺を見上げてくる。


「・・・・・・」


「はい。私でよかったら・・・」


その答えがスイッチとなり街は再び動き出した。


     ※     ※


 長い口づけの後、俺は通いつめたに彼女と座った。


言いたいことは山ほどあるはずなのに、うまく言葉が見つからない。


ふと俺は、大切に持ち歩いていたスカーフを思い出した。


「これ、約束のおみやげ。やっと渡せたよ」


「ありがとう。私の大好きな青を選んでくれたんだね。似合うかな?」


ひらりと肩にかけたスカーフがワンピースの青と同化する。


「何からすればいい?伝えたいことがいっぱいありすぎて・・・」


「よしっ!じゃ俺ビール買ってくるよ」


     ※     ※


 アンコールビールで乾杯すると、アヤカさんは静かに語り始めた。


「まず、なんで急にいなくなっちゃったかを話さなきゃね」


「ほんとごめん。ロイクラトンの夜に俺が・・・。男らしくビシッと決めてれば」


「ううん。逃げ出しちゃった理由はもっと深いところにあったから・・・」


そう言いながら、彼女は慣れた手つきでバージニアスリムに火をつけた。


さり気ない仕草がたまらなく愛おしい。


「カズさんの気持ちは痛いほど分かってた。でもね、これまで私に近づいてきた男たちってばっかりだったの・・。だから、なんだか自信なくなっちゃって・・・」


※トラニーチェイサー=Tranny Chaser(MtF、FtM、Xジェンダーなどに特別な性欲や恋愛感情を抱く者)=トラニー(トランスする人)をチェイス(追いかける)するという意味の俗語。


「それからね。もう一つ。これはどんなに頑張っても絶対に乗り越えられない壁。カズさんっていつも子供が大好きって言うじゃない?いつかは結婚して家庭を持ちたいって。私はその言葉を聞くたびに苦しかった」


「・・・・・」


俺は、アヤカさんが子供を産めないと知りながら、とんでもない発言を連発していたのだ。


二人に立ちはだかる壁の存在に沈んだ空気が漂いかける・・・。


だが、ここで、俺の頭に画期的な将来のビジョンが舞い降りた。


「家族って血の繋がりだけが大事なのかな?昼間、訪問した孤児院でシンナーを吸ってる少年をみてたらさ、俺らが家族になったっていいんだよなーって思えて。縁あって出会ったさくら苑の子供たちだけでもなんとかしてやりたいじゃん」


「えっ?さくら苑!?こんな偶然って・・・」


「酩酊する少年が、アヤカって名前を譫言のように繰り返してた。その一言で俺はどんなに勇気付けられたか」 


彼女の瞳から大粒の涙がこぼれた。


「ごめんね。私、泣きすぎだよね。周りのカップルに注目されちゃってる」


「静かな所に移動しようか?」


「うん・・・」


     ※     ※


 俺は、うっちーさんに連絡を入れて二人の再会を報告すると、無理を言って先日プールを利用したホテルの当日予約を取ってもらったのだ。


手を繋いで乗ったトゥクトゥクはカボチャの馬車。

シェムリアップに注がれる祝福の雨。


その夜、二つの宇宙が結ばれたのだ。

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