第11話 どこでもドア

  研修期間の1週間はまたたく間に過ぎていった。


 俺たち新入社員は基礎中の基礎である正しい敬語の使い方から、ビジネスマナー、商材知識、クレーム対応や個人情報の取り扱いまで徹底的に詰め込まれた。


と、こんなふうに説明すると「なにやらコールセンターは難しい仕事なのでは?」と構えてしまうが、そんな事はない。配属部署によって多少の違いはあるにせよ、未経験者がの研修でデビューできる業種なのだ。要するに、世の中の仕組みを種明かしすると、エンドユーザーからの苦情、問い合わせを受けるのは、企業やメーカーとは無関係のバイト君たちなのである。

そんなオペレーターに高いレベルを求めたり腹を立てても時間の無駄だ。

ストレスフルな電話対応などという業務は正社員の誰もがやりたがらないため、真っ先にアウトソースするのが定石なのである。


短期養成された6人の同期メンバーたちは、日本から遠く離れたバンコクの地で、この「外れクジ」と呼ぶべきクセの強い仕事に挑まなればならない。


 簡単にではあるが ここでバンコクコールセンターの概要を説明しよう。


 センター内には日本国内の様々なクライアントから委託された業務が混在するが、大部分を占めるのは通信販売の受付窓口である。

つまり、あなたが何気なく日本からかけたフリーダイヤルはバンコクに住む日本人が電話を受けている可能性がある。特徴として、通話音声にタイムラグやノイズが多いと感じたら、その電話は海外とつながっているかも知れない。


ではなぜ、わざわざタイにコールセンターを置く必要があるのか? 


それは、なんといっても人件費の問題だ。

日本のコールセンターの求人をチェックすれば分かるが、たいていは時給1200円以上に設定されている。これでも数年前から比べると安くなっており、一昔前なら1500円を超える時給はで、英語対応が必要な窓口では2000円オーバーの求人もめずらしくなかったのだ。


アッパーミドル層あたりの目線で見ればハナクソ並の低賃金だが、ワーキングプアの側からすると十分に魅力的である。


 以上の理由から、人件費がかさむ電話対応を現地採用で雇った日本人にやらせれば、おのずと莫大な利益が得られるのである。そして、その担い手を安い給料でかき集めるために生まれたのが、「語学、学歴、経験不問で海外就職!」というだった。

これがうまい具合に日本の不景気とマッチし、なんと今では新卒でありながら、いきなり現地採用の道に進んでくる若者がいるという。


IT技術が進化した今、コールセンターを日本国内に置く必要性は低くなる一方で、理論上、インフラさえ整えば砂漠やアマゾンでさえ業務が可能となっている。


 海外勤務などと格好をつけても、コールセンターに限って言えば日本のオフィスを丸ごと切り取ってバンコクに持ってきただけに過ぎない。スタッフは99%が日本人で構成されており、インターナショナルで英語が飛び交うといったおしゃれな環境とは程遠い。壁に掛けられた営業目標や経営理念なども、まったくもって日本の会社の光景そのものである。


しかし、ひとたびオフィスを出れば、眼前には東南アジアの喧騒と屋台が立ち並ぶバンコクが広がっているのだ。

俺は、そんな境界線を行き来する度に、エントランスの扉は日本とバンコクを繋ぐ「どこでもドア」なのではないか?と勘ぐってしまう。


バンコクコールセンターとは、このように特殊で不思議な空間なのである。

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