ヴィンセントの旅が、やっと始まりを迎えた

 桜はすっかり散ってしまい、暖かで穏やかな日差しが降り注ぐ季節になった。太陽は青空の中で輝き、自身の存在を主張している。吹き渡る風は爽やかで、心地が良い。

 舞い踊るように広がる金の髪。銀の一閃を描きながら高く低く響く声。広場の中心でヴィンセントは踊る踊る、演舞する。

 それを見つめてぼんやり、心奪われたように視線を送るる商人たち。少年の踊り手と言うだけでも珍しいのに、長年踊りこんだかのように馴染んだ動き。二振りの剣は空を裂き地を裂き、幾つもの線を空に描く。ピタリと動きを止めた瞬間に凪ぐ髪と、よく通る透明な歌声

 それらは、文句のつけようもないほど美しかった。

 天と地を剣で指し示し、最後の歌を歌い切る。空中に残った音はいつまでも商人たちの心を魅了し離さない。惚けたような表情たちが、黙ってヴィンセントを見つめている。


「いつまで見てるつもりだ、アンタら」


 剣をおろし、淡々と告げられたヴィンセントの言葉に商人たちは我に返った。それと同時に、割れんばかりの拍手が彼に送られた。




 海の町から4日ほど歩いたところにある広場。そこは商いを生業としている者たちが集まり行き来し、情報を交換して憩う場所となっていた。故に、絶えず誰かしらがそこにいて、なにかしらを話している。見世物をすればそれに見合ったものが返ってくることだって、ままある場所だ。

 つまり、情報と先立つものが欲しい者にとって、そこは最適な場所であった。ヴィンセントにはこれから行くべき場所の手がかりは演舞で歌った歌のみであったし、その場所を特定するための情報も、特定したあと向かうための足も旅費もない。彼の欲しいものが全て、ここで手に入る。それを知ったがゆえ、彼はここで舞うことを決めた。


「いやあ、若いのによくやるもんだねえ」

「あそこの手のひねり、よく決まってたよな」

「ほーんと、勇者様だわあ、きれー」


 老若男女、幅広い年代の商人が拍手をしながらおひねりを渡そうとしてくるのを、ヴィンセントはきっぱり断った。そして演舞のときと全く違った表情を浮かべて、そっけない口で「そんなものより情報が欲しい」と。周りの商人たちは、現金よりもほしがる情報に興味が湧いたらしく快く受け入れてくれた。


「お伽話についてだ。どこか、その内容に触れている場所を知らないか」


 刹那、全員がピタリと口を閉じ、声をしまった。ヴィンセントの心中に、わずかばかりの不安がよぎる。まさか、誰も知らないというのだろうか。勇者と邪王の戦いの舞は誰もが知っている有名な演目だというのに、その元となる物語をちくとも知らないなんてことがあるはずない。実際、ヴィンセントが育った町では、住人全員と言っていいほどの人たちが物語の内容を把握していた。――さわりの部分だけ。

 夕焼け色の髪の商人が、切り出しにくそうに「この近くに森があります」と言葉を漏らした。一人が話し出せばまた一人が、隣の人に釣られるようにまた一人が……と言った具合に、連鎖的に情報がこぼれてくる。


「この近くに森があります」

「太陽が昇っても中は真っ暗なんだってよ」

「勇者様が初めて陰影の劔を手に入れた場所だって聞いたことがあるわ」

「奥にゃ邪赤眼がうじゃうじゃいるって聞いたぞ」

「人喰い女が住んでるとか」

「森の最奥には大きな洞窟があるとかないとか」

「そうそう。それで、その奥に劔が眠っていたって」

「その劔ででけえ邪赤眼ぶった斬ったって話だぜ」


 拾いきれた話はこの程度。所詮噂の一言で片付けることができてしまう内容だった。自然とイラだち、舌打ちになって外に漏れだした。こんなくだらない話を聞くために、舞ったわけじゃない。


「で、実際に入ったってやつはいねえのかよ」


 途端、ピタリと声が止んだ。

 つまりは、そういうことなのだ。みな噂に怖気づき、確かめた者はどこにもいない。商いをする者に求める勇気の種類じゃない。頭で分かってはいても、やはり気に入らなかった。それでも、ヴィンセントに与えられた手がかりは、気に入らない噂話だけ。ぶつけようのない憤りを、ため息に乗せて体外へ。


「分かった、分かったよ。もうそれでいい。じゃあ誰か……誰でもいい、誰かその森までオレを運んでくれないか」


 ざわつきが波のように広がった。集まっていた商人たちはそれぞれ目配せをしてはそらし、自分ではない誰かが、金髪の厄介な客を運んでくれると信じているようで、一人として名乗り出る奇人はいなかった。

 ついには、全員が首を振り連れて行くことはできないと意思表示。演舞のお代が噂程度の情報で足りると思っているのかと脅してみても、やはり一人も了承することはなかった。

 先に折れたのはヴィンセントの方であった。言い合うことすら、面倒に感じたのか気だるく頭に手をやってかいたあと、動作と同じように気だるい口を開いた。


「じゃあ、いいよ。条件を替えよう。その噂の森とやらに一番近い村とか街に送ってくれないか。人が集まる、一番近い場所。どうだ、これなら文句ねえだろ」


 またもや始まる、小声の相談会。どうする? どうしよう。送るのか? 送るしかないんじゃ。情報はあれじゃ足りないし。でも誰が送る。誰が送る。誰が、誰が、誰が。

 話はそこで止まってしまう。埒があかない。時間ばかりが虚しくすぎる。黙って聞いていたヴィンセントであったが、それにも限界というものがあるわけで。耐え切れなくなった彼は、一度大きく地面を踏み鳴らしたあと、一声かけた。視線が一斉に彼に向く。


「アンタ、オレを送ってくれよ」


 一人の少年を指さしながら、ヴィンセントが言った。

 指差された少年は、先程話を切り出した、夕焼け色の髪の商人だった。顔にはそばかすが目立ち、オドオドとした空気が拭えない、いかにも気の弱そうな少年だった。


「そう、アンタだよ。アンタがオレを送ってくれ」

「で、でも」

「アンタらだって、さっきの情報でお代に足りないってのは分かってんだろ? なら、送れよ」

「なんで、ぼぼぼ、僕なんですか」

「目があった。あと話が進んでなさそうだったから」


 ヴィンセントが指名をすれば、周りの商人もそれがいいそれがいいと同調しだす。ついに少年の味方はいなくなった。

 オロオロと泣きそうな目をしながら、少年はしばし考え、そして悲壮感をまとわせながらコクリと頷いた。よほど森に近づきたくないのは、ヴィンセントにすらよく分かった。


「んじゃ、よろしくな。送り手さん」

「よろしく、お願いします……」




 ヴィンセントの旅が、やっと始まりを迎えた。

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