第2話
この世界は3つの棟から成り立っている。
この棟っていうのは三階建ての建物のことで、それぞれに大人と、子供たちが暮らしている。大人の数はまちまちだけど、子供は大体20人くらいいる。わたしが寝起きしている棟には三人いる。
職員は全部で27人。
職員は、この社会がうまく回るよう助けてくれるひとたちだ。
この人たちは、一番たいへんな役割を担っている。栄養や衛生管理をしたり、文字や数字なんかを教えてくれるのも職員の人だ。ちょっと特別な人たち。ほとんどが普通の大人よりも年上で、大人になりたての人が職員になれることはほとんどない。
わたしたちが、この棟がある敷地から出る事はほとんどない。
というよりも出る必要がない。
この世界の外にはなにもない。
ただただ荒涼とした砂漠がどこまでも続いているからだそうだ。
水は汚染されていて、人類に有害な放射線というものもあるらしい。人が出てもすぐに干涸びてしまう。
昔はもっとひとがいたらしいけど、それが原因でほとんどいなくなってしまったんだそうだ。
だから、ここを出て行く必要はない。
というより、ここにいるしかない。
*
「なあ。サン、知ってるか。この前、職員の一人が『異世界』行ったらしいぜ」
一ヶ月後に一緒に16歳になるワンが、内緒ばなしをするように身を寄せて、話しかけて来た。いたずらっぽく輝く焦げ茶の瞳がわたしのカオを映している。
わたしたちは、ちょうど二棟の食堂で食事をとっていた。
「やだなあ。もうすぐ大人になるのに、またそんな事言ってる」
わたしはくすくす笑った。
ワンはどこから見つけて来たのか、おかしなホラ話をしょっちゅうする。けど、どんなにくだらないと思う話でも、ワンの語りにかかると途端に面白くなるから不思議だ。
わたしはこの愉快な友人が好きだ。
でも、最近ずっとつづく『異世界』の話にはすこし辟易してもいた。
この世界は満ち足りている。けど、小さい。
口に出さないまでも、だれもがそう、認識している。
そう思えるのは、わたしたちが小さい頃から語り継いで来た『異世界』の話のせいだ。
この世界の平行線のどこかには、この世界とよく似た世界があるらしい。
そこではここで暮らすよりずっと多くの人がいて、多くの村や街があるんだそうだ。ここに比べると、遊びもいっぱいあるらしい。
ただし。
これはまことしやかに語り継がれて来た事で、実在するかどうかはまた別の話だ。
わたしは存在しないんじゃないかと思っている。
というより、平行線とか、時間軸とか言われてもよく意味がわからない。
どっちにしても、子供がするようなおとぎ話だ。
ところが、ワンはどうやらこの話を大マジメにしているような気がする。
「ねえ、ワン。ほんとうに『異世界』を信じてるなんて言わないよね?」
こっそり確認してみる。
すぐに肯定の返事が返ってくるだろう。そう思っていたのに、ワンは手に持った箸を弄ぶようにして、なかなか答えようとしない。
ワンは迷うように、わたしをちらりと見ると、おそるおそる切り出した。
「…サン。でもさ、職員はほんとうにいなくなったじゃん」
「それは、今までにもあったことでしょ」
この世界ではあることだ。
けど、まれに戻ってくる事もある。その人たちがどこに行っていたのか話してくれる事はないけど。でも、それがあたりまえのように出て行って戻ってくるから、たいしたことじゃないんだろう。大人になったら聞かせてもらえるのかもしれないし。
まあ、でも。だからこそ、異世界なんて話ができちゃうんだろうけど。
けど、ワンはわたしの言葉に納得していないようだった。
首を捻るわたしに、ワンはその少年ぽい眉毛をきゅっと詰めると、困ったように話し出した。
「…オレ、じつはさ。多分なんだけど、」
ふだんのワンとは違う、歯切れのわるい言い方だ。
「どうしたの?」
「じつはさ。記憶があるんだ?」
「記憶? なんの?」
「…『異世界』の」
おどろいた。
16年間一緒に暮らして来て、そんなことをワンが話すのは初めてだ。
「思い出したのはさ、最近なんだよ」
ワンは困ったように頬をぽりぽりと掻く。
「くわしい事は、よくわかんないんだけど。知らない人の輪郭とか、ここではあり得ないくらい高い建物とか…そういうのを夢の中で見るんだ」
ワンは自分でもどういうことかわかっていないようだった。
しきりに首を傾げてる。
「…あー、なんでもねえ」
けっきょく、最後には投げやりに、完結してしまった。
「あはは、ワン。もしかして、もうすぐ大人になるから緊張してるんじゃないの?」
「ちげーよ」
憤慨したようにワンは言うと、ご飯をかきこんだ。
自分でいいながら、ちがうだろうな、と思った。
きっとワンは不安なのだ。
自分がおかしな病気にかかっているんじゃないだろうか、って。
来月、大人になる人間はわたしと、ワン、他に三人もいる。他と比べるとこの数は多い方だ。
でも、だれも口に出さないけど、覚えている。
最初はもっといたのだ。
最初のほうの記憶では10人くらいはいたと思う。
でも、しんじゃったのだ。
病気だった。
職員がワクチンや、薬や他の治療をしてくれるけど。毎年、かならず一人は死んでいる気がする。よくしらない病気にわたしたちは抗う術もなく、病魔におかされるとほとんどの人は死んでしまった。
わたしも8歳位の時にいた、たぶん親友だった子が死んでしまった。ないていたような記憶がある。ワンと特に仲良くなったのはその前後位だったような気がするけど、ずっと一緒にくらしていたのだし、きっと彼女の事は覚えているだろう。
死ぬのはいやだ。
死ぬのは怖い。
だから、よく分からない記憶をみて、ワンがそれに困惑するのは当然の話だった。
まあ、そんなに気がしない方がいいよ。
そう声をかけようとした。
悩みすぎるのもよくないだろうと、思ったから。
ところが、ワンは急にイヤそうに顔をしかめた。
「じゃあ、オレ、食べ終わったから」
そう言い捨てると、勢いよく立ち上がり、食器を並べたプレートを持って去っていった。
ワンが見つめていた方向に、視線を向ける。
金色の髪に淡い青い瞳。長い背を丸めるようにして、プレートを持ってうろうろしている。どうやら、座る場所をさがしているようだったが、どこに行っても断られているみたいだった。
フォーだ。
その顔はふつうの人ではありえないカオをしていた。なんとも形容しようがない、悲しい顔。
この子も病気に侵された一人だ。
昔は普通だった。むしろ、まるでお人形さんのようだな、と思ったものだった。よく、いっしょに遊んだ。
奇跡的に命の瀬戸際で生還したらしいけど、なにに侵されたのか、顔は大きく変形し、そして知能も失っちゃったらしい。
「あ…、あ…」
同席を断られる事に、フォーは悲しそうにつぶやきを漏らした。
どこでも断られて、だんだんわたしの方に近づいてくる。
はっきり言って、同じ席に座るのは避けたかった。べつにフォー自体はキライじゃない。
でも、みんなはフォーが嫌いなのだ。ここでは、病気に侵されて、壊れてしまった人を極端にきらう。別に順位なんてものがここにあるワケじゃないけど、フォーに順位をつけるとしたら最下層だった。いっしょの席に座って、なにか言われるのはいやだ。
「あ…、あ…」
ついに、フォーはわたしの座っていたテーブルまで来ると、物欲しげな目でわたしを見つめた。
いやだよ、そういいたかった。けど、その水色のやさしい、かなしげな瞳を見つめていたら、そういうのもはばかられた。
けっきょく、わたしは、
「どうぞ」
とだけ言う。
フォーは途端にうれしそうに瞳を輝かした。向いの席に座る。
わたしはなんとなく気まずい空気の中で、ただ黙々とご飯をつめこんだ。
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