第235話・帳尻あわせとのこと


「あぁっと……二人とも小学校の時に理科の授業で天秤を使ったりしてたよなぁ? モーメントってそれと原理的には一緒なんだけど」


「そうなの?」


 キョトンとした表情でセイエイがオレを見据える。


「でもクエストはそういう天秤は使わないし、そもそも平行になるようしないといけないんだよ」


 綾姫がしょんぼりとした声を上げる。


「あっと、どういうクエスト?」


 チラリと、オレを呼び出した猟犬を見据える。


「『五つのメモリがついた棒を使って、一個50グラムのリンゴ五つがつりあうようにしないといけない。ただしリンゴ五つをすべてを使うこと。切り分けることはできない』っていうやつ」


「あぁっと要するにリンゴの数が奇数だからつりあわないって二人は思ってるわけだ」


 そう聞き返すと、二人は同時にうなずいてみせた。


「っつても、モーメントって構造力学のやつだからなぁ。まだ中学生の二人が知らないのも無理はないか」


 知らないだけで日常生活の中では結構構造力学って触れているんだけど、まぁ仕組みを知らなきゃ論もなく。


「だから大学生の煌にいちゃんにヘルプしたんじゃない。共通のフレンドはログインしてないし、忙しいだろうから呼ぶこともできなかったし」


 メールで聞けばとおもったのだが、こういうのって直接教えてもらったほうが覚えがいい場合もあるんだよな。

 あと、オレも忙しかったらどうしてたんだろうか?



「っと、ちょっと計算するな」


 複雑なやつだとメモしながらのほうがいいんだけど、問題自体はそんなに難しくないから暗記でも大丈夫だろう。


「あ、ちなみにかならず二つ以上じゃないと駄目みたい」


 ということは棒の長さの比率は『2:3』ってことか。


「あぁっと、ならこういうことか」


 さて頭の中ではすでに計算が済んだのだけど、ただ答えを教えるだけじゃこの二人のためにはならないな。

 そもそも答えを知っても公式を知らないとじゃぜんぜん違ってくるし。


「計算するのはいいけど、わたしたちにもわかるように説明してくれる?」


 セイエイが懇願するような目でオレに言ってきた。


「んっ、わかった。まぁモーメントの原理ってのは言ってしまえば掛け算だな」


「「掛け算?」」


 中学生になってまだ半年くらいしか経っていない二人は、「どういうこと?」と首をかしげる。



「たとえば、釣り合うってことは両側の重さが均等になっていることだというのはわかってるんだろ?」


「そうだけど、でもそもそも偶数と奇数じゃ重さは釣り合わないよ」


「だからこそのモーメントなんだよ。フレミングの法則とか知ってる?」


 オレは親指、人差し指、中指をひろけて見せる。


「えっと、支点・力点・作用点だっけ?」


 綾姫が思い出すようなそぶりでこたえた。


「支点はその言葉通り支える部分。力点は力が加えられる部分なんだけど、それじゃ作用点はなんだと思う?」


「力が作用するところ?」


 セイエイが不安げな声で答える。


「言葉としてはな。たとえば重い石を縄で引っ張ったり、押したりしても同じ力なら動く。これが作用点だな」


「た、たとえがわかりにくい」


 セイエイがしょんぼりとした顔を浮かべる。

 あれだな、セイエイの場合はこういう頭で考えるのってすごく苦手そうなのは彼女の性格からしてわかっていたけど、ほとんど感覚で覚えてたりしているし。


「力の作用点の話になると、ベクトルも関わってくるからなぁ」


 今回二人からお願いされているクエストのヒントとはかけ離れているし。


「いっそのこと、そのベクトルも教えてっ!」


 綾姫のお願いに、そちらも教えることになったのだけども、オレ本当は高校の物理で習ったくらいの知識しかないんだけどなぁ。


「こういうのは建築学科に通っている斑鳩のほうがいいんだけど」


「教えてもらうなら煌にいちゃんのほうがいい」


「わたしもシャミセンに教えてもらったほうがいい」


 二人がキッと険しい顔で言い返してきた。

 斑鳩よ、お前頼られてないぞ。



「あっと、ベクトルっていうのは向きと大きさを合わせ持った量のことなんだけど、たとえば徒歩で五〇メートル北に進んだとして、それが五百メートル進むとしたらどうなる?」


「えっと、十回繰り返される?」


 セイエイが方眉をしかめる。

 そうなんだけど、ちょっと教え方が悪かったか。


「それじゃぁ一回ずつ横にずれていったらどうなる?」


「ん? 横にってことは平行運動だけど、向かっている方角は変わらないわけだから……ベクトルの大きさはかわらないってこと?」


 お、綾姫はなんとなくだろうけど理解はしたみたいだな。


「ただ向きが違えばベクトルの量も違うわけだな。縄引きに用いられるものだと思えばいい」


「引っ張る力が違えばどちらかが必ず引っ張られるわけだね」


 綾姫は両手の人差し指の指先を交互に絡めて引っ張る素振りを見せる。


「押す力も似たようなものと思っていいかもしれないな。つまりベクトルっていうのはその向きに対してどれだけの量が入っているのかってやつなんだが」


「シャミセン、なにか考えている?」


「んっとなぁ、たとえば始点から北に五メートル進んだ後に終点の北西に五メートル進んだ場合と、始点から終点をまっすぐ進んだ場合のベクトルの量はどうなる?」


 そんなことを聞いてみると、二人は少しだけ考えてから、


「もしかして、進んだ距離とベクトルの量は同じってこと?」


 と不安そうに答えた。


「そういうこと。つまり北五メートル+北西五メートルを足せば進んだベクトルの量は十メートルになる。なら始点から終点を一直線に結んでも十メートルになるわけだが、実はこれが答えってわけでもないんだよ」


「うぅ、数学ってあんまり好きじゃないんだけどなぁ」


 セイエイが肩を落とす。

 いや、数学っていうか算数の計算になるんだけどなぁ。

 計算自体実を言うとそんなに難しくないし。


「えっとだな、北に五メートル進んで西に五メートル進んでも、始点と終点で言えばベクトルの量は一緒なんだよ」


「三角形の面積の出し方と一緒ってこと? 『底辺×高さ÷2』みたいな」


「いやまったく違うんだけどな。それにそもそもベクトルの計算は斜めだと足せないわけだし」


「平行じゃないと足せないの?」


 セイエイも綾姫とどうよう、オレの説明がわかりにくいのか、それとも理解が追いつけないのか複雑な表情を見せている。


「始点から縦軸五メートルと横軸五メートルが終点でもベクトルは変わらないってことだな」


 まぁ横道にそれてしまったし、本来のモーメントについて教えるか。



「天秤は支点から左右の距離によってモーメントが釣り合っているわけだが、二人が小学校のときに使っていた天秤の秤の幅は均一になっていたよな」


「えっと、ほとんどの天秤がそうじゃないの?」


 首をかしげ、セイエイがけげんな視線を向ける。


「それじゃぁにんじん一本を釣り合わせるにはどうすればいい?」


「にんじんをって、左右非対称だよね? まんなかで釣り合わないから、釣り合う位置を支点にすればいいんじゃ?」


 お、いいところに気付いた。


「えっとクエストの内容が五つの目盛りがついているから、その位置がモーメントの支点になるってこと?」


「そういうことだな。それじゃぁ二人に聞くけど、ひとつ十グラムのおもりと、五十グラムの錘が均一になるにはどうしたらいい?」


「えっと真ん中だと釣り合わないから、支点をずらしていくってことかな?」


「『十グラム』と『五十グラム』だから『5:1』ってこと? これなら掛け算すれば同じ数になるけど」


 セイエイがふと口にする。


「へ?」


 綾姫が驚懼の声を上げ、セイエイを一瞥した。



「大正解。つまりモーメントの計算は支点の幅にたいして重さをかけることだな」


 頭をなでてやりたいところだが、綾姫のこともあるからここはしないでおこう。


「あれ? ってことはクエストの答えって、棒の目盛りが二つ目のところを支点にして、短いほうにリンゴが三つ。長いほうにリンゴを二個ってこと?」


「そう。棒のモーメントの比率が『2:3』になるわけだから、短いほうのリンゴ三つの計算は『150(50×3)×2=300』になるし、長いほうのリンゴ二つでも計算では『100(50×2)×3=300』になるから重さは同じになるわけだ」


 そう教えるや、二人はそそくさと虚空にメニューウィンドウを展開させ、メッセージを打ち込みだした。

 んっ? クエストの問題なんだから、それを答える場所にいくんじゃないのか?



「えっと、これって本当にゲームのクエストだったのかな?」


 すこし不審に思い、ふたりに問いただしてみる。


「シャミセンありがとうね。モーメントとか聞いたことなかったから数学の先生から出されていた宿題滞ってた」


 根が素直な性格のセイエイは、それこそ悪びれない声でお礼を言う。

 嘘をつかれたことは事実だけど、なんだろうか、怒るべきなんだろうけど、ここまでほがらかな笑みで返されると怒る気がしなくなる。


「ちょ、セイエイさん?」


 逆に綾姫は慌てふためく様子。


「つまり、モーメントの計算が解らなかったってことか?」


「うん。それに支点の長さが違うだけで、重さが均一になることもわかった」


 まぁ感謝されている分文句は言わないけど。


「っと、このモーメントって言うのは梃子テコの原理にも応用できるんだけど」


「動かす岩の重さに対して人の力が弱くても、支点とモーメントの距離で動かせることができるって事?」


 セイエイは構造力学におけるモーメントを用いた計算式がわかったからなのか、オレのいったことに関してすぐに答える。

 一を聞けば十を知るってところだろうな。


「えっと、どういうこと?」


 逆に綾姫はまだ理解できていないようだ。


「岩の重さが百キロあったとして、人が棒を押し込む力が五十キロ以上だとしたら、棒の長さを『1:2』の比率で支点にすれば人の力でも動かせるんじゃないかな」


 オレは無言でセイエイの頭をなでる。

 まったくもって大正解。

 そのセイエイは目を細め、満足気な笑みを浮かべている。


「なんかずるい」


 そんなセイエイを見ながら、綾姫が頬を膨らませる。


「あぁっと、それじゃぁ綾姫に問題な。重さ六十キロの大人を動かす場合、重さ三十キロの子供が釣り合った場合、大人を倍以上の高さにするにはどうしたらいい?」


「えっと、単純に棒のモーメントの比率が『1:2』になるんじゃないの? 『60×1=60』と『30×2=60』……じゃないか」


 それだと釣り合っただけだからな。


「あ……」


「答え教えるのはなしな」


 セイエイが口を開いたが、ここで教えられると綾姫のプライドが泣くだろうから、黙っておけ。


「わかった」


 ムグッと口をつむぎ、セイエイは黙り込む。


「えっと、大人に対して子供の重さが倍以上にならないといけないわけだから、『1(60):4(120)』?」


 綾姫は不安そうな目でオレを見据える。


「まぁ正解ってところだな」


「セイエイさん、なんですぐにわかったの?」


 オレから正解といわれ、ホッとしたのも束の間、焦燥とした目付きでクラスメイトを見る綾姫に対して、


「へっ? シャミセン、モーメントの長さで決まりなんて言ってなかったから、片方が奇数でもいいなら『1:4』で大人と子供の重さが倍違いになるかなって計算しただけだけど」


 セイエイはキョトンとした顔で首をかしげる。


「あぁうぅ~~っ」


 セイエイの解答を聞いて、思わずその場に倒れこむ綾姫。

 あれだな。物事を難しく考える綾姫と違って、セイエイの場合は基本そんなに難しく考えるのが好きじゃないからこそだろうな。

 それにオレ、そもそも棒の比率に対してなにも口出ししていないのに、難しく捉えてしまった綾姫のほうが悪いわけだしね。


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