第1話 日常

 6月1日金曜日

 18時39分14秒、快晴。


 AR画面(視界)に映る時刻と天気が薄く点滅している。


「もうついたのか」


 俺は、路地裏のパーキングに全自動運転車を停め、デパ地下に向って歩いていた。


 俺の名前は、最上道信さいじょう みちのぶ、22歳で、無職の青年ニート……。てなわけで、今は食後のプリンと母親から頼まれた豆乳をデパ地下まで買いにきている。もちろん、実家暮らしの青年ニートは夕飯の時間も早いってもんだ。


 俺の身長は172㎝で、人並みの顔に、人並みの体格、別にオシャレってわけでもなく、普通だな……うん、たぶん……ぅん。

 

 まぁ、それはさておき、俺の両耳についているこの黒い装着物は近距離無線通信機器といって、通称『イヤー』と呼ばれている。コンタクトAR装着ユーザーなら、皆が必然とつけているものだ。


 そのイヤーから流れる音楽を聴きながら歩く俺は、交差点の赤信号を確認した後、立ち止まり、地面を見下ろした。


「はぁ~」


 ほんと、この世の中は何なんだよ。周りのみんなはもう働いてるっていうのにさ、俺は全然、就職先が決まらないし、おまけにバイト先も見つけれていない。ほんと、ただのクソニート野郎だ……。俺はただ、自分にしかできないことをしたいだけなのにさ……。でも、これが世間様のいう甘いってことなんだろな……。あぁ~あ、なんでこう俺はうまくやれないかな。


『ファン!ファン!ファン!ファン!』


 音楽が止まり、警告音が耳に響く。と同時に俺の視界は赤く点滅した。


「前方に注意してください」


 コンタクトAR搭載、AI秘書システムPoPoronポポロンが話し出しす。


 俺は警告音に気づき、焦って前を向くが、前方から迫りくる若い男は、ぶつかりそうになる俺を睨んで横切って行った。


「すみませんっ」


 くそっ、もう青かよ。って思えるのは時間に余裕のあるニートの俺くらいか……。


 と、そう思った自分に、自然と少し口がにやけた。


 交差点を歩き終え、颯爽さっそうと駅地下の階段を下りていく俺の視界に、一通のメッセージアイコンが飛んできた。


ひでさんからメッセージです」


 イヤーから聞こえる、抑揚のないPoPoronの声。


 秀?なんの用だろ……。


 朝倉秀あさくら ひで、22歳、男性。俺の小学生以来の幼馴染だ。秀とは小学生時代を一緒過ごしただけなのに、今でもこうやって定期的に連絡を取り合って、たまに会ったりしている。


 そういや、よく昔は「俺らは信じる友と書いて信友だな」とか言って笑っていたよな……。


 今、秀は一流企業に就職して、毎日新人研修に励んでいるらしい。容姿もスタイルもよく、人からも好かれて、友達や知り合いも多いやつだ。おまけに家は金持ちで、彼女までいやがる。俺とは真逆も真逆……まさに、陰と陽だ。


 ちなみに、俺も1か月前までは彼女がいたんだからな。これは一応言っておく。と、それはそうと、メッセージの内容だ。


 俺は階段を下りきり、デパ地下の入り口前で、メッセージチャットを開いた。


『明日、ひま?』


 おい。秀、それは、ニートに言っちゃいけない言葉、ランキング3位だ。


『ひまではない』


――ピコピコ(通知音)――


『俺はひま』


『ごめん笑』


――ピコピコ(通知音)――


『ち〇こ』


 でた。必殺、幼稚言語返し。……まぁ、いつものことだし、このまま放置しておこう。俺と秀の会話はいつもこんな感じのノリで終息する。さて、プリンプリン。




 現在の時刻:18時48分21秒


『ティリティリ、ティリティリ、ティリティリ、ティリティリ』


 視界に電話コールアイコンが飛んでくる。と同時に、また、PoPoronの抑揚のない声が耳に流れる。


「秀さんよりお電話です」


 なんだよ。次は電話かよ。ニートだって忙しいんだからな。


 と思いつつも、俺は『電話に出る』と脳に指示を出した。この指示は、電話の受け取りアイコンを頭の中で押すようなイメージといってもいいだろう。


「うぃ、うぃ」


「おつかれ~。秀、今仕事終わったところ?」


 電話の会話は、もちろん口頭でする。なぜなら、頭で考えていることをいちいち相手に読み取られていたら、プライバシーもくそもないからだ。


「おぅ、今終わったところ!なにしてる?」


「デパ地下で買い物しようとしてた」


「暇人か!これだからニートは……どうせ明日も何もないんだろ!」


「ニートもいろいろあるんだよ!」


 と、強く言い返す俺だが、秀のこういう素直に言葉を吐くところは嫌いではない。むしろ、言葉に嫌みがなく、真っ直ぐで聞いていて気持ちがいい。


「とりあえず、明日暇だから俺の家こいよ!」


「う、うん、いけたら……な。俺だって行きたいのはやまやまだけど、家のこともあるしさ。今はそういう立場じゃないっていうか……」


「うるせぇ!このクソニートが!」


「それはいいすぎ」


俺は笑いながら答えた。


「てかさ、秀。今日の大型アップデートどうなると思う?全世界で一斉にアップデートとか前代未聞じゃない?!」


「あぁ、ニュースでもかなり告知してるからな。バージョン10.0.0……そういやPoPoronが変わるらしいけどな。まぁ!とりあえずアップデートの時間がきそうだから切るわ!んじゃまたいけそうなら連絡して!」


「はーいよ」


 デパ地下入口横の壁にもたれかかっていた俺は、電話を切るとともに、デパ地下に入った。


 PoPoronのこの抑揚のない声も、もう聞かなくなるのかぁ……。

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