第6話
いつの間にか夜が来ていて、今日はもう帰れないことに気付いた私は、仕方なく一番樹の根の上で野宿をすることにした。夏の日差しが遠い一番樹の麓でも、空気はジトッとしていてあまり快適ではなかった。それでもホームと比べると結構ましかもしれない。そんなことを思いながら、風邪は引かないように、手提げ袋の中身をそこら辺に出してお腹に手提げ袋を掛けた。
野宿を決めてからも、私はクルミといっぱい話した。クルミっていうのはこの子の名前。どんぐりは食べなかったけどクルミなら食べそうだな、リンゴを口いっぱいに頬張ってモグモグしてる顔もクルミっぽいし、と思って私が付けた。こうして誰かと話していないと、私はすごく不安だった。ホームの外に泊まったことは一度もなかったし、ここはホームと違って遠くから動物が吠える声が聞こえるから。クルミは私の膝の上で何でも静かに聞いていてくれた。リスって鳴かないのかな? クルミは何が好きなの? おうちはこの近くにあるの? もちろんこちらが問いかけても何一つ返事はくれなかったけど、それでもクルミと話し足りなくて、ホームのこととか、お父さんのこととか、お母さんのこととか、皆のこととか、いっぱい教えてあげた。話すのは好きだから、とっても楽しかった。
日中もそれなりに寝ちゃってたはずなのに、夜が更けてくると私はどんどん眠くなってきた。次第に無言になる時間も増えて、頭もカクンカクンし始めて、するとクルミはするりと私の腕から抜け出ていってしまった。あっという間に一番樹の根を昇っていき、夜の暗がりでは全く見えなくなってしまった。私が寂しげにクルミの食べかけのリンゴを見つめていると、頭上から葉の揺れる音が聞こえた。たぶんクルミがちょうど真上にいるんだろうな、もしかしてこの一番樹に住んでいるのかな、と思っていたら、ポトリと音が聞こえた。私のそばに折れた枝が落ちてきたようだった。暗くてよく見えなかったけど、もうすっかりまぶたが重くなっていた私は、特に気に掛けることもなく眠りについた――
「芽ぐちゃん、何の本読んでるの?」
私は、私よりほんの少しだけ背が高い女の子と図書室へ来ていた。
「これはね、植物図鑑! 空いちゃんも一緒に読もうよ!」
その女の子は、私ととても仲良しで、一緒に行動することも多かった。
「うーん、私にはちょっと難しいよ……」
私より年長さんなのに、と思ったけどそれは口にしないことにした。私はすごく小さい子供になっていた。今の私はこんなに小さくないはずなんだけど、どうしてかそういうことに違和感は覚えなかった。
「そんなことないよー。色んなお花が載っててきれいなんだよ」
私は、何だかその子のことがとっても懐かしいような気がした。いつも一緒なのに、不思議な気持ちだった。何でもないような会話をして、何をしても楽しくて、笑顔でいっぱいになって、二人でお料理して、お勉強を教えあって、一緒にこっそり歌を歌って。
「きれいだねー、これ。ピンク色の。桜って言うんだね」
女の子が指差した花は、こじんまりとしていて、花びらは触っただけで取れてしまいそうなほど弱々しかった。でも、他の絵で見た桜はもっともっと大きくて力強かった。1つ1つの花がこんなに頼りなさそうなのに、桜は枝いっぱいに花を咲かせて見違えるようになるんだ。
「これ、どういうところに生えてるんだろうね? この図鑑、そういう肝心なところが載ってないんだよなあ」
今の私はもちろん桜くらい何度も何度も図鑑とかで調べたことがあるから詳しく知っているんだけど、よく知らない感じになっていた。それもそのはずで、これは夢だった。昔の思い出そのままの。だけど私は夢だってことに気付くわけもなくて。
「芽ぐちゃんのお父さんに聞いてみようよ。何でも知っててすごいよね」
そう、お父さんは何でも知っている。私が聞けば何でも答えてくれる。ホームの他の人とはちょっと違うけど、私の自慢のお父さん。図書室を出ると、階段を昇り、私の部屋に行った。女の子は「何で芽ぐちゃんの部屋だけ1階にあるんだろうね」と聞いてきたけど、私は「うーん」とだけ言って特に深くは考えなかった。
「おじゃましまーす」
私は部屋に入ると、インカムを頭に付けた。これちっちゃい子用だから、ちょっと最近きつい。今度大人用のをもらえないか聞いてみよっと。私は床に落ちているディスプレイを拾い上げ、マイクに向かって話し掛けた。
「お父さんただいま!」
ディスプレイには男の人が映し出された。とっくに見慣れてしまった、お父さんだった。
「お帰り。早かったね。図書室に行ったのだろう?」
私がお父さんに今日の報告を始め出すと、私の後ろで女の子がもじもじとし始めた。
「あ、ねえ、今日は空いちゃんも一緒なの。えと、どうやるんだっけ?」
私はお父さんに、何かの方法を尋ねていた。大体のことはお父さんが教えてくれるしやってもくれるので、私は一度教えてもらったことを何度も忘れちゃっていた。
「私がやっておく。『――出力をインカムから外部スピーカーに切り替える――』『――入力をインカムから振動探知に切り替える――』『――既定の設定を自動適用する――』これで二人と会話できる。二人が見えるように、そこに立て掛けてくれるかな」
お父さんの声は、さっきまでインカムの耳当てから直接聞こえていたのに、ディスプレイの方から、まさに表示されているお父さんから聞こえてくるようになった。私はインカムを外すと、きつかった部分を少し手でさすった。
「芽ぐちゃんのお父さん、ハイテクだね~」
女の子がそんな間の抜けた声を上げていた。私はハイテクの意味がよく分からなかったけど、何だか褒められたような気がして「そうでしょ」っと嬉しそうに胸を張った。
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