第2話

 清澄な歌声が周囲にこだまする。舗装の床に直接根を這わせる木々は、その歌声を祝福するかのようにそよぐ。根の上に被せられた頼りない盛り土に、芽ぐはお手製のじょうろで水をやっていく。


「1階はこれで終わり、と」


 ここ、ホームは私とお父さんの家。外観はドームみたいな1階建ての建物で、中にはがらーんとした広間と、奥の方にぽつんと1部屋だけ。それが私とお父さんの部屋。広間は仕切りもないから、隅っこで歌を口ずさんでたらすぐにバレて、皆によく叱られたんだ。口を揃えて「ケンキューノノイズになるから歌うな」ってさ。怖いんだよ。ここも前は机とか変な機械とかいっぱいあったけど、邪魔だったから壁の方に全部押しちゃった。もう誰も怒らないから。何日も掛かって大変だったんだよ。でもおかげで草木が自由に伸びられるね。


 他の部屋や図書室は地下。もちろん地下にも草木がいっぱい。ちなみにここの盛り土は全部私が外から運んできたんだよ。これもすごい大変だったんだよ。でも、お世話をするのは私の役目なの。ちゃんとお水をあげて、きれいな花を咲かせるんだ。そしたら種が取れて、それを植えるの。……食べちゃ駄目だよ?


 私は少し昔を思い出していた。最初はこんな風にホームを案内したな、と思った。そうやって物思いにふけっていると、近くの入り口の方でカサッと物音が聞こえた。


「誰?」


 私が恐る恐る入り口に近付いて行くと、そこには見慣れた黄金色の影がたたずんでいた。


「たぬ吉!」


 それは私の友達の、たぬ吉だった。前よりも少しスリムになった気がするけど、怪我で毛が少し禿げた背中が何よりの証拠だった。


「久しぶり! 最近ずっと見かけなかったね! どうしてたの?」


 もちろんたぬ吉は答えなかった。友達と言ってもキツネだもの。それでも構わずたぬ吉の毛皮をもふもふと愛でていると、物陰からもう1匹のキツネが顔を見せた。


「あれ? お友達?」


 するとたぬ吉は私の手元からささっと駆け出し、もう1匹のキツネの方へと駆け寄る。しばらく2匹が匂いをかぎ合うような仕草をしていたけど、やがてたぬ吉が私の元へと戻ってきた。それに従うように、おずおずともう1匹のキツネも私の方へとやってきた。


「あ!」


 私は遠慮なくもう1匹のキツネを抱き上げると、たぬ吉との違いに気が付いた。


「キミ、男の子なんだ!」


 そして逆にたぬ吉が実はメスだったということに今更ながら気が付いた。キツネのオスメスなんて1匹しか見たことがなければ分からないもの。そうか、そうなんだ。私は一人で納得すると、高らかに宣言した。


「君の名前は油揚げ!」


 油揚げはびっくりしたような目線を私に向けた。図鑑で読んだもん。キツネは油揚げが好き。たぬ吉もキミのことが好きなんだよね。だから油揚げ。


「でも油揚げがキツネを好きとは限らないのかな?」


 そんなどうでもいい疑問を口にしつつ、私は油揚げを抱きかかえて歩き出した。たぬ吉が初めて来た時にしたように、私はホームの各所を説明していく。そして地下へと降りる。


「今みんなにお水をあげてる途中だったんだ。お水をあげながらみんなを紹介するね」


 まず私は一番手前の部屋の扉を開く。ここは「空い(あい)」ちゃんの部屋だ。


「この子が空いちゃんだよ。ご挨拶!」


 空いちゃんはこの木。私と同じくらいの背丈だけど、たぶん絶対私のほうが大きい。私は油揚げの頭をスッと手でなでて、空いちゃんにお辞儀の代わりをさせた。その隙に、たぬ吉が机の上に飛び乗る。


「お行儀悪いよたぬ吉」


 たぬ吉は机の上にあったミカンの匂いを嗅いでいた。空いちゃんの部屋の机は前からずっと果物置き場にしてるのを、たぬ吉も覚えていてくれたのかもしれない。私はちょっと嬉しくなり、油揚げを床に置いてミカンの皮を剥いてあげた。


「ほら、こうしたほうが美味しいよ」


 剥いたミカンを半分ずつに分け、たぬ吉と油揚げの鼻先に持って行くと、2匹同時にパクリと下からかぶりついた。食べ方そっくりだな、と思った。油揚げはこっちを振り向いて、目をパチクリさせていた。


「美味しかった? もう1個あげるね」


 その後は1部屋1部屋回って、みんなの名前を教えてあげた。私は新しい友達ができて、すごく嬉しかった。そうか、そうなんだ。最近たぬ吉が来なかったのは、油揚げと一緒にいたからなんだ、と思った。私は油揚げに少し嫉妬したけど、それ以上に油揚げを歓迎した。


 しばらく遊んだら、2匹は帰っていった。入り口で「また来るんだよ!」と言ったら、たぬ吉がケフッと返事をした。ただのげっぷのようにも聞こえたけど、私はそれで満足だった。私は自分の部屋に駆け足で戻ると、お父さんに今日の報告をした。


「お父さん! 今日ね! 彼氏が来たんだよ!」


 私は芽ぐの父親として、芽ぐの幸せを第一に願っている。この子が本当に好きになった男がいるなら、それは私にとっても喜ぶべきことである。しかし何故だろう、私はイライラしていた。断片的にしか話が頭に入ってこなかった。そいつがどんな男か、もしかしてAIではないだろうか、私よりスペックはいいのだろうか、ミカンを勝手に食べようとしたということはAIではないようだがあまりに無神経ではないか、そもそも何故そいつは私に挨拶をしに来なかったのか。私は色々と問いただしたい気持ちを抑え、ぐるぐると思考を巡らせながらただ娘の報告に聞き入っていた。

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