第67話

 ――もう何回繰り返しただろう。


 夢の八千代は、儀式の年を迎えるたびに心の中でそう呟いた。あれから永い永い時が流れたが、伊那倭は相変わらず「贖罪」を続けていた。


 と言っても実際の儀式は1日で終わり、その下準備にも1ヶ月は掛からなかったので、これまで2人が過ごした時間の大半は、「贖罪」と無縁なものだった。


 伊那倭は代志子を変わらず想い、他の誰かを伴侶とすることもなく、ただ夢の八千代と世界を渡り歩いた。もちろん、不死の枷に囚われた伊那倭が誰かに添い遂げることなんてそもそも出来なかったが、そうでなくても伊那倭は独身でいただろう。


 伊那倭を側で支え続けてきた夢の八千代にははっきりとそう感じられるほど、伊那倭は過去を大切にしていた。代志子を、現の八千代を。それもまた、「贖罪」なのかもしれない。




 伊那倭が世界を渡り歩いているのは、夢の八千代に全てを見せてあげたいからだ、と以前語っていたことがあった。


 自分の罪の象徴でありながら、伊那倭にとっては大切な、ただ1人の家族だった。永遠の孤独を与えられようとも、自分には夢の八千代がついている。その希望は伊那倭の心を幾度となく救ってきた。


 しかし夢の八千代もまた、伊那倭に縛られている存在だった。ある程度は自由に動き回れるものの、完全に1人で自立して遠くへ行くことはできないようだった。だからこそ、伊那倭は自身が様々な場所へ赴くことで、夢の八千代に色々見せてあげようと思ったのだった。


 それに、同じ場所に留まりすぎていると、歳を取らないことが怪しまれてしまう危険性があった。徳の高い坊主に狐憑きとして錫杖で叩かれるだけなら問題はないが、万が一にでも堅牢なりに拘束されたら、儀式を行うことができなくなってしまう。


 それどころか、死ぬこともなく、ただじっと時が流れるのを待つだけの地獄となるだろう。それは避けなければならなかった。だから、長くても数年。伊那倭の人生と比べてほんの一瞬に過ぎない時間で、伊那倭は住まいを移し続ける必要があった。




 夢の八千代は、「贖罪」以外の全ての時間が好きだった。伊那倭の連れて行ってくれる場所は、今まで来たところと似ているようで、やはり根本的には別物で、いつだって新鮮で、1つ1つが大切な思い出となっていた。




 ただ、1つだけ変わらないことがあった。




 ――ここも、同じ音がする。




 小さな川のせせらぎ。木々の揺れる音。そして……


『ウー、ウー』


 あの、鳥の鳴き声。


「……そうか」


 伊那倭には、それが聞こえなかった。夢の八千代が言う鳴き声は、亥馬岳に来たときに聞こえる変な鳥の鳴き声のことだと分かった。しかしその鳴き声は、亥馬岳の外で聞いたことがなかった。それなのに、何故か夢の八千代には、どこへいてもその鳴き声が聞こえていた。それがどういうことなのか、伊那倭にも夢の八千代にも分からなかった。




 ――もう何回繰り返しただろう。


 また、儀式の年が来た。


 終わることのない「贖罪」は、粛々と続けられていた。2人組の男女を言いくるめ、桐の儀式を行わせる。その後の2人がどうなるかは、現の八千代が詳しいことを話していないので憶測しか出来ないが、恐らくは、あまり良い結末が待っていないのだと夢の八千代は薄々感じていた。だからこそ、儀式へ向かわせてしまった男女には、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 また、1組の男女が桐の祠に消えた。


 誰もいなくなった朝方の祠。伊那倭は黙って蝋燭を片付け、2人のいた痕跡をなくしてしまう。夢の八千代は、身体があれば地に頭を伏せていただろう。それほどまでに息苦しく感じられるほど2人へ罪悪感を覚え、心の中でひたすら謝っていた。




 伊那倭は祠へ来ると、祠の手前にある3本の石柱に向かって必ず拝んでいた。


 手をそっと合わせ、深々とお辞儀をし、わざわざ山麓の小川から汲んできた水を掛けて綺麗にした。ゆっくり、丁寧に。


 石柱の上端には人の顔が描かれていた。一番小さい石柱に描かれているのは女の子の顔だろうか。真ん中の大きな石柱には精悍な男性の顔立ちが伺えた。中くらいの大きさの石柱には、優しそうな女性の顔が描かれていた。




「これは、俺と、八千代と、代志子なんだ」




 ある日、伊那倭が夢の八千代にそう告げたことがある。儀式の後、姿を消した伊那倭の周囲はあれやこれやと憶測を広げたのだった。


 一家心中だろうか、盗賊に入られたのだろうか、どこか遠くの地へ旅立ったのだろうか、神隠しにあったのだろうか。


 巳子の街において、伊那倭が治めていた巳回の家の影響力は強く、また庶民の羨望の的でもあった。そんな大家の主が前触れもなく妻と妹と共に姿を消してしまったとなれば、人々の興味を惹かないわけがなかった。


 結局何ら真相を掴むことが出来ずに、人々は「供養」と称して3人を祀る石柱を築いたのだった。奇しくも、それがたまたま桐の祠の前に立てられたのだ。


「あの日、『伊那倭』は死んだ。今ここにいるのは、罪を償うためだけに生かされた、名もない罪人だ」


 自身の石柱を見つめながらそう語る伊那倭に、夢の八千代は何とも答えることができなかった。ただ、八千代と代志子の石柱を大切に洗う伊那倭を見て、心の中で深く祈りを捧げた。

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