第48話
「八千代、何か、嘘をついているな?」
伊那倭様の問い掛けに、しばしの静寂が流れた。苛立ちを見せていた八千代様はキョトンとして、伊那倭様をじっと眺めていた。値踏みをするように、黙って、じっと。
私はゴクリと生唾を飲み込んだ。口の中が乾いており、少し荒れていることに気付いた。何を考えているのか伺い知れない八千代様の様子に、私は少し不気味な印象を抱いてしまった。
「……嘘はついていないわよ?」
どれくらいの間があっただろうか、八千代様は平然と返した。心なしか、少し嬉しそうに感じた。いつもの笑顔を浮かべるでもなく、ただ、この場を楽しんでいるようだった。
「では、夢の八千代はどこにいる?」
伊那倭様が間髪を入れずに追撃を掛けた。当然の質問だった。
八千代様の計画には、過去から未来へと生け贄を送り込む、協力者が必要だ。その協力者は、八千代様の話では、夢の八千代様に違いない。しかし、夢の八千代様が寿命を迎えれば、桐の祠で生け贄を送り込むことなんてできない。
にも関わらずこうして桐の祠の儀式が続いているのは、夢の八千代様が八千代様と同様に不死の存在であるということだろうか? もしそうならば、夢の八千代様が生まれた世界の未来であるこの世界にも、夢の八千代様が現存する筈だ。
伊那倭様が返事を待ちながら八千代様を凝視していた。すると、八千代様は目を逸らすこともなく、「あの」笑顔を浮かべた。
ニヤリ、と口を大きく裂かせ、目元を恍惚とまどろませて伊那倭様を眺めていた。私はゾッとして後ずさってしまったが、伊那倭様は真っ直ぐ八千代様を見据えたまま、微動だ
にしなかった。
そして、八千代様が口を開いた。
「いないわよ? 初めから、そんな人」
――ハァ、ハァ、ハァ。
土の匂いが立ち込める山の中を、私達は早足で歩いていた。昨日の雨でところどころぬかるんだままの地面に何度も足を取られそうになりながら、私は必死に伊那倭様の後を続いた。
「代志子! 平気か?」
伊那倭様が振り返り、私を労った。私は伊那倭様の足を引っ張るまいと無理に笑顔を作ってみたものの、口の中で粘り気を増した唾液が絡み合い、言葉を返すことができなかった。
「……すまない。少し休もう」
伊那倭様はそう言うと、倒木へと腰を掛けた。お召し物を1枚脱いで横に敷くと、手を差し出して私に座るよう促した。私は申し訳なくなって遠慮したものの、伊那倭様が私の手を引いて強引にその上へと座らせてしまった。
「……申し訳ございません。ありがとうございます。申し訳ございません」
私達は、屋敷の外へ出ていた。何を問い質しても的を射た返答を出さない八千代様に痺れを切らし、伊那倭様が私を連れ立ってあの場を離れたのだった。
私は伊那倭様の行動に、少し疑問を浮かべていた。私はてっきり伊那倭様が八千代様を説き伏せて、企てをやめさせようとしているのだと思い込んでいたため、こうもあっさりと引き下がってしまった理由が分からなかった。
荒ぶる息を整えながら伊那倭様を眺めていると、少し焦りのこもった表情で伊那倭様から語り掛けてきた。
「八千代がどこまで本当のことを言っているのかは分からない。だが、俺達を変えてしまおうとしていることは確かだ」
八千代様が言っていたように、伊那倭様は八千代様のお兄様である伊那倭様へ、私はその妻である代志子さんへと身も心も変化させられている。これは紛れもない事実だ。
「八千代は、自分が『創り上げた』伊那倭と代志子という存在を、実在の2人のつもりで接するつもりだと言っていた」
それも間違いないだろう。だからこそ、赤の他人である私達をこの世界に送り込む意味がある。そうでなければ、いかに私達を八千代様のお兄様である伊那倭様やその妻である代志子さんへと似せていったとして、実物との違いに苦しむだけで「元通りの3人の暮らし」を実現することはできない。
「しかし、恐らくそれは嘘だ」
私は、目を丸くして伊那倭様を見つめた。何故そう思うのか、もしそれが正しいのなら、八千代様は何を目的にしているのか、私には想像が付かなかった。
「代志子も気付いているだろう? あの場に、何故俺達と、八千代と、佐我屋さんしかいないのか」
それを聞き、私はハッとした。伊那倭様が八千代様に問い質す前に疑問に思ったこと。期を逸して聞くことができなかったが、いまだに判然としないこと。
もし桐の祠の儀式が同じように繰り返されているなら、先代の生け贄である佐賀屋さんも、「伊那倭様」役の誰かとこの世界へ飛ばされたに違いない。だとすれば、その人は今、どこにいるのだろう?
何故、「代志子さん」役の佐我屋さんは、「伊那倭様」がいないと思って何度か錯乱したのだろう。
その答えは、恐らく。
「八千代は、結局のところ、自分で『創り上げた』理想の伊那倭が、本当の兄と似ても似つかないことを自覚してしまっている。そんな偽物を見ていれば、八千代はすぐに我慢できなくなり……」
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