第39話

 代志子と伊那倭を見守り続ける苦痛より、代志子と伊那倭を別れさせて、自分も死ぬ。その方がいい。


 そうすれば、もう1人の私が生まれる。私の大切な親友。


 伊那倭は、もう1人の私のあんちゃんとして、生きていく。


 それでいい――。




「伊那倭様! お逃げ下さい! 燃えていらっしゃいます!」


 私には、目の前で起きていることが理解できなかった。


「代志子! 何を悠長に言っておる! 本当に燃えているのだぞ! 早く火を消さんか!」


 桐の祠の両側に立った代志子と伊那倭が、突如炎に包まれたのだ。


「代志子! あんちゃん! 何やってるの! 早く消しなさいよ!」


 私は燃え盛る炎を前に、足をすくめて叫ぶしかなかった。


「体が動かないんだ……! これはどういうことだ、八千代! こんな話、聞いていないぞ……!」


 私はヘナヘナと座り込み、目に涙を浮かべて謝った。謝り続けた。


 こんな筈じゃない。私が思っていたのは、こういうことじゃない。


 代志子と伊那倭が燃え尽きてしまう。


 そんなのは嫌だ。




「伊那倭様! 早くお召し物をお脱ぎになって! 火柱が大きく……!」


 ふと、私はある異変に気付いた。


 代志子も伊那倭も、熱がっていない。動揺こそしているものの、お互いに相手の身を案じているだけだ。


 何で。気が動転しているせいで? 熱さを忘れてしまった?




 ――ピピッ!




 何の音だろう。笛の音のような、しかし聞いたこともない高音が桐の祠から鳴り響いた。


「代志子! 代志……うわっ!」


 その直後、豪快な音を立てて、伊那倭が地に転げ落ちた。いつの間にか、伊那倭の火は消えていた。私があっけにとられていると、伊那倭が慌てて代志子に駆け寄る。


「伊那倭様! 良かった……」


 伊那倭が代志子の衣服を必死に払う。火は消えるどころか、勢いを増していく。


「火が消えたのですね……良かった……」


 にもかかわらず、代志子は安堵の表情を浮かべる。


「何を言っている! 火が! 火が……もうこんなに……!」


 私は涙で歪んだ視界の中で、ぼんやりと、それを見つめていた。


 やがて代志子を覆い尽くした火柱が、稲光のように鋭く輝いた。



 そして、火柱は少しずつ縮んでいった。



 代志子の腕を掴んでいた筈の伊那倭の手は、虚空に残されていた。



 火柱は、完全に消滅した。




 そこには、代志子がいなかった。




「うわあああああああああ!!!!」


 周囲にこだまするように、伊那倭の叫びが響き渡った。


 私はその悲痛な声に、心臓を鷲掴みにされたような気がした。


『伊那倭様……?』


 その直後、私の脳裏に聞き覚えのある声と、薄暗い幻が流れ込んだ。


『伊那倭様……どこでございますか……?』


 それは間違いなく、代志子の声だった。


 私が混乱していると、今度は目の前から声が聞こえてくる。


「代志子ぉ……代志子ぉ……」


 ズサッと膝から地面に崩れ落ちた伊那倭は、絶望の表情を浮かべて空を見上げていた。


「代志子おおおおおおおおお!!!!」


『伊那倭様ああああああああ!!!!』




 伊那倭の叫びが止み、辺りに静けさが戻った。


 遠くで、ウーウーと鳥か何かの鳴き声が聞こえた。


 夜明け前の暗がりの中で、その不気味な鳴き声がやけに恐ろしく感じた。


 まるで、地獄から妖しは私を舐め回すように見つめている。


 そんな感覚さえ覚えるような、嫌な鳴き声だった。


 しかし、私が本当に恐れを感じているのは、そんな思い込みに対してではない。


「八千代……?」


 ――ザリッ。


 私が恐れているのは、これから始まること。


「教えてくれ、八千代……」


 ――ザリッ。


 一歩、一歩と近付いてくる、伊那倭。


「嘘の予言をしたのか……?」


 ――ザリッ。


 私は、黙って頷いた。


「代志子を殺すために……わざと嘘の予言をしたのか……?」


 悲しみの影に滾る、憎しみの表情。


 伊那倭のこんな顔を見たのは、これが初めてだった。


 怖い。


 死にたくない。


 これでいいんだって思ってた。


 だけど、いざ、死ぬのが、こんなに、怖いなんて。




 私は尻餅をついたまま、震える足を必死に力み、ジリジリと後ずさりした。


「八千代……お前を信じてたのに……信じて……」


 今にも消えそうな灯りに伊那倭の涙が反射した。


 私は胸が強く締め付けたかのように痛んだ。


「ごめんなさ……」


 私が自分の過ちに気付き、謝罪を口にしようとした時、私の体は既に均衡を崩していた。


 私は、いつの間にか平らな地の淵まで後ずさりをしてしまっていたのだった。


 そして、小石のように軽い私の体は、スッと転がり落ち、小枝を折りながら遠い地面に叩きつけられた。痛みは感じなかった。ただ、遠くから、伊那倭の叫び声が聞こえた気がした。


(あんちゃん……ごめんなさい……)




 ――あれ?




 ――ここはどこ?




 ――さっきの薄暗い光景と似て……。




「伊那倭様……うう……私を1人にしないで下さい……」


 私は、目の前の光景を信じることができなかった。


「とわに……共にと……うう……契りを……たのに……」


 そこには、代志子がいた。


 涙で顔をくしゃくしゃにし、腕も膝も地に付けて、嘆き苦しむ代志子。


(ここは……そう……そうなのね……)


 私は命を落とした筈。ということはここが、死後の世界なのだろう。


 代志子がいるのも、おかしくはない。代志子は炎に飲まれ、死んだのだ。


 そう思うと、私は何だか拍子抜けしたように感じた。


 死とは、こういうものなのか。




「私を……1人に……しないで……」


 代志子はただ、嗚咽を漏らし続けた。


 しばらくすると、私はとある違和感を覚えた。


「1人は……嫌でございます……」


 ――さっきから、嫌味かしら?


「お願いです。隠れておいでなら、早くお顔をお見せ下さい……」


 ――あなたを騙して死なせた私が、憎いのね?


「このままでは……気が……狂ってしまいます……」


 ――私を見なさいよ! 何でさっきから私のことを……え?




 私は気付いた。


 代志子は、私が見えていない。


 それどころか、私にも、私が見えない。




 私は、どこにいるの?

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