Ⅱ 入れ替わり、生まれ変わり、死に変わり
闇夜が雪の弾丸に撃ちぬかれ、白黒まだらな蜂の巣になっている。夜の断末魔、氷雪の銃声、エンジンの唸り声。街中の喧騒とはまた異なった、ざわつく深夜の狂騒を、雪曇りの星々が見下ろしていた。北極圏の隣近所、冬本番のインゴルヌカだ。
毎年この季節が到来すると、あちらこちらの路上でカチカチに冷凍された死体がよく見つかる。主に酔っぱらいが気軽に永眠するためだが、警察としては、そんな連中が死体になったり、
従って、この国のパトカーには酔っぱらい回収の要項を満たすべく、バン型が多く採用されている。中でも一回り厳つい車両は、霊安課の霊柩パトカーだ。
これは酔っぱらいではなく、ワイトを回収、あるいは運ぶためのもので、後部座席には棺桶が二つ据えられている。覆面パトカーならば、ただの地味な霊柩車にしか見えないだろう。もちろん、一度パトランプを点灯させれば、覆面の意味は無い。
羽毛のような雪片を蹴散らし、殺到する白い弾丸を殴り照らして、バイクのテールランプとパトランプが、吹雪のハイウェイに細く長い傷を引いていった。
逃げるバイカーは、リア部から伸びる鎖で、車輪付きの鉄棺桶を引きずっている。
「そこの
助手席ではキャター・ジュネイ刑事が、驚くべき肺活量で拡声器に怒鳴り続けている。もう五十の坂も終わりが見えかけたというのに、可愛い後輩の鼓膜を破らんばかりだ。二人が追っている相手は相手で、どれだけ警告されても停まる気はさらさらなさそうだが、互いの距離は順調に縮まっていた。
「
「人魚が救助しちまいますよ。撃ったほうが早い」
なんとこのインゴルヌカ市に流れる川には、人魚が住んでいる。生前それを希望した死者を改造したものだが、これもまた、グールズが常々狙う獲物の一つだ。
二人が追っているバイカーもまた、その一種〝バイク・グールズ〟だ。こいつは、クーラーボックスや棺桶を抱えて市内を走り回り、事故や事件があればすっ飛んでいって、死体を、あるいは部品だけでもかっさらおうとするハイエナのような犯罪者だ。時には、生きた人間の手首でも持っていこうとするので、全くタチが悪い。
連中はピザ屋や宅配便に変装していることも多く、見た目そのままな格好をしているヤツは、悪党に憧れたコスプレ野郎だったりすることもしばしばだ。だが、いかにも「はい、グールです!!」という出で立ちの人間がいたら、職務質問しない訳にもいかない。マキールらが呼び止め、向こうが逃げた、それが数分前のことだ。
「疑わしきは罰せず、ただし問い詰めるべし……おっと!」
グールが拳銃片手にこちらを振り向き、マキールは急ハンドルを切った。一発目が車体をかすめ、二発目が助手席のフロントガラスに穴を開け、車内の暖房に刺さるような冷気をぶつける。蜘蛛の巣のようなひび割れで、前が少し見づらくなる。
「おやっさん、無事ですか?」
隣に座っている顔は、楽しそうに銃の安全装置を解除しながら笑った。
「オリャー不死身だ問題ねえ! やっちまえ、マッケ」
「イェッサー!」
引き金とどちらが慈悲深いか分からないアクセル全開。真っ直ぐ突っ込めば鉄棺桶を潰すかもしれないので、マキールは側面に回りこんで突っ込んだ。吹雪も風も沈黙する轟音、バイクは横転して路面を滑り、運転手は投げ出され、道路脇の白い草むらを跳ねながら転がっていく。「トナカイよりヤワな野郎だ」とジュネイ。
「あいつらみたいに、うちの車を潰されちゃたまりませんよ」
路肩にパトカーを寄せて停車すると、二人は鼻の奥がくっついて凍りそうな、厳しい冷気の中へ降りていった。拳銃を手に、うずくまって起き上がらないグールに迫る。表情こそヘルメットで分からないが、かすかに呻く声が聞こえるので、命も意識もあるらしい。最初にマキールが肩に手をかけ、「ほら、立て」と促そうとした。
その時だ。
背後で、鉄板が路面に落ちる金属音がした。まるであの棺桶が開いたように。
「シャオメイ!」グールの叫び声と銃声が重なる。
火を吹いたのはジュネイの銃だ、棺桶から現れたものは、一瞬で距離を詰めると、雪明かりを反射する何かを振り上げ、また振り下ろした。その軌跡を辿るように、老刑事の胸からみるみる熱い血潮がしぶいていく。マキールはスローモーションのようにそれを眺めながら、半ば無意識に銃を構え、弾倉が空になるまで撃った。
「ミッサ!」
撃ちながらパトカー内のワイト犬を呼ぶが、その必要はなかった。名前を呼び終わるより先に、真っ白なボルゾイが襲撃者の腕に食らいついている。その時になってようやく、マキールは相方が刃物で斬られたことや、棺桶から出てきたものが、黒髪のチャイナ少女であることに気がついた。
少女は明らかにワイトだった。なぜか切断されている左膝から先は、血が滴る代わりに、黒い蒸気が細く上がっている。死体少女は片刃の湾曲刀を軽々と操って、ボルゾイの首を刎ね飛ばすと、刃で顎を切り外して投げ捨てた。一連の仕草は非人間的に冷徹で正確で、それが屍肉と骨の機械に過ぎないと見せつける。
だがボルゾイもワイトだ、首を落とされたぐらいでは終わらない。視覚と聴覚は失ったが、断面から黒い蒸気を上げつつ、果敢に体当たりを仕掛ける。それを正面から迎え撃ち、死体少女が刃を閃かせると、勝負は一瞬で決着が付いていた。首無し犬は上下半身・左右半身の計四分割にされ、鮮血のような薬剤と、炎のような激しい黒蒸気に、同時に包まれながら転げ落ちた。そのまま動かなくなる。
ワイトとしては動くこと自体はまだまだ問題ないが、あの状態では戦闘は不可能と判断しての自己待機だ。マキールは舌打ちした。
「舐めんじゃねえよ!」
入れ違いに、斬られたはずのジュネイが起き上がり、少女ワイトへ向けて威勢良く発砲する。胸から腹にかけてが血の海になっていたが、引き金を操る指にはいささかの衰えも震えもない。その危険性に気づき、マキールは背筋が凍った。冷や汗を感じるやいなや、老刑事に抱きつき、綿毛のような雪が積もる地面へ押し倒す。
「痛くないからって無茶しないで下さい!」
ジュネイはかつて従軍中にジャングルで戦死し、三日の後〝
ゾンビ特有の障碍、あるいは特権。ジュネイはそれに頼って、重傷を負った体を無理やり動かしているのだ。
相方を押さえつけたまま弾倉交換しようとするマキールを、誰かが踏みつけていく。見ればようやく起き上がったグールが、被弾した少女ワイトの手を取り、倒れたバイクと棺桶に向かって走って行く所だった。追撃か、それとも相方の体調か。逡巡したものの、彼は日頃世話になっているジュネイの方を選んだ。
「おやっさん! おやっさん、生きてますか!?」
老年にさしかかったベテラン刑事は、マキールの下で人形のように手足を投げ出していた。まるで腹を捌かれた魚のようだ、反射的に連想して、彼はその考えを追い出した。ふざけるな、見た所中身は周りに散らばっちゃいない……。グールは少女ワイトを連れて、バイクのエンジンを入れている、すぐにその音も遠ざかっていく。雪の上から、ジュネイが虚ろな顔でこちらを見た。
「不死身だっつったろ?
安堵感に全身から力が抜けそうになる。それでも、マキールは平静を装うとはした。雪と、それを溶かす血が、夜目にも鮮やかでクラクラする。
「おい、何だらしねえ顔してんだ……死にゃあしねえよ、こんぐらい」
「分かってます、分かってます。ゾンビは一度死んだからしぶといって言いますしね。おやっさんだって、このぐらいでくたばらない。分かってますって」
半分は自分に言い聞かせながら、マキールはパトカー内の救急セットを開いて、応急処置した。無線で呼ばれた応援の到着を待ち、その後救急車両に搬送される間、ジュネイは前生の思い出を話し続けた。越南戦争に従軍していた頃のことだ。
「ありゃ夜だった。あいつが撃たれて、開けた場所だったから、運良く夜空を見上げたまま死んだ。三日後、目を覚ました時、あいつは消えて、オレが生まれた、分かるか? 生まれ変わったんじゃねえんだ。入れ替わったんだ、天国か、どっかからな」
「……おやっさんは、入れ替わる前、どこにいたか覚えてるんですか」
答えを期待してはいない。ただ少々の好奇心と、話しかけて老刑事の意識を保つため、マキールは話しかける。ジュネイはかすかに首を横に動かした。
「覚えてるわけがねえ。知っているのは、オレの前生がそれまでどんな人生を過ごしてきたかってことだ。だから自分がどんなクソ溜めに放り込まれたか、生まれた瞬間からオレには分かってた。あいつら、オレの手に焼き印を押してな……悲鳴を上げた時には、オレはそれを消してたんだ」
彼……その時はキャター・ジュネイではなかった……は、その時の戦闘で銃に撃たれて、死んだ。そしてゾンビとしてよみがえり、軍を不名誉除隊にされ、戦地からインゴルヌカまで逃げてきた、とそういう話を延々と。繰り返し、繰り返し。救急病院に着く頃には、マキールはすっかり疲れ果てていた。
「おやっさん、その話三度目です」
「気にすんなよ。どうせオレの体は、人生二度目の中古だからよ」
そう言って笑う老刑事の顔は、目鼻立ちも人種も年齢も、性別以外何一つ共通項のない、マキールの友人とやけに似ている気がした。彼が幼い頃からこの町でよく見てきた、諦めるのとも悲しむのとも違う、達観と霊知の不可解な微苦笑だった。
結果として、ジュネイ刑事の傷は命に別状無しと診断。刃は胸骨にまで達していたため、しばらくの入院生活を余儀なくされた。後に残されたのは、苦々しい思いを胸に抱え込み、あのグール野郎を必ず捕まえてやると誓った若き刑事が、一人。
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