インゴルヌカ番外編:グリーフワークス・アンデッド

雨藤フラシ

完結■霊安課刑事マキール・ビューケット

原稿用紙約125枚

Ⅰ 墓守酩酊す

 子供は死を理解出来ないと言うが、それなら、いつから理解するようになるだろうか。自分の場合は、五歳で失恋した時のことに違いない……と、マキールは思う。近所の図書館で週に三度、司書を務めてる青年が、彼の初恋相手だった。

 もう顔も思い出せないが、惹かれたのは父か、兄に似ていたからなのだろう。顔や、雰囲気なんかが。

 司書の青年はいつも淡々と仕事をこなしていた。本の貸し出し、返却、書架の整理。無駄口など叩かず、挨拶と、事務的なやり取りだけ。

 それでも幼い日のマキールは、読みもしない本を毎回適当に見繕って、律儀に通い続けた。それが一年ほど続いたある日、母親があれは違うのよ、と息子に忠告した。

「違うって、何が?」

「あの人は、死んでいる人なのよ」


 母親は、「だって、〝ワイト(還死動体)〟なんだから」と続けた。


 生ける死者と、動く屍と、ナマの死体と。マキールの周りは、物心つく前から死体でいっぱいだった。

 というのも、彼が生まれたのは世界最初にして最大のネクロポリス――〝インゴルヌカ〟だからで、中でもマキールの生家は先祖代々葬儀屋の一族だったからだ。一族の姓・ビューケットは花束(bouquet)に由来する。死者への弔花、はなむけを意味するのだ、とは祖父の言だ。

〝ワイトという種類の人〟が、街のあちこちに居るのは幼い彼にも分かっていた。司書の青年が〝それ〟なのも知っていた。

 だがワイトが何なのか、幼かった彼には全く理解出来なかった。それは『死体を薬で動かして、神経回路を持たせ、魂の代わりに動作や知識を記録したプログラムを書き込む。SFのようなアンドロイドを、人間の体で再現したもの』だ。

 そうした理屈を聞いてはいても、理解出来るようになったのは何年も先のことで、マキールは母親に注意された次の日も、その次の週も図書館へ行った。

 やがて、一ヶ月が経ったある日。

 その日の彼はなぜか本を探す気にはなれず、ただ書架の間をぶらぶらして、漫画本をめくっては時間を潰した。閉館時間が近づくと、そう広くない館内を夕日が満たして、子供心にもう帰らねばとせき立てる。やがてその時が近づくと、司書の青年は「間もなく閉館時間です」とアナウンスを歌い出し、彼はカウンターに向かった。他に残ってる利用者はいない。

 いつだって、綺麗な歌声だったものだ、と思い出すたびにマキールは思う。

 五歳の彼は、苦労して図書カウンターの上によじ登り、アナウンスを歌い終わった司書ワイトに、初めて愛の告白とキスをした。その時、幼いマキールがどう恋心を表現したかは、誰の記憶にも残っていない。死者は何も反応を返さなかった。唇は冷たくはなかったが、ぬくもりも感じられなくて、生き物というよりも、テレビやラジオと同じような感じだった。

 その時やっと、彼は青年の目が何も見ていないことを、生きた人間ではないことを悟り、失恋したのだ。その後も、あちこちでワイトが「死体」なのだと思い知る場面を何度か目撃したが、最初にマキールが「死んでいる人」を認識したのは、この瞬間だったに違いない。


             ※       ※


「良い話だね」

 友人の思い出話に、サイゴ青年はにこやかに相づちを打った。頭の中身が天国の南外れを漂っていそうな、バカ善人にしか見えない顔だ。募金箱を持った慈善団体が寄ってきそうな風情だが、その気になれば詐欺で相当稼げるだろう。幸いなことに詐欺師ではないが、見た目通りのお人好しでも無い。

「今のどこに、そんな美的な要素があるんだ」

 その傍ら、眉をしかめてマキールは返す。今や、弔花の百合めいて厳粛な美青年に成長していた。東洋人のサイゴと見比べると、そのおもては雪のように白い。今は恋人と同棲しているが、その彼が取材旅行で不在のため、自宅へサイゴを呼んで飲んでいる、その席だった。ソファに男二人で、数種の酒と無くなりかけのつまみ、外は吹雪の夜だが、ロウソクが柔らかに灯る部屋は暖かい。

「いわゆる美談じゃないかもしれないけど、僕はロマンチックだって思った。君は知らずに死者に恋したんだろ?」

 言いながら、サイゴはどろりとした黒い液体で満たされた杯をあおる。コスケンコルヴァは甘く口当たりが良い酒だが、アルコール度数はかなり高い。こいつ、酒が回りすぎているのかもしれないと思いながら、マキールはやや苛立った口調になる。

「死者じゃない、死体だ。ゴースト制御で動くただの物、人間と尊厳の抜け殻だ。本来なら動かすべきじゃない」

「でも、ここは天下のネクロポリスだからね」サイゴはのほほんと、毒気なく笑った。「そういえば最近、〝ワイトと飲めるバー〟ってのが出来たらしいよ」

 思い出したように妙な話題を振られ、マキールは「なんだそりゃ」と鼻白んだ。心地良いほろ酔いに、水を差された気分だ。

 インゴルヌカ市は、死体活性技術ボディリブートの研究と運用が許された特別産業地域であり、世界で最も、そしておおっぴらに、ワイトが利用されている。医療、警備、工業、娯楽、そして性産業にまで。さすがに性産業でのワイト利用はほとんどがアングラだが、マキールの祖父が知ったら寿命が縮みそうな話ばかりだ。

「店内にワイトが思い思いに座ってるから、客はお気に入りを見つけて、その隣で飲む。それだけ。おしゃべりも何もしないけれど、その静かさがいいとか何とか」

「つまりネクロフィリア向けバー、ってことか」

 どこでこの話題を打ち切らせようか、と彼が考えている間にも、サイゴは続けた。

「食卓の向こうにワイトが座ってるとか、ソファでぼんやり映画を見る時、隣にワイトが座ってるとか、そういうの中々落ち着く生活じゃないかと思う。僕は結構、死体って好きだよ」

「そりゃ、お前は〝ゾンビ(偽生者)〟だしな……」

 インゴルヌカは死者が作った。もう一世紀近く昔、死んだ人間が時折、全く別の人格を持ってよみがえる「ゾンビ」現象は、苛烈な迫害を生んだ。マキールの曾祖父も、そうした迫害や虐殺から逃れに逃れ、ゾンビのための避難先として始まったこの地に、どうにか辿り着いた人間だ。

 多くのゾンビは、自己を「他人の体のお古をもらって生まれた」と認識しているという研究もある。他者の記憶を持ちながら、それはあくまで知識であって、自己の経験や感情、人格には反映されていない。よみがえった死者と認識されがちだが、当人たちには良い迷惑だろう。マキールもそれは知っているが、分かった上で軽口を叩いた。サイゴは肩をすくめる。

「どうだろ、そうかもしれないし、違うかもしれない。でも、ワイトってみんな、死んでるってだけで、なんか可愛いんだよね」

 半笑いの顔を作って、マキールはウィスキーに口をつけた。少し腰が引けたのを誤魔化している。

「お前やっぱりネクロフィリアの素質あるな」

「だって、生きてるのって気持ち悪いよ」

 グラスをあおる手を止めて、マキールは真顔になった。少し友人と距離を詰め、真っ直ぐに目を見つめる。

「夜ちゃんと眠れてるか? 仕事で疲れてないか? お前が心配になってきた」

「大丈夫だよ、僕はワイトに欲情しないし、自殺願望もない。気持ち悪いのと、嫌いなことはイコールじゃないし、僕は人生にどれだけ難儀しても生き抜くつもりさ」

 明朗快活な笑顔で語るサイゴの様子は真実みがあったが、マキールは疑惑を捨てきれなかった。

「じゃ、何で気持ち悪いなんて思うんだ」

「気色悪いような、汚いような、まあ色々だよ、色々。でも、それはそれで好き」

 確かに、サイゴはかつてインゴルヌカの外で、ゾンビとして迫害にさらされた経験がある。生に嫌悪があるならば、ここへ辿り着くより前にそれを実行していただろう。でなければ、この傾向が最近になってのことかだ。

 マキールはグラスに追加のウィスキーを注いだ。酔いがだいぶ回ってきているのは分かっているが、飲まずにはいられないやけっぱちな気分がある。

「よし分かった、いつかお前が道を踏み外しそうになったら、ぶん殴って引きずり戻してやるからな」

「ああ、うん、ありがと」

 一瞬、サイゴが不思議そうな、はた迷惑そうな顔をしたのを、マキールは見逃さなかった。もう既に外し済みじゃあるまいな。

「でもさ、マキールは、失恋の後もワイトを可愛いとか、人間みたいに思ったことってない?」

 ぐっと多目に酒を飲み干して、マキールは少し考え込んだ。体の中にロウソクの火が灯って、心地よく自分を溶かしていくような気分。紡ぎ出した言葉は、やや呂律が怪しい気がした。

「うちはそういうのに厳しいんだ、葬儀屋だからな。死者は敬意を払うべきものだし、死体は故人が使い込んだ愛用品だ」

「そういえばそうだね」生返事ぎりぎりの受け答え。

「俺の初恋相手がワイトだったことも、いまだにばあさまがネチネチ言ってくる。……異物なんだよ、インゴルヌカで、うちの一族は」

 悲しげな顔は、諦めと物思いが混じったカクテルだ。ウィスキーを更に追加し、マキールはテーブルに叩きつけるようにショットグラスを置いた。

「でもおかしいのはうちじゃない、インゴルヌカの方だ! ここには信仰と敬意がない、死者の尊厳を死者のためなんて言葉で誤魔化していやがる」更にもう一杯。「〝モータル(未死者)〟の父とゾンビの母から生まれて、ネクロポリスで育って、その俺から見たってここはイカれてるんだ。外の連中が気味悪がって非難したって無理もない……」三杯目、テーブルに注ぎそこねた酒がこぼれる。

 傍でそれを見ている友人が、かったるいなあ、という顔をしたことにもマキールは気が付かなかった。サイゴはなだめようと、肩に手を伸ばす。

「マッキー、飲み過ぎ」

「そのヤンキーじみた呼び方はやめろ!」

 手を振り上げた瞬間、裏拳がサイゴの鼻面に当たったが、マキールはそれを気にする罪悪感ももはや無かった。ケラケラと笑いながら、更にウィスキーをあおる。

「だからなあ、おれは、尊厳を取り戻すんだよ……死体のな、死者が死者として、安らかに眠れりょうになあ……」

「はいはい、分かった分かった、刑事さん」

 視界がぐるぐると回る、体の重みが消える。サイゴが何かあやすように語りかけるのが分かり、子ども扱いするなと怒鳴ったような気がする。

 とにかくこのあたりから、マキールの記憶は混濁し、気がつけば朝で、酷い二日酔いだった。午後からはまた夜勤シフトだ。

 彼の職場はインゴルヌカ市警察(IGKP)、刑事局特殊捜査部霊安捜査隊――通称『霊安課モーグ』。世界で最も死体が売れる都市・インゴルヌカで、死体泥棒グールズ死体密売ネクロビズ・違法なワイト運用の数々を取り締まる、警察武装墓守である。

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