第17話 闇の炎と闇の者達
そうとは知らない光輝達。
途中の空き地で悪魔と一悶着は起こしたが、それからは何事も無く家に着くことが出来た。
それが希美には腑に落ちないようだった。顔を歪めて考えていた。
「おかしい、あれから一度も悪魔が襲ってこないなんて」
「来ないなら何よりじゃないか」
光輝はその方がいいと思うのだが、希美は納得しない様子だった。
「だって、お兄ちゃんの炎は悪魔にとって大事な物なんでしょう。だったらもっと大規模に積極的に攻めてきてもいいと思うんだけど……」
「そんなフラグみたいなことを言わなくても……」
「こちらの力を見せたから、敵を警戒させたのかもしれないわね……」
郁子が呟いて考えた。
その時だった。
「ワン!」
玄関横の犬小屋でケルベロスが鳴いた。普通の犬がご機嫌な瞳をして尻尾をせわしなく振っている。
「ただいま、ケルベロス。はっ」
希美は何かに気づいたように息を呑み込んだ。
「もしかして敵はすでに家に忍び込んでいるのかも」
「それは分からないけどさ」
家を見上げる光輝。希美が変なことを言うもんだからいつもの家が不穏に感じてしまった。
何も変わった様子はない。ケルベロスも特に侵入者が来たような異変は伝えていなかった。
郁子が声を掛けてくる。
「敵の姿が見えなくても罠が仕掛けてある可能性は否定できませんね。調べてくるので待っていてください」
「うん……って何で敬語?」
光輝はしばらく前から気になっていたことを訊いてみた。慣れていないらしくたまに混ざる程度だったが。クラスメイトなんだから普通に喋ればいいと思う。
郁子は答えた。真面目な顔と真っ直ぐな瞳をして。
「あなたが闇の王だって聞いたから。王族なんで偉いんでしょ?」
「いやいや、王である前に僕らクラスメイトだから。それにここでは普通に暮らしてるし」
「分かったわ。わたしも何か変だと思ってたの。敬語ってよく分からないし、謙譲語って意味分からないし、ご飯を召し上がる時は何が正しいのかと」
その文句は国語に言ってくれと思いながら、光輝は答える。
「そうだね。気楽にいこ」
「分かったぴー」
「ぴーって何?」
国語に無いことを光輝は訊ねる。郁子は息を吐いて答える。
「気楽に言ったんだけど……冗談よ。とにかく調べてくるからちょっと待ってて」
郁子は警戒しながら家に忍び入っていく。
「あの人でも冗談言うんだ」
「だね」
二人は真面目に見える彼女でも冗談を言うんだなと思って見送って、待つことにしたのだった。
静かだ。希美はケルベロスにお手をさせながら光輝に話しかけた。
「静かだね」
「だね」
良い天気だ。青空が広がっている。小さな雲が流れている。
「こんな日は悪魔は来ないかもな」
「もう来てるじゃない」
「だな」
少し背伸びをする。
「凛堂さん、遅いな」
「あたし見て来ようか。家を荒らされてたら嫌だし」
「ドジっ子のようには見えなかったけどな」
悪魔を圧倒する運動能力で剣を振って勇敢に戦っていたことを思い出す。それから職員室で剣を振っていたことも思い出した。
「常識はちょっと心配かもしれないけど」
「心配か。お兄ちゃんが心配するなんていつものことね」
「そんないつもはしてないだろ」
人を苦労人みたいに言わないで欲しい。今はしてるけど。
ちょっと気になってそわっとした時だった。不意に周囲が陰って、光輝も希美も玄関に向かおうかと思っていた足を止めた。
「雲が出てきたのかな」
「まさかあ。そんな分厚いの無かったよ」
空を見上げて二人して目を見開いた。
島が飛んでいた。鳥なら驚かなかったかもしれないが島だった。字は似ているが物は全くの別だ。
島が飛ぶなんて、ファンタジーでしか見たことのない光景に、光輝も希美もびっくりしてしまった。
「り、凛堂さん!」
慌てて玄関に駆け込もうとするが、その前に悪魔が舞い降りてきて立ち塞がった。
一匹だけではない。数匹の悪魔が舞い降りてきて、光輝と希美をすぐに取り囲んでしまった。
「家は囮だったのか」
「囮? 何のことか分からないわね」
「喋ったあ!!」
光輝も希美もびっくりして声の出どころを見た。
悪魔が喋ったのかと思ったが、悪魔の後ろから少女が現れた。
悪魔に乗ってやってきたようだ。
美しい少女だった。年は希美とたいして変わらないように見える。黒いドレスを着て妖艶な笑みを浮かべている。
光輝はどことなく彼女に懐かしい雰囲気を感じた。知らずに彼女の名を呼んでいた。
「リティシア!」
「!!」
一瞬彼女の目が驚きに見開かれ、すぐに元の表情を取り戻してその笑みが深くなった。
「嬉しいわ。わたしのことを覚えていてくれたのね、兄様」
「お兄ちゃんの前世の妹!?」
希美も驚愕してしまう。リティシアの目がちらりとそちらを伺うが、光輝には構う余裕が無かった。
何か大きな違和感があった。それを掴もうとして、一瞬見えた。その思いをそのまま口にした。
「僕の知ってるリティシアは……」
「?」
リティシアが不思議そうに光輝を見る。前世の妹とはいえ美少女に見られているのを意識しながら光輝は言った。正直に素直に、考えるよりも行動に任せて。
「もっと可愛かったような」
途端にリティシアが感情を爆発させたように叫んだ。
「今も可愛いわ!」
足で地面を強く踏みしめて近づいてくる。さっきまでの高貴な印象はどこに行ったのだろう。
だが、光輝には分かった。これがリティシアだ。彼女は不満を顔に乗せて、指先をびしっと突きつけてきた。
「お兄ちゃんは勝手に黙って出ていったくせに最初に言うことがそれって何やのん!?」
「悪かったよ。怒らないでよ」
「いいや、言わせてもらうわああ!」
「リティシア様!!」
静止させたのは司祭の声だった。緊張に震える空気に光輝と希美は身構え、リティシアは振り返って純粋な子供みたいな笑顔を見せた。
「お爺ちゃん!」
「リティシア様、王らしく、ですぞ」
「そやったな」
リティシアはコホンと咳払い。再び元の悪魔の令嬢めいた笑みを取り戻して光輝に向かって言った。
もう無駄なんだけど、とは言わない方がいいような空気だ。希美も空気を読んでいる。
リティシアは淡々と自分の用件を告げる。まるで学芸会を頑張る子供のように。
「わたしは兄様の炎を受け取りに来たのです。譲ってはいただけませんか?」
「この炎って譲れるの? 怪我したりしない?」
「わたしは兄様の妹ですよ。受け継ぐ資格を持っているのです」
「…………」
光輝は少し考え、自分の手を見つめ、親指で中指を抑えてそれを涼し気な笑みを見せるリティシアに向けた。
「ちょっとこっち来て」
「?」
言われるままに近づいてくる前世の妹。
不思議そうに見るリティシアの額に向けてその指を放った。
「あいたあ!」
デコピンを食らって痛そうに声を上げてしゃがむリティシア。驚いたゼネルが声を上げるよりも早く、すぐに立ち上がって文句を言ってきた。
「いきなり何するん、お兄ちゃん!」
「いや、本当にリティシアかと思って。変な喋り方してるから」
「変な喋り方違うわ! お兄ちゃんに代わって王になるために王らしく喋ってるんや!」
「ああ、何か懐かしいなあ、これ」
「あたしだって懐かしいわ! でもなあ……頑張ったんやから褒めてくれたってええやんか!」
「ああ、偉い偉い」
「そゆのやなーーーい!」
「いちゃつくのはそれぐらいにしてもらおう!」
さらに言い合いを続けようとした兄妹をゼネルの声が遮った。リティシアは落ち着いて一歩下がった。そして片手を差し出して言った。
「お兄ちゃん、闇の炎くれ」
「…………」
リティシアはもう取り繕わなかった。単刀直入に用件だけ述べた。
光輝は迷った。この妹に本当にシャドウレクイエムを渡していいのかと。
出来る物なら渡してもいいはずだった。
悪魔が来たのには驚いたし、ゼネルは何を企んでいるかは分からないけど、リティシアならそう悪いことには使わないはずだ。
かつての妹のことを思い出してきた今の光輝ならそう思えた。
郁子は反対するだろうけど。
「そう言えば凛堂さん、遅いな」
光輝が家の二階を気にした時だった。
不意に何かがはばたく音が聞こえた。鳥かと思った。今度は島ではなく鳥かなと。ドラゴンだった。
空の向こうから飛んできたドラゴンは口をカッと開くと、凄まじい炎のブレスを吐き出した。
ブレスは空に飛んでいた島に命中。粉々に粉砕して燃やし尽くした。
リティシアは両手で頭を抱えて叫んだ。
「あたしの宮殿がーーー!」
「リティシア様!」
ゼネルが庇うように立ち、悪魔に命令を下した。
「行け!」
竜に向かって悪魔達が飛んでいく。空中戦が始まった。
「何やの、あの竜は」
「あれはかつて王が退けた竜ダークラーですな。再び現れるとは」
「そんなん知らんわーー!」
リティシアは叫ぶが、光輝は知っていた。心のどこかで覚えていた。
かつて配下の魔物達を従え、あの竜と戦ったことを。
ゼネルが真面目な顔して近づいてくる。
「炎をリティシア様にお譲りください。シャドウレクイエムで無ければあの竜は倒せません」
「でも……」
光輝は迷っていた。包帯に包まれた自分の腕を見て考える。ゼネルの目が光った気がした。
「そこにあるのですな、シャドウレクイエムが!」
「え!?」
ゼネルが杖を放り出し、光輝の腕にしがみついてきた。
「さあ、解放するのです! 王の力を!」
「ちょっ、止めてよー!」
美少女にくっつかれるならともかく、爺さんにくっつかれても何も嬉しいことは無かった。
光輝は振りほどこうとするが、爺さんは子泣き爺のようにしがみついて離れようとはしなかった。
光輝の腕の包帯が剥されていく。
「お爺ちゃん……」
「大丈夫なの?」
二人の妹達が見ている前で光輝の物が白日の元に晒され、
「ゴアアアアアアアアアアアッ!!」
ようとしたところで、空で竜が吠えた。
ゼネルが手を止め、みんなで空を見上げた。
悪魔が全滅していた。黒い影が落ちていく中で、竜は勝利の雄たけびを上げた。
「あたしの使い魔が……」
リティシアはすっかり声を失って呆然としていた。
「大丈夫、お兄ちゃんが何とかしてくれるからね」
希美がその肩を抱き寄せていた。妹同士がいつの間にか仲良くなっていたようだ。
竜は吠える。自分こそが絶対の強者だと言わんばかりに。
そして、その竜の瞳が見たのは光輝だった。
禍々しく強い意思を宿した声が空から振り下ろされてくる。
「王に連なる者がこんな場所で相談か? 我は闇の竜ダークラー。全てを支配する者なり!」
「闇の竜ダークラー……王の炎を食らいながらまだ生きていたとは!」
それはゼネルにとっても意外なことのようだった。
リティシアが訊ねる。
「おじいちゃん、あの竜のことを知っとるんけ?」
「王がかつて倒した闇の竜です。まだ滅びていなかったとは」
「我は眠りにつき傷を癒していたのだ。もうそろそろ頃合いかと思ったそんな時、懐かしくも忌々しい力を遠くに感じたのでな。こうして飛んできたというわけだ。まさかこんな遠い世界にいたとは驚きだったぞ!」
「僕が力を開放したから……」
「お兄ちゃんのせいで……」
「我らの開いたゲートを利用したのか。ちょこざいな!」
それぞれに反応を見せる下々の者達を竜は尊大に空から見下ろす。
どうあれと戦えばいいのか。光輝は自分がかつてあの竜を倒したと言われても、まだその時のことをはっきりとは思い出せなかった。
困っていると家の玄関から郁子が姿を現した。
ケルベロスが「ワン!」と一声鳴いて、みんながそちらに注目した。
「家の中に罠は無かったわ。しいて言えばゴキブリホイホイぐらいかしら。ハッ、闇の力!」
郁子はすぐに周囲の状況に気が付いてゼネルとリティシアを、そして空に飛ぶ竜を見上げた。
「この妹は悪い子じゃないわ!」
希美はリティシアをぎゅっと抱きしめて言った。リティシアはちょっと苦しそう。
「何やの、この妹……」
「ハンターまで現れてしまうとは……」
ゼネルは苦々しそうに吐き捨てる。彼にとっても郁子は恐れる対象のようだった。
そして、調和を重んじるハンターにとってこの場で一番の敵は……
郁子は静かな瞳で空を見上げた。
「何なの、あの竜?」
光輝が普通の言葉遣いでいいと言ったので、丁寧語ではなく普通に話しかけてくる。
頼もしいハンターに光輝は答えた。多分この説明で合っているはずだと思いながら。
「闇の竜ダークラー。かつて僕が倒したらしいんだけど、逆恨みして来たんだ」
「そう、知らないわね」
たいして興味無さそうに呟き、郁子は剣を抜いた。
鋭いハンターの瞳をして空を見上げる。
その気迫にみんなはびっくりしてしまった。ダークラーだけが悠然と空を飛んでいる。
郁子が走る。まるで爆発するような瞬発力で。
地を蹴り、ジャンプした。空で待つ標的に向かって。
郁子はためらわず、剣を振った。白刃の軌跡が空に描かれた。
さらに何度も。複数の斬撃が空に描かれ、郁子は着地した。
その顔は決して満足のいった顔では無かった。郁子は悔しそうに空を見上げた。
「卑怯者め! 降りてこい!」
そう、郁子の斬撃は空の竜に全く届いていなかったのだ。竜は勝ち誇った顔を見せていた。
「我にそっちに行けと? お前がこっちに来いよ。来れる物ならな!」
竜が炎のブレスを吐く。郁子は地面を転がるようにしてそれを避けた。
竜は面白い玩具を見つけたようだ。次々と郁子に向かって攻撃を仕掛けていく。
光輝達にとっては敵の注意が逸れてありがたいことだったが、このままでは郁子がやられてしまう。
焦りを見せる光輝に、ゼネルが改めて進言する。
「あの竜を倒すにはシャドウレクイエムしかありませんぞ。さあ、リティシア様にお譲りするのです」
「お兄ちゃん、あたしにシャドウレクイエムくれるん?」
妹は心配そうな顔をしている。そんな前世の妹を現世の妹が安心させるように抱いている。
そんな姿を見ては別の意味で渡せないと思った。
「いや、シャドウレクイエムは僕が使うよ」
途端にゼネルが粟を食ったように叫んだ。
「何をおっしゃる! あなたは王を止めたのですぞ!」
「ゼネル、王は誰だ?」
「!」
光輝はもう悪魔を恐れなかった。郁子が戦っている。妹達が見ている。立ち上がる時だった。
ゼネルはなおも食い下がるように言う。
「しかし、あなたは王を止めて……」
「俺は王を止めると言ったか?」
光輝の覚えている限りそんなことを言ったことは無かったはずだ。
記憶力はまだおぼろげにしか思い出せない光輝よりゼネルの方が良かった。
彼は唸るように言った。
「王を止めて人間に転生したいと。確かにおっしゃいました」
「言ったかもしれないが、今の俺にもうそんなつもりはない」
光輝は誤魔化しつつも威厳を見せる。
リティシアが王らしく振る舞うと言っていた。兄妹だなと希美は思ったのだった。
光輝は竜に向かって一歩踏み出す。右腕の包帯を完全に外して、眼帯も外した。
コンタクトを通して敵の強大な力がよりはっきり見えるようになった。
「やってみるか。やるしかないよな」
光輝は右腕を振り上げる。天へと向かって。
「来いよ、俺の炎」
呼びかけるとすぐに黒い炎は答えてきた。燃え上がる炎にゼネルとリティシアは感嘆の眼差しを向けた。
「何という力。これほどの物だったのか……」
「お兄ちゃん、めちゃんこ綺麗やわあ」
その強さと気高さと美しさはかつて闇の王に仕えていた二人に王とは誰かを改めて思い出させるに十分な物だった。
元より魔族は王の強さに惹かれて集まったのだ。
懐かしくも強い力は魔族達をも感動させた。
地上から吹き上がる黒い炎に、郁子と遊んでいた上空の竜も気が付いた。
その瞳が驚愕に見開かれる。
「シャドウレクイエム! 再び現れたのか!」
その炎は魔族にとっては憧れの的だったが、ダークラーにとってはかつて自分を痛い目に合わせた憎む存在だった。
そして、それは同時に竜を歓喜をもさせる。
「これを撃ち破ってこそ、我の完全勝利と言えよう!」
竜が向かってくる。かつて自分を恐れさせた者を今度こそ粉砕しようと。光輝は恐れず迎え撃った。
右腕から闇の炎を放つ。自分の意思で全力で。今持てる力を込めて。
「いっけ、シャドウレクイエム!」
「二度も同じ技でやられる我ではないぞ!」
黒い炎に竜はブレスを放つ。黒が赤をなんなく押しのけていく。
ダークラーに届く。そう思った時、竜はそれを両腕で抑えに掛かった。
戻ってきた郁子が戦場に目を走らせる。助ける場では無いと判断したのだろう。剣を収めた。
賢明な判断だと光輝は思い、再び竜に意識を戻す。
ダークラーは炎を抑えようとするのだが、その顔は段々と苦し気になってきた。
「あっつ、闇の炎あっつ、くそっ、ふう!」
苦し紛れに息を吹きかけるが、その行為は炎をより一層強く燃え上がらせただけだった。
打ち破れば完全勝利のはずだった。かつての屈辱を晴らせて良い気分になれるはずだった。
竜はその道をあきらめざるを得なかった。すなわち敗退だ。
屈辱の中でダークラーは下がるが、その判断はわずかに遅かった。
「があああああああああ!!」
僅かにかすっただけでシャドウレクイエムのダメージは竜の体に浸透し、大きな痛みを与えていった。
竜はふらつき、それでも何とかはばたいた。残った力を全て使うかのようにして。
「くっそー、闇の王め! 覚えてろよー!」
冴えない捨てセリフを残して、ダークラーは飛び去っていった。
不穏な闇が去り、空に暖かい陽射しが戻ってきた。
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